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五十六話 歌舞伎座の怪人(美知子の妖怪捕物帳・肆拾捌)

「実は私は歌舞伎のファンでね、ときどき家内と一緒に歌舞伎を観に行っているんだ」と久貝常務は話し出した。


「なかなか優雅な趣味を持っているじゃないか」と茶化す水原社長。


「実は歌舞伎座で家内と見合いをしたんだ」


「歌舞伎座でお見合い?風流だな」


「歌舞伎座の座席はほとんど椅子席なんだが、東西の端に桟敷席さじきせきと呼ばれる畳敷きの四人席があって、座布団が敷かれて上に座って観劇するんだ」


「高そうな席だな。そこで見合い相手と会ったのかい?見合いをするには狭そうだが」


「いえ、東側の桟敷席に見合い相手とその両親と、仲人の奥さんが座り、西側の桟敷席には私と私の両親と仲人さんが座ったんだ。そして『あそこにおられるのがお見合い相手です』と仲人さんが紹介してくれるんだ」


「それじゃあ話ができないじゃないか」


「それどころか遠すぎて顔もよく見えない始末だったんだ。そのうち歌舞伎が始まったんで、私の目はそちらに釘付けになった。そのときが初観劇だったんだが、印象が強くてそれ以来歌舞伎ファンになったというわけなんだ」


「見合い相手そっちのけで歌舞伎を観ていたわけか」


「まあね。そして幕間になったら先方を含めた全員で二階にある食堂『はなみち』に行き、そこで家内の顔をまじまじと見たわけなんだが、こんなお見合いをすることは珍しくないそうだ」


「しかし他の観劇客がいる中でお見合いですか?注目されて恥ずかしくなかったのですか?」と津川開発部長が聞いた。


「なに、私は羽織袴、家内は振袖を着ていたが、周りの客も和服姿が多かったので、それほど目立たなかったな」と久貝常務が懐かしむように昔話を語り終えると、俺の方を向いた。


「その歌舞伎座で妙な体験をしたんだが、聞いてもらえるかな、藤野さん」


「わ、わかりました。お話をどうぞ」と俺は答えた。


「つい先日のことだが、家内と一緒に歌舞伎座に行ったんだ。ある演目の初日公演だった。座席は一階の一等席で、もちろん椅子席なんだが、そこに座って、開演前に場内を見回していた。すると遠くの通路に妙な男が立っているのに気づいたんだ」


「妙な男ですか?」


「そう。頭が黒くて顔が白くて、遠目だから最初は気にしなかったんだが、どうにも違和感があって、目を凝らしてみてみたんだ」


「顔が白いって、おしろいでもつけていたのですか?歌舞伎役者かもしれませんよ」と湯原営業部長が口をはさんだ。


「いや、そうじゃなく、顔中に白い包帯を巻いていたんだ。ミイラ男のように」


「病気か大けがでもしていたのでしょうか?」と津川さんも言った。


「僕もそう思ったよ。顔と後頭部を包帯でぐるぐる巻きにして、頭には黒いベレー帽をかぶっていたんだ。ひょっとしたら髪の毛も抜けていたんじゃないかな、病気かけがのせいで」


「そりゃ一見無気味かもしれないが、じろじろ見るもんじゃないぞ」と社長が釘を刺した。


「もちろんすぐに目を逸らそうとした。しかしそのとき、そのミイラ男が私を見返しているのに気づいたんだ」


「不躾な視線に気づいたんじゃないか?」


「そうかもしれないが、包帯の間から左目だけ出ていてね、右目は包帯の下だった。その左目で私をじっと見ていたので、目を逸らせなくなったんだ。・・・数秒間見つめ合っていただろうか、ようやく私は目を逸らすことができ、それ以降はその男の方を見なかった」


「それでいいじゃないか」と社長が言った。


「ところが幕間に食堂『はなみち』に入ったら、少し離れた席に、それも私の顔がよく見える席に、その男が座ったんだ」


「失礼な視線に腹を立てて追って来たんじゃないか?」と社長。


「そうかもしれないが、さすがに歌舞伎座の中では何もしないだろうと思い、無視して食事をした。そして歌舞伎が終わった後、地下にあった売店を冷やかしていたら、すぐ隣にその男が立っていたんだ」


「そ、それは怖いですね!追いかけて来たんですか?」と俺は思わず聞き返した。


「気がついたときにはその男は不自然に私とは反対の方向を向いていて、目は合わなかった。私も家内も気味悪くなって、すぐにその場を立ち去り帰宅したんだ。その男が私たちの跡を追ってきた様子はなかった」


