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元科捜研の俺、異世界でも犯人は逃がさない ~鑑定スキルと科学知識で事件解決~  作者: 雪野耳子


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7/11

知りたいけど、子供じゃ難しい。

 昼下がりの屋敷は、静寂が広がっていた。

 廊下を満たす光はやわらかく、磨き抜かれた床に細く長い窓の影を映している。

 遠くから、誰かがモップを引きずるかすかな音や、箒で床を掃く微かな音が規則正しく響いてきた。

 その音が、しんとした廊下にいっそう静けさを際立たせている。

 足音を立てないようにそろそろと歩き、薄暗い物置の前で立ち止まる。

(……昨日の『鑑定』、まだ色々と試してみたいんだよな)

 誰にも気付かれていないことを確かめ、扉にそっと手をかける。

 軋んだ音が、かすかに響いた。中は想像よりも埃っぽく、古い木や油のにおいが鼻にまとわりつく。

 掃除道具。

 壊れかけの椅子。

 積み上がったガラクタ。

 その奥に、ふと目をひく壊れたランプや、鈍く光る金属部品が転がっている。

(この前は倉庫の中身だったけど、こういう物置にも何か手がかりが転がってるかもしれない)

 小さくしゃがみこむと、膝に埃がついた。

 そっと壊れたランプに指先を伸ばす。

 冷たさがじわっと伝わってくる。

 息を静かに吐き、心の中で『鑑定』を呼びかける。

《金属製の照明具/ガラス部破損/内部に石の台座/エネルギー源らしきものは抜き取り済み》

 予想通り、何か『違和感』だけは伝わってくる。

 だけど、俺の知識だけじゃ、その違和感の正体はつかめない。

 歯がゆさとともに、次々に棚の上の古びた木箱や、さびた釘にも手を伸ばす。

(用途不明、状態:破損……。知識の限界、か)

 どの物も、ざっくりとしたことしか分からない。

 けれど、表面だけじゃなくて、奥の奥に「何か残っている」感触は、確かに胸の奥をくすぐってきた。

(もっと他には……)

 物置の奥へと進み、棚のすき間を覗き込もうとしたときだった。

 手を伸ばした瞬間、ガタッと何かが崩れ、頭上から積み重なった木箱がバランスを崩して倒れかけた。

 反射的にのけぞったが、すぐには体が動かない。

 思ったよりも腕が短くて、足もふらついて――

「――ッ!」

 危うく箱の角が肩に当たりそうになる。

 かろうじてよろけた勢いで尻もちをつき、箱は床に転がった。

 埃が舞い上がり、息が詰まる。

 肩にかすかに鈍い痛みが残る。

(……今の、当たりどころが悪かったら大ケガしてたかも)

 息を飲み、しばらくその場から動けなかった。

 子供の体の小ささと無力さを、久しぶりに痛感する。前世なら簡単によけられていたはずなのに。

 それだけで、背筋に冷たい汗が伝う。

(五歳の体で、こういうところに一人で入っちゃダメだな)

 そう思いながら立ち上がると、ふいに背後から静かな足音が近づく。

「レイン様?」

 びくっと肩が跳ねる。

 転がった箱を見て、普段は温厚なニレイの眉間が、きゅっと険しく寄る。

「ここは危ないので、入ってはいけません」

 その声にはいつもの優しさの奥に、本気の怒りがにじんでいた。

 思わず顔が強ばる。

(あ、やばい。これは本気で怒ってるやつだ)

「……ごめんなさい」

 小さく頭を下げると、ニレイは表情をやわらげて「二度と入らないように」と柔らかくも真剣な声で釘を刺した。

 今度ばかりは、本当に反省せざるを得なかった。

(……そういえば、前世でも似たようなことやってたな)

 思い出すのは、前世の科捜研での出来事。

 どうしても気になる資料があって、別部署の立ち入り禁止区域にこっそり忍び込んだあの日のこと。

 すぐに調べて出るつもりだったけど、思いのほか手こずって結局バレた。

 結果、所長に思いきり怒られて、ペナルティで苦手な資料作成を命じられた。

 今は、こうやってちょっと謝れば許してもらえる。

 子供ってやっぱり得だな――なんて、内心で苦笑する。

「もうしません」と素直に約束し、物置をあとにする。

 廊下を戻る途中で、ふと前方にオレファンの姿が見えた。

 思わず「兄上」と声をかけそうになったが、彼の隣に見慣れない大人の男性がいることに気づいて足が止まる。

 どこか堅い雰囲気で、兄と並ぶその姿は、家族というより何か用事があって一緒に歩いているような印象だ。

 がっしりとした体躯に暗緑色の髪色で整った顔立ちながらも少し吊り目な男性。

(誰……?)

