天野月子の場合⑦
校門から歩いてしばらく、十字路に差し掛かった。
山田君は周囲を見回し人影がないことを確認すると私に向かってほほ笑んだ。
「誰もついてきてないね。ここから家はどれくらい?」
今日だけで何度この笑顔と声に助けられたのだろうか。
「十分もかからずに家に帰れるよ。人通りも多い道だし下手なことはしてこないと思う。」
「そうか。それなら安心だね。何かあったときは大きな声で助けを呼ぶんだよ。」
私がこくりと頷くと彼の指が私の手から離れる。
それだけでなぜかとてつもない寂しさと不安が襲ってきたがいつまでも甘えるわけにはいかないのだ。
私はいまできる精一杯の笑顔を彼に向けて、また明日、と呟いた。
彼も同じく、また明日、と返して別の方向に進んでいく。
私はできるだけ速足で自宅に向かい、そのままの勢いで玄関に転がり込んだ。
私の乱暴な帰宅に驚いた母が慌てて玄関まで駆けて来る。
「どうしたの、月子。そんな慌てて…。あんた怪我してるじゃない!」
私の心配をしてくれる母の顔はここ数日でかなり老け込んだ。
毎日のように警察署に呼び出され、数時間に及ぶ事情聴取。それには嫌でも姉の死と向き合わなければならない。
パートもしばらくは休んでいる。
父は休憩の合間や仕事からの帰り道に警察署に寄っているようで自然と家族がそろう時間がバラバラになってしまった。
「ちょっと転んだだけだよ。お風呂で綺麗にしたら絆創膏貼っとくね。」
心配そうな母を横目に私は脱衣所に向かった。
制服を脱ぎながら脳内にあの日の出来事がフラッシュバックした。
姉が帰ってきたかと思えば私たちの様子を見に来るでもなく一直線にお風呂に入った日のこと。
気になった私は気配を消して脱衣所の扉の隙間から浴室にいる姉の気配を伺っていた。
シャワーの音に混じって聞き取りづらかったが姉は泣きながら何かを吐き出そうとしていた。
すすり泣く声と吐しゃ物を吐き出す苦しそうな声が今になって私の脳内を駆け巡る。
写真とそれがリンクするに一秒もかからなかった。
私の中にふつふつとした怒りの感情が湧いてい来る。あいつらに対する怒りももちろんだが、姉を助けれなかったことに対する怒りもだ。
私は汚れた制服と下着を乱暴に洗濯機に放り込みシャワーを浴びる。
擦過傷が染みて痛むが姉の痛みに比べればなんてことはない。
私もかつての姉のようにお湯にまみれながら泣いた。
それから数日が経ったある日。
学校では驚くほど変わったことが起こらなかった。
警察官が頻繁に出入りしたり、放課後の校内を教師が巡回し始めたのが原因だろう。
移動教室の際には私が一人にならないように山田君がそばにいてくれた。
「SPみたいで楽しいよ。」
そう言ってにかっと笑う彼の笑顔と背中はたくましかった。
友人から聞いたのだが彼は柔道三段の黒帯らしい。中性的な見た目からはとても想像できなかったが確かによく見れば筋肉のつき方がほかの男子よりもたくましい気がする。
彼や友人と一緒に過ごす中で私の緊張感は徐々に薄れていった。
家に帰って母と夕食の支度をしていると父が帰宅する。
母の代わりに出迎えた私が目にしたのは目に光が宿っていない疲れ切った父の姿だった。
父はスーツ姿のまま玄関を通り過ぎると、キッチンにいる母に声をかける。
そして私と心は強引にリビングから追い出される形となった。
心には部屋で宿題をするように言いつけ、私は廊下から両親の話を盗み聞きする。
その内容は確かに父を絶望させるに足る内容だった。
警察の捜査が打ち切りとなる。
理由は遺書の内容について学校関係者や姉の友人関係の様々な人物に聞き取り調査を行なったがイジメの事実はなく思春期特有の不安定な精神状態から自殺に至ったと結論が出たそうだ。
さらに追い打ちをかけるように父の左遷が決まったらしい。
市役所で長年勤めあげ課長に昇進した父が同じ市内でも遠方にある支所へ転勤の指示が出た。
父も抗議をしたが市長の決定だから、と聞き入れてもらえなかったらしい。
リビングには父と母のすすり泣く声が響いている。
姉の自殺の急な捜査終了、父の左遷。
尾形の父親は市長。でもなぜ警察がそんな急な方針転換を?
混乱する頭を整理しながら私は自室にあるパソコンを開き、市の警察署のホームページにアクセスする。
各部署の紹介のリンクをクリックすると様々な部署が羅列され、そのトップには署長の名前と顔写真。すぐ下には副署長の名前と顔写真。
「副署長 松井大輔」
私を蹴り飛ばしたあの大柄な男にそっくりな中年男性が偉そうな表情で画面越しにこちらを睨んでいる。
尾形が言った、証拠隠滅という言葉。急な捜査の打ち切りと父の左遷。
私の中で点と点が繋がった。
これはメッセージなのだ。これ以上自分たちの息子の周り嗅ぎまわるなと。
姉が自殺してまで伝えたかったことが闇に葬られてしまう、なかったことにされてしまう。
布団に倒れるように崩れ落ちた私を心配する心の声を聞きながら私の視界は黒く染まっていった。




