天野月子の場合⑬
午前中の授業と給食を終えた私は彼に旧校舎の階段、踊り場まで呼び出された。
最初は拒もうかと思ったが後々どうなるか分からないため渋々ついていくことにした。
彼の背中を経過しつつ眺めて件の場所に到着する。
彼は私に向き直る。まるで私を値踏みするような目だ。
制服のポケットから携帯を取り出し操作する。
私は何かあればいつでも逃げれるようにちらっと後方の階段に気を配りながら待っていると彼が私に見せた携帯のディスプレイを見て私は逃げる気力が瓦解した。
ディスプレイに映し出されていたのは私の全裸だった。
彼が携帯のボタンを操作していくたびに私の全裸、恥部の拡大写真、行為中の写真など次々に映し出されていく。
いつ撮られていたのだろうか、なぜ撮ったのだろうか、そんなことを考えていると私の無意識に震えだす。
「天野さんさあ、僕と別れるとか言わないよね?」
鼓膜にねっとりした声がこびりつく。
鼓膜から脳まで浸食される感じがとてつもなく不快だ。
「別れるっていうとそれをばら撒くってこと?」
絞るように声を出す。
「さあ?そうかもしれないし、もっと酷いことになるかもしれない。」
「心の写真も撮ったの?」
彼がボタンを操作すると心のあられもない姿が画面に映し出された。
私はそれを見た瞬間、目の前が真っ赤に染まり、体中の血液が瞬間で沸騰して駆け巡る。
心だけは守らないといけない。
今の両親には頼れないから私があの子をなんとかしないといけない。
先刻まで心配していた自分のことなんてもうどうでもよかった。
私は自分を浸食したどす黒い感情のままに彼を階段から突き落とした。
十五段の階段、一段ずつ転がり落ちるたびに鈍い音が響く。
階下で呻く彼を尻目に私は階段の途中に転がっている彼の携帯電話を拾い上げ、写真データの削除を慣れない手つきで行なった。
何枚もあったので時間がかかる。そのうちに物音を聞きつけた生徒が駆け付け悲鳴を上げ、さらにその悲鳴を聞いた教師が走って来る。
データの削除をし終えた私は二つ折りの携帯電話を本来とは逆方向に折り曲げて無造作に捨てた後、駆け付けた教師に歩み寄り静かに言った。
「私が彼を階段から突き落としました。」
警察の取り調べ室から出てきた私が目にしたのは怒りに満ちた両親の顔だった。
父がドスドスと音を立てて歩いてきたかと思えば私を殴りつけた。
父から初めて受けた暴力は軽い私の身体を吹き飛ばすほどに強力で、受け身も取れない私は警察署の堅い床に頭から叩きつけられた。
殴られた腹部と打ち付けた頭に激痛が走る。
父は言葉とも咆哮とも呼べない声を発しているが私に怒りを向けていることだけはわかる。
そんな父を警察官が複数人がかりで押さえている隙に今度は母が私のもとまで歩いてきて倒れている私に馬乗りになり何度も頬をぶった。
母は甲高い奇声を上げていたがこちらも私への怒りが込められている。
応援に駆け付けた婦人警官が母を私から引き剝がし、両親は別室に連れていかれた。
私は医務室のような場所に連れていかれて殴られた頬、腹部、打ち付けた後頭部に保冷剤を当ててもらった。
さっきまで取り調べを受けていた加害者の私はここで一気に可哀そうな少女に、一時的ではあるがなることができた。
その後、パトカーで家まで送られた私は自室に上がる。
扉の開く音で心が目を覚ました。
私は彼女を抱きしめる。心は何が何だかわかっていない様子だったが私を抱きしめ返してくれた。
「もう大丈夫だよ。お姉ちゃんが守るからね。」
私が呟くと心が胸の中で頷く。
もう一度布団に寝かせて私はお風呂を済ませて眠りについた。
この日は久しぶりにゆっくり寝ることができた。
翌朝、いつもの時間に起床してリビングに入ると父と母が揃っていた。
父は仕事に行かなくていいのだろうか、母が飲酒していない姿は久しぶりに見る、なんて考えていると二人が四人掛けのテーブルに座り、私を対面に座るように促した。
昨夜のような怒りは感じられない。
私は椅子を引き父の前に座る。
しばらくの沈黙の後、父が口を開く。
「警察から事情は聞いた。お前が山田という男子を階段から突き落としたことも。……そのいきさつも。」
かなり言いづらそうに話す。
そりゃそうだ。実の娘の交際相手が娘とその妹との性行為中の写真や局部の写真をネタに脅されて強行に至った、なんて信じたくないだろう。
でも私は言わないといけない。知ってもらわないといけない。だから明確な言葉で返答した。
「そうだよ。山田は私とのセックス、心へのレイプを写真に撮っていてそれを材料に改めて私に関係を迫ってきた。私は信じていた人に裏切られたし、心も深い傷を負った。そんな奴が許せなくて、殺したくて、私は山田を階段から突き落とした。」
父は涙をこぼし、母は泣き崩れる。
姉が亡くなってから私たちを見ようともしなかったくせに、という気持ちがよぎったがそれ以上にまだ両親には私たちのために泣いてくれる慈悲があることに安堵した。
父は涙を拭い、私の目をしっかりと見る。
「気づいてやれなくてすまなかった。お父さんとお母さんはこれから相手の家に行って話をしてくる。どうなるか分からないが月子のこと、心のことを最優先にできるだけいい方向に話をまとめてくるつもりだ。お前と心はしばらく学校を休んで家に居なさい。相手の子どもは全治三か月だそうだ。それから月子、警察でも言われたかもしれないがお前が証拠を消したことで相手の行為の立証が難しい…。それでもお父さんたちは頑張って来るよ。」
これは警察で言われて、私は馬鹿だと心底思ったことで、あの時携帯をへし折ったことで私はあいつの証拠を自分で消してしまったのだ。
へし折らずに盗めばよかったがあの時の私にそんな心のブレーキなどなかった。
私が考え込んでいると父親が頭を撫でてくれる。
久しぶりのその感触に私の心のなかで黒く染まっていた部分が少し漂白される。
「じゃあ、行ってくるからね。」
父と母は立ち上がり玄関へと向かう。
その背中はかつて私が何度も憧れ、頼りにしてきた立派な背中だった。




