六十話 天上界の宝(正体編)
お造りの上に大量のうま味加減調味料を振りかけた水原社長。そして仲居さんたちは慣れているのかまったく気にせずに、各々の皿に刺身を取り分けていった。
俺の前にも刺身が載った皿が届く。鯛、マグロ、ヒラメ、ゆでダコらしい切り身が乗っていて、さっそくワサビと醤油を付けて口に運んだ。
おいしい刺身だ。・・・だが、調味料のせいでどの刺身も同じような味になっている。
「わっはっは、我が社のうま味加減調味料を振りかけた刺身は一段とうまいな!」と声を上げる社長。
「そうですね!」ほかの社員たちも同意の言葉を叫んでいる。
調味料をかけ過ぎるとどの食材も同じような味になって、かえって舌が鈍化してしまうのではないだろうか?俺はそう思ったが、喜んで刺身を食べ、酒を酌み交わしている社長さんたちに、俺の意見を述べる勇気はなかった。
これでも俺は空気を読む方で、正論であろうと常に主張するわけではない。
しかしもし俺がこの会社に入ったら、その点を指摘していかなきゃならないだろう。うま味加減調味料はもっと効果的に使えと。
「社長、今日藤野さんにいろいろな調味料を作ってはどうかと提案されましたが、刺身用に粉ワサビを混ぜた調味料を作るのはどうでしょうか?」と若い社員が社長に提案した。
「それはいいな!君もなかなかのアイデアマンだ!」と、ますます上機嫌になる社長。
「ならば、粉末状の醤油を作って混ぜるのもありですな?」と別の社員が叫んだ。
「それもいいアイデアだ!やがて食卓から塩、醤油、ソースがなくなり、我が社の調味料が並ぶ日も近いことだろう!」と社長。
「どう思うかね、藤野さんは?」俺に矛先を向ける社長。
「え?あ、はい。いいアイデアだと思います。ただ、必ずしも粉末にしなくても、液状の醤油やソースに調味料を混ぜてもいいのかもしれません」
「そうだな!出汁醤油・・・うま味加減ワサビ醤油とか、うま味加減マスタードソースとか、いろいろな商品が考えられるぞ!」と有頂天になる社長だった。
出汁入り醤油、出汁入り味噌、出汁入りソースなどはやがて販売されるから、問題はないだろう。ワサビやマスタードを入れた商品はどうか知らないが。
そのとき陽気な宴会場に久貝常務が入って来た。
「社長、こちらに出かけられたと聞いて参上しました」
「おお、久貝くん!無事戻って来たのかい?」
「はい。藤野さんの推理通り犯人が現れましたが、藤野さんが手配してくれた警察官に逮捕され、何事もなく終わりました。一応例の手紙を渡し、多少の事情聴取に応じてきましたが、早々に解放してもらえました」
「そいつは良かった。藤野様々だな」
「まったくその通りです。藤野さん、どうもありがとう」
「いえ、ご無事なら何よりです」
「さあ、久貝くんも参加したまえ。・・・久貝くんのお猪口と皿を頼む!」と仲居さんに指示する社長。
「いつも以上に盛り上がっておりますな?」と、お酒を注いでもらいながら周りを見回す常務。
「いやあ、さっきの藤野さんの助言を聞いたせいか、飲んでいるうちに若手社員からも次々とアイデアが飛び出して来てな、我が社も今後ますます発展すると息巻いていたところなんだ」
「それは良かったですね、社長。・・・ところで津川くんの顔が見えませんが?」
「彼も藤野さんの助言を受けて、急遽実家に戻ったところだよ」
「津川くんも何かの犯罪に巻き込まれたのですか?」
「いやいや、実家に眠っていたお宝を藤野さんが探し当ててくれたんだよ」
「さすがは藤野さん。それで、何のお宝ですか?」
「それはまだ見つかってないからわからないが、重要文化財クラスの古書かもしれないということだ」
「ほう。それはすごいですな」
「実家は小岩にあるそうだから、もうそろそろ見つけたという報告が入っても良さそうだが・・・」
「明治時代から隠してあったものらしいので、もうぼろぼろになっていて、期待はずれだったのかもしれませんよ」と湯原さんが言って、常務にお酒を注いだ。
