天野月子の場合⑰
私が登校再開してから数か月。
相変わらず関わったらヤバイ奴の烙印を押されながらも少数の友人と楽しくはない学校生活を送っていた。
文化祭も終わり制服は完全に冬服になり学期末考査が近づいている。勉強の遅れを心配していたが難なく乗り越えた私は今回のテストもそれなりに良い点数を出して両親を安心させようと勉学に励んでいた。
そんなある日の放課後、荷物をまとめて帰ろうとしているところに耳障りな声が私の鼓膜を突き刺した。
「月子ちゃん、おつかれー。ちょっと話さない?」
教室を出た廊下で待っていたのは尾形だった。私を複数で暴行してきたあの日から不気味なほど声をかけてこなかったがまさか今日になるとは。
無視して帰ろうとしたが後ろに控えていた数人に道を塞がれる。
「無視はないでしょ。お前が来ないならお前の妹に声かけてもいいんだけど?」
私の全身の血が沸騰する。だめだ、ここで自分を抑えないと。姉を自殺に追いやったこいつらなら本当に心に何かしかねない。
「わかりました。中庭でいいですか?」
「うん、じゃまた後で。」
私の怒りを込めた声はさらりとかわされ宙で霧散した。
べっとりと背中に張り付く不吉な予兆を感じながら私は筆箱からカッターナイフを取り出しスカートのポケットに入れる。
私がみんなを守らないと。重力を何十倍にも感じながら私は中庭に向かった。
夕焼けに照らされない旧校舎の中庭。中央に桜の木とそれを囲うように並べられた円形のベンチしか特徴がない。
ほとんどの生徒が使わないため手入れもされていないため雑草が伸び放題だ。
私が着いた頃には尾形と三田、ほかに男女二人がベンチで待機しており私の足音に気づき四人が立ち上がる。
男の方は大西賢吾、大西病院の病院長の息子。姉の中絶手術を秘密裏にしていた病院。
女の方は中野美咲、市内で悪名高い不良グループのトップと付き合っている女性。姉を含め、多数の女子中高生に売春をさせている。このことは噂で流れている程度だが姉の件から私は噂ではなく真実だとわかっていた。
「お、月子ちゃん。おつかれ~。」
ニコニコしながら間延びした声は私の神経を逆立てた。
「こいつが玲子の妹ねえ…。」
「美咲、どうかな?」
中野が私を上から下まで値踏みするように眺める。
「いいんじゃない?玲子とは違って、あたりまえだけど顔つきもまだまだ幼いしそっち方面の客なら入れ食い状態でしょ。処女じゃないのは残念だけどそれでも相場よりそこそこ高く稼げそう。」
こいつらは何の話をしているんだ?
分かっていながらも話の意図を理解したくない脳が耳から届く声を拒絶する。
固まっている私に尾形が近付いてきて私の肩に手を乗せた。
「お姉ちゃんが死んじゃってから俺らの財布がピンチでさ、代わりに働いてくんない?月子ちゃん。」
「嫌に決まってるじゃないですか。姉の時はどうやって売春させてたのか知りませんが私は」
「お前も同じ方法で脅すに決まってんだろ。」
肩に乗せられていた手が瞬時移動して私の腹部にめり込む。
内臓をえぐられたような痛みに跪き、給食の残骸が口から地面に零れる。
そんな私の前髪掴み上を向かせられる。
「汚ねえー。前回はお前らの親父、過疎地の出航で済んだけど今度はクビかもなあ。それにほら見ろよ、お前が無理なら妹ちゃんに頼んでもいいんだぜ?」
尾形が見せてきた携帯の画面には山田から勝ち取って消去したはずの心のあられもない姿が映し出されている。
私の目の前があの日と同じように赤く染まる。腹部の殴られた痛みを塗り替えるように真っ黒な憎悪がこみ上げる。
スカートのポケットに忍ばせていたカッターナイフはあらかじめ少し刃先をむき出しにしている。
私は自分の指先が切れるのもかまわずポケットをまさぐりカッターナイフを取り出し叫んだ。
「助かったよ、松井。」
「尾形の言う通り、後ろで待ってて良かったわ。」
叫んだはずの私はなぜだか地面に倒れこんでいる。手に持っていたはずのカッターナイフも遠くに転がっている。
「残念でしたー。松井はさ、警察官の息子で武道なら一通り修めてんの。お前がどうせ暴れるだろうってことで見つからないように待機してくれてたんだよ、バーカ。」
急激に熱が冷める脳内が状況を理解しようとする。
私は叫びながらカッターナイフで尾形を切りつけようとしたが背後から松井に取り押さえられ、地面に組み伏しているのだ。
「そんな反抗的なことすんならお前も妹もセットで中野に売り飛ばしてもらうことにするわ。俺ら的にもお小遣いがっぽりだし、そっちに決定ってことで。」
松井に押さえられて動けない私に背を向けて去っていこうとする。
心だけは、心だけは、心だけは守らないと。
「ま、待って!お願いだから、心だけは、家族には手を出さないで…。」
「あ?先に手を出したのはお前だよな?都合のいいこと言ってんじゃねえよ。」
尾形は振り返りもせず吐き捨てる。
私は悔しさと情けなさで涙が溢れながらも言葉を紡ぐ。
「私が何とかするから、お願いだから、家族には、心には何もしないで…。」
振り返った尾形が地面に組み伏され、涙と鼻水と土埃でボロボロの私の顔を見てにやりと笑う。
「いい顔してんじゃん。これからよろしくな、俺らの金蔓、月子ちゃん。」
乱暴に靴のまま頭を踏まれる感触。
私の中の憎悪はもうすでに火種を失い、家族に危害が加えられないことに対しての安堵感が痛みと寄り添って残っていた。




