七話 軽池製菓を訪問
翌日の放課後、俺は高田さんに勧められた軽池製菓の本社に向かった。
下町の方にあるようで、電車で向かう。
それにしても電子機器を扱う会社からスナック会社を製造する会社を紹介されるとは。・・・食品会社を下に見ているわけではないが、あまりにも業種が異なるのでとまどってしまう。
最寄り駅に着くとそこからさらに歩いて工場が建ち並ぶエリアに進み、しばらくしてようやく軽池製菓の本社にたどり着いた。
そこそこの広さのある製造工場。しかしその屋根も壁もトタン板で覆われていた。見るからに町工場といった風情だ。
工場の窓には磨りガラスが嵌められ、その奥からがしゃんがしゃんという機械音が聞こえてくる。そして香ばしい香りがかすかに鼻腔をくすぐった。
工場の端に本社の建物が続いていたが、こっちは木造瓦屋根だ。古い人家に似ている。ただしこちらの窓にも磨りガラスが嵌められていたので、中の様子はわからなかった。
入口らしき引き戸の前に立つと、戸を横にがらがらと引いて開けた。中に入るとまずカウンターがあり、その奥に事務机が並んで、紺色の制服を着た従業員が机に向かっていた。
「すみません」と近くにいた事務員に声をかける。
「はい、なんでしょう?」と下町のおばちゃん風の事務員が応じてくれた。
「私、秋花女子短大の藤野と申しますが、本日、人事部の蓬莱さんと面会の約束をしております」
俺がそう言うと、その事務員は後ろを振り返って「蓬莱さ〜ん!」と叫んだ。
奥の方の事務机に座っていた男性が、「おう」と返事をして立ち上がった。
高田さんと同じくらいの年齢の男性だ。年の割には頭が薄くなっているような。
蓬莱さんは俺の目の前に来ると、「じゃあ、応接室に行こうか」と言った。
カウンターの外へ出て奥の方に歩いて行く。俺はすぐについて行った。
事務室の奥のドアを開けると、小部屋風になっていて、小さめのテーブルと椅子が二脚置かれていた。
入って来たドアのすぐ向かいにもうひとつのドアがあり、この応接室と呼ばれた小部屋は独立した部屋というよりも、廊下の隅に設けられた小スペースという感じだった。
蓬莱さんに勧められてドアに近い方の椅子に座り、向かいに蓬莱さんが腰を下ろす。
「僕の名前は蓬莱友則。高田の幼馴染だよ」そう言って蓬莱さんは俺に名刺を渡してきた。
名刺に目を通す。「軽池製菓 人事部長 庶務部長 蓬莱友則」と書いてあった。
「人事部長と庶務部長を兼任されているのですか?すごいですね」
「社員が少ないからね。それに部長と言っても鈴山電機の係長の高田と給料は同じくらいだ。いや、僕の方が少ないかもしれん」
そのとき、入って来たドアが開いて、さっきのおばちゃん事務員がお盆に茶碗を二つ載せて入って来た。
俺と蓬莱さんの前に茶碗を置くと、事務員は早々に退出していった。
「お茶をどうぞ」と蓬莱さんに勧められる。
「ありがとうございます」と言って茶碗を手に取ると、中に入っている煎茶を少しだけすすった。・・・薄いお茶だった。
「藤野さん、だったね?まず履歴書を見せてもらえるかな?」
「はい」俺は答えて手提げ鞄の中から履歴書を取り出した。それを受け取ってじっくりと読む蓬莱さん。
蓬莱さんは履歴書から目を上げると、俺の方を見つめてきた。
「君の事は高田から聞いているよ。とても優秀で目先が利くのに、社長令嬢の悋気を買ったんだって?」
俺は驚いてしまった。「よ、よくご存知ですね」
「それはそうだよ。『優秀な女性だけど、鈴山電機では雇えないんで、僕のところで採用してくれないか』と高田に言われてさ、『そんなに優秀ならなんで鈴山電機で雇わないんだ?』と聞き返したら、しぶしぶ教えてくれたんだ」
・・・やっぱり路子さんに嫉妬されていたのか。
「見当違いの嫉妬なんですけどね」
「軽池製菓みたいなところへ来させられてがっかりしているかもしれないけど、うちも今売り上げを伸ばしていてね、近いうちに近代的な社屋と工場を建てる予定なんだ」
「御社が業界第一位なことは知っています」
