第13話 希望といのちのギャンブル
扉を閉め、どうにかしようと考えた。
……万事休すか?
やがて、あいつはこの扉を壊して侵入してくるだろう。
それは、僕たちの死を意味する。
走馬燈のように過去の思い出が駆けめぐる。
楽しかった思い出、そして小学生の時の忌まわしい事件。
平凡な学生生活、いじめられた日々。それに打ち勝とうと戦った日々。
しかし、結局敗れ去り、惨めな思いだけが残った事。
就職し、嫌な上司との葛藤。
一生懸命やった仕事は全て上司の成果にされた事。
すべては虚しい人生だった。
しかし、最後の最後で憧れの速水玲香と、たとえほんの僅かな時間だが、時を共有できた。
こんな結末を迎えたとしても、それは僕にとっては幸せな時間だった。
後悔は無いといえば嘘になるけど、友人の披露宴の後、寄り道を考えなければただ死があるだけだったのだ。そう思うと幾分かはマシな運命だったのかもしれない。
……クソッ!!
僕は彼女を護ることもできないのか……。
負けっ放しで終わってしまうのか? 僕は結局ただの役立たずでしかなかったのか。
せめて彼女だけでもどうにかならないのか!
「新城さん、新城さん!! 」
彼女の声に我に返った僕は、振り返った。
「どうしたんだ」
「ここを見て!」
彼女の指さす場所を見て、僕は言葉を呑んだ。
トイレの用具入れの床がぽっかりと口を開け、そこには、下へと向かう木製の梯子が 立てかけてあったのだ。
こんな入り口なんて、見回った時には無かった。
巧妙に隠されていたのだろうか?
どうやら、殺人鬼は、ここからやって来たようだ。
やはり秘密の通路があったのだ。
恐らく、この下には地下室か何かだろう。果たしてこの下にあるものは、天国か地獄か?
……少なくとも天国ではないだろう。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
ここにこのままいても、「死」が待っているだけだ。ならば、一か八か賭けてみるしかない。
「行こう!! 」
そう言うと、僕は彼女を促し、梯子を降りていった。
この梯子は、単純に立てかけてあるだけのようだ。
足下は暗闇で、下はほとんど見えない。
梯子はかなりの年期物で、ミシミシと音を立てて不安定にグラつく。
ちょっとした衝撃で折れてしまうかもしれない。
僕は、玲香が足下を見やすいように、彼女の足下をライトで照らした。
地下へ降り立つと、マグライトで照らし、周辺を確認した。
そこはかなり広い空間だった。単純に地面を掘っただけの空間らしいが、10畳ほどの広さで、
奥に鉄製の扉が一個あるのが見える。
上をみると、僕たちが降りてきた穴は、かなり高い位置にあるのがわかった。
目測で3メートル以上はあるように思われる。
一体、この空間は何の為に掘られたのだろうか?
その時、扉を打ち付ける激しい音が上の方でし始めた。
あいつが扉を壊そうとしている……
。
「新城さん、早く逃げましょう」
音に怯えた玲香が叫ぶ。
「……玲香ちゃん、君だけ先に行くんだ」
その言葉に彼女は言葉を無くした。
「考えたんだ。……一緒に逃げたって、結局上でのことを繰り返すだけだって。
だったら、奴が降りて来るところに、この梯子を突き飛ばす。運が良ければ、奴は落下し、ダメージを受けると思うんだ」
暗闇で降りているところに衝撃を受ければ、奴はバランスを崩し、落下するかもしれない。
あんな長い山刀を片手に持っていれば、なおさらのことだ。
受け身なんかも取れるとは思えない。
暗闇で不意打ちにあえばもしかするともしかするかもしれないのだ。
「もし失敗したら? あなたは、どうなるの? そうなったら、あなたは……」
「失敗を考えていたら、何もできないよ。それに逃げたって助かるかどうかは分からない。それなら、賭けてみようじゃないか。
分の悪い賭けじゃ無いとは思うよ……」
僕はできるだけ優しい声で彼女に話しかけた。
彼女は、しばらく考え込んでいるようだった。
「玲香、大丈夫だ。絶対に成功するから。僕を信じて。
もう時間が無い。早く行くんだ」
「……わかったわ、あなたを信じる」
僕はホッとした。
彼女を促し、ドアへと向かわせた。
「そう、……今度こそ、ヘマなんてしない」
誰に向かって言うでもなく、僕は呟いた。
「……、修司さん、ごめんなさい。また……、あなただけを危険な目に遭わせて」
去り際に彼女が呟いた。
僕は梯子の下に行き、あいつが降りてくるのを待つ。
鼓動が高鳴るのを感じ、喉がいやに渇くのを感じた。
微かに指が震える……。
僕は目を閉じ、軽く深呼吸をした。
どうにかなる。きっとうまくいく。
……今度こそ。
大きな音をたてて扉が壊れる音がした。そして奴の足音が聞こえる。
僕は、あいつの視界に入らないように気をつけて、暗闇に身を潜めた。
梯子に足がかかり、ゆっくりと降りてくるのが見える。
鼓動が高鳴り、その音が奴に聞こえるんじゃないかとさえ心配になる。
やがて、あいつの胴体が見え、]顔が見え、ブッシュナイフを持った手が見えた。
あいつの身体が完全に梯子に乗った。
今だ!
