使い方しだい、可能性しだい。
薄曇りの空に、時折陽が差す。
昨日より幾分か冷えた朝。
窓を少し開けると、ひんやりとした風が頬を撫でていった。
重すぎない羽織を身に着け、深呼吸ひとつ。
まだ少し眠たげな頭が、冷気に晒されてしゃきっとしていく。
(……さて、やるか)
ふと机の上に並べられた朝食に目を向ける。
柔らかそうなパンにハーブのスープ、果物の盛り合わせ。
けれど今日の目的は、それじゃない。
ボク――いや、俺は、今この屋敷の中で、ある程度自由に動ける。
病み上がりの子供ということもあって、あまり厳しく監視もされていない。
逆に言えば、今がチャンスだ。
部屋を出て、音を立てないように廊下を歩く。
陽が昇りきる前のこの時間帯は、まだ使用人たちの動きもゆったりしている。
磨き上げられた床に、窓からの淡い光が淡く反射する。
足音を殺しながら階段を下り、目指すのは――使用されていない倉庫の一つ。
昨日の花の件で、確信した。
『鑑定』は、使い方次第で、いくらでも情報を引き出せる。
しかもそれは、単に物の名前や用途だけではない。
製造元、素材の来歴、さらには状態変化や、使用履歴まで。
もしそれが本当にスキルの性能なら、前世では絶対に手に入らなかったレベルの分析能力だ。
ただ、それには『知識』が必要だ。
この歳の子供程度の『知識』なら『鑑定』スキルは意味がない。
だけど、俺には前世の記憶がある。
科学捜査研究所で培った『知識』がある。
倉庫の扉をそっと開ける。
わずかにきしむ音に肩をすくめながら、中へ足を踏み入れた。
空気はどこかひんやりと澱んでいて、埃の匂いが鼻の奥をくすぐる。
窓から差し込む光は薄く、長く延びた影が、積み重なった古い家具や道具に静かに落ちている。
奥の方、埃をかぶった台座に、歪んだ金属の輪と、割れた石のようなものが転がっていた。
一見して何に使うものなのかもわからない。
けれど、その形には、どこか惹きつけられるものがある。
(これは……試す価値がある)
吐く息を静かに整え、指先を輪にそっとかざす。
胸の奥がわずかに高鳴る。
意識を集中させて、心の中で問いかけるように『鑑定』を発動させた。
《用途不明の金属製部品/状態:破損・表面に焦げ跡・内部に不安定な何かの痕跡/使用歴:長期間放置・現在動作せず》
脳裏に浮かぶのは、どうにも言葉にしきれない「違和感」だった。
中から、微かに焦げたような、古い機械油のような、説明しがたい匂いが立ち上る気がする。
目に見えない何かが、じわじわと抜けていく感覚――。
けれど、それが何なのか、科学の知識でも、前世の記憶でも、はっきりと名付けることができない。
(……普通の金属部品にしては、何かおかしい。エネルギーか、何かの力……でも、うまく言語化できない)
ほんのり背筋が冷たくなる。
危険かもしれないという予感だけが、体の奥で警鐘を鳴らしていた。
そっと手を引いて、息を整える。
棚の横に立てかけられた、古びた絵画に目をやる。
額縁には、擦れた装飾が施されていた。
もう一度、意識を向ける。
《風景画/画家の署名:マルティン・ルーファ/額縁:木製・一部に特殊な加工跡/劣化・保護加工消失》
表面に何か塗られていたのかもしれない。だが今は、その効果はすっかり失われているようだった。
やはり、詳しいことまではわからない。ただ、現代の防腐剤やニスでは説明のつかない“名残”が感じ取れるだけだ。
(……これも、何か特別な処理がされていたんだろう。でも、今はもう普通の古い額縁。俺の知識では、それ以上はわからない)
さらに傍らの壊れたランプにも、そっと手を伸ばす。
《金属製の照明具/ガラス部破損/内部に石の台座/エネルギー源らしきものは抜き取り済み/最終使用:だいぶ前》
どれも、「知っている範囲」をほんの少しだけ越えてくる。
けれど、正体を言い当てるだけの言葉は持っていない。
物たちは、黙ってそこに横たわっている。
だが、『鑑定』を通じて、その表面に残る「何か違う」「普通じゃない」手触りや、温度、消え残った痕跡――
それだけは、はっきりと伝わってきた。
(やっぱり、何かがある。この世界の現実には、俺の知らない異物が混じっている。今の知識じゃ足りない、けど……)
言葉にできないからこそ、もっと知りたくなる。
心の奥がじわりと熱を帯びていくのを感じながら、そっと息を吐いた。
「レイン様?」
突然、背後から声がした。
全身が跳ね上がるように緊張し、思わず手にしていた布の切れ端を背中に隠す。
「……ニレイ」
振り返ると、ニレイが困ったように眉尻を下げていた。
「こんなところで何を……まだ療養中なのでは?」
「ちょっとだけ、探検。……つまんないから」
少し口を尖らせてみると、ニレイは苦笑して近づいてくる。
「お叱りを受ける前に戻りましょう。レミも心配しています」
「……うん」
俺の――ボクの腕をそっと引くその手は、決して強くない。
けれど、逃れようとも思わなかった。
部屋へ戻る途中、ちらりとニレイの顔を見る。
「ねえ、ニレイ……もし、ボクがダメなことしたら、叱ってくれる?」
「……どうしてそんなことを?」
「えっと……わかんないこと、いっぱいあるし、ヘンなことしてたら、ちゃんと教えてほしいの」
ニレイは立ち止まり、少しだけ目を見開いた。
そしてゆっくりと、真面目な声で言った。
「もちろんです。レイン様がどんなにお利口でも、どんなに変わっても、私はレイン様の味方です。でも、間違ったときは、ちゃんと止めます」
その言葉に、少し胸の奥が温かくなる。
(……この人は、俺じゃなくて、今のボクを見てるんだ)
部屋へ戻ると、レミがジュースを手に迎えてくれた。
その笑顔も、やっぱり変わらずに優しかった。
だけど、心のどこかで感じる違和感。
それは俺がこの家の子供であることへの期待と俺自身の異物感とのズレ。
(子供であることに、甘えすぎるのはやめよう)
けれど、演じることで守れることもある。
――なら、俺はこの役を演じきる。
まだこの世界のことは何も知らない。
だけど、知る手段がある。
学ぶ力がある。
『鑑定』という、最高の武器がある。
小さく笑って、俺は窓の外を見る。
曇った空が、少しだけ明るくなっていた。