「ただ、我が社もさらに成長しなければ世の中に置いていかれる。だから優秀な人材はいくらでも欲しいんだ」
「・・・そこまで期待されるほど優秀なわけではありませんが」これは謙遜ではなく、本心からの言葉だった。
秘書になれたとして、それでこの会社の成長にどれだけ寄与できるのか、心もとない。
「まあ、とにかく、社長を交えて面談しよう」と言われてさらにびっくりした。
「いきなり社長さんとですか?」
「気のいいおやじさんだから、気負う必要はないよ。さあ、行こう」
立ち上がる蓬莱さん。俺もすぐに立ち上がる。
蓬莱さんは奥のドアを開けて中に入って行った。俺もすぐに続く。
向かいの壁に裏口のドアがあり、蓬莱さんは左に曲がった。左手には勾配が急な階段があった。
狭い階段をぎしぎしと音を鳴らしながら上って二階に行くと、そこで靴を脱ぐようになっていた。置いてあったスリッパに履き替える。
すぐ先のドアをノックする蓬莱さん。
「社長、藤野さんをお連れしました」
「おう。入ってもらえ」とドアの奥から声が聞こえた。
「こちらへどうぞ」と手招きする蓬莱さん。俺は奥の部屋に入った。
そこはもともとは六畳間の和室のようで、畳の上にカーペットが敷かれ、中央に応接セット、奥に木製の古そうな事務机と戸棚がいくつか置かれていた。饐えた匂いを感じる。事務机の向こう側に小柄で頭がバーコード風の初老の男性が座っていた。
「二人ともそこのソファに座ってくれ」とその男性が手前にある応接セットを指さした。小さなテーブルと、ひとりがけのソファが二脚、向かい合わせに置かれていた。
「失礼します」と言ってひとりがけのソファに腰を下ろす。中のスプリングがへたっていて、お尻がソファにめりこんだ。
「社長の須永です」と蓬莱さんが紹介してくれた。
「ようこそ、我が社へ」と言って頭を下げる社長。
「本日はご面会いただきありがとうございます。秋花女子短大の藤野美知子と申します」と俺も自己紹介して頭を下げた。
「噂は聞いているよ。先見の明があるんだってね?」
高田さんがそんなことを言ったのだろうか?「いえ、そういうわけではありませんが」とあわてて否定しておく。
「それはともかく、我が社についてどの程度知っているのかい?」
「はい、御社は戦後創業された食品会社で、現在の主力商品は『えびべい』という短いスティック状のえびせんべいと、昨年売り出されたポテトチップスで有名な会社です。私はそのどちらも大好きで、機会があれば食べています」
「ほんとうにえびべいを食べているのかい?」
「はい。香ばしいだけでなくスティック状なので食べやすく、一度食べ始めると止まらない、いえ、止められないほど食べ続けてしまうおいしいお菓子です」
「『止まらない、止められない』か。・・・いいね、商品の宣伝文句として使おうかな?」
「今までは食べ始めるとやめられないのは落花生というのが定番だったけど、それに匹敵すると言ってもらえて嬉しいですね、社長」と蓬莱さんが口をはさんだ。
「そうだな。・・・我が社のライバルは北陸地方の米菓会社で、そこは以前から柿の種という、草加せんべいを小さくしたような食べやすい菓子を売っていたんだがね、最近はそれにピーナッツを混ぜて売り出し、ますます売り上げを伸ばしているんだ」
「そうなんですか?」
「このように単に菓子と言っても、アイデアひとつで大きく売り上げが伸びることがある。藤野くん、君は我が社でどのような菓子を売り出したらいいと思うかな?」
いきなり企画会議みたいになってきた。素人がおいそれと口出しできることではないが、あいにく俺には平成時代の知識がある。
「まったくの新しい商品、というのはすぐには思いつきませんが、現在販売されているえびべいとポテトチップスの変わり種を売り出すというのもいいかもしれません。柿の種にピーナッツを混ぜた商品のような」
「例えば?・・・まさかえびべいにピーナッツを混ぜて売れと言うんじゃないだろうね?」
「それはそれでおいしそうですが、独創性に欠けますね」
「じゃあ、どんなのがあるというんだい?」
