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次官の札

扉の外の足音は、剣より静かだった。

 静かなものほど、よく刺さる。


 ヴァルディスが椅子から立ち上がり、背筋を伸ばした。監督の顔を作る。

 職人が“役”を被るときの顔だ。


「……大蔵院だ」


 案内役の下級官が唇を震わせる。


「上の人です。まずい……まずいです」


「まずいのは料理だけでいい」


 ロアンがぼそっと言い、誰も笑わなかった。

 笑えない冗談ほど、頼もしい瞬間がある。


 セドリックは短く言った。


「全員、喋るな。喋るのは俺だけ」


 ヴィオラが即答する。


「了解。私の口は高いからね」


「高いなら売るな」


「売らない。貸すだけ」


 エルネが小さく息を吐いた。緊張している。

 リュシアは刻印道具を握り直し、刃の向きだけを整えた。刺すためじゃない。逃げるための持ち方だ。


 扉が開いた。


 入ってきたのは三人。先頭は黒い外套の文官。背は高くないのに、部屋の空気を先に支配する。

 その後ろに二人、王直属軍系の護衛。足音が揃いすぎている。人間じゃなく機械みたいだ。


「グレイヴ卿。ここに居られたか」


 文官は丁寧に頭を下げた。礼の形は美しい。中身は空だ。


「大蔵院、監査局のリエンだ。あなたの“逸脱”を監督する役目を預かっている」


 監査局。

 大蔵院の中でも、帳簿で首を刎ねる部署。


 鑑識眼が告げる。


 リエン:本職は切り捨て

 目的:回収(証拠)/封鎖(口)

 背後:次官補ハルド(強)

 危険:高(護衛)

 交渉可能性:中(だが利得は上に渡す)


 セドリックは一礼だけ返す。


「監督なら助かる。こちらも監督が必要だった」


「光栄だ。――では結論に入ろう」


 リエンは机の上の封蝋配合帳を見た。欠けたページに目を落とし、視線だけで把握する。

 職人の目じゃない。処分屋の目だ。


「造幣局での襲撃。配合帳の欠損。第七釜の疑惑。

 すべて、王都の治安を乱す」


 ヴァルディスが口を開きかけ、セドリックが指で止める。

 ヴァルディスは歯を噛み、沈黙を選んだ。賢い。賢い者ほど――いや、今日は死なせない。


 セドリックは言った。


「治安を乱しているのは偽造だ。俺は原因を掴んだ」


「原因は“外”だ」


 リエンが即答する。

 答えが早い。用意されている答えだ。


「外の獣が紙を偽造し、地方で騒ぎを起こしている。あなたはその被害者だ」


 ロアンの拳が微かに鳴った。

 ヴィオラが袖を引く。エルネが睨む。リュシアの肩が固まる。


 セドリックは淡々と言った。


「それは嘘だ」


 リエンの笑みが揺れない。


「嘘という言葉は軽い。証拠は?」


 セドリックは受領札の束を机に置いた。

 関所、橋、宿の裏。印と数字が揃っている。


「偽勅令の札。足止めの関所。橋の補修。樹脂の出庫。束番号の重複。

 全部が第二倉へ繋がる」


 リエンは指で受領札をめくった。

 目が冷たい。紙を読む速度が速い。


「ふむ。――地方の坊ちゃんにしては、面白い」


 その“面白い”は褒め言葉じゃない。

 面白いものは、壊しても惜しくない。


 リエンは顔を上げ、リュシアへ視線を向けた。


「そして、ヴァルネの娘か」


 リュシアが顎を上げる。


「名前を知ってるんだ」


「帳簿にある。帳簿にある者は、国にある」


 言葉が気持ち悪いほど正確だ。


 リエンが続ける。


「あなたの父は偽造に加担した疑いで失踪した。娘は危険物だ。保護のため、大蔵院へ移送する」


 “保護”。檻の別名。


 エルネが堪え切れず言った。


「保護? さっき襲ってきたのは誰ですか。あれが保護なんですか」


 リエンはエルネを一度だけ見て、すぐに視線を戻した。

 人間を見る目じゃない。数を見る目だ。


「感情は不要だ。ここは制度の場所だ」


 セドリックが言った。


「制度なら、契約だ。こちらにも条件がある」


「条件?」


 リエンが初めて興味を示した。

 制度の人間は条件が好きだ。条件は檻の形をしているから。


「俺は勅命で動いている。勅命の期限は七日。

 証言の価値は、偽造の核心を掴むことにある。核心を潰すなら協力する。

 潰さないなら、証言は売らない」


「売らない、か。地方の言い方だな」


 リエンが笑う。


「なら買おう。あなたの領への優遇、信用状枠、関税免除。すでに次官補ハルドが提示したはずだ」


 セドリックは首を振る。


「条件が違う。俺が欲しいのは“免除”じゃない。発行の流れだ」


 室内の空気が一段冷えた。

 ヴァルディスが息を止め、ヴィオラの目が光り、ロアンが「こいつ本気だ」と顔に書く。


 リエンがゆっくり言った。


「……発行の流れに触れるのは、王の領域だ」


「王は紙で国を支配している。紙は倉で支配されている。

 倉を握る者が王だ」


 リエンの口角が、ほんの少しだけ上がった。


「危険な発想だ。あなたは早く死ぬ」


「俺は早く死にたくない」


 セドリックは即答し、さらに言う。


「だから生き方を変える。信用が燃えるなら、燃えない器を作る」


 リエンは机に手を置いた。指輪が光る。次官印ではない。監査局印。

 その印が、部屋全体に“停止”を命令している。


「いいだろう。あなたが何を掴んだか聞こう」


 セドリックは答えた。


「第七釜の配合帳が抜かれている。抜いた者は次官印を使った」


 リエンの瞳孔が微かに動いた。

 鑑識眼が即座に示す。


 動揺:微

 予想外:中

 次手:否定ではなく“回収”


