第29話 Cecilia
僕、日本刀に手をかけて、一気に引き抜こうとした。
擦れるような音を立てて、刀が床から抜けた。
あっさりと。
どんなに力を入れても抜けなかったのに……。
封印の鍵がこの日本刀だとすると、これで封印が解除されたってことなのかな。
何も無かった部屋に、更に奥へと行くらしい入り口が開いているし、たぶん推測、封印は解けたんだろう。
よっし! これで、これで玲香ちゃんを迎えに行けるのだ。
僕は、安堵に似たものを感じた。取りあえずは第一段階は突破なんだからね。
そして、次に考えなければならないこと。それは如何にして彼女を救出するかだ。
しかし、取りあえずは鷲尾達の所に帰るしかないのが現実。
一刻を争う事態。即刻撤収。早速救助。
でも、僕はこの先に何があるか気になった。そして、何の根拠も無いけれど、この先を調べることの必要性だけは感じ取っていた。
本当なら、何はさておき、今すぐ帰るべきなんだろうけど、この向こうにある気配、それが唯一の、僕たちが置かれてる危機的状況という難問への解法が示されているように、びんびん感じてたんだ。
だって、このまま鷲尾達の所に帰っても、僕たちはどうなるか分からない。
状況から考えると、命の危険は去ったなんて、とてもじゃないけど言えない。
それどころか、封印が解けた事により僕たちの利用価値が相対的に低くなっていると言える。
そうなんだよ、帰ったところで、殺されるだけという可能性が高まったというだけなんじゃないのか。
僕だけなら何とか逃げ切れるかもしれないけど、玲香ちゃんを見捨てて行けないからね。
僕の持っている拳銃では、鷲尾達を倒すことはできないだろう。
あいつら人間じゃないから。
かといってここに転がっている日本刀では、なおさら役に立たないだろう……。
――ぴーん!――
突然、僕には閃いた事があった。
可能性は、限りなく低い。しかし、今はそれに縋るしかないと思った。
それは、この先にある牢獄に封印されている、セシリアという女性の力を借りるのだということ。
鷲尾は、彼女のことを神に逆らう邪悪なモノと言っていたけど、あいつらの邪悪さを見た後では、そんなの本当かどうか怪しいもんだ。
彼女が生きているかどうか分からないし、生きていたところで僕に力を貸してくれるかどうかも分からない。
もっともっと大きな問題は、僕は彼女の存在すら確認したわけじゃないんだ。 この封印された部屋で見た、幻覚の中だけでの判断でしかない。
さらにセシリアが悪でないという保証もない。悪のさらなる上をいく極悪という可能性だってない訳じゃない。
それでも、このまま奴らの所に帰るよりは助かる確率が高いと信じたいんだ。
うん、信じるしかないんだ。
僕は、気合いを入れると、壁の穴へと足を踏み入れた。
中に入ると、そこは全くの暗闇だった。
僕は、慌ててマグライトを取り出しスイッチを入れた。
下りの階段が延々と続いている。僕は、警戒しながら下へと歩いていく。
そこは全くの無音の世界……。
僕の足音だけがやたらと辺りに響いた。
単調な下り階段を歩いているうちに今、自分がどの辺にいるさえ、不明になってくる。
一体、どれだけ降りていったのか、どのくらいの時間が経っているのかさえ分からない。
僕は、更に階段を下っていった。
階段は、さらに続いている。
この階段は、誰が作ったのだろうか?
石造りのこの階段を、ここまで作るのにどれ程の時間と人力が必要だったのだろうか?
ふと、そんなことを考えてみた。
それにしても、なんて長い階段なんだろうか。
ほんと、どこまで行けば、終わりが来るのか?
延々と続く階段を下っていく。
ついには下り続ける階段のせいで僕の膝が悲鳴を上げ始めた。
ごりっていう嫌な音がしたと思ったら、膝を蹴り上げられるような痛みが来たもん。
激痛が走るたびに、僕は、自分を励ました。
これってあの事件の時に、あいつにナイフを膝に突き刺された影響なんだ。
だましだましやって来たけど、ついに壊れかかってる。
――やばいな。無理したらほんとにやっちゃいそうだ。
弱気になっちゃいけない。玲香ちゃんを救うんだろ!
この洋館から脱出するんだ!と。
速水玲香の歌を口ずさみ始める。
そうすることでこの暗闇の中で僕を覆い尽くす不安と弱気から逃れられそうな気がしたから。
階段を下り、曲がり角が来れば、それをまた進む。
玲香ちゃんの衝撃のデビュー曲からダンスがめっちゃ可愛いPVで有名になった最新曲までのフルコーラスを歌いきってもまだ階段は続いてる。
次はファーストアルバムからだぜ!
……アルバム曲全てを歌うほどは覚えていない。
こうやって歌っていると彼女の曲ってナイスメロディが多いだなあなんて思ってみたり。
こんな暗闇の洞窟の中で、しかも一人で何やってるんだろ。でも、そうでもしないとおかしくなりそう。
膝の痛みが限界に達する度に、ほんの少しだけ、しゃがんで休んだ。
しかし、すぐに歩き出す。時間は無いから。
このリアルでうんざりする現実から目をそらさないとね、参っちゃう。
今僕がなすべき事はただ一つ。
玲香ちゃんを救い出すことなんだ。
唯一それができるのが僕だから。僕しかいないんだから。
がんばれ!
自分で自分を応援。
歩き続けると、ようやく階段が終わるのが見えた。
長い階段はついに終わりを告げ、広い空間が見えてきた。
広さは、5m四方くらいだろうか?
そんな空間があり、奥に鉄格子の部屋が見えた。
ぼんやりとした光に照らされている部屋、間違いなく、この部屋は幻覚に現れた部屋だ。
ここに囚われたセシリアが居るはず……。
「セシリアさん?……」
日本語が通じるかは分からないが、僕は問いかけてみた。
何の答えは無い……。
僕は、錆び付いた鉄格子の前まで進み、中を照らしてみた。
そこには、小さな空間にベットが置いてあるだけだ。
そして、人の気配は感じられない。
床には埃が積もり、どう考えても、かなり長い間、そこに人がいたようには思えない。
「嘘だろう?……あれは本当に夢だったのか?」
僕は、慄然・呆然とした。
セシリアという女性は、ここには居らず、何処かに行ってしまったというのか?
だったら、鷲尾達は何の為にこんな所に棲み家を構え、見張り続けたのだろうか?
僕は、思わず笑い出してしまった。
決して面白かったからじゃない。嬉しかったわけでもない。
全くの徒労に過ぎなかったのか?
僕のこれまでの行動も、鷲尾達の行動も。
「誰か、誰かいないのか?答えてくれ!!」
声を上げて叫んだ。
……しかし、答える者は無かった。
「そ、そんな……、何でなんだ!誰か答えてくれよ。
このままじゃ、玲香が……」
ここで帰る訳にはいかない。
セシリアの力を借りなくては、玲香を救う事など不可能なんだ。
僕は打ちひしがれ、蹌踉めくように床にしゃがみ込んだ。
せっかくここまで来たというのに、何もかもが無駄だったのか……。
――どんなに努力しても結局はこれか。
僕は気が遠くなるのを感じた。