第27話 忌まわしき過去、無力な自分
ここでモタモタしている場合じゃないんだ。
方法なんて浮かびもしないけど何とか結界を解き、彼女を救わないと。
僕は立ち上がり、考えを巡らす。
……答えの見えない答えを求めて。
ガツン!
唐突に音がして、部屋の奥にポッカリと穴が開いた。
うん? 結界が解けたのか!?
開いた穴へと駆け寄る。
穴は、人がやっと通れる大きさだった。
そして、そこから奥に向かって、暗闇の中を、階段が下へ下へと伸びて行ってるようだ。
考えてなんかいられない。
僕は、その暗闇に入って行った。
真っ暗なトンネルが、まっすぐに延びている。
僕は、這いながらそのトンネルを進んで行く。
窮屈な姿勢でしばらく行くと、やがて、通路の奥に光が見えてきた。
一体、何処に出るのだろうか?
とにかく、今はここから出ることが肝心だ。
僕は、とにかく這うスピードを上げたんだ。
穴から顔を出した時、既視感に似たものを感じた。
そこはどういう訳か、見慣れた町並みがあった。
田舎の街の雑踏。
行き交う人々達……。
こちらにずっと見つめている少女。
その顔に見覚えがあった。
刹那、悲鳴が辺りに響いた。
そちらを見ると、人々が血相を変え、逃げまどう姿があった。
なんだろう?
僕は穴から這い出して、そちらに注目した。
――そして、恐怖した。
ナイフを持った男がそこにいた 。
目の前にいる全ての人間をそのナイフで斬りつけながら
そいつは、歩く奴がいた。
急ぐわけでもなく、ゆっくりとこちらの方へ歩いてくる。
そいつの歩く進路はに、あの少女が立っていた。
響き渡る怒号と悲鳴、世界はスローモーションになる。
あらゆるものがゆっくりと動いている。
ただ、ただ世界が朱色に染まっていくだけだ。
朱の後は完全なる暗闇……。
絶望。
少女は凍り付いたようになったまま、近づく通り魔を見ているだけだ。
なにやってんだ、そこにいたら、危険だろ!!
それでも、少女は体が硬直したかのように、動こうとしない。
……動けないのか。
助けに行かないと、彼女は殺される。
これは、……これはあの時のままだ。
――忌まわしい事件の再現か?
あの時、僕は少女を守ろうと通り魔に飛びかかった。
そして、逆に右腕を吹っ飛ばされ、さらにメッタ刺しにされた。
その記憶が蘇り、右腕や背中の傷が痛み出した。
でも本当に怖かったのは、斬られ刺された恐怖や痛みより、その後の、……数え切れないくらいの辛かった思い出が蘇って来たことなんだ。
僕は当時、リトルリーグのチームエースとして、全国大会を控えていた。
大会中の僕の防御率は0.00。ヒットもほとんど記憶していないくらいに抑えていた。自分でも調子がいいのがよく分かった。
そして、僕の所属するチームは優勝候補の一つと言われていた。
全国大会の結果如何によっては、中高一貫の私立校への推薦が決まることになっていた。
授業料免除、寮生活となり生活費も免除もされ、さらには契約金みたいなものも貰えるらしかった。
母さんはその話を聞いて大喜びしていた。
なにより貧乏な思いを僕にさせずにすむことが嬉しかったようだ。
経済的な事を心配せずに、大好きな野球に打ち込める環境。
僕にとってもそれは嬉しかった。
貧乏だったから、チームメイトと比べて持っている道具がツーランクぐらい安いものしか買って貰えなかった。
いつでも新品を買えるわけないから、破れたりしても補修して使い続けるしかなかった。それがなんだか恥ずかしかったし悲しかった。
でも、それは母さんには言えなかったんだ。
そんなくだらない悩みも全て解決するんだ。人並みになれるというだけでも凄い嬉しかったよ。
父親の不在というコンプレックスも吹き飛ばすくらいだ。
でも、僕はあの事件に出会ってしまった。
腕を切断するという大けがのため、握力が怪我をする前と比べたら、無いに等しいくらいに落ち込んでしまった。
しかし、リハビリをがんばればそれもやがては回復すると先生は太鼓判を押してくれた。
だから、僕は手術後の、のたうち回るようなえげつない痛みに耐えられたし、必死にリハビリを続けることもできたんだ。
靱帯の癒着を剥がす痛みを何ヶ月もこらえた。ありゃ酷かったな。
それは、また野球ができるようになるっていう希望があったからなんだ。
希望があれば、明日を迎える喜びさえあれば、人はいくらでもがんばれるんだって本気で思ってた。
――でも、ある日、本当の事を知ってしまった。
手術は成功と先生は言ったけど、それは一般人としての生活ができるレベルには回復が可能ということだったんだ。
もう二度とマウンドに上がる事なんてできやしないってことを思い知らされたんだ。
僕は、たった一つの夢、野球の夢を諦めるしかなかった。
推薦入学の話も当たり前だけど取りやめになってしまった。