「次官印、ね。印は盗まれる。珍しくもない」


 リエンはさらりと言い、護衛へ目配せした。

 護衛が一歩、机へ近づく。受領札、封蝋帳、すべて“回収”する気だ。


 セドリックは動かない。

 動くのは言葉だけだ。


「回収するなら、価値が落ちる」


「価値?」


 リエンが笑う。


「紙は燃えれば終わりだ。回収すれば燃えない」


「燃えないんじゃない。燃やせなくなるだけだ」


 セドリックは言った。


「燃やせなければ、腐る。腐った紙は、国を殺す」


 リエンは一瞬だけ黙った。

 そして、薄くため息をつく。


「……では、こうしよう。証拠は大蔵院で預かる。あなたは“証言者”として保護する」

「あなたの幼なじみと刻印師の娘は——」


 ヴィオラが即座に遮る。


「やっぱりそこだね。檻を作りたいだけ」


 リエンが穏やかに答える。


「檻ではない。管理だ。管理できないものは壊れる」


「壊すのはあなたたちでしょ」


 ヴィオラの声が笑っていない。

 ロアンが低く言う。


「セド、俺が殴っていいか」


「まだだ」


 セドリックはリエンを見据えた。


「取引を提案する。証拠は半分渡す。半分は俺が持つ」


「半分? ふざけている」


「ふざけていない。対称性だ。相互拘束がない契約は契約じゃない」


 リエンが目を細めた。


「あなたは大蔵院を信用しないのか」


「信用する理由がない」


「なら、信用する理由を与えよう」


 リエンが言い、懐から小さな札を一枚取り出した。

 封蝋付きの許可札。印は――次官補ハルド印。


「これがあれば、あなたは御前会議前に“第二倉”へ入れる。

 入って、あなたの目で見ろ。そこまでが条件だ」


 ヴィオラが息を呑んだ。


「倉に入れるって……」


 ロアンがぼそっと言う。


「罠の匂いしかしねえ」


 リュシアが低く言った。


「倉で“消される”」


 リエンは笑った。


「消したいなら、ここで消している。

 倉へ入れるのは、あなたが“味方になり得る”からだ」


 セドリックは札を受け取らない。目だけで鑑識する。


 札:真

 目的:誘導/監視

 罠:高

 利得:極大(倉の実物証拠)

 成功時:次官補ハルドの首が見える可能性

 失敗時:こちらの首が飛ぶ可能性


 セドリックは結論を出した。


「受ける」


 リエンが満足そうに頷いた。


「賢明だ。では証拠の半分を」


「先に条件を追加する」


 リエンの眉が動く。


「追加?」


「リュシアは俺が連れて行く。大蔵院の“保護”は要らない」


 リエンの声が少し冷たくなる。


「刻印師の娘は危険物だ」


「危険物は、危険な場所に置かないと価値が出ない」


 ロアンが小声で言った。


「いや、それ燃えるやつだろ」


 エルネが即座に言う。


「燃やさないで。絶対」


 セドリックは淡々と返す。


「燃やさない。守る。契約だ」


 リュシアが一瞬だけセドリックを見る。

 “守る”という言葉を、彼は相変わらず利得の言葉で包む。だが、さっき外套で蝋を受けた事実が消えない。


 リエンは少し考え、頷いた。


「いいだろう。ただし、倉では私の監視下に置く。あなたの護衛は二人まで」


 ロアンがニヤリとした。


「二人って、俺入るだろ」


「当然だ」


 セドリックが言う。


「もう一人は?」


 ヴィオラが手を挙げる。


「私。倉の帳簿を読むのは私が一番速い。

 それにセド、あなた、数字で殴るなら私を武器にした方が強いよ」


「……武器って言うな」


 エルネが冷たく言うと、ヴィオラが肩をすくめた。


「じゃあ道具。……あ、もっと怒った?」


 エルネが無言で睨み、ヴィオラが素直に黙った。


 セドリックは証拠の“半分”として、受領札のうち二枚だけをリエンに渡した。

 束番号の紙片は渡さない。封蝋配合帳の欠頁も渡さない。


 リエンはそれを見て笑う。


「あなたは本当に、信用しない」


「信用は、作るものだ」


 セドリックは言った。


「作れないなら奪う」


 リエンが扉へ向かいながら、最後に言う。


「明朝、第二倉だ。遅れるな。遅れれば、あなたは“敵”になる」


 扉が閉まる。

 足音が遠ざかる。


 室内に残ったのは、封蝋の匂いと、紙の音だけだった。


 ロアンが吐き捨てる。


「罠だな」


「罠だ」


 セドリックが肯定すると、エルネが言った。


「行くの?」


「行く」


「……帰ってきて」


 エルネの声は小さかった。

 それが、契約できない祈りだと分かるから、セドリックは一拍だけ沈黙した。


「帰る」


 短い約束。

 約束は紙より重いと、ようやく理解し始めていた。


 リュシアが封蝋片を握りしめる。


「倉は、匂いが違う。封蝋の匂いじゃない。

 腐った紙の匂いがする」


 ヴィオラが頷いた。


「腐った帳簿の匂いね。最悪」


 ロアンが肩を回す。


「じゃあ、最悪を見に行くか」


 セドリックは笑わなかった。

 だが、胸の奥のどこかで、火がついた。


 相手が倉を開けた。

 なら、こちらは倉の中身で殴れる。

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