22.革袋の中の小魔
暗い森の奥の沼地には、昔から恐ろしい魔物が棲んでいて、今でもその魔物の唸り声が風に乗って聞こえてくるという、木こりや狩人さえ近づきたがらないウワァフ·フフウの森の近くの古びた一軒家に、イリヤ·ヒッコリーというおばあさんが住んでいた。
近くのオアの村からは少しばかり離れた、フフウの森が暗い影を落とすさびれた旧街道のそばのその家は、みるからに寂しげで、物騒なところにぽつんとたたずんでいるのだが、住人のイリヤばあさんはそんな事は一向も気にしていない様子で、昔から、一人でそこに住んでいた。
村はずれに住んでいる事もあって、オアの村の人たちは、イリヤばあさんの事を詳しく知っている者はあまりいなかった。
イリヤばあさんは時々、村の人たちのちょっとした雑用を引き受けて小銭をもらったり、自分のところでとれた鵞鳥の卵や、山羊の乳や、フフウの森で摘んだ薬草などを街で売ったりしている様だったが、いつも愛想が良くて、きちんとした身なりをしているこのおばあさんが、いったいどうやって生計をたてているのか、村の人たちは知らなかった。
だから村の人たちの中には、魔物の森のそばに一人で住んでいるなどという、この少しばかりかわったおばあさんの事を、実は“魔女”なのかもしれない、などと言う者もいた。
ある日、そのイリヤばあさんが我が家へと旧街道を歩いていると(オアの村の村長が風邪をこじらせて寝込んだとかで、よく効く薬草をわけてくれと村長の家族の者にイリヤばあさんは頼まれ、そこで彼女は自家製で、ご自慢の“万能風邪薬”と“万能熱さまし”と“万能喉シロップ”を持っていってやった帰りだった)、行き交う人の姿もめっきり少なくなってしまった、さびれた街道の灰色の石畳の真ん中に、小さな革袋がひとつ、置かれてあった。
「あれ、何だい?」
それを目にして、ばあさんは言った。
「落とし物かねえ」
ばあさんはそう言いながら、きょろきょろとあたりを見回した。
が、落とし主らしき人影は、どこにも見当たらなかった。
「誰のものなのかねえ」
ばあさんはその革袋を拾い上げた。
革袋の大きさは彼女の片方のてのひらに乗るほどのものであったが、しかし、その重さは、両の手で持ち上げなければならないほどの、ずっしりとした重さであった。
「おやまあ、ずいぶんと重いこと。一体何なんだろうねえ」
袋の重さに少しばかり驚き、ばあさんは革袋の口紐をゆるめて、ちょっとばかり中をのぞきこんだ。と、その中身というのは……金貨だった。革袋には黄金色の金貨が、ぎっしりと詰まっていた。
「あれ、まあ!」
その、生まれてこのかた見た事もない様な大金に、ばあさんは目を丸くして小さく声をあげた。
「なんてすごいお金なんだろう!あたしゃ今まで、こんなに沢山の金貨を手に取った事なんて一度もないね!一体なんだってこんなものがここに……」
イリヤばあさんは、そう大きな声で独り言を言いながら、再び自分の周りを見回した。
が、あたりには、やはり他の人影はなかった。
「誰の落とし物なんだろうねえ……」
ばあさんは革袋の中の一山の金貨を見つめた。
「こんな大金を無くしちまって……さぞや困るこったろうねえ。どこぞの街の商人だかが、落としたのかねえ」
人が良くて正直者なイリヤばあさんは、その金貨をネコババするつもりなど毛頭なかったが、しかし、なんともすてきな黄金色の小山なのだろうかと、なかばうっとりして革袋の中身を見つめた。が、
(そうそう。そうら、どうだい、大したもんだろう?)