「もちろん藤野さんのせいではありませんけどね」
「そりゃそうだろう。人の家のお宝まで責任は持てないからね」と言って常務が俺に目配せした。苦笑する俺。
「それではお鍋の準備をいたします」と言いながら仲居さんたちが入って来た。
ほぼ空になった舟盛りの容器をしまい、ガスコンロを設置していく。
やがて出汁が入った鍋がガスコンロの上に置かれ、野菜や牛肉が投下され始めた。どうやら牛鍋のようだ。
具材が入ると社長がまた調味料を鍋の中に振りかけていた。
「今頃聞くのもなんだが、藤野さんには好き嫌いはないのかね?」と社長に聞かれた。
「好き嫌いはありません。何でもおいしくいただきます」・・・ゲテモノでなければ。
「じゃあ、今度、浅草でドジョウ鍋でも食べようじゃないか」
「ドジョウ鍋ですか?」
「そう。浅い陶器の鍋にドジョウを山ほど載せて、その上からネギを大量に載せて、コンロで煮るんだ。くせもなく、けっこううまいぞ」
「ドジョウは食べたことありませんが、おいしそうですね」と言っておく。どうせ調味料を上から振りかけるんだろうなと思いながら。
「ドジョウもうまいですが、藤野さんにはせめて鰻ぐらいおごらなきゃ」と常務が言って俺に徳利を差し出してきた。
「私は自分のを飲んでいますから」と俺は言って、サイダーが入っている徳利を持ち上げた。
「そうか。それなら」と常務は言って俺の徳利を取り、俺のお猪口に注いでくれた。
「ありがとうございます」
「ところで藤野さんは知っているか?お酒にも我がうま味加減調味料を混ぜるとうまくなるぞ」
「そ、そうですか・・・」と俺は言ってお猪口を社長から遠ざけた。調味料入りのサイダーなんて飲みたくない。
「おや?ひょっとしたら藤野さんはチャイニーズ・レストラン・シンドロームを警戒しているのかな?」と俺の様子を見た湯原さんが割り込んできた。
「チャイニーズ・レストラン・シンドロームとは何ですか?」
「アメリカの中華料理屋で食事をしたアメリカ人が気分が悪くなったんだが、その原因が中華料理屋で大量に使われていたうま味調味料のせいじゃないかと一時主張されていたんだ」
「一時、ということは、その後否定されたのですか?」
「そう。我々も含めて多くの科学者が検証したんだけどね、うま味調味料の主成分のグルタミン酸ナトリウムを多めに摂取しても、そういう症状が出ないことがほぼほぼ証明されているんだ」
「そうですか。それは吉報ですね」
「そういうこと」と社長。
「昆布の出汁に慣れ親しんできた我々日本人は、もっともっと我が社のうま味加減調味料を摂るべきだ!」
「そ、そうですね」ここも逆らわないでおこう。
「何せ、うま味加減調味料だけをお湯に溶かすだけで、うまい潮汁ができあがるんだ!」
「確かにそのままでもおいしいですが、鯛のうま味を混ぜた調味料や、マツタケの香り成分を混ぜた調味料も開発してはいかがでしょうか?」と湯原さんが言った。
「おお、湯原くんもアイデアがどんどんとわいて来るようだな。これも藤野さんのご高説を賜った成果か」
「なるほど。このように藤野さん効果がうまく働いているのですな」と常務も感心していた。
そのとき、女将さんが入って来て、「水原社長様、お電話です」と社長に声をかけた。
「何かな?」と言いながら腰を上げる社長。
俺たちは部屋を出て行く社長を見送った後、仲居さんによそってもらった牛鍋をいただいた。・・・う〜ん、やっぱりうま味が強すぎる気がする。
しばらく常務や湯原さんと歓談していたが、不意に社長が緊張した面持ちで入って来た。
「諸君!」と俺たち全員に声をかける社長。何ごとかと思って全員が注目すると、
「今、津川くんから連絡が入った。実家でお宝が見つかったそうだ!」と宣言する社長。
「お〜!」歓声を上げる社員たち。それを両手でまあまあと抑えて社長が次の言葉を発した。
