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五十三話 メアリー・セレスト号事件と季節外れの夜桜

俺と姫島社長と姫島専務は社屋の外に出て、呼んでおいたタクシーに乗り込んだ。


その車内で専務が話し始めた。


「マリオネット号の話を聞いて思い出したんだが、藤野さんはメアリー・セレスト号事件について知っているかな?」(作者註:マリオネット号の正しい船名はミニョネット号)


「メアリー・セレスト号事件ですか?どんな事件なのでしょう?」


「メアリー・セレスト号という帆船がアメリカから出航してヨーロッパに向かう途中で、乗員が全員いなくなったという事件だよ」と専務が嬉しそうに説明した。


「詳しく教えてもらえますか?」


「ああ。・・・僕は子どものときにさっき話に出た『ゆうれい船』という本を読んで幽霊船に興味を持ったんだ。そして似たような話をいろいろと探しているうちに知った実話なんだ」


「実話ですか?」


「そう。十九世紀後半、日本では明治時代になってまもない頃かな?メアリー・セレスト号は船長と船長の妻と娘、それに船員七名が乗り込んで十一月にニューヨーク港を出航したんだ。十二月になった頃に別の船が漂流しているメアリー・セレスト号を発見した。そこでメアリー・セレスト号に乗り込んで調べてみたところ、船は航行できる状態だったのに乗員が全員いなくなっていたんだ」


「正に幽霊船ですね。何か事件があった痕跡はあったのでしょうか?」


「デッキは水浸しで、ハッチと食料貯蔵室の扉が開いていて、船倉には水が少し貯まっていた。救命ボートは残っておらず、船内から六分儀と言う船舶の位置を測定する器具と、クロノメーターと言う高精度なぜんまい時計がなくなっていた。乗員は救命ボートで避難したと考えられたんだが、船が無事なのになぜ逃げ出したのか、誰にもわからなかったんだ」


「その話は聞いたことがあるぞ」と社長が口をはさんだ。


「確か食堂にはまだ温かいコーヒーが置かれ、朝食も調理中のままだったとか」


「発見の直前まで乗員がいたということですか?」俺は驚いて聞き返した。


「いやいや、それは事実と違うんだ」と専務が言った。


「その部分はコナン・ドイルという作家が小説に書いた作り話なんだ」


「なんだ、そうなのか」と社長。


「コナン・ドイルという作家は、あの有名なシャーロック・ホームズの産みの親なんだけど、ホームズものを書く前に執筆した短編小説で、メアリー・セレスト号事件を題材にしたんだ。その作中であたかも直前まで人がいたかのように書いていたのが、事実だと誤解されるようになったんだ」


「世間の人が事実と小説をごっちゃにしたわけですか」


「そういうこと」と専務。


「で、その謎を藤野さんに解いてもらおうってことか?」と社長が聞いた。


「いやいや、ある程度の真相は既に判明しているんだ」


「なんだ、そうか?」


「実はメアリー・セレスト号は工業用アルコールが入った樽を千樽以上積んでいて、そのうちの一部が空になっていたんだ」


「アルコールですか?」


「そう。だから航行中に樽からアルコールの蒸気が漏れ出ていて、それにランタンの灯かタバコの火が燃え移って大爆発を起こしたんじゃないかと考えられている。その爆発でハッチが開いたりして炎が吹き上がったので、船長を始めとする乗員たちはあわてて救命ボートに乗って脱出したんじゃないかということだよ。この説は二十世紀初頭に雑誌に掲載されていたものなんだ」