 兄の横顔も、どこか緊張した色を帯びている。

 二人の間に漂う空気は、今声をかけたらいけないと無言で訴えていた。

 そのまま二人はグラードの執務室の前で足を止め、短く言葉を交わしてからノックし、中へと入っていった。

(……何だろう。もしかして――)

 気配を消して、扉の近くまでそっと近づく。

 物音を立てないように耳をすますと、中からくぐもった声が漏れ聞こえてきた。

「申し訳ありません。証拠は……まだ見つかりません」

 兄の沈んだ声。

「クッキーに使われていた毒についても、まだ判別がつかないのです」

「……難航しているようだな」

 父の低い声が続く。

 中で誰かが紙をめくる音。

 部屋の空気は、聞いているこちらまで緊張するほどだ。

(……毒、やっぱりあのとき食べたクッキーのことだ)

 カサッと何かを扱う音が響く。

 続けて、いつもよりも重く低いグラードの声が聞こえた。

「このクッキーの毒がまだ分からないとは」

 ふとドアの隙間から、書類の上に置かれたクッキーの影が見えた。

(あれが――)

 もしも『鑑定』できたら、何かわかるかもしれない。

 だが、兄でも分からない毒だ。

 俺にだって無理かもしれない――と頭をよぎるが、それでも、知識さえあればスキルの力も変わることを昨日、身をもって知ったばかりだ。

(知識があれば、『鑑定』で分かる範囲も広がる。もしかしたら……)

 父が「私も調べてみよう」と言い、兄が「ありがとうございます」と頭を下げる。

 扉の開く気配に慌てて物陰に身を隠し、二人が廊下を離れるのをそっと待った。

 誰にも気付かれていないはずだが、胸の鼓動がしばらく静まらなかった。

 部屋に戻ると、なんとも言えない焦燥と興奮が渦巻いていた。

(なんとかして、あのクッキー……俺が『鑑定』できないかなぁ)

 ベッドに倒れ込み、枕を引き寄せる。

(前世なら毒の分析なんて日常茶飯事だったけど、今の自分が『鑑定』したいって言ってもやらせてくれないよな……でも、きっと何か方法があるはず……)

 気づけば、ふわふわのクマのぬいぐるみを無意識にぎゅっと抱きしめていた。

 ……はっ、と我に返る。

 手のひらに伝わるのは、柔らかな毛並みと丸い鼻の感触。

 思わずぎゅっと抱え込む腕に力がこもる。

「……うわ、何やってんだ俺……」

 大人の記憶のままの自分が、気づかぬうちにクマのぬいぐるみなんか……。

 恥ずかしさに、顔どころか耳までじんわり熱くなる。

 慌ててぬいぐるみを放し、誰にも見られていないかと一瞬周囲を見渡してしまった。

(子供の体だからか?いや、癖になったらマズいな……)

 枕元にそっと戻したところで、扉の外から優しい声が響いてきた。

「レイン様、ごはんの時間です」

 レミの声だ。

「はーい」

 できるだけ明るく返事をしてベッドから起き上がる。

 気持ちはまだもやもやしたままだけれど、とりあえずダイニングへ向かう。

 食堂には、グラード以外の家族が揃っていた。

 テーブルには、白い湯気が立ち上るシチュー。

 焼きたてのパンからは、こんがりとした香りが漂う。

 色とりどりのサラダが、食卓に鮮やかな彩りを添えていた。

 レミがセリィーシェの隣の席の椅子を引いてくれたので座る。

 セリィーシェが、そっと身を屈めて顔を覗き込む。

「もう体は平気なの?」

「うん、大丈夫。元気だよ」

 そう答えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。

 優しく髪を撫でる指先のぬくもりに、自然と肩の力が抜けていく。

 そのやりとりを見ていたシェザンが、すぐさま身を乗り出す。

「それなら明日は一緒に外で遊ぼうぜ!」

 無邪気な声が、食卓に響いた。

「無理はしないようにな」

 オレファンが優しく目を細めて、俺の皿にそっとパンを分けてくれた。

 食卓には、家族の笑い声が広がる。

 湯気の立つシチューの匂い、パンをちぎる音が混じり合う。

 穏やかであたたかな時間が流れていく。

 グラードは少し遅れて席についた。

 その姿を見て、なぜか背筋がすっと伸びる。

「無理をしてまた寝込むことのないように」

 静かな声でそう言うと、優しく目を細めた。

 そのまま一呼吸おいて、今度は少しだけ低い声になる。

「それと、物置には危ないものも多い。勝手に入らないように」

 グラードの眼差しは、いつも通り穏やかだった。

 けれど、その声音には、ごくかすかな厳しさがにじんでいる。

「うん、気をつける」

 素直にうなずきながら、手のひらでパンをちぎる。

(……まあ、五歳児が物置に勝手に入ったら、普通は叱られるよな)

 いつもの食卓、いつもの家族。

 みんなの声や、鍋の湯気や、パンの焼ける匂いが、ゆっくりと胸の奥に沁みこんでいく。

 だけど――。

 そのぬくもりに包まれながらも、心の底にはどうしても消えないざわつきが残っていた。

 パンの柔らかさを確かめる指先の奥で、ずっと静かに焦燥がくすぶっている。

(どうしたら自分で、あのクッキーを調べられる? 俺の『鑑定』なら毒が分かるかもしれないのに……)

 シェザンが学校での失敗談を話し出す。

 セリィーシェは控えめに口元を手で覆い、やわらかく微笑む。

 オレファンも目を細め、穏やかに笑みを浮かべていた。

 グラードも小さく目を細め、「頑張っているな」と優しく声をかける。

 みんなの笑顔がテーブルを明るく照らしていく。

 俺もつられて笑い返す。

 だけど、俺の心には、どこか冷たい影がひそんでいた。

 その笑顔の奥では、さっき執務室の前で聞いた父や兄たちの沈んだ声が、何度も何度も反芻されて離れなかった。

 家族の団らん。

 その温かさを感じながらも、心の片隅には消えない疑問と焦燥が静かに渦を巻いていた。

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