日野月子の場合⑪
『ごめん、月子。先に帰る。親父が帰って来いって。』
そのメールを確認したのは届いてから一時間後だった。
私は最後の客を見送った後、急いで着替えてタクシーを捕まえる。
行先はもちろんアキラの家。
道中何度かメールや電話を送るが一向に返事がない。
タクシーは街中からどんどん田舎に向かい街灯も少なくなる。一時間ほど走らせると真っ白な外観のアキラの家が見える。
いつもと違うのは駐車場に軽自動車が停まっていることだ。
見つめているうちに金髪の痩せた男が出てきてそれに乗り込み、市街地の方向へ走り去っていった。
家の前でタクシーから降り、すぐに玄関の扉を開ける。玄関にはアキラのローファーが乱れた状態で置かれている。
明かりが点いているリビングへ向かうとお腹を押さえて倒れこんでいるアキラ、中身の散らばった通学鞄が床に転がっており何があったかすぐに分かった。
私はアキラに走り寄る。
「アキラ!大丈夫!?」
彼女は脂汗をにじませながら無理に笑顔を作って私を見る。
「月子、心配かけてごめん。進路のことで口論になってさ、殴られた。あと、財布に入ってたお金も盗られた。なんでこんなに持ってんだって。」
荒々しく開かれた財布には確かにお札が一枚もなかった。
私は胸の中で黒く渦巻く何かを必死に抑えながらアキラのブラウスのボタンを外し腹部を見る。
青あざが複数個所。痛々しく、生々しく私の目に突き刺さる。
「アキラ、救急車呼ぶよ。折れてるかもしれない。」
「大袈裟だって、月子。過保護だなあ。」
立つこともできない彼女を横目に私はすぐに救急車を呼んで同乗する。
車中で祖母にアキラが父親に殴られて病院に向かっていることを告げると祖母は警察へ連絡をしてくれるようだ。
病院に着き、手当と検査を受ける。幸いにも骨折等の重症ではなかった。
痛み止めが効いたのか、救急外来のベッドでウトウトしているアキラの手をベッドサイドから握っていると、失礼します、という声とともに警察が入ってきた。男性と女性のペア。その後ろに祖母と佐々木さんがいる。
アキラは目を丸くしながらもまずは男性警察官の事情聴取に答える。
私が聞いた内容と大差はなかった。
アキラが東京の大学に進学する希望を知った父親が生活費や学費などのことで勝手に激昂し、アキラを殴りつけ、その後財布の金を奪って逃走した。アキラの事情については祖母から事前に聞いていたようで確認だけとなった。
その後、女性警官がアキラの傷の確認を行ない一言。
「目立たないところばかり殴っている。以前にもこういうことがあったの?」
問いかけにアキラの肩がビクンと跳ねる。
しばらく黙った後、母親と父親が離婚してから夜な夜な父親に暴力を振るわれていたこと、中学に入ってからは家に帰って来ることが少なくなったこと、現状は日野家で寝泊まりをしていることを吐露した。
傍で聞いていた私は今からでも父親を見つけ出し、アキラの味わった苦しみを何百倍にしてでも返してやりたい衝動を抑えるのに必死だった。
父親の特徴を聞き出した警官は今度父親が帰ってきたら迷わずに警察に連絡すること、警察の方でも父親の行方を捜索してみることを告げ、その日は帰っていった。
入れ替わりに祖母と佐々木さんが入ってきてアキラの頭を撫でる。
「アキラちゃん、よう頑張ったねえ。」
涙ながらにアキラを慰めるその姿に彼女も泣き出した。
祖母たち曰く、アキラの両親は余所からの移住者で町民との関りも少なかったが生活音に対する苦情やゴミの不法投棄などトラブルが絶えない二人だったらしい。
アキラを産んでからもアキラの泣き声が異常で周囲の住民は何度も虐待疑いで警察や児童相談所に訴えたが相手にされなかったらしい。
アキラがこうなるまで救えなかった自分たちのせいだ、と何度もアキラに謝っていてアキラは困った顔をしながら苦笑いしている。
私はアキラをもう絶対に傷付けさせないと心に誓った。
同時に今度アキラの父親を見かけたときは…。
「月子?」
アキラの声で空想の世界から現実に戻される。
「どうしたの?飲み物でも買ってこようか?」
「ううん。なんか怖い顔してたから気になって。大丈夫だよ、私は。こんなに親切な人たちと月子がいるんだから。」
そう言って笑う彼女の笑顔が私の胸の中でうごめく黒いものを沈めた。
「ごめん、メール確認するの遅れて。」
私はアキラを抱きしめる。
「仕方ないよ、バイト中だったんだし。でも次は気づいてね。」
いたずらっぽく笑うアキラの髪を乱暴に撫でて私は外来を出る。
どこかひんやりした夜の病院の空気が私の心の熱を冷ます。
私は冷静に、冷静に、アキラの父親のことについて思考を巡らせる。
顔は一瞬しか見れていない、髪型も髪色も変えられたら分からなくなる。車の色や形は記憶しているがナンバーは見えなかった。
もし次にアキラの父親を見かけたら私は自分の中の衝動を抑えることができるのだろうか。
家族を失ってから自分の中の倫理観というブレーキが完全に壊れていることは自覚している。
多分、恐らく、高確率で、必ず、殺しを選んでしまう自分がいる。
でもそれで愛する人を守れるのなら私はどうでもよいのだ。




