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元科捜研の俺、異世界でも犯人は逃がさない ~鑑定スキルと科学知識で事件解決~  作者: 雪野耳子


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4/10

思ってたのと違う鑑定スキル。


 食事を終えたあと、執事のグレイが「ご案内いたします」と優しく声をかけてくれた。

 大人の足取りをあえてゆっくりと落とし、五歳児の歩幅に合わせて歩いてくれる。

 グレイの背中は大きく、安心感のある存在だが、今日ばかりは緊張が胸の奥を締めつけていた。

 廊下の空気は、朝の光が差し込んでいるはずなのに、いつもより静かで重く感じる。

 絨毯の上を小さな足で踏みしめながら、俺は心の中で何度も深呼吸を繰り返していた。

 執務室の前に着くと、グレイが一度膝を折るようにしゃがみ、「大丈夫ですよ」と小さく囁く。

 その仕草に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 コンコン、とグレイがノックをする。

「レイン様をお連れしました」

「入れ」と父のグラードの低い声。

 グレイがそっと扉を開けてくれる。

 その手の動きはどこまでも丁寧で、俺の歩みに合わせて一歩後ろをゆっくりついてきてくれる。

 その細やかな気遣いが、今の自分には妙にありがたかった。

 部屋の中は、磨かれた木の床に重厚な書棚、窓から差す光が机の上に淡く広がっている。

 グラードは革張りの椅子に座り、横には長兄のオレファンと次兄のシェザン。

 グレイも部屋の隅で控えたままだ。

 机の上には、拳ほどの大きさの石。

 その一つが、この後の緊張とざわめきを呼び込むことになる。

「レイン、座りなさない」

「はい」

 言われて、シェザンの横へと腰を下ろす。

 小さなお尻が座面に沈んだ。

 俺が座ったところでグラードがこちらを見つめたまま、低い声で問いかけてきた。

「レイン、この石を見てみろ。何かわかるか?」

 俺は恐る恐る机の上の石に目を向けた。

(……ただの石、だよな?)

 つい口から漏れる。

「石、だよね」

 その言葉に、兄たちとグレイの表情がふっと緩んだ。

 思わず自分でもホッとしたのが伝わる。

 ここで『鑑定』を試したくなり、意識を向ける。

《鉄鉱石/用途:鉄の材料》

(これが鉄鉱石か。前世でも本物を見たことなかったな)

 ポツリと言葉が零れ出た。

「これが鉄鉱石かぁ……」

 言った瞬間、ピンと張り詰めた空気が戻ってくる。

 沈黙が広がり、父がゆっくりと息を吸い込んで吐く。

「レイン。なぜそれが鉄鉱石だと分かる?」

 俺は口をつぐんだ。

「……本で見たのか?」

 オレファンが言う。

 だが、すぐにグレイが補足した。

「いえ、オレファン様。レイン様はまだ絵本しか――文字もようやく習い始めたところでございます」

「では、なぜわかるんだ?」とシェザンも戸惑いを隠せない。

 ぐっと詰まりそうになる。

(……これは、まさかやらかしたパターンか?)

 石は大丈夫で、鉄鉱石だとダメってこと?なんで?

 思わずグラードと目が合う。

 真剣なまなざしに、身体がかちりと固まる。

「父上……?」

「レイン、この石のことを分かる範囲で話してごらん」

(わからないって答えるのはマズいよな……もう、誤魔化せないよな、鉄鉱石って言っちゃったし。ここは腹をくくるしかないか)

「鉄鉱石です。鉄の材料になります」

 そう答えると、グラードの表情が一層険しくなる。

 オレファンもシェザンも、そしてグレイまでも気まずそうな顔をしている。

 グラードが静かに息をつくと、少しだけ表情を緩めた。

「……レイン。お前が『鑑定』のスキルを持っていることは、もう分かった」

 その言葉に、シェザンが割って入る。

「なんで、レインがスキル持ってんだよ!しかも『鑑定』なんて!選別式もやってねぇのに!」

「黙れ、シェザン」

 オレファンが低く遮る。

「兄貴もそう思うだろ?! だから黙れと言っている。父上が話しているんだ」

「……チッ、分かったよ」

 シェザンが不満そうに椅子に座り直す。

 グラードがしばし黙り、机の上で指を組む。

「この世界では、スキルは八歳の選別式で明らかになるのが常だ。ひとりにつき、ひとつ。多くてもゼロかひとつ。もともと体に宿っているが、それを確認するのが選別式。選別式の前に分かることなど滅多にないが、全くないわけではない」

(選別式ってのがこの世界の常識なのか。選別式前に発動は驚きってわけか……でもそれだけじゃなくて、なんだか重い空気だ)

 オレファンがグラードに小声で言う。

「スキルが五歳で発動するのは珍しいですが、まさか『鑑定』とは……」

「ああ。他のスキルであれば、もっと喜べたのだが……『鑑定』は……」

 グラードはわずかに視線を落とし、続ける。

「スキルはその人の生き方を大きく左右する。職業に合ったスキルなら大いに役に立つ。

 だが、『鑑定』は……見れば分かることしかわからない。

 この鉄鉱石も石と言う者もいれば、鉄鉱石だとわかる者もいる。

 お前は『鑑定』スキルで鉄鉱石とわかるが、スキルがない人でも鉄鉱石だと分かる。……私の言ってることがわかるか?」

 グラードの言葉が静かに落ちる。

 その声は怒りでも失望でもなく、ただ事実だけを告げるものだった。

(……なるほどな)

 俺は思わず、昔科捜研で上司に「基本を見落とすな」と言われたときのことを思い出す。

 どんなに最新技術があっても、現場の誰もが気付く証拠しか見抜けないなら、“特別な力”とは言えない。そういうものなんだろう。

(この世界の“鑑定”は、あくまで“見れば分かることしかわからない”スキル。特別な真実を暴く力じゃない。誰もが知る情報を、ちょっと手早く知れるだけ――)

 目の前の鉄鉱石だって、現実世界でも理科好きな子ならすぐに見抜けただろう。

 つまり、俺が便利だと思っている『鑑定』は、この世界の人間から見れば、他のスキルほど役に立たない=評価されにくい、という理由も分かる。

(なるほど。ハズレ扱いか。俺には便利に思えるけど、そういうことか)

 自分の力の意味を、ひとつ大人の目線で静かに受け止める。

 そのうえで、胸の奥にわだかまる気持ちが、少しだけ整理された気がした。

「このことは、屋敷の者たちに口外しないように。グレイ、伝えてくれ」

「承知しました」とグレイ。

「レイン、お前がスキルを使うなとは言わないが、家族以外の前で『鑑定』については話さないこと」

「……わかりました」

 肩を落とした自分に、シェザンが明るい声をかける。

「スキルは残念だったかもしれないけど、こんなに小さくてスキル使えるなんてすごいよな。さすが俺の弟!」

 思わず小さく笑いそうになった。

 グレイもそっと微笑む。

 静かな執務室に、ほんの少しの安堵と、まだ消えない不安が静かに漂っていた。


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