「アルコールに火が着いて大爆発?そうなったら船が火災を起こして、沈没してしまうんじゃないか?」と聞き返す社長。


「それが、アルコールの蒸気に火が着くと派手に炎が上がるけど、まもなく火は消えてしまい、近くの木材などには火が移りにくいらしいんだ」


「ということは、大爆発を起こして大火災が起こったように見えたけど、まもなく跡形もなく鎮火して、無傷の船体が残ったということですか?」と俺は聞いた。


「そうらしいんだ」


「だったら救命ボートで逃げた乗員たちがすぐに船に戻るんじゃないのか?」と社長が聞いた。


「おそらくだけど、船と救命ボートの間をロープで繋がなかったため、救命ボートは波で流されて船に戻れなかったんだ」


「デッキが水浸しだったのはなぜですか?」と俺は聞いた。


「乗員がいなくなった後に遭遇した暴風雨で濡れたんじゃないかな?」


「で、逃げ出した乗員はどうなったんだ?」と社長が聞いた。


「見つかっていないので、救命ボートが転覆でもして全員亡くなったんじゃないかと言われている」


「それでメアリー・セレスト号は無傷の幽霊船になってしまったのですね。悲劇ですが、興味深いお話でした。ありがとうございます」と俺はお礼を言った。


「それから、ついでに藤野さんに聞きたいことがあるんだが」と専務が話を変えた。


「なんでしょうか?」


「実は我が社の運転手のひとりが妙なものを見たと先日言ってきてね、僕にもわからなかったので、藤野さんの意見を聞きたいんだ」


「わかりました」


「先日、運転手のひとりが夜暗くなってからトラックで荷物を運んでいたんだ。そのとき道路沿いに生えていた桜の木が満開で、ライトで煌々と照らされていたそうだ」


「夜桜に照明を当てていたんじゃないか?」と社長。


「つい先日のことだから、桜が咲く時期はとうに過ぎていますよ」と専務が答えた。


「桜の種類で開花時期は異なりますが、普通の桜は三月か四月頃、山桜や八重桜は五月頃まででしょうか?それよりも後の時期だと桜が咲くのは変ですね?」


「そうなんだ」


「北の方や標高の高いところでは気温が低いので、同じ桜でも開花時期が遅れます。その運転手さんはどこでその夜桜を見たのでしょうか?」


「北関東の平野部だから、東京とそんなに気温は違わないはずだ。それに不思議なことに、翌日の昼間に同じ道を通って帰って来たけど、道路沿いに桜は咲いてなかったそうだ」


「まさか、その運転手は酔っぱらっていたんじゃないだろうな!?」と社長が追求した。


「冗談でもそんなことは言わないでくださいよ、社長!運送会社の運転手が飲酒運転していたら、大事おおごとになりますよ!」


「じゃあ、素面しらふだったんだな?・・・その点は良かったが、そうなると夜桜の謎が残るな」


「季節外れの桜が咲いていて、照明が当てられていたのですか。・・・確かに不思議ですね。もう少し、桜が咲いていた場所を詳しく教えてもらえますか?」


「わかった。確か○○県の□□町に通じている道路で、すぐ横を線路が平行している」


「線路ですか?どの路線でしょうか?」


「毛武電車の支線だよ。路線の名称までは知らないけど」


「線路と平行している道路なのですね?その夜桜は線路側に見えたのでしょうか?」


「ああ。線路を跨いだ反対側は雑木林になっていて、そこに夜桜が咲いていたそうだが、運転手が昼間に見たときには緑の葉が繁った普通の木々しかなかったそうだ」


「なるほど。だいたいわかりました」


「え?もうわかったのかい!?」驚く専務と社長。


「はい。実は先日毛武電鉄の社長さんたちにお会いして、そのときに経営が悪化しつつある支線の復興策についてお話ししたことがあります」(十二話参照)


「・・・藤野さんは毛武電鉄からも頼りにされていたのか」と感嘆する社長。


「その方策のひとつとして、沿線に桜並木を作って、夜はライトアップし、お座敷列車の乗客の目を楽しませては、と提案したのです」


「電車から桜並木が見られればきれいだろうね」と専務。


「しかも夜なら、なおさらきれいに見えることだろう」と社長も言った。


「だが、あそこには桜並木はなかったぞ」


「提案してから日が浅いので、さすがに桜を何本もすぐに植え替えることはできなかったでしょう」


「じゃあなぜ夜桜が見えたんだ?」


「おそらくですが、ピンク色に着色した豆電球をたくさん用意して、木の枝にはわせ、点灯して見栄えを確認していたのではないでしょうか?」


「豆電球をたくさん?・・・かなりの数の豆電球が必要になるぞ。それを電線に繋いで、電源を入れたというわけか?」


「はい、その通りです。クリスマスツリーの飾りのようにです」


「そのためその木には小さなピンク色の光がたくさん灯り、運転中の運転手が横目で見たときに照明で照らされた夜桜に見えたわけか」


「なるほど、筋は通りますね。・・・目撃した運転手はとてもきれいだったと言っていましたから、電車から見たら壮観だったことでしょう。もっとも車の運転手は、脇見運転の原因になりかねないから危険だけど」


