第36話 危機のその先
「馬鹿な事をしやがって、このクソったれが!」
鷲尾が日本刀の柄で僕を殴る。
側頭部を殴られた衝撃で、モロに顔面を石床にたたき付けられた。
ゴンという鈍い音がした。
口の中に、錆の味に似たものが広がる。
もう、だめなのか? そう思った時、突然、激しい地震が起こった。
「うええあ! 何だ何だ何だ! 」
更に激しい揺れが起こる。
あまりに激しい揺れの為、立っていられずにみんなが床に倒れ込む。
僕の前に立っていた鷲尾も、大きく転倒した。
転んだ拍子に、日本刀が彼の手から離れ、床をコロコロと転がる。
「新城さん!その刀を!! 」
セシリアが叫んだ。
同時に、僕は飛んだ。
しかし、それより僅かに早く、素早く起き上がった鷲尾の手が日本刀に届きそうだ。
だめか……
鷲尾が日本刀を掴もうとした時、まるで日本刀が意志を持つかのように彼の手をすり抜け、ぼくの方へ飛んで来た。
刀は弧を描いて、僕の頭上を越え、まるで操られるように、僕を拘束した手錠を切断し、床に突き立った。
素早く振り返ると、日本刀を握りしめ、床から引き抜いた。
(新城修司よ、私の力の全てを貸そう。頼む! 奴らを討ってくれ!! )
僕は、刀を構えた。
柄から何かが流入してくるような感覚がある。
それは冷たくもあり暖かく、全身の痛みを消すと同時に僕の体に力を注入するかのようだった。
頭の中の霧が晴れ、クリアな視界が開けるような感覚だ。
全身の筋肉が活性化してるのが実感できる。
奴らは、何とか床から立ち上がり、各々が小刀を構える。
そして腐った死体、林明彦の体に巣くった生き物は、玲香の方へと向かう。
「させるか!」
僕は、動いた。
自分でも信じられないほどの速さで。
瞬間移動と言ってもいいほどのスピード。
振り返った林の虚ろな眼が驚愕するのが分かった。
日本刀を振り上げると、肩口から斜めに斬りつけた。
骨とかで止まるはずの刀身がスパリと奴の皮膚に吸い込まれるようにはまる。
ほとんど抵抗を感じないまま、振り切った。
「びゅしゅルワうんー」
林は、真っ二つに切断されると同時に、マッチ棒のごとく体から炎を吹き上げる。
炎は真上にあがり、天井まで届いた。
僕は、玲香に駆け寄ると、彼女を縛ったロープを切った。
「玲香、僕の後ろにいるんだ! 」
彼女は、慌てて走った。
刀を構えなおし、僕は、鷲尾達に向かって駆けた。
鷲尾が悲鳴を上げながら、発砲する。
すげえっ!
弾丸の軌道がはっきりと見える。
まるで止まってるかのように。
なんだこりゃ?
僕は自分の身に起こっている変化に興奮している。
僕は迫り来る弾を手にした日本刀ではたき落とした。
音をたてて弾丸は床に転がる。
まるで漫画みたいな光景だ。
あきれたような顔でこちらを見る鷲尾。
口はポカンと開いたままだ。
「うおおおおおおおおおお!」
僕は次の刹那、数メートルの距離を瞬時に跳躍し、鷲尾に斬りかかった。
「うぎゃうおう!」
回避行動を取る事さえできず、鷲尾は火を吹き上げながら倒れ込み床で転がり回る。
続けざまに、残りの奴らにも斬りかかる。
恐慌状態に陥った彼らは銃を乱射し、それがことごとく跳ね返されるのが分かると今度は背を向けて闘争しようとする。
奴らは動揺し、反応が遅い。
彼らは僕に斬られ、体中から炎に吹き上げると、悲鳴を上げながら倒れていった。
倒れてからも炎を舞上げている奴らを見ながら、僕は、自分でも驚くほどの速さ、そして剣技で、奴らを倒したというそのことに驚きを感じていた。
すべては、正木という男の力なのだろうか?
