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第二倉の扉

 王都の朝は、冷たい。

 冷たいのに、妙に生臭い。


 第二倉の外壁に近づくほど、空気の匂いが変わる。封蝋の甘さではない。紙の乾いた匂いでもない。

 湿り気を含んだ、古い布と、鉄と、そして――人間の匂い。


「……ここが第二倉」


 ヴィオラが小さく言った。声が軽いのに、目が笑っていない。


 ロアンは何も言わずに、門の前の護衛の人数を数えた。

 エルネは布袋を胸に抱え、息を整えている。

 リュシアは外套の襟を握り、封蝋片を指で擦った。癖で恐怖を均す。


 そして、セドリックは“信じている顔”を作った。

 作ったというより、先に置いた。置けば、相手はそれに合わせて動く。

 人間は、自分が信じられていると少しだけ雑になる。


 門前には監査局リエンがいた。今日も礼は美しい。


「グレイヴ卿。時間通りだ。素晴らしい」


「あなたの札が正しいからだ」


 セドリックは穏やかに言った。

 嘘ではない。札は本物だった。正しい札が、正しい場所へ人を連れてくる。正しいからこそ、危ない。


「護衛は二人まで、と言ったな」


 リエンが視線をロアンとヴィオラに向ける。


「この二人で足りる」


 セドリックが即答すると、リエンはエルネとリュシアを見る。


「医者と刻印師は?」


「倉の中へは入れない。外で待つ」


 セドリックはあくまで“信頼のてい”で言った。


「二人を守ってくれ。監査局なら守れる」


 リエンは微笑んだ。


「もちろんだ。保護は我々の仕事だ」


 エルネの眉が僅かに動く。

 リュシアの目が鋭くなる。

 セドリックは二人に視線を寄せ、声を落とした。


「ここで待て。すぐ戻る」


 エルネが小さく頷く。


「戻ってきて」


「戻る」


 短い約束。紙より重い。


 リュシアは唇を噛んだ。


「……父の匂いがする。ここ」


 セドリックは一拍だけ置き、信頼の言葉を選ぶ。


「お前の勘を信じる。だから無茶はするな。俺が戻ったら一緒に動く」


「……分かった」


 リエンが咳払いをし、門番が重い鍵を回した。

 鉄が鳴り、扉が開く。第二倉の中は暗い。湿っている。

 紙を守る場所なのに、紙が腐る匂いがする。


「入れ」


 リエンが言う。優しい声で。優しい声はだいたい罠だ。


 セドリック、ロアン、ヴィオラの三人が中へ入った。

 扉が閉まる音が、背後で鈍く響いた。



 倉の内部は迷路だった。棚、箱、帳簿、封印札。

 通路がいくつも枝分かれし、角に監査局の兵が立っている。

 倉の中に兵がいる時点で、ここは“物の倉”ではない。


「まず見せるのは帳簿だ」


 リエンが先導し、棚から厚い帳簿を取り出した。表紙に第二倉の印。


「樹脂の出庫帳、封蝋の搬入帳、信用状束の出庫記録。ここにすべてある」


 ヴィオラが手袋をはめ、帳簿に触れた。

 指先の動きが速い。紙の上を走るのに、音がしない。


「……整いすぎてる」


 彼女が呟く。


「整いすぎ?」


 ロアンが聞く。


「嘘が上手い帳簿はね、綺麗すぎる。人間の手間が見えないんだよ」


 リエンが微笑んだ。


「褒め言葉だ。監査局は綺麗な帳簿を好む」


「綺麗なのは好き。生きてるのが好き。死んでるのは嫌い」


 ヴィオラが軽く言う。だが目は笑わない。

 セドリックはその言葉を、頭の片隅に置いた。芯は見えない。だが“嫌い”は出る。


 セドリックは帳簿の数字を見た。鑑識眼が薄い文字で補助線を引く。


 出庫:増加(今月)。

 出庫先:分散(名義薄)。

 承認印:同一人物の反復。

 改竄痕:あり(筆圧差)。


「承認印が同じだ」


 セドリックが言うと、リエンは頷いた。


「次官補ハルドの承認が多い。彼は仕事熱心だ」


「熱心な人は尊敬する」


 セドリックは穏やかに返す。

 尊敬している顔で、線を引く。熱心さは便利だ。罪を背負わせやすい。


 ロアンが不機嫌に言った。


「帳簿ばっかり見せて、現物は見せねえのか」


「現物も見せる」


 リエンは通路を曲がり、封印札が二重に貼られた扉の前で止まった。

 扉の前に護衛が二人。目が死んでいる。


「ここが“封蝋材料庫”だ」


 鍵が回り、扉が開く。

 中には樽が並ぶ。樹脂。油。染料。

 そして、樽の隅に、布で包まれた小箱が積まれていた。


 セドリックの鑑識眼が赤く点滅する。


 箱:封蝋(王室用)

