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月子の場合  作者: ヒスイ
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天野玲子の場合・終

その日は入学式だった。

新一年生と新三年生が登校し、入学式後に新入生を三年生が校内の案内をすることとなっていた。

入学式中、三年生は各々の教室で自習となり教師がいない自由を謳歌している。


玲子は屋上にいた。

普段は解放していない屋上だがこの日は校内案内もあるため特別に解放しているのだ。

天気は快晴。桜の花びらが混じる春風がまるで新入生を歓迎しているようで心地よい。

鉄柵の遥か下に見える中庭にはぶかぶかの制服を着た新入生たちが並んでおり入学式まで残り数分を待っていた。

その中に月子を見つめる。

トレードマークの黒のショートボブを揺らしながら周囲の友人と笑顔で話している。

あ、髪の毛に桜の花びらがついてる、そんなことを思っていると友人の一人がそれを取ってくれた。

月子は嬉しそうに目を細めながらお礼を言っているようだ。

昔から要領の良い妹だがどこか抜けたところがあり目が離せない妹でもあった。

しかし、制服を着るとどうだろう。

なんだか急に大人びたように感じる。

自分の後をずっとついて回っていた幼き日の月子が懐かしい。

髪の毛を手櫛で梳いてあげるとまるで猫のように目を細めて喜び、玲子に何度もねだってきた。

おもちゃやゲームの取り合いもした。

母に叱責されてベソをかいているときは傍にいて励ました。

そんな月子が中学生になる。

私と同じ制服を着ている。

それだけで姉としては誇らしい気持ちで胸がいっぱいだ。

月子は要領も良く、性格も明るく、誰とでも仲良くなるからすぐに人気者になるだろう。


末っ子の心は姉二人とはまた違ったとてもせっかちで慌ただしく活動的な子だ。

何度注意しても宿題は放り出して遊びに行くし、遊びに行ったら体のどこかしらに痣や擦り傷をつけて帰ってくる。

全国の末っ子がそうであるとは思っていないが伸び伸びと育てられていて好奇心も旺盛。

玲子が苦手な虫や爬虫類を手掴みで持って帰ってきた時は家中で大騒ぎになった。

彼女も後二年すれば玲子や月子と同じ制服を着ることになるだろう。

心のことだからすぐに汚して母に叱られるのだろうか。

叱られた後はむっとして部屋の隅で体育座りをしながら玲子と月子に慰めてもらうのが日課だ。


玲子にとってはどちらも可愛い妹。

甲乙なんてつけれない。

どちらも最上級に可愛い、愛しい、尊い存在。


父はどんな時も玲子のことを優しい目で見守ってくれた。

休日は一緒に宿題を考えてくれたり、家族で行くドライブとその帰りに寄るファミレスは何よりの至福だった。

ハンバーグが大好きな父はいつも二段に重なったハンバーグセット頼んで二枚目を玲子たちに少しずつ分けてくれた。

あの大きな手と逞しい腕でもう一度抱きしめてほしかった。


母は朗らかで玲子とよく似ている。

玲子たち三姉妹が外に出ても恥ずかしくないように愛のある厳しさで躾をしてくれたのも母だ。

父が太陽なら母は月。

冷たい時は冷たく、それでもちゃんと芯には優しさのある慈愛を恵んでくれた。

料理についても玲子に積極的に教えてくれたおかげで炊事の半分を担えるようになった。

始めて作った味噌汁を美味しい美味しいと飲んで頭を撫でてくれた感触はいまでも鮮明に思い出すことができる。


玲子は家族を愛しており、家族も玲子を愛していた。

そんな家族に申し訳ないと思いつつ手紙だけ残して家を出たのだ。


物思いに耽っていると月子たち新入生が体育館に入っていく。

入学式は定刻通りにスタートするようだ。

それを見計らって、尾形と三田、その取り巻きたちが屋上のドアを開けて入ってきた。


「天野、お前から呼び出すなんて珍しいなぁ。」


「屋上で青姦か?」


「あんたも変態になったねぇ。気持ち悪っ。」


周囲が狂気と侮蔑を交えた笑いに包まれる。

だが、玲子はにっこりと満面の笑みを浮かべた。

それを見た周囲は静まり返る。


「来てくれてありがとう。来てくれなかったらどうしようかと思ったけど嬉しいよ。見届けて貰うのはあなた達じゃないとね。」


そう語る表情、声のトーンは性暴力に荒んだ玲子のものではなかった。

そうなる前の学年のマドンナの玲子だった。


「見届けるってなんだよ…。おい!天野!」


尾形が怒声を上げる。


「私、普通に生きてて絶対にしないような経験を今日までしてきた。知らない人と何回もセックスをした。何回も中絶した。私の体はもう赤ちゃんを産めなくなるくらい傷ついてるらしい。だけどそんなこと、今はもうどうでもいいの。」


玲子はゆっくりと鉄柵に近づく。


「お、お前、俺たちを脅してるのか?」


取り巻きの男子が怯えるように言う。


「脅す?そんなことしないよ。ねぇ、尾形くん。私のセックスでいくら稼いだのかな?三田さん達も私をあてがったおじさんたちからいくらもらったのかな?」 


全員が押し黙る。


「答えなくていいよ。あなた達は今から起こることを見ているだけでいいの。」


玲子が鉄柵を掴み、スカートが翻ることも気にせず鉄柵の向こう側、僅かな足場の上に立つ。

五階建ての校舎の屋上から広がる空は本当に美しかった。


「おい!止めろ!」


尾形が叫び声を上げた途端全員が走り出す。


「さようなら、私を傷つけた人。次生まれ変わったら、もうあなた達とは絶対に関わらないように神様にお願いするね。」


玲子は全てが終わる安堵に包まれ、安心の笑みを浮かべて飛び降りた。


ドチャッ


硬い頭蓋骨がコンクリートにぶつかって割れる鈍い音と、その中身が飛び出す不快な音が響き渡る。

屋上から見下ろすと先ほどまで玲子だったものがまるで西瓜が弾けたように赤く破裂して中庭の一部を染め上げていた。

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