日野月子の場合⑲
処刑後、一階のロビーに向かった私を満面の笑みで迎えてくれたのは春だった。
血まみれの私を、自分の洋服が汚れることなど気にする素振りも見せず抱きしめた。
どんないい柔軟剤なんだろうか、香水なのだろうか、体臭なのだろうか、とてつもなくいい匂いと彼女の柔らかな感触に包まれる。
「とっても素敵だったわ、月子。私が見てきたどんな作品たちよりもあなたの復讐劇が素敵。私に感動をくれてありがとう。」
噛み締めるように話す彼女の頭をそっと撫でる。
「ありがとう。私も楽しかった。こんな舞台を用意してくれて嬉しいよ。次はもっと上手くやるから見ててね。」
「うん!」
恋する少女のような瞳の輝きで頷く彼女が愛おしく見える。
「今日はここで休んで行って。お風呂も着替えも部屋も食事も全部準備できてるの。それに明日、今回お手伝いしてくれた人の飼い主が直接あなたに会いたいんだって。お礼も言わなきゃだから一緒に行こう。」
あのスーツ三人組の『飼い主』。きっと碌でもない人種だろうがお礼はきっちり伝えるべきだと思った私はお言葉に甘えて春の家に泊まることとした。
そして翌日。私は春の使用人に渡されたスーツを着用し、同じくスーツを着ている春と一緒にいつものセダンに乗り込む。
車は都内に向かい、とある日本屋敷の前で停まる。祖母の町でも見たことのない大きさのその家は私もテレビで何度か見たことのある場所だ。関東一の指定暴力団、名前は忘れたがその本家だ。今回の協力者はここだったとは。
私は内ポケットに隠している銃をぐっと握る。
「大丈夫だよ。絶対に何もされないから。だって会長さんはあなたのことを気に入ってくれたんですもの。」
緊張する私に反して春は余裕の表情だ。
「気に入ってくれたってことは処刑、見てたんだ。会長さんって人。」
「黙っててごめんね。彼らのターゲットでもあるからちゃんと殺せたかの証拠が必要だったの。」
「そりゃそうだよね。気にしてないからいいよ。」
春がほっとした様子で胸を撫でおろし、門の前で車が停まる。
私たちは二人揃って車を降り、門番に挨拶をする。
「柳です。会長さんに会いに来ました。」
「承知しております、柳様。お連れの方も。どうぞ中にお入りください。」
門が開くとまるで庭園のような緑生い茂る空間が姿を現す。白の玉砂利が一面に敷かれ人が通る道はそこだけ美しい黒の大理石で道が作られている。
門が閉まると一人の男性が姿を現す。身長はゆうに百八十を超えているだろうか、見たこともない深い紫色のスーツに黒のカッターシャツ、毒々しい蛇が垂れ下がっているような柄のネクタイ、整髪剤できっちりとオールバックに固められた黒髪、そして視線だけでも人を殺せそうな目つき。
素人でも分かる。これが本物のヤクザなのだと。
「柳様、そして日野様。今日は朝早くからお越しいただき誠にありがとうございます。会長も楽しみにしていますのでどうぞこちらへ。…と、申し遅れました。私は東風会で若頭を務めさせてもらっています武蔵と申します。」
深々と頭を下げる彼につられて私も頭を下げる。
物腰の柔らかさとは別に威厳に満ちた立ち振る舞い、関東一の指定暴力団『東風会』の若頭は伊達ではないと心で理解する。
武蔵さんは私たちをさらに奥の部屋へと連れていく。
豪華な日本庭園、中央の池に泳いでいる立派な錦鯉。権力と財力の象徴なのだろう。
それらを眺めながら歩いていると最奥の部屋へたどり着いた。
禍々しい鬼と竜が描かれた異様な襖の奥に会長がいるのだろう。
武蔵は襖越しだというのに一礼をして声をかける。
「会長、お二方をお連れしました。」
「…入っていいぞ。武蔵、お前もだ。」
「では、失礼致します。」
襖が開かれる。
畳の匂いと白檀の匂いが鼻をくすぐる。
まるで大木を横倒しにし、真っ二つに割ったような大きなテーブル越しの革の座椅子に座って私たちを見つめる着物の男性。
七十代ぐらいだろうか、自然に染まっている白髪と黒髪が上品にまとまる頭部、ギラつく眼、数々の修羅場をくぐり抜けてきたのだろう顔に幾つもの傷跡。まるで高貴な狼のような風貌の老人が鎮座していた。
「二人とも、お座りなさい。」
威厳に満ち溢れた声に促され、私と春は対面の座布団に座る。
「会長さん、お久しぶりです。今回の件、改めてお礼を申し上げます。」
春が深々と頭を下げるのを見て会長は笑う。
「ははっ。なあに、礼を言うのはこっちだよ。本当はうちの若い衆の仕事を買って出てくれたんだからね。」
低くしゃがれながらもその声はとても心地よく私の耳に響く。
声の主は私の方に向き直った。
「はじめまして、日野月子さん。私は東風会五代目会長熊野。利害が一致したとはいえ、一番の汚れ仕事を引き受けてもらって本当に感謝している。」
熊野会長は深々と頭を下げる。
私も少し慌てて頭を下げて、
「とんでもないです。こちらこそアキラの仇討ちをさせていただき本当に嬉しかったです。」
と伝える。
私の言葉を聞いてニッコリと微笑む熊野会長。
「そうかいそうかい。私も観させてもらったが、あんたはかなりいい腕を持っているね。人を躊躇いもなく刺す、貫く、いたぶる。とても十九の小娘ができることじゃない。うちの若い衆にも見せてやりたいくらいだったよ。」
これは喜んでいいのだろうか。
私が返答に困っていると春が助け船を出してくれる。
「会長、良ければ月子に今後のことも踏まえて色々と見せてあげてもらえませんか?」
「そりゃあいい。じゃあ、今晩にでもふ頭の倉庫においで。ちょうどネズミ一匹を捕まえたところだったんだよ。詳しい住所は武蔵に送らせておく。」
「ありがとうございます。では今日はこれにて失礼致します。」
また春につられて頭を下げる。
立ち上がり、部屋を出ると武蔵さんが待っててくれており出口まで案内してくれた。
私は今晩、なにが見れるのか今から楽しみで仕方なかった。




