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月子の場合  作者: ヒスイ
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山田陸人の場合①

時刻は午後三時を回った頃、僕が配属された総務課は週末も差し迫っていることもあり慌ただしく全員が動き回っていた。

僕も例に漏れず、様々なデータ入力や資料作成、電話対応に追われていた。

そんな中、オフィス内に広がる暖房の不快な熱気を突き破るように課長の怒声が響き渡る。


「山田あああっ!お前、ちょっと来い!」


いつものことだが未だに慣れず、身体が電気を流したようにビクッと反応したあと憂鬱感で何倍にも増したような重力を押しのけ、席を立ち課長のデスクに向かう。

数字や文章の細かいミスの指摘、レイアウトの修正等様々な改善命令を罵詈雑言を交えながら聞かされる。


入社して二年目の秋、それくらい仕方ないじゃないかと反発したくなるが小さな会社のため一年目の途中までは多めに見てくれていてもそれ以降は戦力にならなければならない。実際、同じ部署に配属された同期は仕事を卒なくこなしているのだから怒られても仕方ない、でも苦痛は苦痛だ。

席に戻り指摘された箇所の修正と他の仕事を並行して行なって終わる頃には定時の十七時を過ぎ、モニター内の時計は二十時前を示していた。僕は大きく伸びをしてまだ残っている社員にお疲れ様でした、と声をかけて出口に向かった。


守衛室の横を通り抜け、カードリーダーに名札をかざす。電子音と共に自分の終業時刻がネットワーク上に打刻され、自動ドアが開く。もう冬に差し掛かってきた頃合い、ツンと肌を刺すような外気に慌てて薄手のコートをスーツの上から羽織り、近くの繁華街までとぼとぼ向かう。目的地はいつも通っている居酒屋だ。チェーン店ではないが安くてそこそこ味も良く、お酒の種類も豊富で賑わっている店。最寄り駅を通過した先の店なので会社の人間と会うこともまずない穴場だ。

金曜日の夜ということもあり、いつもより賑わっている繁華街を足早に抜ける。今日の鬱憤も酒を旨くするための肴にしようと少し浮足立っていた。


店に入るとやはり混雑しているがいつも座るカウンターの最奥が空いていた。

店員にもカウンターでいいことを伝え、お気に入りの席に座り、ビールと焼き鳥盛り合わせとだし巻き卵を注文する。これもお気に入りの組み合わせだ。

ビールは注文してすぐにキンキンに冷やされた中ジョッキで出てくる。僕はそれを一気に喉奥まで流し込む。冷たさと苦味とアルコールが駆け抜け、今日一日のストレスを多少発散してくれる。半分ほど飲み干し、あとは料理が到着するのをスマホを眺めながら待つ。


ふと、動画フォルダを開けると様々な動画の中に画質の荒い動画が二個ある。これは僕の最上級のお気に入り。天野家三姉妹のあられもない姿を収めたもの。和解の際、当時のマイクロSDに保存していたものをコピーしていたのだ。それをずっと自分のPCに残していたが最近は外でも発散できるようにスマホに移している。

とても店内では開ける内容ではないのでサムネイルだけではあるがこれを見るだけで心が躍った。


「焼き鳥盛り合わせ、どうぞ。」


店員の明るい声と共にテーブルに皿が置かれる。慌ててホーム画面に戻し、料理を味わう。

炭火で丁寧に焼かれた鶏肉はタレと絡んでどれも絶品だ。

遅れてだし巻き卵も到着し、僕は追加のビールと共にそれらを味わう。怒鳴られ続ける毎日でこの瞬間だけが癒しだ。


注文したメニューを食べ終え、次は何にしようかと悩んでいると入口のドアが開く。

時刻は二十一時三十分を少し回ったところ。ピーク時間を過ぎてここに来る客が珍しいのと会社の人間じゃないかの二重の意味の確認で入口を見る。

そして僕は唖然とした。

入口に立っているのは黒髪のショートボブ、黒のワンピースにカーディガン、小柄な体格、大きな丸い愛らしい目をしたまるで少女のような女性。天野月子だった。いや、他人の空似かもしれない。

心臓が激しく波打つ。中学生の時、彼女に階段から突き落とされた記憶や和解の時の記憶が鮮明にフラッシュバックする。

視界から彼女を外すように、自分の顔を守るようにメニュー表に顔を近づける。

しかし、運命は残酷だった。


「ではこちらにどうぞー。」


女性店員のハキハキとした声と共に自分の隣の椅子が引かれ、視界に黒のワンピースの裾が見えた。

そしてその席に座った人物があの時と変わらぬ声で話しかけて来る。


「あれ?もしかして山田君?」


僕は観念してメニュー表を置き、左隣の彼女を見て時間が止まった。

あの頃とほとんど変わらない彼女がそこにいた。僕を見る目に恨みなどこもっておらず、旧友との再会を喜ぶような嬉しさに満ち溢れたその表情にさっきとは違う意味で胸が高鳴る。


「あ、天野さん?」


酔いなのか緊張なのか、それとも両方か、上ずってしどろもどろになりながら苗字を呼ぶと彼女の顔がぱあっと輝く。


「久しぶりだね!元気にしてた?あ、私カシスオレンジお願いします。」


「う、うん。天野さんこそ、その…。」


何を言っていいか分からなかった。自分が犯した罪が言葉を詰まらせる。


「山田君、会社ここら辺なの?実は私も最近ここら辺に住むことになってさ。今日は居酒屋散策でプラプラしてたの。知ってる人に出会えてよかった~。」


正直拍子抜けした。いくら和解したとはいえ僕のことを恨んでると思ったから。

だが実際はどうだ。彼女は僕との再会を喜んでいるではないか。見知らぬ土地に来た不安や寂しさもあっただろう。ここは先住者として彼女を安心させてあげないと。


「新卒で近くの会社に配属になってさ。もう二年くらい住んでるよ。ここの居酒屋は僕のお気に入りなんだ。特に焼き鳥とだし巻き卵が美味しくて、天野さんも良かったら食べてみてよ。今日は奢るから!」


「え、そんなの申し訳ないよ。でもせっかくのお誘いだし、久々の再会だし、お言葉に甘えちゃおっかな。」


「うん!すみません、焼き鳥の盛り合わせとだし巻き卵をお願いします!」


自分でもこんなに明るい声を出したのは久しぶりだった。

そして先に運ばれてきたカシスオレンジと僕のビールで乾杯をし、飲み食いしながら話が弾む。

しばらくして彼女は酔いが回ってきたのか僕の肩にストンと自分の頭を乗せる。

嗅いだことのない柔らかい匂いが鼻孔をくすぐる。そして上目遣いで呟いた。


「山田君、明日はお休み?よかったらこの後、どうかな?」


僕は全力で頷き、近くのラブホテルを検索し、タクシーを呼びつけた。

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