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風待月に君に  作者: ノベラー
第2章
38/39

第37話 僕は自分の想いに気付いているのに、それを言葉にすることさえできない

僕たちは、地下に降りてきた階段を再び昇っていた。


恐怖から解放された喜び、それで満ち溢れていた。

しかし、階段を登るうちに僕の気分は、次第に暗くなっていった。


この洋館を出ると、もう彼女とお別れだ。それを思うと、今更ながら気分が滅入っていくのが分かった。


元の世界に戻れば、玲香ちゃんは再び自分の世界に戻り、速水玲香としての世界が再び訪れるんだ。

僕は僕で平凡な世界に帰らないといけない。


超人気アイドルとうだつの上がらないサラリーマン。

二人の世界は、あまりに違いすぎる。

分かっていた事とはいえ、現実になると悲しいもんだね。


僕が無口になったのを疲れたのかと心配して、いろいろ話しかけてくれるけど、話しかけられる度に、余計に辛くなっていった。


僕は、彼女の事を愛している。それは間違いない事だ。

でも、彼女はどうだろうか?

今は僕のことを、少しは好きかもしれない。

しかし、それは、極限状態における気の迷いに過ぎない。


やがて、元の世界に戻れば僕なんかあまりに平凡で退屈な、その他大勢の一人に過ぎないからね。


考えるだけ嫌になってきた。

ほんの一時ではあるけど、憧れのアイドルと一緒にいられた、そのことを思い出として生きていけばいいじゃないか。

自分にそう言い聞かせていた。


すべてはドラマのようにはいかない。

現実とは、想像以上にシビアなんだから。


僕は、なんとか平静を保ち、彼女と会話をしながら、地下から上へと上がっていった。


玲香ちゃんは、ここから出られる喜びの為か、上に向かうとともに元気になっていく気がする。。

嬉しそうな笑顔を見せている。

顔や雰囲気も怯えた少女から次第にアイドルの速水玲香に戻っていくようだ。

時折僕に見せる笑顔も光を帯びてきている。


その笑顔もこれで見納めか……


地上へ出たぼくたちは、早速、車に乗り込んで山を下りた。


町まで行くと、すぐさま警察に駆け込み、洋館での出来事を話した。

玲香ちゃんは、彼女の事務所に連絡もしていたようで、警察が準備を整えて、洋館に着くのと同じくらいに、彼女の事務所の人間達も、やって来ていた。


さらに、どこでこの事を嗅ぎつけたか、マスコミの人間も大勢来ているようで、

彼らは、彼女をガードするのに必死だった。


僕一人、蚊帳の外で警察にいろいろと説明をしたり、案内をしたりした。


ある程度、現場検証が終わったら、今度は警察署に連れて行かれた。

玲香ちゃんも事務所の人間同伴で、いろいろと聞かれていたようだ。


マスコミは、洋館で発生した未曾有の大量殺人に大騒ぎだった。

しかも、巻き込まれたのが、超人気アイドルの速水玲香だったから、余計に大騒ぎだった。

報道関係だけでなく、ワイドショー関係の人間も大勢やって来て、警察署を包囲していた。


しばらくは、仕事にならないかもしれない、

そんなことを彼女の事務所の人間が言っていた。


警察の事情聴取が終わったのは、その日の夜遅くだった。


僕は、疲労困憊していた。

立っているだけでふらふらする。


「疲れているね」と笑顔で缶コーヒーをくれた刑事に言われ、警察署の裏口へと歩いていた。

外ではマスコミが待ちかまえているらしい。だから裏口から帰れとの事だ。


僕は、裏口近くのベンチに座って、久しぶりにタバコに火を付けた。

大きく吸い込みはき出す。

少し体が浮遊する感覚。


「新城さん! 」


声に反応し、そちらを見ると、玲香ちゃんが手を振ってやって来た。

後ろを事務所の人間らしい男が歩いてくる。


僕は、タバコを灰皿でもみ消すと、ベンチから立ち上がった。

「新城さんも、今終わったのね。……まったくこんなに長い時間拘束されて、もうヘトヘトだわ」


「そうだね。僕もだよ……」


「新城さんは、これからどうするの?」


「遅くなったけど、家に帰るよ。寝てないからヘロヘロだけどね」


「大変ね。私もこれから帰るの」


「玲香ちゃん、車が待っているから……」

 事務所の男が割り込んできた。


「分かってます。もう少しだけ待って」

彼女は、そう言った。


「新城さん、ありがとう。あなたのお陰でこうしていられるわ」


僕は、ただ、頷くだけだった。

別れの時が来たことに動揺している。


「さあ、玲香ちゃん、急いで」

彼女は、男に急かされる。


やがて彼女は頷き、僕に別れの言葉を言って、背を向けた。


いいのか?このまま別れて。

ここで別れたら、もう二度と会えないぞ……。


「れ、玲香ちゃん……」

言葉を発したつもりだったけど、それは声にならず言葉が虚空を舞う。

微かに吐息が白く揺らめいただけ。


以降言葉を発する気力さえなく、僕は去りゆく「アイドル」の速水玲香を、ただただ見つめるしかできなかった。


彼女を引き留めたかった。そして、彼女への僕の想いを伝えたかった。 しかし、それはできない相談だった。

僕は、彼女を愛している。それはハッキリとしている。

でも、二人はあまりに境遇が違いすぎる。

二人の間には越えられない壁があって、それを越えて行くには僕には高すぎる。


すべては、儚い夢……。

決して結ばれることは無い。

たとえ彼女が僕を愛してくれても、それは一時の事に過ぎない。


二人の住む世界は、あまりに違いすぎる。 そんな二人が、うまくいく筈がないんだ……。

そう言い聞かせて自分を説得させるしかなかった。


彼女を失望させたくない……。

彼女を幸せにするに、僕なんかじゃ駄目なんだ。

幸せを願うならば、僕なんかは、引くべきだ。


それでいいんだよ。

……それで。


夢は夢のままのほうがいい。

手にした途端、それは輝きを失い、崩れ落ちていく。


僕は、一人、駐車場に立ち、自分の車に乗り込んだ。


車に幽かに残る、彼女の香り……。


その香りを感じた瞬間、急に涙が止まらなくなった。

僕は、ハンドルに顔を埋めるようにして、声を上げて泣いた。


久しぶりに声を上げて泣いてしまった。

泣いても、泣いても、涙は止まらなかった。


遠くで喧噪が聞こえる。

僕は、手で涙を拭い、車を発進させた。


ラジオをかけると、偶然に速水玲香の新曲が流れてきた。


また、泣きそうになる。

僕は、アクセルを踏み込む。

乾いたマフラー音があたりに響いた。

僕は車を加速させる。


そう、また生活が始まるんだ。

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