五十四話 文車妖妃(美知子の妖怪捕物帳・肆拾漆)
料理屋でボタン鍋をおいしくいただいていると、おかみさんがやって来て、
「姫島鉄男様、ご自宅からお電話が入っていますが」と姫島専務を呼んだ。
「何だ、こんなときに」とぶつぶつ言いながらも立ち上がって店の黒電話に向かう専務。
「専務さんと社長さんは同居されているのですか?」と俺は姫島社長に聞いた。
「いや、息子夫婦はうちの近所に家を建てて、そっちで暮らしている。同居していると嫁さんが気を遣うだろうし、元気な男の子が三人もいて、しょっちゅう一緒にいると私ら夫婦も疲れるからな」と社長が答えた。
「スープが冷めない距離にいるというのが理想とされていますから、ちょうどいいですね。用があればすぐに会いにいけますし」
「そうだな」
そんな話をしていると専務が難しい顔をして戻って来た。
「どうした?」と聞く社長。
「例の手紙がまた来ていた」と答える専務。
「あんなの子どもの悪戯だろう。しかししつこいな」と社長が言った。
何やら訳ありの話をしているようだったので、俺は聞いていない振りをしていたが、突然専務が俺に話を振ってきた。
「藤野さんにもうひとつ相談したいことがあるんだが・・・」
「は、はい?何でしょうか?」
「今は説明できないから、明日かあさってか、近いうちにまた会社に来てもらえないだろうか?」
「今日と同じ時刻ならかまいませんが」
「じゃあ、明日また大学の正門前に迎えを寄越すから来てほしい」
「わかりました。・・・何かややこしいお話のようですが?」
「ま、まあ、今そんな話をしてもしょうがない。とりあえず料理を楽しもうじゃないか」と社長が言ったが、社長も専務も今ひとつ楽しめないような雰囲気だったので、あまり話が弾まなかった。
まもなくお開きとなり、俺は呼んでもらったタクシーに乗ってひとりで帰った(もちろんタクシー代は別にいただいた)。
翌日、同じ時刻に秋花女子大学の正門前で待っていたら、まもなく『姫石運送』のトラックが来たので、運転手に話しかけてから助手席に乗り込んだ。
昨日と同じように社屋の前で停まり、迎えに来た専務と一緒に二階の応接室に上がった。その部屋で社長も待っていた。
「二日も来てもらって悪かったね」とまず謝る専務。
「いいえ。何か相談事なのでしょうか?」
「ああ。まずこれを見てくれ」と言って専務が一枚の便せんを差し出した。その便せんには文字は書かれておらず、かわりに切り抜いた新聞か雑誌の活字を貼って文章が作ってあった。
その文章は、「お前の秘密を知っている」で、それ以外には何もなかった。
この時代では活字を貼って作った脅迫状や誘拐犯の身代金請求書が定番だ。筆跡を知られないためなのかもしれないが、こんな面倒なことをしていたら、指紋やら何かの痕跡やら残しそうで、あまり頭がいい方法だとは思えない。
「先に言っておくが、人に知られて困るような秘密は抱えていない」と専務が言った。
「個人的にも会社の業務にも、後ろ暗いことは一切ない」と専務が強調した。
「これはテレビドラマでも見て真似をした子どもの悪戯じゃないのですか?」
「最初はそう思ったんだが、これが初めてではなく、実は五通目なんだ」
「五通も来ているのですか?いつからですか?」
「最初に来たのは今年の四月末だったな。表に『専務殿』とだけ活字を貼った封筒が会社の郵便受けに投函されていたんだ。私もこの文面を読んですぐに悪戯だと思い、丸めて捨てたんだが、その半月後にも同じような手紙が来たんだ。それが三回、四回と続いて、さすがに気味が悪くなって警察にも相談したんだ」
警察が出てきたなら俺の出る幕はないな、と思いながら、
「警察が捜査してくれたのですね?どうでしたか?」と聞き返した。
「まず、指紋を調べてくれたんだが、何度も読み返した我々の指紋しか検出されなかった。封筒には、事務員や家内の指紋もついていたんだが・・・」
「封筒はご自宅にも投函されていたのですか?」
「最初の三通は会社で、これを含めた二通は自宅の郵便受けに入っていた。だから封筒を取り込んだ事務員や家内の指紋が封筒には残っていたんだが、便せんには不審な人物の指紋はなかった」
「なるほど。で、警察の結論は?」