「えびべいもポテトチップスも、基本は塩味です。そこで味が違うものを売り出してみるのです」
「しょうゆ味えびべいとかかな?味がちょっと想像しにくいが」と蓬莱さん。
「えびべいに、えびべいと同じ大きさのクッキーを混ぜてみるのも面白いかもしれません」
「クッキーって、ビスケットみたいな甘いお菓子なのか?」と社長が驚愕して聞いてきた。
「そうです。塩味が続いていたところで突然甘い味を感じる。これが舌の味覚をリセットさせて、続いて食べるえびべいの味が引き立つのです」
「塩味の中に甘い菓子か?・・・盲点と言えば盲点だが、人々に受入れられるかな?」半信半疑の社長。
「どのくらいクッキーを混ぜるんだい?」と蓬莱さんが聞いてきた。
「えびべいがメインですから、混ぜるクッキーの量は十分の一か、もっと少なくてもいいかもしれません。比率は試食して決めるといいと思います」
「これは画期的な商品ですよ。売れるかはわかりませんが。・・・それにはどんな商品名を付けるんだい?」
「そうですね、例えば『えびべいにクッキー混ぜちゃいました』とか」
笑い出す蓬莱さん。しかし社長は額にしわを寄せていた。
「私の頭が古いのか、そんなのが売り物になるかよくわからん。しかし前代未聞な商品だと話題になるかもしれんな。とりあえず極秘で試作してみよう」と社長は言った。
「ほかにはどんな商品を思いつく?」
「ポテトチップスに関しては二つの戦略を思いつきます」
「ほほう?」
「現在売り出されているポテトチップスは主に塩味か海苔塩味ですね?戦略のひとつ目は特殊な味付けをした商品の開発です。例えば唐辛子エキスに浸した赤くて辛いポテトチップスです」
「唐辛子味!?」社長と蓬莱さんが同時に驚いて飛び上がらんばかりだった。
「そんなもの、商品になるのか!?」
「刺激を求める若者向けですね。ひりひりするのが面白いと思ってもらえたら幸いです。・・・もっとマイルドなカレー味というのもいいかもしれません」
ちなみに俺の好みはオーソドックスな塩味だ。
「これも実際に試作して、若者の反応を見ないと何とも言えないな」と言って腕を組む社長。
「御社では誰が新製品開発の責任者ですか?」と気になったことを聞いてみた。開発責任者を抜きにしてこんな話をしていたら、後でもめるかもしれない。
「私だ」と社長が即答したので驚いた。
「この会社には製品開発部はまだない。人事部長兼庶務部長が蓬萊くん、経理部長が私の妻で、新製品の開発は私を中心に行っている」と述べる社長。見た目以上に家内工業だったことに驚きを隠せなかった。
「君には秘書兼製品開発部長をしてもらおうかな?」
「入社していきなり部長なんて、冗談とはいえとんでもない話ですよ」と俺は言って三人で笑った。・・・社長の目が笑っていないことが気がかりだが。
「唐辛子味ポテトチップスの商品名はどうする?それと、ほかの味付けポテトチップスのアイデアもあるのかな?」
「そうですね。唐辛子味ポテトチップスの商品名は『赤いポテチ』なんてのはどうでしょうか?・・・ポテチというのはポテトチップスの略称です」
「ふむ。新しい名称は新鮮に聞こえるな」と社長。
「商品登録もできそうです」と蓬莱さんも言った。
「ほかには?」と社長と蓬莱さんはさらに迫ってきた。
「カレー味を作るなら『黄色いポテチ』、わさび味に挑戦するなら『緑のポテチ』でしょうか?」
俺の妄言に笑い出す社長と蓬莱さん。「色シリーズか、面白い」と二人には好評だった。親父ギャグに通じるセンスかな?
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
蓬莱友則 亀池製菓の人事部長。
高田聡太 鈴山電機の人事部の係長。
鈴山路子 鈴山電機の社長の末娘。
須永為蔵 亀池製菓の社長。
スナック菓子情報
カルビー製菓/かっぱえびせん(1964年発売)
カルビー製菓/ポテトチップス(1975年発売)
湖池屋/ポテトチップスのり塩(1962年発売)
湖池屋/カラムーチョチップス(1986年発売)