と、ばあさんの手の中で、革袋の中の金貨は思った。いや、正確には、それは金貨の詰まった革袋ではなく、ウワァフ·フフウの森の暗がりからやってきた、一匹の妖魔だったのだが。
つい最近、フフウの森の奥の沼地に棲まう妖魔たちの息吹と瘴気から生まれたばかりのこの小魔は、しばらくはおとなしく森の中にいたものの、ついには森の外の人間たちにちょっかいをかけてひと騒ぎ起こしたくなって、フフウの森のそばを通りかかる人影を待ち受けていたのだった。
そして妖魔はまずは一山の金貨に化けて、それを拾った人間が、いったいどんな欲にかられた顔するのか見てやろうとしていたのだった。
しかし、イリヤばあさんは大金に目を輝かせはしたものの、
「やれやれ。せっかく帰りかけてきたけど、これじゃあこのまま、スガドの街まで行って、これを駐在さんに届けないといけないねえ。こんな大金をあたしがこのままいただいちまうわけにはいかないもの。あたしがこんな大金を持ってるなんて事が誰かに知れたら、それこそ、“拾った”なんて言っても信じてもらえるわけ、ないものねえ。
きっとあたしが良からぬ事をしでかして手に入れた、なんて疑われちまって、お縄になっちまう事間違いなしだよ。おお、くわばらくわばら。しょうもない欲を出して、自分で自分を困った事に追い込むなんて事、するもんじゃないさね。そうそう、そうだよ。あたしは今まで真っ正直に生きてきた、真っ正直な人間なんだから。やっちゃいけない事の分別くらい、ちゃあんとついてますとも。ええ、ええ。
まあ……銀貨一枚くらいなら、道で落ちてたのをそのまま懐に入れて、何に使ったものやら、後でゆっくりと楽しみながら考えるくらいはするけどねえ。
でも、袋いっぱいの金貨となっちゃあ、話しは別だよ。そうとも、こんな大金を働かずしてそっくり自分のものにしちまうなんて、いけない事だよ。そんな事しちゃあ、お天道様に顔むけ出来なくなっちまうね」
と……イリヤばあさんは街道の真ん中で革袋の金貨を眺めながら独り言を言い言い、そのまま、オアの村とは正反対の方向にある、警衛官の駐在員がいる、スガドの街へと街道を歩きだした。スガドへと行くには、オアの村を背にして、途中にある彼女の家の前をそのまま通り過ぎ、真っ直ぐに街道を行けばいいのだった。
(へっ、何だい。面白くねぇばあさんだな)
しかしその正直なイリヤばあさんを、小魔は当然面白くなく思った。
(そら、その中のから一枚でもつまみ出してみなよ。それだけあるんだ、一枚くらい減ったって、わかりゃしないって、思うだろう?そら、誰も見てやしないぜ?取ってみなよ。たった一枚でも。そしたら老いぼれのあんた一人くらいなら、食べきれないくらいの馳走が食えるぜ?誰も見てない、見てないんだぜ??取ってみろって。一枚といわず……この袋の中全部のお宝をよ。今まで見た事も無い様なお宝なんだろ?これだけあれば、すてきな生活ができるぜ?ええ?)
