第9話 彼女の優しさ
「新城さん。ずぶ濡れじゃない。早く着替えないと風邪をひいちゃうわ」
そう言うスタッフ達が荷物を置いた所に走っていった。
荷物をごそごそと探して、タオルとシャツを持ってきた。
シャツは撮影用に持って来ていた衣装らしい。
「さあ、早く着替えて」
駆け寄ると、僕にシャツを差し出した。
「いや、大丈夫だから」
僕は、やんわりと拒否した。
「どうして?ずぶ濡れだよ」
「いや、大したことないから、大丈夫だから」
彼女は僕がふざけていると勘違いし、業を煮やしたかのように、無理矢理僕の服を脱がそうとする。
抵抗するが、彼女はあきらめずにずぶ濡れのシャツを脱がそうとする。
端から見たらじゃれ合ってるようにしかみえないだろう。
ついに、彼女は僕のシャツの裾を掴んだ。
そしてそれを引き上げようとする。
僕は咄嗟に、
「やめろ! 」
と、怒鳴り、彼女を突き飛ばしてしまった。
……しまったと思ったが遅かった。
彼女は、吃驚したような顔をしたかと思うと、顔を両手で押さえて、泣き出してしまった。
「どうして……」
彼女は、床にうずくまり、潤んだ瞳で僕を見つめた。
僕は自分で言ったこととはいえ、彼女にどう言ったら良いか分からず、ただ、あたふたするだけだった。
大好きで憧れの存在だった玲香ちゃんを泣かせてしまった。
玲香ちゃんを傷つけてしまった。
僕の動揺は半端じゃなかった。
後悔と罪の意識。
「ごめん……。そんなつもりじゃないんだ。
ただ……」
彼女は僕を見つめた。
「どうしてそんな風に怒るの?
私はあなたの事が心配だっただけなのに……」
僕は、溜息をついた。
彼女には、知られたくなかったが、本当の事を言わないと分かってくれないだろう。
「ごめん。謝るよ」
彼女は、ただ、僕を見つめるだけだ。
「君には見られたくなかったんだ。だから……つい」
「何を、何を見られたくなかったの?」
僕は覚悟を決め、おもむろにシャツを脱いだ。そうして、彼女に背中を向けた。
息を飲む気配を感じた……。
僕は、彼女に背を向けたまま、呟いた。
「気味が悪いだろう……?背中にこんなにいっぱいの傷があるなんて……。
こんな姿を人に見られたくなかったんだ。特に……君には」
僕の背中や右腕には、いくつもの傷跡と手術痕が残されている。
醜く赤黒い傷がいくつも、僕の身体に深く刻み込まれいるのだ。
この傷のせいで、どれほど嫌な思いをしたか。
思い出したくもない……。
この傷を負った為に、その後、僕がどんな思いをしたか……。そしてどれほど多くのものを無くしてしまったか。
「……その傷は、どうしたの?」
彼女は、なんとか声に出した。
「小学生の時に通り魔に襲われて、こんな風になったんだ。
全部で13カ所刺された。メッタ刺しだね。
右腕もスパッと切断された。
こんな怪我をしてよく生きていたって言われたよ……。
この傷を見たら、みんな口には出さないけど、気味が悪そうな顔をするんだ……。
だから、人には見られないように隠していたんだ」
「そうだったの……。ごめんなさい、嫌な思いさせて……」
涙ぐんだ彼女の瞳から涙があふれ出す。
「いいんだ。僕は君に酷い事を言ってしまったから。……誤解を解くためには仕方ないよ。
だからもう泣かないで……」
僕は、呻くように呟いた。
こんなのを見たら、きっと玲香ちゃんも気味の悪い物を見るような目で僕を見るのだろう。
……今までのみんながそうだったように。
同情と哀れみ、そして嫌悪の視線。
いつも感じていた。
それがどれほど辛かったか……。
だから、いつしか隠すようになっていたのだ。
知らなければ、誰もそんな目で僕を見ないで済むから。
突然、玲香ちゃんが歩み寄り、僕の背中に抱きついて来た。
僕は驚いて、肩越しに彼女を見た。
「……私は、この傷を気持ち悪いなんて思わないよ……。 だって、この傷は……」
彼女は、何かを言ったようだが、あまりの小声だっため、聞き取ることができなかった。
何て言ったか聞き直したかったが、彼女が僕から離れたのでタイミングを逸してしまった。
僕は、彼女から受け取ったシャツを着た。
彼女が僕の傷についてどう思ったかはわからないが、取りあえず誤解は解けたようなので
良しとするか ?
彼女は、僕のこの傷跡を見ても驚きも嫌悪もしなかった。
むしろ受け入れてくれた。
今までそんな風にされた事など無かった。
その優しさに胸が熱くなるのを感じた。
そして、そんな彼女と出会えた事に感謝すらした。
僕は、彼女から受け取ったタオルで塗れた髪を拭きながら考えた。
しかし、このままでは埒があかない。
一体、僕たちはどうしたらいいのか?
車は、ここまでは入って来られないから、僕だけが行くわけにもいかない。
かといって彼女一緒に行ったら、風邪をひかせてしまうだろう。
それは、できないことだ。
「さて、これからどうしたらいいんだろうね? 」
僕はこの場の雰囲気を変えるため、わざと明るい口調で喋る。
「仕方ないわ、新城さん。やっぱり、しばらくはここにいなくちゃならないのね」
「そうだね。この雨の中を行くのは、無理だし」
僕たちは、仕方なく食堂へと戻った。
時折、雷鳴が轟く。
雨は何時になったら、止むのだろうか?
長椅子に並んで腰掛けた僕たちは、黙り込んだままだった。
彼女は、眠気に耐えかねているのだろうか、しきりにあくびをしている。
洋館にはテレビもラジオもない。彼女と僕だけだ。
建物はずいぶんと古いくせにいやに遮音だけはしっかりできているようで、雷鳴が時々聞こえてくるだけで、荒れ狂うように吹き付ける風雨の音はほとんど聞こえてこなかった。
ほぼ無音の薄暗い部屋の中で、何もすることもなく、スタッフが出てくるのをただ無為に待つだけというのは、誰にとっても退屈だ。
僕だって眠気を感じるぐらいだから……。
人気アイドルの仕事は、どれほどハードなのかは知らないが、普段から、彼女の睡眠時間は殺人的に短いのだろう。
とりわけ、速水玲香クラスのアイドルなら半端じゃない忙しさなのだろう。
仕事をしている時は気が張っていて、眠気は感じないのだろうが、何もすることのない今の状態では睡魔に襲われても仕方が無いだろう。