第5話 何が本当なのか
確かに視聴者にとっては、こういう状態で速水玲香がどういう行動を取るとか、彼女が恐怖におののく姿を見るのは、面白いのかもしれない。
「それなら、私に連絡があってもいいはずだ。私も巻き込まれているというのか?」
プッ!、お前が恐怖する姿なんて、誰も見たくないよ!
ぼくは、困惑し恐怖するマネージャーの姿を思い浮かべて気持ち悪くなった。
「ドッキリとかを企画しているのなら、どこかに隠しカメラとかが仕掛けられている筈。でも見た感じそんな気配はないように思うけど」
僕が見る限り、そういった物が仕掛けられている雰囲気は無かった。
よほど巧妙に仕掛けていたとしたら、判別はできないのかもしれないけど。
しかしこの館は古い。
細工なんかしたら、その部分だけ浮き上がってしまい、すぐに判ってしまうんじゃないだろうか。
「あー、もういい。ドッキリでも何でもいいが、私はそんなのにつき合うのは御免だ!」
栗津は、そう言って歩き出した。
「どこへ行くんですか?」
「トイレだ!」
僕のの問いに、彼は吐き捨てるように言い、廊下の奥へと消えていった。
「やれやれだな……」
と、僕は肩をすくめた。
彼女は、クスっと笑った。
「なんだか本当に迷惑ばっかりかけちゃうね」
「いや、結構おもしろいからいいよ。それに君と一緒にいられることなんて、普通ならあり得ないことだからね。むしろ嬉しい」
「そう言ってくれると、うれしいわ」
とまんざらでもない笑顔。
ちょっとしたアクシデントではあるが、憧れの女性と過ごす時間が長くなるのは、ぼくにとっては、喜ばしい事だ。
たまたま選んだ迂回路で、たまたまアイドルの速水玲香と出会い、たまたまこんな状況におかれるなんて想像もしてなかった。
このまま、時間が止まればいいとさえ思った。
そうだ……このままずっといられれば、僕は穏やかでいられるのではないだろうか?
あたかも異世界のような謎の洋館に、あこがれの少女と二人っきり。
……夢だな。
そして夢は必ず覚めてしまい、現実の中に僕は放り込まれざるをえないのだ。
一瞬の白昼夢の中にいた僕は、すぐに現実に戻されてしまう。
神がいるならば、その神が最後に見せてくれている夢なんだな、これは。
そう思ってしまう。
僕は再びタバコに火をつける。
速水玲香は、ぼんやりと朽ち果てた庭を見ている。
その時、
「ゴボゥフィウフーーーーーヒューー!!」
館中に不気味な音が響き渡った。
とっさにぼくたちは、音のした方へと駆け出した。
声のした方向は栗津がトイレに向かった方角だ。
僕たちはトイレが何処にあるかさえ見てなかったので、目につくドアを片っ端から開けていった。
トイレは建物の玄関から一番奥の、外から見たら、四隅にあった塔のような物の所にあった。
扉を開けた僕は、言葉を失った。
そこは小便器が二つ、そしてその奥に個室が一個あったが、栗津の姿は無かった。
しかし、入り口側の小便器付近とその壁ににおびただしい血がぶち撒かれてあったのだ。
血痕は、天井にまで飛び散り、栗津が立っていたであろう場所には、大量の血だまりができていた。
背後で悲鳴が響く。
振り返ると、両手で顔を覆った彼女が青ざめた顔をして立ちつくしていた。
血を見ただけで、ここまで動揺するのだろうか?
そう思わせるほど、彼女は震えている。
今にも倒れてしまいそうな雰囲気だ。
「玲香ちゃん、大丈夫か?」
「い、……いや、助けて。いや、ア……レ……が来る。アレ……が来る。やめて、おねがい……。赤い赤いアカイ。」
僕ではなく、遙か遠くを見るような瞳で彼女がうめく。
「玲香ちゃん? どうしたんだ」
僕は彼女の体を揺する。
何かに怯えたような表情で彼女は震えだしていた。
「ソラが真っ赤に。…が来るの? みんな死んじゃうの」
「おい、しっかり。しっかりするんだ」
再び彼女の体を揺する。
我に返ったかのように、速水さんの顔に普段の表情もどった。しかしその顔は真っ青だ。
「ご、ごめんなさい。……大丈夫」
なんとか彼女は答えた。
しかし、再び何かに恐怖したのか、彼女は、ぼくに縋り付いてきた。
しばらくの間そのままで、僕は彼女が落ち着くのを待った。
僕のシャツを掴み、しばらく俯いて震え続けていた。
もうしばらくこのままにしておこうと思った。
彼女の動揺は半端なものじゃなかったから。
「一体、何が起こったというんだ? ものすごい血だが、栗津さんはいない……」
僕は独りごちた。
「何があったの? ……かしら」
彼女の問いに答える回答をぼくは持ち合わせていなかった。
大量の血は存在するが、そこにあるべきはずのものは無い。
ここに辿り着くまでに、ぼくは全ての部屋のドアを開け、中を確認して回ったが、栗津の姿は無かった。
彼は、トイレにいるはずなのに。
一体、彼は何処に消えたというのか?
そして彼は、無事なのだろうか?
「栗津さんは、何処に行ったの?」
震えるような声で彼女が聞いてきた。怯えてはいるものの、先ほどよりはだいぶ顔色もよくなったようだ。
「わからない。彼がトイレに行ってから、ぼくはずっと玄関を背に立っていた。もし、彼がこちらに来たか、建物の左側の方へ行ったとしたら、気付かないはずがないんだ。それに、彼の悲鳴が聞こえてから、ぼくらはトイレまでにある部屋全ての扉を開けて見て回った。……しかし彼は、いなかった。消えてしまったとしか考えられない」
「じゃ、じゃあ栗津さんはどこへ行っちゃったの?」
僕は、床に溜まった血痕に目をやった。
どうみても作り物の血には見えない。
漂ってくる臭いといい、色といい、本物のような気がする。
妙な悲鳴と血液の飛び散りからして、背後から近づかれ、不意にのど笛をかき切られたかのようだ。
栗津は、殺されたというのか?
一体誰の手によって?
しかも、ぼくたちに見つかることなく彼を殺害し、そして更にその死体を隠したというのか?
栗津の悲鳴が聞こえてからほんの数分のうちに、犯人は死体を担いで消えたというのだろうか?
不可能犯罪……。
そんな言葉が僕の頭をよぎる。
ありえない……そんなのは、本格推理の中だけの話だ。
「ねえ、栗津さんはどうなったの? まさか……」
彼女は、マネージャーに最悪の事態を想像したようだ。
「いや、それは不可能だよ。栗津さんが殺されたとは、考えられない。ぼくたちが栗津さんの悲鳴を聞いてから、ほとんど時間は経っていないんだ。仮に栗津さんが殺されたとして、犯人が隠れるだけなら不可能じゃ無いかもしれないが、彼の死体を運んで逃げるなんて不可能だよ」
「じゃ、じゃあどういうことなの」
彼女は不安と恐怖のために、怯えたような目をする。
なんとか落ち着かさなければ。
何か彼女を納得させられる推理は……?