小魔は金貨を詰めた革袋の姿のまま、イリヤばあさんの心をくすぐってみた。
だが彼女はその小魔の呼びかけに足を止めるでもなく、袋の口紐をきゅっと閉めたまま、もう金貨を見ようともせず、すたすたと歩いていた。
(ちぇっ、しょうがねえばあさんだな。面白くもねえや。なんて間抜けな奴だ。老いぼれちまって、人並みの欲も忘れちまってらぁ)
自分の化けた姿に、人間どもはさぞかし欲の皮のつっぱった顔をするだろうと、楽しみにしていた小魔は、イリヤばあさんにがっかりした。そこで、
(じゃ、金貨が大金すぎるってのなら)
小魔は自分の姿の一部を変えた。
「……?」
と、手にした革袋が、一瞬、なんだかぶるるん、と身震いしたかの様に思えたため、イリヤばあさんは立ち止まった。
「おんや?」
ばあさんは手の中の革袋を見つめた。
「なんだか、今……この袋がまるで生きてる仔犬みたいに、ぷるぷるっとふるえた様な……?」
イリヤばあさんはしばらくまじまじと袋を見つめ、そして袋の中に、金貨の他に何かが入っているのだろうか、ともう一度口紐をゆるめて、中をのぞきこんだ。と、
「あんれぇ?」
ばあさんは言った。
「あんれぇ、まあ。なんてこったい」
袋の中のものを見つめて、ばあさんは目をぱちくりとさせた。
「もう、やだねえ、あたしときたら。銅貨だよ、銅貨。金貨じゃなくてさ。こりゃ銅貨だったんだよ。いやだねえ。さっきはどうして銅貨が金色の金貨に見えたりしたんだろう。光の加減だったのかねえ。やだねえ。目はまだしっかりしてるつもりだったんだけどねえ。もう目までダメになっちまってきたのかねえ。ああ、ああ、歳は取りたくないもんだねえ。ヤになっちまうよ、まったくもう」
彼女は小魔が袋の中身を金貨から銅貨に姿を変えたのを見て、苦笑して言った。が、
「……って言ったって、人様のお金は人様のものさね。銅貨だって、これだけのものだもの。無くした人はきっと今頃何処かで困ってるにちがいないよ。早く届けてやらなくちゃあね」
そう言うと、ばあさんは再びすたすたと歩きはじめた。袋の口紐をまたもきゅっと閉めて。
(な、なんだ、このばあさんは!)
それに、ばあさんの気が変わるよう、わざわざ金貨から銅貨に姿を変えてやった小魔は思った。
(銅貨だっていらねえってのか?見たところ、そんないい暮らしはしてない様なのに、金がいらねえってのか?普通、人間ってのは、金となったら喜んで飛びついてくるってのに。このばあさんは、どっかおかしい奴なのか?)
小魔は、拾った金貨や銅貨を自分のものにしようとしない、イリヤばあさんが全く理解できなかった。普通の人間なら、誰も見てないところで大金をひろったら、それを……
そこで、
(それなら、こうだ)
小魔は、そのイリヤばあさんをなんとか思うとうりに誘惑してやろうと、再び姿を変えた。
「?!」
自分の手の中で、またも生き物の様に身震いした革袋を、ばあさんは見つめた。と、そこには、
「あれ、まあ?」
ばあさんはまたも目をぱちくりとさせた。
「まあ、まあ、やだよ、あたしったら」
彼女は袋の中のものを見つめた。
「やだねえ、何が金貨や銅貨なものかい。まったくもう。ただの鉄屑だよ。鉄屑!」
ばあさんは小魔が化けなおしたものに、大笑いした。
「それにしても、これまた一体なんでこんな錆の浮きはじめた鉄屑がお金に思えたりしたんだろうねえ??やだやだ、やだねえ、あたしときたら。この歳になっても、まだ早合点のおっちょこちょいときたもんだ。たいがいにおしよ、ねえ、本当にさあ。こんなあたしを空から御覧になってて、さぞやお天道様もおかしかったろうねえ」
そう言って、イリヤばあさんは自分で大笑いした。
「でもまあ、それじゃ、こんな鉄屑なら、あたしがもらっといてもいいってもんさね。こんなもの、駐在さんに届けても、駐在さんが困りなさるものねえ。これなら、今度どこかに行くついでに、鍛冶屋のパルモじいさんのところに持ってったら、じいさんが引き取ってくれて、銅貨の二、三枚くらいにはなるかねえ。ええ、ええ、そうともさ。それがいい。