やがて、奴らを燃え上がらせた炎は鎮火し、静寂が訪れた。
勝負は一瞬で片がついた。
あまりにあっさり。
しかし、全てが終わったんだ……。
僕たちは、助かったんだ。
僕は、大きく溜息を吐いた。
部屋には、肉の焼ける臭いと煙が充満しているが、それもやがて気にならない程度になった。
僕は、周囲を見渡した。
玲香は、階段にしゃがみ込んでいる。
セシリアも牢獄の向こうで呆然と床に座り込んでいた。
「玲香、大丈夫か」
僕の問いかけに、彼女は我に返り、大きく頷いた。
「うん、私は大丈夫」
そう言って、僕に駆け寄り抱きついてきた。
僕も日本刀を捨て、彼女を抱きしめた。
「よかった……。玲香、本当に無事でよかった」
彼女は、微笑んだ。
「ありがとう、修司さん」
僕たちは、しばらくの間、抱き合っていた。
セシリアが立ち上がる気配を感じ、僕は、彼女を見た。
「ありがとう、新城さん。
あなたのお陰で、彼らは葬り去られました。これで、私も安心できます」
「あなたのお陰だ……。あなたが、あのスイッチを見つけてくれなかったら、あのまま何もできなかったはずだ。
僕たちは、どうなっていたことか……。
そして、正木さんの力が無ければ、奴らを倒す事はできなかった」
僕は、床に落とした日本刀を拾い上げた。
僅かながら熱を帯びた、錆び付いた日本刀。
しかし、この刀には、正木仁史という男のセシリアを守るという、強い意志が込められている。
僕は牢の折に近づくと、刀を一閃した。
施主の死亡により、封印は解かれているようで、鉄格子はあっさりと切断された。
セシリアは百年ぶりに牢から出られたのだ。
近づくセシリアに日本刀を手渡した。
日本刀を手にした彼女の頬を涙が伝う。
「仁史様……。あなたは、死んでもなお、私を守るために……」
その時、日本刀が光を放ち始めた。
その光は、次第に強くなり、目を開けていられないほどの明るさになった。
「な、なんだ?」
僕は、必死に目を開け、何が起こったのか確認しようとした。
光は次第に収斂し、やがて光の塊になる。
その光の中に、人間らしいものの姿がぼんやりと現れる。
そこに現れた者、それは僕が幻覚で見た、正木仁史、その人だった。
「仁史様!!」
驚きの声をセシリアが上げる。
虚脱感に満ちていた彼女の顔に明るさが戻っていくのが分かった。
「セシリア……」
静かな声で、正木が呼びかける。
「仁史様、会いたかった。どんなに会いたかったか!」
「私も会いたかった。……こうして、再び会えるとは、思ってもみなかった。
刀の中に魂を封じこめ、その封印は、解かれる事無く、永遠にそのままだと思っていた」
「寂しかった、私は寂しかった。
誰もいない、この地下牢の中で、誰とも話さず、誰にも会うことなく、永遠の孤独の中で生き続けさせられることは、気が狂いそうになるほど苦しかった……」
「寂しい思いをさせたね」
正木が優しく微笑んだ。
「もう、私を一人にしないで! これ以上、あなたと離れていたくない!!」
縋るような瞳で、セシリアが叫んだ。
「もちろんだとも。もう、お前を離さないよ。 こうして、再び巡り会うことができた。これから先、私たちは、ずっと一緒だ。セシリア、一緒に行こう」
正木の言葉に、セシリアは大きく頷いた。
「あなたの側に行かせて、私も一緒に連れて行って」
「え? ちょっと待ってくれ、セシリアさん。彼と一緒に行くということは……」
僕は、二人の会話に、思わず、口を差し挟んだ。
正木と一緒に行く、ということは、彼女は、死を選ぶということになる。
「[新城さん、そうじゃないの。私は死ぬんじゃないわ」
僕の疑問を読み取ったのか、セシリアが答えた。
