第28話 浸食するモノ、されない心
心が浸食されているような違和感。
なんでこんな事になったんだろう?
……分かり切ってることだろう?
それはあの時の事件が原因だ。
あの時、少女を助けようなんていう馬鹿な事をしたからだ。
あんな事さえ無ければ、今頃は、僕はもっともっと充実した日々を送っていたはずだ。
あの女さえいなければ! 僕はずっと少女を恨んでいた。
そうだ、あの少女さえ助けなければ、今頃、ぼくはプロ野球選手として活躍し、金、名声、女すべてを手にしていたはずだ。
母さんだってもっと幸せになれたはずなんだ。
学校で苛められる事など無く、みんなにチヤホヤされていたはずだ。
気に入った女の子ならほぼみんなモノにできたはず。
怪我をする前はホント周りに女の子がいっぱいいたからなあ。
金が無いなんてあり得ない話で、バイトばかりでろくに勉強もできないなんてことはなかった。
ちんけな会社に就職し、馬鹿な上司にいびられる事なんか無かったはずなんだよ。
そうなんだ!
突き詰めれば、あの女さえいなければいいんだ!
声は次第に大きくなっていた。
視界の中では、殺人鬼が少女へと近付いていくところだった。
このままでは、彼女は……。
いろいろ考えていたけどほとんど時間が経過していない。
それに驚く。
あの女の子は無視すべきだ。
関わり合いにならなければ僕は怪我もしないですむ。
仮に僕に気がついても、今ならダッシュで振り切れる。自信はある。
僕はこの後起こること全てを知っている。
僕には未来は変える力があるんだ。
今ならできる。
僕ならできる。
運命を変えられるんだ!
そうだ。
怪我さえしなければ、推薦であの中学へ行き、生活のことを気にせず野球に打ち込めるんだ。
母さんにもそれなりのお金が入る。
普通にやっていたら高校からプロに行くこともできるし、なんなら大学にだってタダで行けるんだ。
ああ、なんとすばらしいんだ!!!
本来の進むべき未来に僕は進むべきなんだ。
それはとっても簡単。
あの女を無視するだけでいいんだ。
――ううん。
それは、絶対に違うんだよね。
目の前で危険にさらされている少女を見殺しにできるわけないじゃん。
(通り魔に挑んでも、結果は見えている。
お前が受けた苦しみや悲しみを繰り返すのか?)
……なんだこの声?
僕は反論する。
「苦しみ? 悲しみ? 確かにあれは辛かったよ。……でもさ、目の前で人が殺されるっていうのに、黙って見てらんないよ。そうだろ? 」
(ふん、それが現実というものだ。
お前が少女を助けて大怪我をした時の事を思い出して見な。
それまでは、あんなにチヤホヤしてくれた連中が、手のひらを返したように、冷たくなっただろう? 必死になってリハビリをしていたお前を、馬鹿にしたような目で見ていた、かつてのチームメイトの姿を思い出せ)
心の中の声が、ぼくを浸食していこうとしている……。
「違う違う、みんなは、僕に何て声をかけたらいいか分からなかっただけなんだ。それに友達が馬鹿にしていたって誰から聞いたんだ? そんなこと言われても信じられないんだけど」
(ふふん。本当にそうなんだろうか?
ならば何故、お前を疎外したりしたんだろうか? 疎外されたことは事実だろう? )
「疎外? 違うような気がする。
たしかにみんなは僕から距離を置くようになったけど、それは頂点から転落した僕をどう扱って良いかわからないからだったんじゃないのかな。僕がみんなの立場ならそう思う。
みんなから期待されて、それに応えてさらに上に向かっていた奴が急に全てを失ってしまったんだぜ。天国からいきなり地獄へ堕ちたような奴にそれまでの友人がどんな言葉をかければいいっての? 」
(次はどうだ?
中学に入ったお前は、苛めに遭いだした。 その時、お前はどう思ったんだ?)
「あの頃の僕は、野球ができなくなったことで心が完全に折れてしまっていた。だからそんなターゲットになってしまったんだろうな。確かに辛いし悲しいことなんだろうけど、あの時の僕はすでに死んでいるのと同じだったから何も感じなかったよ」
(では次だ。
お前が命懸けで助けた少女のことだが、彼女は、一度もお前の所に見舞いに来なかったな。普通なら、命を助けて貰ったんだから、顔くらい出したら、と思わなかったか?)
「彼女にも事情があったんじゃないのかな。確かに命を救われたのにお礼にも来ないなんて非常識な奴だって思ったよ。でも彼女だってあんなに怖い目にあってるんだ。事件を思い出すような人間である僕に会わそうと思うかどうか疑問だろ。
それに、もし来られても僕だって精神的に参っている時期から、きっと辛く当たっていたかもしんない。……多分きつく当たってると思うよ。それじゃあお互い嫌な思いをするだけだったはず。だから、今なら来なくてよかったと思ってるよ」
(仮定の話になるが、もし、あの時の少女がお前の前に現れたら、お前は、どうする?
それも幸せそうな姿で現れたなら、どうするかな?
笑顔で迎えられるか?
お前は、平静でいられるのか?)
「当然、笑顔で彼女を迎えられるさ。
結構格好つけて言ってるけど、不幸な状態で来られるより遙かにマシだよ。だって僕が命がけで助けた子なんだぜ。その子が幸せになってなかったら、ホント助けた甲斐がない」
この質問はいつまで続くんだ?ぼくは、思った。
目の前の光景は、時間が止まったように動かない。
(これが最後だ。
お前は、今、襲われようとしている少女を助けることができるか?
立ち向かっても、勝ち目は無く、その後には、お前が経験した辛苦が待っているとしても)
「とーぜん! それでも、ぼくは彼女を守る。
それによって、夢を見失ったとしても、暗い未来しかなかろうと、彼女は、守る! 」
僕は、叫んだ。
(なんだと?
お前は、全てを捨ててまで、何の関係もない、お前の恋人でもなく、家族でもなく、知り合いでさえない人間を守るのか!! 本気で! )
「確かに、未来が分かっていてこの選択をするかはかなり難しいよ。……でもね、ここで見捨てたりしたら、僕は、この先ずっと後悔すると思うんだ。何故、あの時、動けなかったんだってね。 何を馬鹿な事をって思うかもしれないけど、僕はそんな後悔は、したくないんだ」
心の雑音が何かを叫んだが、聞こえなかった。
大声で何かを叫びながら僕は、猛然と駆けだしていた。
通り魔に飛びかかった。
その瞬間、視界が真っ白になった。
――僕は、意識を取り戻した。
一体、何が起こったというのか?
辺りを見回すと、そこは、日本刀が床に突き刺さっていた部屋だった。
つまりぼくは、ずっとこの部屋にいたままだったのだ。
あれだけいろんな事があったのに、全ては、幻だってというのか。
しかし、……ふと見ると、入ってきた時と違う点に気付いた。
部屋の奥には、いつの間にできたのか、入り口がぽっかりと口を開けていたのだ。
【封印解除】……なのか?