あたしにゃ袋いっぱいの金貨や銅貨より、銅貨二、三枚の値打ちの鉄屑の方が、よっぽど助かるってもんさね。鉄屑なら、誰が拾ったって、お咎めも無しさ。
それを引き取ってもらって、それで何かちょっとしたものでも買えりゃあ、それで上々さねえ。……そうだねえ。その銅貨で何を買おうかねえ。もうじきケルのところの葡萄が食べごろになるだろうから、それをわけてもらうとするかねえ。あそこの葡萄はとてもおいしいからねえ。いいねえ。ああ、それもいいけど、カートのところの胡瓜や蕪もいいねえ。あそこのは漬物にすると最高だねえ。あ、ああ、それもいいけど……やっぱり、前から買いそびれてる赤い刺繡糸を買わないとねえ。でないとあの刺繡が、やりかけのまんま、進みやしない。そうだそうだ。刺繡糸にしようかね。刺繡糸に」
と、そう言いながら、小魔の思惑どうり、イリヤばあさんは革袋を隣街まで届けに行くのをやめて、小魔の化けた鉄屑の入った革袋を大事そうに手にしたまま、自分の家へと向かって歩き出した。
(そうだ、いいぞ)
それに小魔はほくそえんだ。
(拾ったものをどうするか、散々考えて楽しむがいいさ。しかし、そうはいかない。これはお前さんが考えてる様な、本当の鉄屑なんかじゃないんだからな。俺はお前さんが喜ぶ顔を見たくてこんな事をしてるんじゃない。お前さんがびっくり仰天して、最後にはがっかりするさまを見たくて、森から出て来たんだからな)
小魔はイリヤばあさんがやっと自分の思惑どおりに、自分の化けた姿を彼女の家に持ち帰らせる事に成功して、気を良くした。
というわけで、街道から外れて、彼女の家へと続く小道へとばあさんが入って、彼女の家の前に着いた時、小魔はまたもその姿を変えた。
「?」
ばあさんは袋の中をのぞきこんだ。
「あれ、まあ!」
そしてまたもや驚いた。
「何だい、何だい、あたしったら、まあ、やだよぉ!」
イリヤばあさんは袋の中のものを見て笑い転げた。
「何だねえ、まったくさあ。金貨や銅貨どころか!鉄屑でさえもありゃしない。石だよ、石!ただの石っころじゃないかね!まあ本当に、あたしったら今日は一体どうしたっていうんだろうねえ。こりゃあいくらなんでもうっかりしすぎてるよ!あたしったらさぁ!
やだねえ、まだそこまで老いぼれちゃあいないつもりだったんだけどねえ。あたしももうそんなになっちまったのかねえ、やだねえ、寂しい話しだねえ、まったく」
イリヤばあさんは――自分が手にしている革袋いっぱいに収まっている、大きな灰色の石を見つめて、目に涙を浮かべて笑った。
「ああ、ああ、ああ、やだやだ、やだねえ。しっかりおしよ、もう、この歳にもなってさあ。あたしったら、こんなにひどいおっちょこちょいだったなんてねえ。こんな石っころとなれば、銅貨にもなりゃしないねえ。ああ、赤い刺繡糸は無理だねえ。まあ、それは今度またうちの鵞鳥たちがたくさん卵を産んでくれた時にまでおあずけとしようかねえ。まぁいいさね、人に頼まれた急ぎものじゃないんだから。いい出来に仕上がったら、また雑貨屋のロークルにでも買ってもらおうとしてるものなんだからねえ。まあいいさ。
にしても……ああ、そうだよ、そうだ。この石……一夜漬けの漬物の押しにするのに、ちょうど良くはないだろうかねえ。この大きさといい、重さといい。あんまり大きくて重いんじゃあ、もうあたしの手にはあまるからねえ。うん、そうさね、ちょうどいい、ちょうどいいよ、この石は。まあま、そうだよ、いい拾いものをしたじゃないかね。ここまで持ってきて、よかったってもんさ。世の中には、無駄なものなんてのは無いんだからねえ。たとえあのいやらしいゲジゲジだって、神様がおつくりになったものなんだからねえ」
そう言って、イリヤばあさんは満足気ににっこりと微笑んだ。
(…………)
それに小魔はなかばあきれた。
(まったく)
小魔はぼやいた。
(このばあさんときたら……自分にとって都合のいい方にばかり考えるんだな。それがどんなにくだらないものでも。まあ、そういうのが本当の強欲とも言えるのかもしれんが。
