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月子の場合  作者: ヒスイ
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日野月子の場合⑬

甘い眠りから覚めると部屋にアキラの姿はなかった。

トイレか、お風呂か、祖母と夕食作りでもしているのかと思い家中を探し回ったがどこにも姿がない。

祖母も買い物から帰ってきてから見ていないと。

胸騒ぎ、嫌な予感、虫の報せ、第六感、全てが警笛を鳴らしている。

祖母には警察に連絡してもらうように頼み、私は家を飛び出した。

積雪に足を取られ、少ない街灯の灯りを頼りに私はアキラの自宅に向かって走る。

道中、見覚えのある軽自動車とすれ違い、私はぎょっとした。

左頬から流血しているアキラの実父だった。こいつが血を流してここにいるということは…。

嫌な妄想が頭を駆け巡り足を止める。私はもうナンバーすら見えなくなった軽自動車を呪うように見て再び歩き出す。

寒さのせいで足の感覚が薄れてきているが対象的に身体の内側からは恐怖と憎悪で燃えるように熱い。


やっと見えたアキラの実家。私は乱暴にドアを開く。

静かな家、冷たい空気、それに混じる血の臭い。

リビングの扉を開けて中に入ると全裸のアキラが倒れており腹部には包丁が深々と刺さって血だまりが広がっていた。

私は血が付くことなんて気にせずアキラに駆け寄り、体に触れ、名前を叫ぶ。

氷のように冷たいその身体はもう動かない。

それでも必死に名前を叫ぶ。大きな声に慣れていない喉が悲鳴を上げるが知ったことか。

私の声が届くなら、少しでもアキラに届くなら。

遠くから二種類のサイレンの音が聞こえる。

私の叫びと二種類のサイレンが静かな家の壁と降り積もる雪に吸収されていった。

ふと、アキラの傍に転がっているカッターナイフを見つける。

血が付着したそれを見てアキラが最後まで生きようとして自分の父親の左頬を切り裂いたのだと分かった。

二種類のサイレンは止み、騒がしい声と共に警察官と救急隊が無遠慮に入って来る。

警察が私に何かを話しかける。救急隊は担架にアキラを乗せて連れ去っていく。

彼女が流した血だまりに倒れこむ私。

世界から音が消え、冷たい血の感触に触れながら私の意識は闇に沈んでいった。


目を覚ました私の視界には真っ白な天井。数年前の嫌な記憶が走り、ここが病院だということをすぐ理解した。

起き上がり病室を一望するが誰もいない。仕方なくナースコールを押すと慌てた様子で看護師が入ってきて私の状態を確認する。

病衣を纏ってはいるが特に身体に異常はないことを伝え、それを聞いた看護師が急ぎ足で部屋を出ていく。

すぐに入れ替わりで男が二人入って来る。ズカズカとベッドサイドに立ち警察手帳を見せる。

県警の刑事だと自己紹介してくれ、そこからなし崩し的に事情聴取が始まった。

私はアキラと父親の関係性をできるだけ詳しく伝えた上で事件当時の状況も説明した。

片割れの年下らしき刑事が一心不乱にメモを取る。

一通り話し終えた後、私からどうしても聞きたいことを聞く。


「霊安室はどこですか?」


二人の刑事がきょとんとした顔をした後、顔を見合わせ、年上らしき刑事が話しにくそうに切り出す。


「歩けますか?」


私が頷くと、ついてきてくださいと言い一緒に病室を出る。

廊下に設置されている時計は午後三時を指している。私は昨夜から半日以上眠っていたことになるのか。

エレベーターに乗せられ刑事が三階のボタンを押す。扉が閉まると刑事が口を開く。


「アキラさんは生きています。」


私の心に希望がまばゆい光となって射しこむ。

その表情を見ていた刑事はさらに言葉を繋げる。


「包丁が腹部に刺さったままだったのが不幸中の幸いだったようです。日野さんが発見した時にもしあの包丁を抜いていたら出血死になっていたのかも知れませんね。ただ…」


そこでエレベーターの扉が開く。

刑事が先導し、病棟を進むとナースステーションの横の病室の前で止まる。

ゆっくりと扉を開くとベッドに寝かされたアキラがそこにいた。

ベッドの周りには点滴や心電図、人工呼吸器と思われるものものしい機械が並べられておりアキラの体には様々な管が繋がれていた。

啞然としている私を気にかけつつ刑事が


「出血量が多かったことと、恐らく暴行を受けた際に頭部の衝撃が強かったらしく意識が戻らないんですよ。この先もいつ目覚めるかは不明だそうです。」


告げた。

私はふらふらとした足取りで彼女の元まで行き泣き崩れた。

悲しみの涙でもあるが半分は喜びの涙だ。

いつ目覚めるかは分からないがアキラが生きていてくれた。

それだけであの雪の夜に私が彼女の実家を訪れた意味が生まれたのだから。

刑事がそっと席を外すと入れ替わりに祖母と佐々木さんが部屋に入ってきて私の背中を擦ってくれる。


「月子ちゃん、アキラちゃん生きとってよかったねえ。佐々木さんが警察だけじゃもしもの時に対応出来んからって救急車を呼んでくれたんよ。父親は警察が探してくれるから私たちはアキラちゃんのお世話をしてあげようね。」


泣きながら何度も頷く私を祖母たちが宥めてくれる。

ただ、私は誓った。アキラの父親を警察より先に見つけ出しこの手で罪を償わせてやると。


それから毎日のように病院に通ってはアキラの体を拭いたり、看護師と一緒に着替えをさせたりした。

アキラの排泄物ならなんてことも思わない私はおむつ交換や陰部の洗浄なんかも積極的に手伝う、というよりアキラの体に看護師とはいえ見ず知らずの人間に触れてほしくなかったのだ。

だが、そんな日も終わりを告げる。


卒業式。

学校側の粋な計らいでアキラの病室で私とアキラは卒業証書を授与された。

校長や担任からも同情や憐れみの言葉をかけてもらったが何も響かなかった。

それよりも卒業するということは進学するということ。

私は進学を辞退し町に残りアキラのお世話をすることを祖母に伝えたが祖母からは


「月子ちゃんが東京で勉強して立派になってこの町に帰って来る姿をアキラちゃんに見せてあげなさい。それまではおばあちゃんと佐々木さんで毎日アキラちゃんのお世話をするから安心して。」


と何度も説得され私は渋々大学へしんがくすることとなった。

東京に向かうその日まで私はアキラの病室に通い詰めた。


卒業式から数日経ち、出発の日。

荷物を提げた私はアキラの病室を訪れる。

機械の力でかろうじて生かされている彼女はそれでも美しい。

私はベッドサイドに立ち、耳元まで顔を近づける。消毒液の匂いに混じってシャンプーの匂いがした。


「行ってくるね、アキラ。ちょくちょく戻って来るつもりだから安心して。おばあちゃんも佐々木さんも来てくれるからね。」


もちろん返事はない。私は静かにキスを頬へ落とし病室を後にし、町を出るのだった。

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