第16話 鍵
「何だ、これ? 」
ぼくはこの奇妙な手記を見て、思わず口走った。
「このノートは、本棚の本の後ろに隠すように置かれてあったの。だから変に思って見てみたんだけど。
これって何なのかしら?」
「いつのことかは分からないけど、このノートに書かれたことから想像すると、昔ここに連れて来られて、地下に閉じこめられた人達がいたのは間違いないだろうね。
その時の1人が書いたメモのようだけど」
そう言いながら、もっと気になる事があった……。
林明彦
はやしあきひこ
ハヤシアキヒコ
その名前に覚えがあったのだ。
その記憶は、ぼくの中で呪われた記憶として残っていること。
小学生のぼくを襲った通り魔の名前。
その名前こそ、林明彦だったからだ。
事件発生当初、地元のニュース速報でのみ流れた犯人の本名。
それを知ったのは事件からだいぶたって、たまたま親戚の一人が口走ったからだった。
その日の内に事件の凶悪さ、社会的影響の大きさから犯人は匿名報道されるようになっていた。おそらくは精神異常者の犯行……。
「加害者の人権に配慮し、匿名報道とさせていただきます」
その後はお決まりのパターンだ。
犯人の幼少期の義父からの虐待。貧困。
学生時代にいじめられたという情報。
高校を卒業し、就職するもすぐに失職。
社会への憎しみ。
弁護士は心神喪失による無罪を主張。
被害者である僕やその家族の情報はなんの規制もなく垂れ流されたのに、犯人の情報は鉄のカーテンの向こうだった。
そうして事件はいつの間にか、もしかすると意図的にとも思えるほど報道さえされなくなり、すぐにみんなから忘れ去れていった。
残されたのは被害者達の悲しみ苦しみだけだ。
僕にも後遺障害だけが残り、家には借金だけが残ったんだ。
被害者だけは顔写真付きで報道されていたから、「ああ、あの事件の被害者の子だよ」と同情よりは好奇心の対象として何故か後ろ指をさされた。
「危ない危ない、一歩間違ったらあの子みたいにひどい目に遭わされるところだったんだ。よかったぁ」とただ運が悪かっただけのようにさえ言われた。
僕たちはそれに耐えるしかなかった。
せめて事件の詳細、犯人が何者かを知りたかった。
それくらいの権利はあるだろう?
でも、警察は教えてくれなかった。
自力でいくら調べても、当たり前だけど何もわからなかった。
親戚から教えられたその犯人の本名だけだった。
しかし。
まさか同一人物では無いと思うが……。
名前が一致するだけで、まず間違いなく犯人とこのメモの人は別人だろう。
そう思いたかった。
しかし、先ほどから気になっていたことがあった。
ぼくたちを襲った殺人鬼(ドラマ監督の岸氏)の耳の穴の瘡蓋。
この手記に出てくる使用人の耳の穴の瘡蓋。
そして、ぼくの記憶にある、あの通り魔の耳の穴も瘡蓋で塞がれていたんだ。
他にも共通点がある。
殺人鬼の服装、武器が同じだったということ。
こんな偶然があり得るんだろうか?
これらをどう解釈したらいい?
全てが繋がっているのだろうか。
「新城さん、どうかしたの?」
ぼくがずっと考え込んでいるのを不思議がったのか、彼女が話しかけてきた。
「いや、なんでもない。ちょっとね」
ぼくは、慌てて思考を止めた。
根拠もなく不確定な事を口走って、これ以上不安がらせることは何のメリットもないだろう。
「この手記から想像するに、この館では定期的に複数の人々がここへ連れ込まれ、何かをされているのは間違いないみたい。
この手記の持ち主の林って人、そして今回の撮影スタッフの人達。彼らが何をされたかは分からない。
でも、撮影スタッフの事から考えるとなんらかの死を伴う事をされたのは、間違いないようだね」
「じゃあ、この林さんと一緒にいた人達も殺されたっていうのかしら」
「たぶん……。
メモに書いてある、気味の悪い外人が全ての根元だろうね」
「そんな……、こんな事をずっと続けている人間がいるのに、誰も気づかないなんて。
大量に人がいなくなっても、誰にも知られることが無いなんて考えられないわ」
「しかし、現実にそうなっているんだよ。ぼくたちだってここから脱出できなかったら、
スタッフの人たちが殺されたことを誰も知ることがないかもしれない」
「今日の撮影は他にも知っている人がいるわ。だから必ずここに警察が来るはずよ」
「それは、その通りだと思う。……そこが良く分からないないんだよ」
アイドルの速水玲香や他の俳優、そして撮影スタッフが一斉にいなくなったら、普通なら一騒動起こるはずなのだ。
しかも、行き先まで知られているから、すぐに警察や事務所、制作会社の人間がここにやって来るだろう。
そうなったら、この館の秘密などすぐに暴露されるはずだ。
それなのにこんな事をするとは、何か事実が暴露しない根拠があるのだろうか?
いろいろ考えても不安が増すばかりだ。
とにかく、まずは脱出路を探すのが先だ。
ぼくたちはこの部屋を後にした。
廊下に出ると、右側の一番奥の部屋を調べることにした。
ここの扉も金属製の頑丈そうな扉だ。
ぼくは、ドアノブに手をかけた。
ドアはビクともしない。
ここも鍵が掛かっているようだ。
鍵がないことには、ドアは開けられず打つ手なしだ。
壊そうにも鉄製の扉だから不可能だと思う。
このままではどうしようもない。
なんらかの手を打たなければ。
そうは言ってもどうしようもないんだけど。
「これで全部の扉を調べたことになるけど、結局何の成果も無かったようだね」
ぼくは失意の底にあった。
脱出路は無いし、梯子なども無かった。
これではここに閉じこめられたままだ。
「ドアに鍵が掛かっているってことは、誰かがその鍵を持っているんじゃないかしら?」
玲香ちゃんが呟いた。
確かに、そうだ。
ごくごく当たり前なんだけど、誰かが鍵を持っているはずなのだ。
そうだ。
ここを自由に行き来し、一階にも出入りできた人間といえば……。
そうだ、……監督の岸さんしかいない。
「岸さんが持っているかもしれないわね」
彼女とぼくは同じ事を考えていたようだった。
僕たちはうなずくと、岸さんの倒れている部屋へと急いだ。
廊下から洩れてくる光のお陰で、暗闇だったこの部屋もとりあえず見ることができる。
岸さんは仰向けで倒れたままだった。
大きく見開いた目がこちらを見ていた。
気味が悪いけど、仕方がない。
僕は岸さんの遺体の側に跪き、彼の衣服のポケットを調べた。
ゴソゴソとさぐると、ズボンの左ポケットに金属の感触があった。
ぼくはそれを取り出した。
銀色の複雑な形をした鍵が出てきた。 ……多分これだろう。
「あったよ、玲香ちゃん。多分これが部屋の鍵だろう」
ぼくは鍵を手に取って彼女に見せた。
彼女は、ほっとしたような顔をしてニコリ微笑んだ。
さて、これでどちらかの扉が開く。
なんとかなりそうだ。