「彼らにここに幽閉された後、しばらくは、私は生きていました。
しかし、悲嘆に暮れた事、食料が与えられなかった事で私は、やがて死に、肉体も滅びました。
ただ、封印の為に魂だけは、ここに留まらずを得なかった。天国にも地獄にも行くことなく……」
僕は、理解できた。
それでここに来た時、セシリアは、あんな風な現れ方をしたのか。
生きているなら、何もない空間から現れる事はできない。
「封印が解けたことで、やっと私の魂は自由になれるのです。
すべては新城さん、あなたのお陰です」
「新城君、私からもお礼を言う。君が来てくれたお陰で、セシリアを守る事ができた。セシリアの魂の危機を守る事ができた。ありがとう……」
正木も僕にお礼を述べる。
そうか……、鷲尾達はセシリアが既に死んでいることを知っていた。 彼らは、セシリアの肉体だけじゃなく、魂そのものを抹殺しようとしていたのだ。
らが持っていた奇妙な形をした短剣は、その為の物だったのだろう。
「お礼なんてとんでもないです。あなた達の助けが無ければ、僕は、生きてはいなかっただろうし、玲香を守ることもできなかった」
二人は、にっこりと笑いかけてきた。
「新城君に速水さん。君たちは、お互いに強い絆で結ばれている。その愛をいつまでも忘れることなく、必ず幸せになって欲しい。私たちが現世でそうできなかった分まで……」
「お二人とも、お幸せにね。私たちも、本来行くべき場所に帰ります。あなたたちへの感謝は、忘れないわ」
唐突に、二人の体を光が包み込んだ。
「さようなら、二人の幸せを祈っている」
「ありがとう、新城さん……」
光は更に強くなり、部屋全体を包み込む。その光に向かって、風が起こる。
光は、しばらく宙に浮いていたと思うと、一気に上昇を始めると、天井を通り抜けて消えていった。
光が消え去った後も、しばらくの間、僕たちは天を仰いでいた。
「二人とも行っちゃったんだ……」
ふいに、彼女が呟いた。
「そうだ。百年に渡る長い時を越え、あの二人は、やっと結ばれたんだね」
「現世では結ばれず、死んでもなお、気が遠くなるほどの時間離ればなれにされていたのね。
二人ともどんなに悲しかったんだろう、どれほど寂しかったのかしら」
彼女は、涙を流していた。
「それがどれくらい辛いことなのか、僕には、計り知れない
人は、運命に逆らえないのかもしれない。でも、それを越える程の強い愛があったら、やがて報われる……。 二人を見て、僕はそう思ったよ」
僕は、彼女の側に行き、強く抱きしめた。
彼女は、僕の胸に顔を埋め、声を上げて、泣き出した。
僕は、彼女の髪を撫でながら、ずっと抱きしめていた。
運命に翻弄された二人の男女。
彼らは、呪われた洋館に取り込まれ、共に出会うことも許されずに彷徨い続けた……。
しかし、今、彼らを捕らえていた封印が解け、二人は、長い年月を経て、再び出会い、そして、天に帰っていったのだ。
天界での彼らの幸せを願わずには、いられなかった。
やがて、玲香ちゃんは泣き止み、僕を見る。
「私は、そんなの耐えられないよ。好きな人と離ればなれなんて、絶対できないし、そんなの嫌だよ」
駄々っ子のように、彼女は泣きじゃくる。
「大丈夫さ、君はそんなことにならない。大丈夫さ」
僕は、微笑んだ。
「さあ、ここから出よう」
「うん」
ずいぶんと長い時間、この洋館にいたような気がするが、時計を見ると、今は午前6時20分。たったこれだけの時間だったけど、実際の何十倍も経過したような気がする。
それにしても、あまりにいろんな事がありすぎた。
しかし、それもやっと終わりを告げる。
ここから脱出できるんだ。
この呪われた館から……。
その喜びが、やっと実感できた。