「醜い顔を隠す男ですか?・・・オペラ座の怪人ならぬ歌舞伎座の怪人ですね」と湯原さん。


「オペラ座の怪人が狙ったのは美人の歌手でしたよ。常務を狙うのは変じゃ・・・失礼しました、常務!」と津川さんが口をすべらせた。


「ここまで聞いてどう思う、藤野さん?」と常務は津川さんの軽口に応じないで俺に聞いた。


「その怪人は、常務さんの顔がしばらく会っていなかった知人に似ていると思って、確かめに近づいて来たんじゃないでしょうか?」


「常務に似た男に恨みを持つ人かも知れませんよ。常務はそういう男に心当たりはありませんか?」と湯原さんが聞いた。


「誰かに恨みを買われる覚えはないんだが・・・」


「君ではなく、奥さんの知り合いかもしれないぞ」と社長が言った。


「家内も心当たりはないと言っていた・・・」


「常務さんが包帯男の知人に似ていたとしても、近づいて別人だとわかったんじゃないでしょうか。そしてそのとき限りでその包帯男に会うことがなかったのなら、特に問題はないと思います」と俺は言った。


「その男にはあれから会っていないと思う。少なくとも私の目にそれらしい男が映ったことはない。だが、それだけなら藤野さんには相談しないよ」と常務。


「と言いますと?」


「その数日後に私の家の郵便受けに『柴田権蔵殿』と書かれた封筒が入れられていた。切手は貼られておらず、直接投函したようだ」


「常務さんのお宅にですか?名字が違いますよね?」


「そうなんだ。そんな名前の男はもちろん我が家にはいないし、その名前に家族の誰もが心当たりがなかった。差出人の名前は書いてなかった。・・・あの包帯男と関係がある気がしてならないんだが、どう思う?」と常務が俺に聞いてきた。


「常務さんが奇妙な包帯男に歌舞伎座で出会った。その包帯男が近づいて来たので、常務さんご夫婦はすぐに帰宅した。その数日後に柴田権蔵という知らない人物宛の手紙が届いた、というわけですね?」


「そうなんだ」


「歌舞伎座からはどうやって帰られたのですか?」


「タクシーを拾ってまっすぐ家に帰ったよ」


「そのタクシーを誰かが追って来たということはありませんでしたか?」


「さっきも言ったように、あの包帯男が気になっていたので、タクシーの中で何度か振り返ってみた。車は多かったが、あの男は見えなかった」


「タクシーが自宅に着いたとき、何か変なことはありませんでしたか?」


「いや。・・・タクシーから降りたときもあの男がいないか見回してみたが、姿は見えなかった」


「停まったタクシーの横を車が通り過ぎませんでしたか?」


「そう言えば・・・運転手に代金を払っているときにタクシーが一台通り過ぎたな。そのときもあの包帯男が乗ってないか目をやったが、そのタクシーには乗っていなかった。あの包帯は目立つから、それだけは断言できる」


「なるほど。・・・封筒の中身は見ましたか?」


「いや、自分宛の手紙ではないから中は見ていない。まだ自宅においてあるはずだが」


「これは考え過ぎかもしれませんが、万が一のことを考えて、警察に届け出た方がいいでしょう」


「警察に?そんな大事おおごとか?」と驚く常務。


「はい。常務さんは歌舞伎座で包帯男に目を付けられました。その包帯男は常務さんを追っては来ませんでしたが、別の誰かが常務さんの自宅を探し当て、数日後に柴田権蔵宛の手紙を送りつけてきたようです。包帯男と怪しい手紙との間に関連があるか確信はありませんが、もし関連があるとしたら、犯罪の可能性があります。すぐにご自宅に帰られてその封筒の中を見て、妙な内容が書かれていたら、すぐに警察に届け出るべきでしょう」


「そ、そうか!・・・今すぐ帰宅します、社長!」と常務があわてて社長に言った。


「それはかまわんが、藤野さん、もし犯罪がらみでなかったとしたら?」と社長が俺に聞いた。


「藤野という娘は妄言を吐くだけでたいしたことがなかったと、笑い者にしてください」


その言葉を聞いて久貝常務は急いで大会議室を出て行った。


「社長さん、すみませんがお電話をお借りできませんか?」


「かまわんぞ。部屋の隅に電話機があるだろう。内線電話になっているから、まずダイヤルをゼロまで回してから、先方の電話番号を回せば外に通じるぞ」


「わかりました。すみませんがお借りします」


俺はそう言って席を立つと、電話機に近づいて受話器を取った。


ジーコジーコとダイヤルを回して待つと、声が聞こえてきた。


「警視庁です。どういったご用件でしょうか?」


「私は藤野美知子と申します。広報課の御手洗みたらい課長をお願いします。私の名前を言えば受けてくれるはずです」


「お待ちください」という声がして、しばらく待つと、「御手洗みたらいです」という声が聞こえた。


秋花しゅうか女子短大の藤野です」


「やあ、藤野さん、いつもお世話になってるね」という御手洗みたらい課長の声が聞こえた。いつもお世話しているわけではないのだが。


「お忙しいところ誠に申し訳ありませんが、最近、顔中に包帯を巻いている男性か、顔に大けがを負っているような男性が見つかっていませんか?そちらですぐにわかりそうになければ、島本刑事に調べていただくよう、頼んでいただきたいのですか」


