天野月子の場合⑩
翌日の放課後、早速私と心は山田君の家にお邪魔することにした。
山田君には先に帰ってもらい、私は心と最寄りの公園で合流して向かう。
たどり着いたのはうちと同じサイズ感の一軒家で閑静な住宅地の片隅にあった。
お姉ちゃんの彼氏さんどんな人なんだろう、とウキウキな心をよそに私は緊張しながら呼び鈴を鳴らす。
一分もしないうちに彼が玄関の扉を開けてくれた。
「天野さん、ようこそ。心ちゃんもようこそ。」
彼の柔和な笑みにつられて私も笑顔が零れる。
心はどこで習ってきたのか頭をぺこりと下げ、
「いつもお姉ちゃんがお世話になっています。」
と言い出したので私も山田君も吹き出してしまった。
二階の彼の部屋に案内されて私と心は中央に置いてあるテーブルを囲むようにして座る。
心は早速ランドセルから宿題を広げる。
山田君がお菓子をお皿に盛りつけ、ジュースと一緒にお盆に乗せて持って来てくれる。
「心ちゃん、偉いねえ。僕らも食べながら宿題しよっか。」
私は頷き通学鞄からテキストを取り出した。
そこからは束の間の夢のような時間だった。
お菓子を食べながら問題を解き、わからないところは互いに教えあい、時々心の宿題も見る。
心は元から人見知りをしない性格であり、山田君の雰囲気もあってすぐに打ち解けていた。
笑いが絶えない時間と空間だったが彼がセットしていたアラームが鳴り、私は一気に現実に引き戻された。
彼の家から私の家まで余裕を持って二十分で帰れる。それに合わせてのアラームだ。
「また明日も来たらいいよ。土日も親がいない日は来ればいい。だから大丈夫。」
どうして彼の言葉は私の心にこんなにも沁みこむのか。
私は涙を堪えながら笑顔で頷いた。
「お兄ちゃん、バイバーイ!」
「こころちゃん、バイバーイ!天野さん、また明日ねー!」
私も心も大きく手を振る。
心もすっかり懐いてくれたようだ。
私は心の手を握り、夕闇に染まりつつある家路を急いだ。
それからしばらくの間、私と心は学校帰りに山田君の家に寄ってから帰るのが日課になっていた。
学校では周囲も私たちを恋人と認識しだしており時々からかわれもしたが盲目になっていた私には心地の良いそよ風のようにしか感じておらず山田君も大きな反応を示すことはなく、夏休みが近づいてくる。
学校とは打って変わって、天野家の状態は日に日に深刻度が増していった。
父は毎晩のように飲酒して帰ってきては母に暴力を振るう、母は暴力を受け入れつつも心が壊れたのか独り言をぶつぶつ言ったり虚ろな目をしながら姉の骨壺を抱きしめて泣き叫んだりした。
父の暴力は時折眠っている私や心に及ぶこともあり、私は痛みに耐えながら心や母の心身のケアに奔走している。
私と心の精神の崩壊をつなぎとめているのは山田君に会える時間だけだった。
夏休みに入ってからは私と心は朝から夕方まで山田君の家に入り浸ることになっていた。
最初の方は心も宿題をして私や山田君に遊んでもらっていたが数日も経つと昼からは友達と遊びに行くことが多くなった。
そんなある日、山田君の家で私が作ったお弁当を三人で食べた後、心が約束している友人と遊びに外出した。
私も山田君も宿題が一段落して手持無沙汰になってボーっとしている。
エアコンの送風音が響く室内、彼は私を抱きしめた。
「天野さん、ごめん。好きすぎて俺、我慢できないかも。」
切なさと甘えるようなその声質に私の心臓が飛び跳ねた後、頭の中まで愛おしさでいっぱいになる。
「山田君になら何されてもいいよ。」
抱きしめていた手がほどかれ、次は彼の唇が私の唇と重なる。
キスは段々と深くとろけるようになり、私はベッドに連れ込まれ、純潔を彼に捧げた。
うるさいくらいに聞こえていた蝉の鳴き声はもう私たちの耳には届いていない。




