7 誘惑する女
見詰めるフィルからキュアがフイっと目を逸らす。
「フィル、あんた、逃げたって似たようなもんだ、むしろもっと酷かったって言ってたじゃないの」
「それは俺がガキだったからさ……キュアほど器量が良くて明るい性質なら、雇ってくれる店はいくらでもある。もちろん堅気の店だ。アンタが売り子や女給なら客を呼べる――縫物ができるならお針子とか、そんな仕事だってある。何かやりたい商売があるなら自分の店を持ったっていい。金なら俺がなんとかする」
「なんとかするって、誰かから盗むんでしょう?」
キュアの目には嘲りの色が浮かぶ。
「うん……それを言われるとなんも言えない。でもさ、俺は金持ちからしか盗らないし、根こそぎ持ってくなんてしない。金持ちは金の生る木を持ってる。だから俺が盗んだくらいじゃ困りゃしない。悔しがるだけだ」
「フィル、それ、盗人にも三分の理だ、ホント呆れちゃうね」
そう言いながら、キュアは愉快そうにクスリと笑う。
「でもさ、なんでわたしに?」
「いや、今までも同じようなことをしてきた。金持ちから盗んだ金を、その日の飯にも困るような人の家に放り込んだり……俺にとっては、なぁんも特別な事じゃないんだ」
「あれ? それってあれじゃない? 噂で聞いたことがある。ある日、貧乏人の家に大金が投げ入れられる。金持ちの酔狂か、って――あれはフィルだったの?」
「そんな噂は知らないし、俺のこととも限らない。俺以外にも似たようなことをする変わり者がいたって可怪しかない」
そんな噂になっていることは知っている。たぶん自分がしたことだとフィルも判っている。だけど、どこかの物好きな金持ちの仕業であった方がいい。盗まれた金だと知られないほうがいい。そのほうが、貰ったほうも心置きなく使える。だいたい、わざわざキュアに真実を知らせることもない。
ふぅん、とフィルの顔を眺めていたキュアが、急にクスリと笑った。
「女を盗んだことはないって言ってたけど、今度は盗む気になったってこと?」
「女を盗む?」
「そうよ、領主さまからわたしを盗むんでしょ? 今度こそ本当にお尋ね者になっちゃうね」
「お尋ね者になんかならないよ。今までだって盗んだ証拠を残したことなんかないんだ。俺を追っているのは俺を好きにしたいヤツ等だ。それに、俺はキュアを盗みはしない。盗むってことは自分のものにするってことだ――キュアは自分の意思で逃げる。俺はそれを助ける。それだけだよ」
「なぁんだ、詰まんない。わたし、フィルになら盗まれてもいいなって思ったのにな」
「俺にならって――キュア、おまえ、惚れた男と一緒になって幸せになるんじゃなかったのか?」
ドキリと音を立てた心臓を無視してフィルが苦笑いする。
「そうよ、惚れた男と幸せに暮らすの。フィルになら惚れちゃってもいいかなって思ったのよ」
「馬鹿言うな。盗人に惚れる女がどこにいる? 一緒になったってまともな暮らしができるはずもない」
「だってわたしに店を持たせてくれるのでしょう? そしたらフィルはコソ泥なんか辞めて堅気になればいい。一緒に店を切り盛りしようよ」
冗談が好きだな、と言おうとしてキュアを見たフィルの言葉が止まる。縋るようなキュアの目に再び心臓が暴れ出す。冗談じゃないのか? 俺を揶揄っているんじゃない――のか?