 封印:破れ(復旧)

匂い:造幣局第七釜の癖(推定高)


 ヴィオラが鼻で笑った。


「はい出た。封印破って貼り直したやつ」


 リエンの笑みが消えない。


「輸送の際に破れただけだ。よくある」


「よくあるなら、よくある理由を帳簿に書くべきだね」


 ヴィオラが軽く言い、帳簿を指で叩いた。


「でもここ、綺麗すぎて“よくある”が書いてない。死んでる」


 ロアンがぼそっと言う。


「死んでる帳簿、って言い方やめろ。怖い」


「怖いのは現実」


 ヴィオラが返す。

 セドリックは二人のやり取りを“信頼して見守る”顔で聞いた。

 信頼していると言えば、人は自分の言葉に責任を持つ。責任は行動に出る。


 リエンが言った。


「グレイヴ卿。あなたが欲しいのは“欠けた頁”だったな。ここにはない」


「じゃあ、どこにある」


「倉の中にはない。大蔵院本館にある」


 嘘。

 鑑識眼が告げる。


 発言:誘導

 真偽:低

 意図:時間稼ぎ


 セドリックは表情を崩さない。信じる顔のまま言う。


「了解した。案内してくれ。あなたを信じる」


 リエンの瞳が僅かに揺れる。

 信じると言われたとき、人は一瞬だけ気が緩む。

 その隙に、セドリックは視線を棚の陰へ滑らせた。


 そこに、別の扉があった。小さな扉。封印札が雑。

 “物”の扉じゃない。人が出入りする扉だ。


 鑑識眼が文字を浮かべる。


 扉:通用口(裏)。

 目的:搬入ではない。

 用途:移送/収容。

 危険:極高。


 ヴァルディスが言っていた。第二倉は“人間の倉”だ、と。


 ロアンが小声で囁く。


「セド、あの扉」


「見えてる」


「行くのか」


 セドリックは“信頼のてい”で、リエンへ向き直った。


「最後に一つだけ。倉の管理は完璧だな。さすが監査局だ」


 リエンが胸を張りかけた、その瞬間――


 ヴィオラが帳簿を閉じた。

 ぱたん、と乾いた音が響く。


「ねえ、リエンさん」


 ヴィオラが明るく言った。


「この承認印、同じ“角”が欠けてる。……これ、印章の欠けじゃない。押し方の癖でもない。

 欠けを“意図的に作ってる”」


 リエンの笑みが、初めて止まった。


 ロアンが眉を寄せる。


「欠けを作る? なんで」


 ヴィオラが言う。


「偽造のときに“混ぜる”ため。あとで責任を誰かに押し付けるため。

 印の欠けは“犯人の署名”になる」


 セドリックは、その言葉を“信頼して受け取る”顔で頷いた。

 同時に確信する。ここで口を開けば、扉が閉じる。


 だから言葉を選ぶ。


「なるほど。あなたの説明は筋が通っている。助かる」


 ヴィオラが一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに笑った。

 信じられると、人は強くなる。


 リエンが静かに言う。


「……話が長くなった。倉を出よう。ここは危険だ」


 危険なのは、真実の方だ。


 セドリックは穏やかに頷いた。


「分かった。あなたに従う」


 従う、と言いながら、セドリックは一歩だけ、例の通用口の方へ寄った。

 自然に。誰も気づかない距離で。


 通用口の前に、鍵穴がある。

 鍵穴の周りに、微かな蝋の欠けら。封蝋の匂い。

 そして――布の擦れる音。内側から。


 セドリックは扉に指先を置いた。

 鑑識眼が、最後の一行を浮かべる。


 内側:人。

 数:複数。

 状態:生存(不安定)。

 分類:帳簿から消えた者。


 背筋が冷えた。


 ここにいる。

 帳簿から消えた者が。

 リュシアの父が、ここにいる可能性が――。


「セド!」


 ロアンが小さく叫んだ。リエンの護衛の視線が、こちらへ向きかける。


 セドリックは扉から手を離し、信頼の顔に戻した。

 戻すのは得意だ。戻せなければ、紙に殺される。


「すまない。倉の構造に興味が出た」


 リエンが微笑みを取り戻そうとする。


「興味は命を縮める」


「肝に銘じる」


 セドリックは頭を下げた。

 頭を下げながら、心の中で紙を折る。


 明日ではない。今夜だ。

 この扉を開ける。


 だが、正面からは開けない。

 正面から開ければ、監査局が閉める。


 信頼の顔で扉を閉めさせて、

 裏から開ける。


 そう決めた瞬間、倉の外で鐘が鳴った。

 王都の時間を告げる鐘。

 そして、誰かの処分を告げる鐘にも聞こえた。

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