夢を失った僕は、同時に全てにおいて自信を失い、自暴自棄になってしまった。
本当なら人間としても壊れてしまいたかった。
そうなった方が楽だから。
でもそれは許されなかった……。
それは母さんの存在だった。
僕以上に、母さんのショックが大きかったんだ。
最初は僕の命が助かったことを本気で喜んでくれたし、リハビリにがんばる僕を応援してくれてた。
でも、先生に教えられたんだろうな。
いつからか哀れみの目で僕を見ているときがあったもん。
ただ経済的には犯人の親族からの補償金(おそらくは裁判で有利に事を運ぶためだろうって言ってた)やサポートしてくれる人たちのお陰で、生活にはそれなりにゆとりがでてきてた。
僕がずっとリハビリや治療に専念できたのもそのお陰だった。
でも金のにおいに敏感な連中はいるんだよね。
いつしか家に妙な男が入り浸るようになった。
僕はリハビリの為に泊まり込んでいたから気づくのが遅かった。
母さんより年齢がだいぶ若い、僕からみたらチンピラみたいな奴だった。
言葉巧みに母さんをおだて喜ばせていた。口だけは本当にうまい奴だった。
話を聞くと何かの宗教の信者らしかった。
先祖の供養がとか悪霊がとかが邪魔をして、修司君の回復を邪魔しているようだ。先祖供養とお祓いをしないと、彼は永遠の地獄から逃れられないとかそんなの嘘だろうっていう話を母さんは本気で信じていたようだった。
何かあるたびにまだご先祖様が苦しみから解放されていないようです。この壺を買えば少しは和らぐかも……。祈祷が足りないようです。ぜひ教祖様のご祈祷を受けてください……。
それほど高いものでは無いけど、少しづつ、しかし確実に金は巻き上げられていった。
何度か注意はしたけど、思いこみの激しい母さんを説得はできなかった。
あまりきつく言うと泣き出しちゃって、それ以上何も言えなくなった。
本当に寂しかったんだろうな。
どうしようもない屑な男だったけど、アイツは母さんにはとっても優しかった。
それが本気かどうかは分からなかったけど、アイツといるときだけは、母さんは幸せそうだったもん。
僕とだけだと必ず失った夢の事を思い返し不幸になるだけだった。
人は暗くなるだけじゃあ生きていけない。
せめて気持ちだけでも明るくいたかったんだろう。
だから、僕はそれ以上、母さんには何も言えなくなった。
それが間違いだと気づくのはずっと後なんだけど。
母さんは男とそして宗教にのめり込んでいった。
いろんな活動にかり出されているようで、家を空けることが多くなった。
パートで稼いだ金のほとんどをアイツに渡しているみたいで、生活は本当に苦しかった。
学校から帰っても何も食べるものが無いことが多くなり、自分と母さんが食べられるくらいの金は必要だったんで新聞配達とかをやり出した。
でもその金もたまに無くなったりしてたんだ。
補償金とかは既に底を尽きていたんだろうな。
宗教活動の関係から転校もさせられた。
そこではあまり良い思い出はないんだ。
いじめというものが現実にあることをそれまで知らなかったからね。
でも母さんには相談できなかったからずっと耐えるしかなかった。
怪我をする前だったら、あんな連中全員病院送りにしてやってたんだけど、僕にそんな力は無くなっていたし、それ以前に「心」がポッキリと折れてしまっていたんだ。
ただ為すがままだった。
暴力に耐え、完全なる存在の否定にも耐えた。
本当は耐えられてなかったのかもしれないけど。
何も頼れない、信じられない時期だった。
よく死のうって思わなかったって思う。
でも今なら言えるのは、僕はあの事件の時に死んでしまっていたんだ。
そうなんだよ、一度死んでしまった人間はただの亡霊でしかない。亡霊は死なないし死ぬことなど考えつかない。
ただ漂うだけ。
この世に引きつけているものは、母さんを一人にできないという思いだけだった。
あとはどうでもよかった。
学校でみんなから無視されたり、殴られたりしても辛いとは思ったけどそれ以上のことは思わなかった。
泥んこになって家に帰って、誰もいない風呂場で服を洗い、夜遅くまで一人でいても何も感じなかった。
ただ目からあふれ出るモノは抑えられなかったけど。
しかし悲しかったり苦しかったり悔しかったなんて感情は無かった。
不思議なことに。
たまに帰ってくる母さんに今日会った嘘を言っても、心は痛まなかった。
穴の空いた靴を買い換えようと貯めていた金を母さんに取られても何も感じなかった。
母さんが喜んでくれたらそれでよかった。心配をかけたくなかった。
僕が怪我をして野球ができなくなったこと。母さんの夢を奪い去ってしまった僕には永遠に償いきれない罪を犯したのと同じだったんだ。
だからずっと償い続けないといけない。それが罰なんだ。
みんな僕が悪いんだから……。