しかし、これは面白くないぞ。このばあさんときたら、何を見ても、がっかりするどころか、笑顔を浮かべやがる。面白くない、面白くないぞ。俺は人間どもを喜ばすためにこんな事をしてるんじゃない。がっかりして、しょぼくれるところが見たかったんだ。ふん。そうはいかないぞ、こいつめ)
と、いうわけで――次に、小魔は、
「あれ、まあ!」
袋の中をのぞきこんでいたイリヤばあさんの目の前で、小魔は大きな石から、革袋の底に転がる、小さな石っころへと姿を変えた。
(さあ、これなら、漬物石にさえできやしない。そこらへんに落ちてる、ただの石っころさ)
小魔は笑った。
「あれえ、何とまあ!不思議な事もあるもんだねえ!」
それにばあさんはますます目を見開いて言った。
「さっきまで、たしかにこれは大きな石だったってのに……こんなに小さな石っころになっちまったよ!このあたしの目の前でさ!ええ、ええ、見たともさ。あたしゃまだそこまではボケてなんかいませんとも。たしかに……たしかに大きな石だったんだから!それがあたしの目の前で、小石に変わっちまったよ?!へええ、こりゃあ、いったいどういった事なんだろかねえ。今度村長さんの風邪が治ったら、村長さんに聞いてみなくっちゃあ!」
と、そう言いながら、イリヤばあさんは玄関の鍵を開けて自分の家の中へと入って行き、
「そうそう、それまで無くさない様、ちゃんと取っとかないとねえ」
と、小魔の化けた小石の入った革袋をしっかり持ったまま、何かを探して台所の物入れをごそごそとして、それから、ガラスの空き壜を取り出した。
「ああ、これがいいよ、これが」
そう言いながら、ばあさんはガラス壜のコルク栓を、ポン、という音をさせて引き抜くや、
「さ、この中に……」
と、小石を革袋ごと、そのガラス壜の中へと入れた。そして、イリヤばあさんはガラス壜をコルク栓で再び蓋をすると、
「ギシャイラ(大赤蕪)!」
と大きな声で言うと同時に、台所の引出しから小さな紙きれをさっと取り出し、革袋の入った――小魔の入ったガラス壜のコルク栓の上に、それを貼りつけた。
「お前の名前は今日からギシャイラ(大赤蕪)だよ!」
(?!)
それに、まだ小石の姿のままだった小魔は驚いた。そしてその拍子に、小魔は自分の本当の姿を現しそうになった。が、
(??!)
そうする事は出来なかった。
小さな壜の中に閉じ込められた小魔は、実体化して壜の外に飛び出そうとしたにもかかわらず、もやもやとした黒い煙の様な姿で、壜の中に閉じ込められたままだった。
(おい!)
思わず小魔はわめいた。
(何をした?!)
「何をって……御覧のとうりさね」
壜の中の小魔に驚く事もなく、イリヤばあさんはすまし顔で応えた。
「お前様も魔物のうちの一匹なら、魔物は人間に名前を付けられて、御札で封じられたら、その名付けた人間に従わなくちゃいけなくなるって、知ってるだろう?その人間が名付けた名前を取り消して、魔物を開放してやるまで、ずーっと。
で、名付けられた魔物は、名付けた人間の命令に背いたが最後、塵になって跡形もなく消し飛んじまうって」
(…………)
小魔は絶句した。
「そういうわけさ」
イリヤばあさんは壜の中の小魔を見つめ、にっこりと笑った。
「でも、安心おし。あたしはあんたに無理な事をさせたり、教会に持っていって、葬ったりするような事はしないから」
(じゃあ、一体どうするつもりだ?!)
小魔はもやもやとした煙の姿のままで、今やなさけなくも小さなガラス壜の中で捕らわれの身となってしまった姿のままで、再びわめいた。
「あんたたちを捕まえたからって、あたしにはあんたたちみたいな魔物を操れる魔法の力は無いからね。このまま、このフフウの森の隣の、ウールユーバの森の中に住んでる、まじない師のラーサーじいさんのところに持ってくのさ。そしたらじいさんはあんたたちをそこそこな値段で引き取ってくれるんだよ。まあ、革袋いっぱいの金貨、ってまではいかないけどね。だって、あんたたちは、あたしなんぞに捕まっちまうような、たいした事ない魔物なんだもの。
でも、あたしには金貨何枚かで十分なんだよ。あたしはそんなに贅沢をしたいとは思わないんでね。身の程をわきまえてるんだよ」
(お、俺をまじない師に売っぱらうっていうのか?!)