「何か事件かな?」


「確信はありませんが念のためです。あと、柴田権蔵という名前に心当たりがないかも調べていただきたいのです」


「しばたごんぞうだな?わかった。どこに連絡すればいい?」


「すぐにわかるようでしたら、うま味加減株式会社あじかげんかぶしきがいしゃというところにおりますので、電話番号は・・・?」と言って社長たちの顔を見ると、津川さんが電話番号と大会議室の内線番号を教えてくれた。


御手洗みたらいさんにその番号を伝え、「遅くなるようでしたら秋花しゅうか女子大学の就職指導部に言づてをお願いします」と頼んで電話を切った。


「どこに電話をしていましたか?」と湯原さんに聞かれる。


「警視庁です」と答えるとみんなが驚いた顔をした。


「警察ですか。・・・どう推理されたのか、説明してもらえますか?」と湯原さんが聞いてきた。


「はい。包帯男は常務さんを見て近づいて来ました。常務さんが知人に似ていると思ったのでしょう。常務さんが気味悪がって家に帰ったとき、誰かがタクシーで跡をつけて来たようでした。その数日後に柴田権蔵宛の手紙が投函されました。この一連の事実を考えてみると・・・」


「みると?」と先を促す社長。


「包帯男は歌舞伎座で柴田権蔵という男を捜していました。なぜ歌舞伎座でなのかは私にはわかりませんが、そこで柴田権蔵に似た常務さんを見つけました。しかし近寄って確認したら、常務さんは柴田権蔵ではありませんでした。本来ならここで話は終わるはずですか、なぜか別人が常務さんの家を突き止め、柴田権蔵宛の手紙を郵便受けに入れました。この時点で考えられることは、その別人が柴田権蔵に用があって、包帯男に捜させていたということです」


「でも、包帯男は久貝くんが柴田権蔵でないことを確認したんだろう?」


「包帯男はその別人に、柴田権蔵を見つけられなかったらひどい目に遭わすと脅されていたのかもしれません。顔に包帯を巻いていたのは、その別人による暴力のせいなのかも。柴田権蔵を見つけられなかった包帯男は、責められるのを防ぐため、常務さんが柴田権蔵に似ているが、姿が若干変わっているので確信できないとでもその別人に伝えたのでしょう。そこでその別人は、常務さんが柴田権蔵か確認するために、跡を追って来たのではないでしょうか」


「常務を柴田権蔵だと思ったのなら、その別人はすぐに久貝くんを問い詰めるんじゃないのか?」と社長が聞いた。


「おそらくですが、常務さんのご立派な家を突き止めたその別人は、彼が知っている柴田権蔵の情報と齟齬があると感じたのでしょう。そこで手紙を郵便受けに入れ、それを読んだ柴田権蔵が・・・柴田権蔵がいるとしたら、何らかの行動を起こすのではないかと期待したのでしょう」


「ということは、常務の家はその別人に監視されているということかな?柴田権蔵の反応を確認するために。・・・だとしたら監視に便利な近所の家を借りる必要があるな。その監視体制を整えるために数日を要したのかな?」


「そうかもしれません。しかし手紙を見たはずの常務さんに目立った反応がない。柴田権蔵ではありませんから当然のことなのですが、しびれを切らしたその別人が行動を起こす可能性があります」


「行動を起こす?どういう行動を?」と津川さんが聞いてきた。


「常務さんの家に押し入って、直接尋問しようとするかもしれません」


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

久貝喜市くがいきいち うま味加減株式会社あじかげんかぶしきがいしゃの常務。

水原八男みずはらやつお うま味加減株式会社の社長

湯原夏彦ゆばらなつひこ うま味加減株式会社の営業部長。

津川明治つがわあきはる うま味加減株式会社の開発部長。

歌舞伎座の怪人 顔に包帯を巻き、久貝常務に近づいた謎の男。

柴田権蔵しばたごんぞう 正体不明の人物。

御手洗達夫みたらいたつお 警視庁広報課長。

島本長治しまもとちょうじ 警視庁の刑事。


映画情報


ロン・チェイニー主演/オペラの怪人(1925年9月日本公開)

ネルソン・エディ主演/オペラの怪人(1952年1月24日日本公開)

ハーバート・ロム主演/オペラ座の怪人(TBS系列金曜映画劇場、1970年6月26日放送)


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