「指紋がないのでこの手紙を作ったのが誰かわからない上に、人を脅すような文面ではあるが、危害を加えるとも金銭を要求するとも書いてなかったので、事件とは言い難い、やっぱり誰かの手の込んだ悪戯ではないか、と言われたよ。これ以上は捜査のしようがないので、何か進展があるまで静観しろとのことだった」
「確かにただの嫌がらせの手紙に見えますが、ほかの手紙もまったく同じ文章だったのですね?」
「警察に渡したのは指紋を調べた後で返してくれた」そう言って専務は手元にあった大きい封筒の中から定型封筒三通分と、便せん三枚を出した。便せんにはどれも同じ文章が、新聞か雑誌の見出しの活字を切り抜いて貼ってあった。
「この活字はどこから取ったものでしょうか?」
「さすがに警察もそこまでは調べてくれなかったよ。ただ『秘』と『密』が同じ活字だから、そういう言葉を見つけやすいゴシップ雑誌から切り取ったのかもしれないな」
「そうですか。・・・悪戯だとしてもかなり手間をかけています。そして目的は今のところ専務さんの不安をあおるだけですね。現時点では、犯人の動機は、二通り考えられます」
「犯人の動機?・・・それは何だね?」
「ひとつは専務さんに恨みを持っている者が嫌がらせで行ったというものです。最初の一通が四月末に来たと仰りましたが、その少し前に何かトラブルはありませんでしたか、会社でもご自宅でも?」
「そうだな。・・・そう言えば、四月に入社した女子事務員がすぐに退職したことがあったな。その理由が、声をかけてくるトラックの運転手が怖いとか、気持ち悪いとかいうことだった」
「退職するときにもめましたか?」
「いや。本人の気持ちを確かめた後で円満に退職してもらったよ。他の事務員の話では、社内でその女子事務員に執拗に声をかけるような運転手はいなかったということだったが」
「専務さんご自身がその女子事務員に何かしたわけではなかったのなら、恨まれる筋合いはありませんね」
「もちろんだ。私はその事務員に迫ったりなどしなかったぞ!」と強調する専務。
「もうひとつの動機として考えられるのは、・・・これはあくまで仮定の話ですが、専務さんに秘密があり、そのことのうすうす勘づいている人が、専務さんの不安をあおり、何か行動を起こすのを待っているということです」
「私には秘密などないんだが・・・」とぶつぶつ言う専務。
「例えばどんな秘密を炙り出そうとしているのかね?」と社長が聞いてきた。
「あくまで例えばですが、専務さんが浮気でもしているんじゃないかと疑っている人物がいて、普段の行動を見ても怪しい点がないので、『秘密を知っている』と脅すことで専務さんが不安になって、浮気相手のもとへ駆けつけるのを待っているとか」
「だとしたら、怪しいのは嫁さんだな」とおもしろがっている社長。
「私は浮気などしていない!」と顔を赤くして断言する専務。
「ですから、やましいことが何もなければ、この後何度同じような手紙が届いても無視し続けることです。もし脅すような文面に変わったら、改めて警察に相談されるといいと思います」
「気になるだろうが、気にするなってことだな」と社長が気楽そうに言った。
「ところで、最初の三通は会社へ、最近の二通は自宅へ投函されたということですが、三通目と四通目の間で会社の警備を厳しくしたということでもあったのでしょうか?」
「ああ。最初の三通は我々が出社する前に会社の郵便受けに入れられたようなので、警備員をひとり雇って、夜間から早朝にかけて郵便受け付近を重点的に見回るように指示した」
「それで会社への投函をあきらめ、専務さんのご自宅に手紙を届けるようになったのですね。・・・昨日は夕食中にお電話がかかってきましたが、自宅へは何時頃に投函されているのでしょうか?」
「朝は新聞を取り込むときに郵便受けを覗くが、例の手紙が入っていたことはない。おそらく昼過ぎの、家内が買い物に出かけた留守を狙って投函しているのだろう。子どもたちも学校に行っているからな」
「となると、専務さんの会社や自宅の様子を知っている人間ということになります。家族か親しい知人、会社の関係者などですね」
「身内に犯人がいるのか・・・」愕然とする専務。
