日野月子の場合⑧
入浴後、私の部屋に横並びで布団を二組敷く。
修学旅行を思い出す、と言いそうになったがアキラの嫌な思い出を刺激しそうな気がしてやめておいた。
私より先に布団に沈むアキラの表情は至福そのものだ。
我が家に来てから初めて見たときや教室にいるときの鋭いナイフのような雰囲気は完全になくなっている。
私もアキラの横の自分の布団で横になる。日中に祖母が干してくれていたのだろうか、ふわふわでお日様の香りがする。
「こんなふかふかの布団、久しぶりすぎる。一生寝れる自身ある。」
そばがらの枕に顔を埋めながら呟くアキラ。
彼女は毎日どんな夜を越えてきたのだろうか。
誰もいない真っ白な壁の一軒家で一人過ごしてきたのか、ラブホテルの安っぽくも広いベッドで薄暗い照明のなか眠ってきたのか、それともいつ帰って来るか分からない父を待ちながら眠ってきたのか。
私はアキラをそっと抱きしめた。自分と同じシャンプーと石鹸の香りがする。
アキラは目をまん丸にして私を見つめる。
「アキラが良かったらいつでもうちに来なよ。お祖母ちゃんも佐々木さんも大歓迎だよ。」
私の言葉に自嘲的な笑いを浮かべた後、
「いいのかな、私みたいな穢れた人間がこんな幸せで温かい気持ちになって。」
そう呟く。
「私も最初は同じように思っていたよ。自分なんかがこの家に居ていいのかって。でもさ、私やアキラがどんな人でもお祖母ちゃんたちは嫌ったり拒絶したりしないよ。寂しくて死にそうな日も、そうでない日もここで夜を越えよう。」
彼女の猫のような愛らしい丸い目を見つめながら私は一言一言紡ぐ。
私が見つめる目にうっすらと涙が溜まっていき、溢れて頬を伝う。
「私、もう死ぬまで男に縋って生きていくしかないって絶望してた。夢も希望もない、明日生きるためのお金を自分の身体で稼ぐことしかできない。そんな灰色の人生をずっと生きていくって。」
彼女はすっと立ち上がり、電球からぶら下がった紐を引っ張り電気を消す。
目が暗闇に慣れた頃、アキラは窓辺に立って夜空を眺めている。月明かりが照らす彼女の美しい横顔に吸い込まれるようにして私も並んで立ち、夜空を見上げた。
深い海のような夜空に少し欠けた三日月が浮かんでいる。欠けているくせにその明かりは私たちを優しく包んで、まるで何もかもを許されたような安堵感をくれた。
「月子って名前、いいね。太陽にみたいにギラギラしてなくて、優しく私を照らしてくれる。包んでくれる。月子のお父さんとお母さんのネーミングセンス最高。遺伝しなかったのは凄く残念。」
「うっさいなあ。」
お互いにクスっと笑い合う。
今日のような夜を見て、私の両親は私の名前を付けたのだろうか。
「明、もいい名前だよ。だって私と合わせたら月明かりになるんだもん。」
「…由来は誰とでも仲良くなれる明るい子になれますようにって私を捨てた母親がつけたらしい。あんな父親とセットで私を捨てるなんて恨みしかないし、名前も心底嫌いだったけど月子と出会うための名前だと思ったら少しだけ感謝したくなっちゃった。ねえ、月子?」
「うん?」
「これからも今日みたいに一緒に居てくれる?」
「もちろん。」
アキラが私を抱きしめた。
柔らかい感触、人肌の温もり、鼓膜を優しくノックする心音、どれもが私にとって心地良い。
私もしっかりと抱きしめ返す。
私の髪の毛にアキラの涙が伝い、嗚咽が聞こえたので私は優しく背中を擦る。
どれだけそうしていただろうか、秋の訪れを報せる虫たちの鳴き声と月明かりに包まれた深海のような部屋。まるで世界から切り離されたようなその空間で私とアキラは抱き合い、お互いの穢れた生き様を舐め合い、認め合った。
気付けば二人で布団に潜り込み手を繋ぎ、私もアキラも深い眠りに落ちる。
ふと、心ともこうやって手を繋いで寝た過去を思い出した。あの頃には戻れないけどアキラが傍に居てくれるだけで私は少し強くなれる気がした。
翌朝、二人で朝食を摂り、身支度を整えて家を出ようとすると祖母が私とアキラにお弁当を渡してくれた。
アキラはかなり遠慮していたが祖母の、ここはあなたの家で私たちはあなたの家族と思ってくれたらいいんだよ、と言われ涙を流しながら受け取る。
玄関を開けると佐々木さんが立っており、彼女もまたアキラに
「アキラちゃん、おばちゃんのところにもいつでも頼ってきんさい。あんたの父親にはいつかゲンコツ叩き込まないけんとジジババで言っとったところよ。帰ってこない父親のところにいるよりも私たちがあんたの帰ってこれる場所になったげるからね。」
そう言い、アキラは更に泣いた。
私たちは佐々木さんに背中をバシッと叩かれて登校する。
道中なんとか泣き止んだアキラが
「一生分泣いたかも。」
と呟いたが嘘ではなさそうだ。
教室に着くと、私とアキラが一緒に登校してきたことを知ったクラスの人たちがこそこそと何かを言い合う。
でも、今の私たちにとってそんなことは取るに足らないことだった。
深海で暮らす私たちにとって、浅い海で暮らす魚が何を語ろうと、どう思おうと関係はないのだから。