僕は渾身の力を込め、梯子に体当たりをした。
ベキリという軽い音を立て、梯子は、いとも簡単にへし折れた。
「うぎゃごおっ!!」
あいつはバランスを崩し、そのまま落下する。
僕は、素早く身を翻した。
床にたたき付けられる鈍い音と、同時に何かが突き刺さるような音がした。
「ゲグエッ」
気持ち悪い声が暗闇に響く。
バタバタと暴れる音。
そして静寂……。
しばらく様子を伺ってから、僕は、ゆっくりとあいつに近づき、ライトで照らした。
奴が死んだふりをしている可能性があるので油断はできない。
近づいた瞬間、グサリではしゃれにならない。
そこには、あいつが俯せに倒れていた。
身体からは、大量の血が流れ出し、血だまりができている。
背中からはブッシュナイフの刀身が突き出ている。
ピクリとも動かない、……死んでいるのだろうか?
僕は、慎重に殺人鬼に近付き、恐る恐る、身体を仰向けにしてみる。
首筋に手を当ててみると、何の反応もない。
ナイフは、心臓付近に突き刺ささり、そのまま背中へと突き抜けていた。
落下の際に持ったナイフが彼の体に突き刺さったようだ。
偶然とはいえ、まだ僕には運があるということなんだろうか。
……とりあえず僕たちが無事であり、一つの問題は解決したということだ。
僕は安堵し、大きくため息をついた。
緊張から解放され、ヘナヘナと座り込んでしまう。
彼女が駆け寄って来る。
「新城さん、大丈夫? 」
「ああ、大丈夫だよ」
「よかった、……心配したのよ」
彼女の頬を涙が伝うのが見て取れた。 そして、僕の胸に顔を押しつけて来た。
「ホントに心配したのよ。あなたに、もしものことがあったら、私、どうしようかって……」僕は、何も言わず彼女を抱きしめた。
「心配かけて、ゴメン」
そうささやき、しばらくそのままでいた。
腕の中で泣きじゃくる玲香。
彼女を抱きしめながら、思った。
僕は、どんなことをしてでも、彼女をここから脱出させねばならない……。
最後に誰かを助けるのも悪くはない。
今、彼女を守ることができるのは、僕しかいないんだから。
「絶対に、ここから連れ出すから」
僕は誓った。
玲香は落ち着いたようで、なんとか泣き止んだ。
そして、「ごめんなさい」と僕から離れた。
僕は、ふと気になって、死んだあいつの側に近づいた。
「どうするの?」
怯えた声で彼女が言う。
「一体、誰なのかと思ってね。玲香ちゃんは見ない方がいい」
そういって、僕はしゃがみ込み、倒れた男の仮面をはぎ取り、その正体を見る。
30後半ぐらいの男の顔だった。
苦悶に歪んだ顔をしている。
目は大きく見開いたままで、まるで、誰かに助けを求めているようにも見えた。
そしてよく見ると、怪我でもしていたのか、左耳の穴が瘡蓋で塞がれていた。
「やっぱり岸さんだったのね……」
と、背後で彼女が呟く。
岸といえば、このドラマの撮影監督だったのでは?
どうして、そいつが殺人鬼なんかやってるんだ?
「岸って……」
僕は、彼女を見た。
「このドラマの監督よ。どうしてこんなことに……。どうして岸さんが私たちを殺そうとしたのかしら? 」
「何がどうなっているのか分からない。何故、監督がこんなことをしたのか?」
彼女は物思いにふけっているのか、腕を組んで何か呟いている。
撮影監督が殺人鬼となっていたということは、他のスタッフ達の運命も想像できる。
彼らは皆その殺人鬼の餌食となったのだろうか。
しかし、何故、彼がそんな行動を取ったかは、今となっては彼以外には分からないだろう。
「……行こう」
僕は、彼女を促した。
もうここに留まっている理由は無い。
今すべきことは、ただ一つ。
ここから脱出することだ。
すべては、そこから始まる。
彼女にとっては始まり。僕にとっては終わりではあるけれども……。
彼女は、依然として黙ったままだった。
自分の知っている人間が自分を殺そうと襲ってきたことにショックを受けているのだろうか。
「ショックなのは分かっているけど、行こう」
僕は、彼女の肩に手をかけた。
彼女はこちらに振り返り、頷いた。
「梯子が折れて、もう上には上がれない。どうやら、この地下を探すしかないようだ」
梯子は、途中から折れており、もはや使い物にならない状態だ。
トイレにあった穴からの脱出は、別の梯子でも見つけない限り、不可能だ。
この天井の高さは、絶望的な高さだ。
これから僕たちは、本当にあるかどうか分からない脱出路を探さなければならないのだ。
……このまま待っていても、誰かが助けに来るとは考えにくかった。
とにかく、今はできる事をやるしかない。