小魔はあわてた様に言った。
「売っぱらう?やだねえ、人聞きの悪い事、言わないどくれ」
イリヤばあさんは少しばかり眉をひそめた。
「引き取ってもらうって、言ってるだろ?あたしは別に、魔物の召使なんて欲しくはないもの。そんなものを使っていい気になってたら、自分で自分の身の破滅を招く様なものだって、ちゃあんとわかってるよ。
でもラーサーじいさんなら、あんたたちの扱いにも慣れたものだからね。あんたたちを捕まえたはいいけど、あたしのところに置いといてもしかたないから、じいさんにゆずるんだよ。
で、じいさんはあたしがかけた護符の呪縛ってやつより、もっと強い呪縛をかけて、あんたたちが悪さを出来ない様にして、自分のところで使ったり、他のまじない師や、魔法使いや、物好きな金持ちに売ったりするんだよ。
でも、まあ、安心おしよ。ラーサーじいさんもそんな悪い人じゃないから、あんたたちにとんでもない事なんてしないだろうよ」
(……)
なんてこった、と小魔は思った。こんな年寄りにあっさりと壜詰めにされたあげく、人間どもの使い魔にされてしまうだなんて!
(お前は魔女か?)
小魔は言った。
「まさか!」
イリヤばあさんは笑った。
「いいえぇ、ちがうよぉ。とんでもない、あたしは魔女なんかじゃないよ。……ただね」
ばあさんは言った。
「昔から、このフフウの森の近くに住んでいて、しょっちゅうあんたたちみたいな魔物に悪さをされて、そのたんびにラーサーじいさんや、街の司祭様たちに、どうしたらあんたたちの悪さを防げるのかいろいろと教えてもらってるうちに、他の人たちよりは、ちょっとはあんたたちの扱いに心得がついちまっただけさね」
ばあさんは再び笑った。そして、
「さぁて」
彼女はその小魔を閉じ込めた壜を、ひょいと掴みあげた。
「あんたを壜ごと落っことしてしまわないうちに、いつものところにちゃあんと仕舞っとかないとね」
(ま、待ってくれ!)
それに小魔は声をあげた。
(お、お前の願いはなんだって聞いてやる!そうだ、もっと大きな袋にいっぱいの金貨をやろう!だ、だから……!)
「駄目駄目」
だが、それにイリヤばあさんはにべもなく言った。
「あたしはそんな欲張りな人間じゃないんだよ。言っただろう?自分の身に不相応な宝物なんて、願うものじゃないし、手にするものじゃないんだよ。それが平穏無事に暮らしてゆく分別ってもんさね」
イリヤばあさんは小魔の壜を持ったまま、台所の奥の倉庫へと入って行き、タマネギや、ジャガイモや、とっておきの燻製肉や、チーズや、漬物の樽がごたごたと並ぶ暗い部屋の一番奥の、大きな戸棚の扉を開けた。
その古びた戸棚の扉は、ギイイッという何とも雰囲気のある音をたてて開き、そしてその中には……
(やい、ここから出しやがれ!)
(後でみてろ!)
(たのむ、ここから……)
戸棚の中には、やはりもやもやとした黒い影のような姿を閉じ込めた、いくつものガラス壜が並んでいた。
(おい……!)
イリヤばあさんの手の中の小魔は、それらの、自分と同じ身の上の哀れな者たちを目にして震えあがり、再び声をあげた。
(なあ、お、お前の欲しいものならなんだって……!)
しかしその言葉にイリヤばあさんは何も応えず、小魔の入った壜を先客たちの隣へとコトリと置くと、扉を閉めた。
ギイイッ……パタン。
戸棚の中は真っ暗となり、ばあさんの足音が、静かに遠ざかって行った。




