日野月子の場合⑮
目の前の女性、見覚えはある。
同じ学部の柳春…だったか。
どうして私のことだけじゃなく、家族やアキラのことまで知っている?
私のことを調べた?どうやって?誰から情報をもらった?私をどうするつもりだ?
無意識にポケットに入れているカッターナイフに手が伸び、ギチギチという歪な音とともに刃が顔を出す。
「驚かせてごめんね。癇に障ったのなら謝る、土下座してもいい。でも、あなたが殺したいほど憎んでいる奴らの情報を私は知っている。あなたの力になりたいだけなの。」
柳春の目は真剣そのものだ。
なぜだか分からないが私のことをかなり知っており、しかも奴らの情報まで手に入れている。
「あなたにメリットがあるとは思えないんだけど。」
率直な私の感想だ。
私の復讐の手伝いをしたところで彼女が得られるものはなにもない、と次の言葉を聞くまで思っていた。
「あなたの復讐する姿、復讐を終えたあなたがなにを思うのか、復讐の先になにがあるのか、それを間近で見たい。その為なら私に出来ること全てをあなたに捧げるわ。」
どうやら彼女も相当狂っているらしい。
目が真剣そのもの、私が言えることではないが正気の沙汰ではない。
話だけでも聞いてみる価値はあるかもしれない。
裏切られたら殺せばいいだけなのだ。
「まずはあなたの話を聞かせてもらえるかな。」
「ええ、もちろん。」
柳春の目が輝く。
それはまるで欲しいものを買ってもらった子どものような純粋さだった。
講義が終わってから私は柳春が送迎に使ってるいる黒のセダンに乗せられた。
運転手付きの車に乗るなんて初めてのことなのに柳春と並んで座る後部座席のシートは革張りで走行中も振動を感じないくらい快適だ。
さらに驚くことは液晶モニターが二箇所付いておりテレビでしか見たことのない株価チャートの数字が忙しなく動いている。
柳春は席についてからすぐにノートパソコンを開いて忙しなくキーボードを叩いている。
初めて尽くしの光景に私がキョロキョロしていると柳春が運転席を後部座席から蹴る。
「お客様よ。気が利かないわね。」
ハッとした様子で運転手の屈強なスーツ姿の男がいくつも並ぶボタンの内の一つを押す。
すると運転席と助手席の間にあった黒い箱がゆっくりと開く。
中からは光と冷気が漏れてくる。
「失礼致しました。お飲み物になります。ご自由にお飲みください。」
まさか小型の冷蔵庫だったとは。
中には冷えた飲み物が複数本置かれており、種類も様々だ。
「まだもう少しかかるから好きなもの飲んで待っててね。」
柳春は炭酸飲料を手に取り小気味よい開封音を立てる。
私は迷った末にお茶を取る。手にしっかりと感じる冷たさが暖房の効いた車内では心地よい。
窓の外、流れる景色を見ながらお茶を喉に流し込む。
資料漁りで忘れていた、数時間ぶりの水分補給だった。
車が到着した先で私はさらに驚くことになる。
都内のいったいどこにこんな豪邸があったのだろう。
まるで重要保護建築物のような西洋風の洋館が車を降りた瞬間に現れたのだ。
「ようこそ、我が家へ。」
ニッコリと笑った柳春がすたすたと歩いて洋館のドアを開ける。
床には真っ赤な絨毯、天井にはシャンデリア、壁はおそらく大理石。
まだ戸惑っている私の手を彼女が掴み、階段を登った一室に連れて行かれる。
その部屋には大きなデスク、それを取り囲むように三つの大きなモニター、そしてキーボード。
ドラマで見た大企業の社長室のような空間だ。
「テキトーに座って。今、飲み物とケーキでも持ってこさせるから。苦手なものはある?コーヒーと紅茶どっちがいい?ケーキはショートケーキ?チョコ?チーズ?モンブラン?タルトの方がいいかしら?」
矢継ぎ早に言われて混乱している私を見て柳春がしまった、という顔をする。
「ごめんなさい、同年代の人を招待するのに慣れてなくて…。」
次は肩を丸めてしょんぼりと縮こまる。
講義中に何度か見た堂々とした彼女の姿とのギャップに私はなんだか安心した。
「気にしないで。飲み物もケーキも今は遠慮しておく。それよりも聞かせて?あなたはいったい何者なの?」
私が座ったソファの対面に座り、柳春は自身の生い立ちを話す。その内容のほとんどが私の生きてきた常識とは懸け離れていて飲み込むのに少々時間を要した。
その上で再度尋ねる。
「利益を重視する生き方をしてきたあなたが私の復讐に協力するなんて、それこそ利益を感じない。バレたらあなたの立場だって失うかもしれないじゃない。」
柳春は私の目を見つめて言葉を紡ぐ。
「私にとって日野月子さんの復讐に協力することが、初めて利益を無視してもやりたいことだって思ったの。日野月子さんのその真っ黒でブラックホールのような瞳を満たしてあげたい、心の中にいる餓えた獣を満足させたい、日野月子さんに尽くしたい。強いていうならこれが私の利益。日野月子さんの為ならば私は情報も場所も物も人も全て用意してみせるわ。」
強い瞳と言葉に私は半分呆れながら折れる。
それに柳春の力は私が思ってる何倍も強く、目的達成を早めてくれそうだ。
そして私は当初から思っていたことを口にする。
「分かった。あなたの力を借りることにする。それと、フルネームで呼ぶのやめて。」
柳春はここぞとばかりにニヤリと笑う。
「天野月子さん、日野月子さん、どちらで呼んだらいいかしら?」
「…月子でいい。」
「それなら私も春でよろしく。あなた、さっきから心の中で私のことずっとフルネームで呼んでるでしょう。」
私より一枚上手だった。




