天野月子の場合⑮
「話し合い、どうだったの?」
私の問いかけに父はお茶を一気に飲み干した後、ゆっくり話してくれた。
まず、彼は一か月ほど入院することが決定したらしい。これに関しては何の感情も動かなかった。
次に今回の事件に至った経緯や今後の対応について、山田家は弁護士を呼んでおり今回の件は和解してほしいと告げられたとのことだ。
私が破壊した携帯電話にはSDカードが挿し込まれておりバックアップとして私と心の画像は保管されているらしい。警察が後の現場検証で押収して確認したから間違いないと。この時点で私のはらわたは煮えくり返りそうになったが必死に抑えた。
それら画像の削除と彼の転校、世間への公表をしないでほしい、の三件で手を打ってほしいというのが弁護士もとい山田家側からの提案。もちろん入院費は全額山田家が負担。
どうやら彼の父と母は両方とも企業で働く役職付きの人間らしく公表されると立場が危ういらしい。
私はそこまで聞いて口を開きかけた瞬間、母が先に口を開いた。
「私とお父さんはその三つだけじゃなくてもう一つ条件を追加したの。向こうはお金ならいくらでも、って言ってきたけどそれはお父さんがいらないって怒鳴り散らしてくれて。私たちが提案したのは月子と心への誠心誠意を込めた謝罪。驚いていたけどお金をもらってもそんな汚いお金を使いたくもないし、それならあなたたちに向かってしっかり謝罪して今後一生関わらないようにしてほしいって伝えたわ。月子、あなたはどう思う?」
母は私の言いたいことを全て代弁してきてくれた。
私はその母の強い想いに涙が溢れだす。姉が自殺して両親はただやけくそに悲しんで荒んだ生活を送っていたわけじゃなかったんだ。こんなに強くなっていたんだと。
泣きながら頷く私を母が横に来て抱きしめてくれる。服が擦れる音の奥に心音が聞こえる。そのリズムに沿って私の気持ちの高ぶりはゆっくり静まっていった。
私は両親に何度も感謝をし、両親も私と途中から心を呼びつけて、姉が自殺してから今までのことを何度も謝罪してくれた。
また家族をやり直そう、玲子に胸張って生きれる家族になろう、父の心強い言葉が私の心の中の黒をもう一度白く染め直してくれた気がした。
それから私と心は一か月ほど休学し心と体の傷を癒すことに専念した。
父と母はそれぞれがいつもの、姉が自殺する前の生活に戻った。
彼との面会が決まったのは休学して二週間が経ったある日のこと。山田側の弁護士から連絡が入りその週の週末に病院に行くこととなった。
父も弁護士を雇って今後口約束にならないように謝罪の後書類を交わすことにしたのだとか。
川原護と名乗ったその弁護士は父の古くからの知り合いらしく快く依頼を受けてくれた。
面会当日、総合病院の駐車場で黒のセダンから降りてきた男性。白髪交じりの上品な髪は短く切りそろえており紺色のスーツとワインレッドのネクタイが見事に調和しており胸に弁護士バッジが鋭く輝いている。誰が見ても品のある男性で、私は姉のお葬式に参列してくれた数少ない人の中にその人がいたのを思い出した。
「天野さん、こんにちは。月子ちゃん、心ちゃん、こんにちは。」
まずは父と母に向かって一礼。そして私と心に向かって頭を下げた後、穏やかな低音をまとった優しい声で丁寧に挨拶をしてくれた。
私も心も自然と頭が下がる。人生経験なんて塵も同然な私たちだがこの人は信頼に足る人物だと確信した。
川原さんはそのまま父と軽く打ち合わせをして私たちは病院の中に入っていく。
日曜日の病院は想像以上にガランとしておりどこか不気味ささえ感じた。
スタッフの案内に従って案内されたのは病棟ではなく院内にある応接室と表札がかけられた部屋だった。
私も心も足が止まる。
この扉の向こうに山田がいる。私の心臓は口から飛び出すのではないかと思うくらい跳ねている。
心も同じなのだろう。表情がこわばっている。
背後から川原さんの優しい声が響く。
「月子ちゃん、心ちゃん。怖いかい?」
私と心が同時に頷き、振り返る。川原さんは微笑みながら私たちの肩に手を置く。温かい手だ、まるでそこからエネルギーが流れ込んでくる感じがする。
「扉の向こうの人たちがどんなことを言ってきても私たち大人が君たち子どもを全力で守る。そして相手には必ず謝らせる。だから安心していい。君たちのお姉さんを守れなかった私たちに君たちを守るチャンスをくれないかい?絶対に守ってみせるよ。」
優しい口調からは想像ができないほどの強い言の葉の力に私も心も自然と首を縦に振っていた。
「じゃあ、開けるぞ。」
父が扉を開ける。
グレーの絨毯が敷き詰められ中央に重厚なテーブルとそれを囲むように高そうなソファーが配置されている。
テーブルの右側には車いすに乗せられ病衣を纏い頭に包帯を巻かれ、左腕をギプス固定された山田がいた。頬には内出血の跡がまだかすかに残っている痛々しい姿だが私はそれを見ても何も感じなかった。彼も私たちを無表情で見つめている。その横には彼の両親がどちらともスーツ姿で神妙な面持ちでソファーから立ち上がっていた。相手の弁護士であろう男性に促され私たちは室内に入り、彼らの対面にある大きなソファーに座った。川原さんは立ったまま相手の弁護士と山田一家を見つめている。さっきまでの優しい雰囲気はどこへやら、歴戦の弁護士が纏う威圧感が私にも感じられる。
彼との話が佳境を迎えようとしていた。