「藤野さんの推理に従って実家の玄関の天井板を調べたら、一か所だけ外れるところがあったそうだ!」
「お〜っ!」再び歓声を上げる社員たち。
「何が見つかったのですか!?」と答を急ぐ社員。
「まあまああせるな。天井裏の梁の上に、油紙で包まれたものが見つかったそうだ!」
「おお〜っ!」三たび歓声を上げる社員たち。
「油紙のおかげで水が染みた痕跡はなく、ネズミにかじられてもおらず、けっこう良好な状態だったそうだ!」
「おおお〜っ!」四たび歓声を上げる社員たち。
「それで何だったのですか!?」と先を聞きたがる若い社員。
「何とそれは、江戸時代の浮世絵二十枚だったそうだ!」
「おおおお〜っ!」五たび歓声を上げる社員たち。
江戸時代の浮世絵なら、重要文化財とまではいかないが、それなりの価値があるだろう。
「誰の浮世絵ですか?写楽?北斎?歌麿?」と別の社員が聞いた。
「いろいろな絵師の作品が混ざっているようだ。誰の作品かまだわかっていないが、かなり美しい浮世絵だったそうだから、名だたる絵師が描いたものだろう!」
「おお〜おお〜っ!」六たび歓声を上げる社員たち。歓声というより吠え声のようだ。
「そしてその浮世絵は!」社長が言葉を切ると、続きが聞きたくて社員たちはいっせいに押し黙った。
一瞬の沈黙の後、社長が言葉を放った。
「春画だったぁ!!」
俺を含めて茫然とする社員たち。
浮世絵春画は、要するにエロい版画だが、特に性器を誇張して描かれているものが多い・・・そうだ。実物を見たことはないけれど。
ただ、北斎や歌麿など、当時の名だたる絵師も春画を描いたということだから、状態が良ければけっこうなお宝ではあるのだろう。
「津川部長はそれをご両親の前で開いたということですか?」と若い社員が聞いた。
「そのようだな。・・・気まずくなったのかもしれない。その情景が目に浮かぶようだ」と言っていやらしい笑みを浮かべる社長。
津川さんが持って来た古文書には、秘匿した宝書を嫡嗣、つまり跡継ぎの男子に遺すと書いてあった。そんなものを遺された子孫がどう思うのか、ご先祖さんは考えなかったのかな?
「津川部長はその浮世絵をどうするつもりなのでしょうか?」と誰かが社長に聞いた。
「それはわからんが、お宝であることには間違いない。津川くんにはその春画を一度見せてくれと言っておいた。その際、津川くんがいらないと言うのなら、会社に寄贈してもらって、資料室にでも飾っておこうか」
「まるで秘宝館のようですなあ」と嘆息する湯原さん。
秘宝館とは性的な資料を展示する博物館のようなものだ。そんなものが社内にできると、評判を上げるのか落とすのか・・・?
しかもその浮世絵に『津川氏寄贈』という札を付けられたら、後世の人は津川さんのことを春画コレクターだと誤解するだろうなあ、と想像しながら、うま味たっぷりの牛鍋をつついた。
「ようし、この勢いでキャバレーにでも繰り出すか!」と社長が言ったら社員たちが大歓声を上げた。
「どの勢いだよ?」と俺は思いながらキャバレーのお誘いを断り、タクシーを呼んでもらって帰ることにした。
タクシーに乗り込む際には水原社長を始め、その場にいた社員が全員で見送ってくれた。
「それでは我が社の女神に、バンザ〜イ!」と路上でバンザイ三唱を始める社長たち。
俺は恥ずかしくて、会釈をしてすぐにタクシーに乗り込んだ。すぐに発車してもらって、社長たちが見えなくなった頃に、「そういえば就職の話はどうなったのだろう?」と、肝心なことを思い出して首をひねった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
水原八男 うま味加減株式会社の社長
湯原夏彦 うま味加減株式会社の営業部長。
久貝喜市 うま味加減株式会社の常務。
津川明治 うま味加減株式会社の開発部長。