フィルの動揺に気が付いたのか、キュアが甘えた声を出す。
「ねぇ、フィル、そうしようよ。きっとフィルとなら仲良く暮らしていける。わたしとなら、きっとフィルも毎日が楽しくなるよ」
「いや……」
キュアの言葉にフィルが揺れる。キュアの言う通りかもしれない。
堅気の仕事、穏やかな生活……そんな暮らしは、自分に嘘を吐かずに生きていけるだろう。
『おまえはおまえの人生を生きろ。誰に従属するでもなく、だれに蹂躙されるでもない、おまえの人生を見つけるんだ――そのためには盗むな。自分を売るな。いつも胸を張っていろ。そして出会った人を大切にしろ』
十一の時、ひと時だったが〝まともな暮らし〟を教えてくれた八百屋の親方が、別れ際に言った言葉を思い出す。それは親方との約束でもあった。いつか親方のところに帰るつもりでいたのに――
「何度も言ったけど、俺は追われているんだ。七つの時から二年間、俺の面倒を見た旦那は俺を金で買っている。旦那から見れば俺は自分の持ち物だ。十二の俺に盗賊の腕を仕込んだ男も俺を諦めちゃいない――どちらにも捕まりたくない俺は、逃げ続けるしかない。ひとところでなんか暮らせないんだよ」
「あら、それを言ったらわたしだって、領主さまの追手がかかるかもしれないじゃない」
軽く言い放つキュアにフィルが苦笑する。
「領主さまは、自分の領地内でしか探せない。他で騒ぎは起こしたくないはずだ。面子ってもんがある。一通りは探すかもしれないが、領内にいないと判ればキュアのことは諦めて別の女に乗り換えるさ」
「手に入れ損なったものほど惜しくなるかもしれないよ?――だったらさ、二人でどこか人の来ない山奥で暮らそう」
なんだ、それ? とフィルが呆れる。
「二人で、どうやって食ってくんだよ?」
「畑やって鶏飼って、で、時どき街に買い出しに行って――ね? 楽しく暮らしていけそうでしょう?」
「甘い考えは捨てろ。畑なんか、やったこともないのに……まぁさ、逃げた後どうするかは追い追い考えるとして、今夜、一座を抜けてこの街を出るってことでいいな?」
「今すぐ逃げるのはダメなの?」
「今からだとすぐ追手が付く。開演時間にいなきゃバレる。今日は仕事をこなして、みんなが寝ている間にできるだけ遠くまで行ったほうがいい」
「だったら、終わったらすぐ行く。どこかで食事してくるって言えば怪しまれずに抜けられる。明日、朝からテントを畳むけれど、それは男の仕事、いなくても出立の時刻まで判らない」
「それだけ時間があれば、結構遠くまで行けるな――よし、公演が終わったら、ここで待ち合わせだ」
判った、と嬉しそうにキュアが頷く。それからちょっと恥ずかしそうに微笑む。
「ねぇ、フィル……わたしの歌、聞きたくない?」
「あ? 下手くそなんだっけ?」
行ったけれどチケットがなかったと言えないフィルが悪態で誤魔化す。
「下手かどうかは判んない。でもさ、舞台で歌うのは今日が最後、一度くらい見ておいて損はないんじゃない?」
「そんなに見て欲しいのかよ?」
「見て欲しい! きっとフィルもわたしに惚れる!」
フィルも? もってことは、他がいるってことだ。それは誰だよ? そう思うフィルだ。その誰かが、他の男だとはほんの少しも思っていない。思いつくのはキュアだけだ。
「どうだかな。『好き』とかって感じたことないからな」
「だったらわたしが教えてあげる」
「えっ?」
なぜ鼓動が早鐘のようなのか、戸惑うフィルの前でキュアが立ち上がる。
「公演に出るならそろそろ行かなくちゃ。ちゃんと見に来てよね」
「いや……チケット、買えるかな?」
キュアから目を離し、俯き加減のフィルの声が小さくなる。
「行ったんだ。でもチケットが売り切れで入れなかった」
フィルの言葉にキュアがしゃがみ込んでフィルを覗き込む。
「ホントに?」
視線を逸らしてフィルが答える。
「チケットが完売って、行かなきゃ知らないことだろ?」
「嬉しい!」
いきなり首に纏わりついた嫋やかな腕、甘く芳しい髪の匂い、華奢で柔らかで温かく細い肢体――今度こそ全速力で走りだした心臓を、どうやってフィルは止めたらいい? 苦しいのに、なんでイヤじゃないんだ?
戸惑うフィルをすぐに別の戸惑いが襲う。どうしていいか判らないうちにキュアがフィルを離して立ち上がったからだ。迷っているうちに抱き返したい衝動は行き場を失った。そんなフィルをキュアが誘う。
「ならさ、今から一緒に行こうよ」
きっと、今の俺は情けない顔をしてるだろう、そう思いながらフィルがキュアを見上げる。キュアはそんなフィルに気が付いていなさそうだ。
「チケットなんかなくっても、わたしが一緒ならテントに入れる。どこかに隠れて公演が始まるのを持ってるといい」
さ、早く、とキュアに促されてフィルも立ち上がる。一瞬、逃げてしまいたい、そう思った。キュアからか? それとも別の何かからか? 判らないまま、キュアと歩き始めたフィルだった。




