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月子の場合  作者: ヒスイ
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天野玲子の場合①

これは本当の始まりの物語。

時間は少し巻き戻る。

天野玲子。

成績優秀、品行方正、容姿端麗、運動は少し苦手。

性格は朗らかで誰にでも優しく友人も多い学年中の人気者だ。

かと言って本人は気取らず、家庭では共働きの両親の代わりに家事を積極的にこなしたり、2人いる妹の面倒をみたりなど、健気という言葉が服を着ているような人物だった。


中学2年生になり、夏の暑さもやっと落ち着いて紅葉が色付いてきたとある日の放課後。

帰り支度をしている彼女の元に一人の男子生徒が歩み寄ってきた。


「天野さん、ちょっといいかな?」


机の対面に立っていたのはクラスメイトの尾形達也だった。

玲子と同じく成績優秀であり、彼のルックスの良さは玲子の周囲の女子からも好評、人徳もあり、誰からも好かれている男子生徒。

父親は玲子の住んでいる市の市長だということも周知の事実であるが本人はそれを気にも留めず努力していることに玲子は好感を持っていた。


「どうしたの?尾形くん。」


玲子は手を止めて彼の顔を見る。

彼も玲子の目を真っ直ぐ見つめていた。


「この後、急いでる?時間あったら旧校舎の裏庭まで来てほしいんだけど…。」


少し緊張した様子で玲子に伺い立てる。

玲子は特に急ぐ用事がないことを脳内で確認し、ほぼ二つ返事で承諾した。

先に行ってるね、と尾形は言い残して教室を去る。

その光景を見ていたクラスメイトはヒソヒソと美男美女カップルの誕生だ、などと色めき立っている。

玲子自身もやはりそういうことなのだろうかと胸の鼓動が高まる。

彼女は手短に帰り支度を済ませて教室を後にした。

友人たちからは少し茶化されたが同時に何人かの女子からは嫉妬のようなじっとりとした嫌な視線を向けられているのも感じ、玲子は早足で旧校舎の中庭に向かった。


玲子の通う中学校には新校舎と旧校舎があり、どちらともに中庭がある。

旧校舎は主に一部の授業で使ったり、教材の準備室が多くあるのが特徴で放課後は人通りが少ない。

新校舎は逆で教室や図書室など生徒が主に使う設備が備わっており、下校時間ギリギリまでそれなりに人がいる。

人通りがあまりないためか旧校舎の中庭にある大きな桜の木の下で告白するのは、この中学の伝統のようになっていた。

尾形が玲子を旧校舎の中庭に呼び出したということは、つまりそういうことなのだろう。


玲子が中庭に着くとベンチに座っていた尾形がゆっくりと立ち上がった。

表情から緊張感が伝わってきて、玲子まで緊張してしまう。

そのまま玲子はゆっくりと彼の前まで歩を進める。


「来てくれてありがとう。今日は天野さんに伝えたいことがあって…。」


玲子の心臓がビクンと跳ねる。


「は、はい…。」


上手く返事が出来ない、というよりもこの時点でどんな反応が正解なのか分からなかった。


「僕と付き合ってください。」


少しの沈黙の後、彼はお辞儀をし、玲子に右手を差し出した。

予想はしていたものの実際に初めての告白を受けると顔が火照り、心臓の鼓動がさらに早く脈打つ感覚がした。

彼の姿を見ながら脳内で様々なことを考える。

家庭のこと、勉強のこと、進路のこと、自分の気持ち。

それらを統合した結果は


「尾形くん、気持ちを伝えてくれてありがとう。凄く嬉しいよ。」


尾形は上体を起こし、キラキラした目で玲子を見る。

しかし、玲子は


「でも、ごめんなさい。うち、両親が共働きで家事とか妹たちの面倒とかみないといけないし、進路も県立の高校に入って親を安心させたくて…。だから今は恋愛とかあまり考えられないの。気持ちはとっても嬉しいけど、答えてあげれなくてごめんなさい。」


今度は玲子から頭を下げた。


ギリッ


何かをすり潰すような音が不気味に聞こえた気がした。


「…そっか、こっちこそ急にこんなこと言ってごめんね。天野さんの事情とかあまり分からなかったし…。良かったらこれからも仲良くしてくれると嬉しいな。」 


玲子が顔を上げると尾形は少し苦笑いをしながら再度右手を差し出した。

玲子はその手を優しく握り、


「こちらこそ、これからもよろしくね。気持ち、本当に嬉しかったよ。」


と伝えて彼の手を離した。


「じゃあ、また明日。」 

「うん、また明日ね。」


気まずさから逃げるように玲子は早足でその場を立ち去る。

そんな玲子の背中を尾形の暗い瞳が見送る。


「つまんねぇの。下手に出てりゃいい気になりやがって。」


ギリッ


先ほども聞こえた音は彼が足元の虫を踏みにじって殺した音だった。


「天野玲子、絶対に後悔させてやるからな。」


告白の失敗。

それは成績優秀、スポーツ万能、表向きの品行方正、表向きの人望の厚さ、市長の息子という彼の傲慢過ぎるプライドを踏みにじるには十分なことだった。


「処刑、決定な。」


尾形は静かに呟いた。

一部始終を見ていたいくつかの瞳。

尾形への憐れみの感情と、玲子への嫉妬の感情が渦巻くそれを玲子はまだ知らず、平和な日常がこの旧校舎の中庭から音を立てずに崩れていった。

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