「今思い出しましたが、鳥山石燕という江戸時代中期の画家が妖怪の絵を描いていて、その中に文車妖妃というのがあります」
「文車妖妃?」
「古い恋文にこもった怨念や情念などが変化した妖怪とされていますが、恋愛感情のもつれも恨みを招きやすいですね」
「恋愛?また私が浮気したと言うのか?」
「いえ。先ほど四月に退職された女子事務員がいたと言われましたが、専務さんが社外でその女性と会ったことはありますか?」
「・・・そう言えば、退職した後で会社近くの喫茶店で会ったことがある。ただ、浮気とかじゃなく、その事務員に見舞金を渡しただけだ」
「見舞金?」
「半月ほど働いていただけだから退職金は出せないが、会社で嫌な思いをしたと言うから、心付け程度のお金を渡したんだ。その事務員は会社には来たくないと言ったので、その喫茶店で待ち合わせをした」
「なるほど。・・・そのとき会社の関係者か知人がそばにいませんでしたか?」
「その事務員はあたりを警戒していたが、私は特に気にしていなかったからわからない」
「その女子事務員は会社の運転手のひとりに声をかけられていたとのことですが、ひょっとしたら社外で執拗に追いかけられていたのかもしれません」
「そう言えばそんなことを言っていたな。会社からの帰りによく待ち伏せされているとか。・・・そこまで慕われていたのなら、つき合ってやれば良かったのに」
「女性はか弱くて非力なので、好きでもない男につきまとわれたら恐怖でしかありませんよ」ストーカーという言葉が社会に浸透するのも、ストーカー規制法が成立するのも、未来の話だ。
「そうかな?・・・結婚したら女はか弱くも何ともないけどな」と専務が言った。家では奥さんの尻に敷かれているのかな?
「とにかく、その女子事務員を追いかけ回す男がいました。その事務員は怖くて会社を辞めましたが、その事務員と専務さんが喫茶店で仲良さそうに会話していたら、その男はどう思ったのでしょう?」
「あの運転手が私に逆恨みをして、あのような手紙を何度も送りつけてきたと言うのか?・・・その運転手のことはよく知っている。三十代半ばで独身だが、変なやつではないんだが・・・」
「まず、毎回活字を貼り付けた嫌がらせの手紙を投函してくる。ここまで手間をかけたことをし続ける人なら、意中の女性を執拗に追いかけるでしょう。性格的には合致しています」
「藤野さんは性格判断までできるのか」
「性格判断というか、犯人の行動からその人物像を絞り込むという手法ですね」この時代には犯罪捜査におけるプロファイリングはまだ確立されていない。
「そして文章を作るのに使った活字がゴシップ雑誌から取ったものだとすれば、こういう雑誌を読むのは主に男性なので、矛盾はしません」
「あの運転手に、この手紙はお前が出したんだろう?と聞いてみたらどうだ?」と社長が口を出した。
「そうですね。ただ、やったことを糾弾するのではなく、優しく諭してあげる方が無難でしょう。ついでに専務さんは、あの女子事務員にはもう会っていないと言っておくといいかもしれません」
「そうだね。トラックの運転手が辞めることは我々も望んでないからね」
「仲人好きな知人に見合い話でも持って来させようか。そうすれば落ち着くだろう」と社長。
「私が聞いた情報から考えられることは以上です。知らない事実があれば、別の犯人像が浮かび上がるかもしれませんが」
「とりあえずあの運転手と話をしてみるよ。藤野さん、ありがとう」と専務が俺にお礼を言った。
「ちなみにその女子事務員に迫っていたのは、今日藤野さんを連れて来たトラックの運転手だ」
その言葉を聞いて俺も怖くなった。
「その運転手さんに話すのは、私が帰ってからにしてください。そして、私が関わったことは絶対に言わないでくださいね」
「わかった、わかった」と気楽そうに答える専務。
俺は一抹の不安を覚えながらも、謝礼の入った封筒を受け取った。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
姫島鉄男 姫石運送の専務。
姫島岩男 姫石運送の社長。専務の父親。
書誌情報
鳥山石燕/百器徒然袋巻之上(妖怪画『文車妖妃』収載、江戸書林、1784年刊行)