「そうですね。それでも夜桜が見えるのが恒例になったら、運転手さんたちも慣れてよそ見しなくなると思います」


そのとき俺は考えた。毛武電鉄の人たちは木を植え替えるのが面倒で、電飾だけでごまかそうとしているのかな?そして秋になったら赤い豆電球を点灯して、紅葉風に見せるつもりかもしれない。・・・それでもいいけど、夜以外は桜にも紅葉にも見えないだろう。


そんな話をしているうちにタクシーは店の前に着いた。タクシーを降りると、そこは町外れにある田舎の民家風の飲食店だった。


「さあ、中に入ろう」と社長が言って、入口の引き戸を開けた。


「いらっしゃい、社長さん!」と出迎えるお店のおかみさん風の女性。


「やあ、今日はいいのが入っているかな?」


「はい、畑を荒らしていた猪と鹿を猟友会の人が持って来ましたよ」


「そうかい、それは良かった。熊は?」と聞く社長。


「あいにく熊肉は入って来ていません」


「そうか」と社長は言って、案内されて奥の座敷に移動した。


「猪も鹿も、本当は冬場の方が脂が乗っておいしいんだけどね」と専務が補足した。


「今は食べるためというより害獣駆除の名目で狩猟をしていることが多いから、いつ入って来るかわからないんだ」


「たまたま食材が入らない日だったら、このお店はどうしているんですか?」


「ブタの頭とか耳とか、普段は食べない部位の料理を出してくれるんだ。沖縄じゃあ普通に食べている部位らしいけどね」


「そ、そうですか・・・・」


何かとんでもない料理が出てくるんじゃないかと冷や冷やしながら席に着く。


「飲み物は何にされますか?」


「わしは最初は日本酒だな」と社長。


「僕はビールを。藤野さんは何にする?」


「私は飲めないので、オレンジジュースをお願いします」と俺は言った。ジュースでも飲食店で出されるのは、スーパーなどで買うものより値段が高く、おっかなびっくり注文した。


飲み物とともに突き出しのおひたしが出されると、


「それでは貴重な意見をもらい、相談事にも乗ってくれた藤野さんに乾杯だ!」と社長が言った。


「乾杯」と言ってジュースをすする。すると間髪おかず鹿肉の照り焼きが出された。見た目は普通の肉と変わりがない。


一切れ取って食べてみると、なかなかおいしかった。牛とも豚とも鶏肉とも違う食感だ。臭みはまったくない。


「猪はボタン鍋でいいですか?」と聞くおかみさん。


「ああ、頼むよ」と社長が言うと、まもなくガスコンロが用意され、昆布だしが入った鍋と、猪肉が盛られた皿が到着した。


猪肉は脂肪が肉の端に寄り、肉自体はきれいなピンク色だった。牡丹の花びらのように盛りつけてあったので、「これでボタン鍋というんだな」と納得した。


野菜と一緒に猪肉を鍋に入れるおかみさん。


猪肉ししにくはいくら煮ても硬くならないので、お好きなタイミングでどうぞ」


そうなんだ、と思いながら煮えていく肉と野菜を見つめる。そして小皿に取ってポン酢をつけて食べてみた。


「豚肉とは違う味で、おいしいですね」


「そうだろう、そうだろう」と日本酒を飲みながら喜ぶ社長。


「豚よりも肉質がしっかりしているし、牛と豚の間のような味だな」と専務も言った。


熊肉には食指が動かないが、猪や鹿は機会があればまた食べてみたいと思った。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

姫島岩男ひめじまいわお 姫石きせき運送の社長。

姫島鉄男ひめじまてつお 姫石きせき運送の専務。社長の息子。


書誌情報


エドガー・アラン・ポー/ゆうれい船 (名作冒険全集27、偕成社、1958年5月初版)

コナン・ドイル/J・ハバクク・ジェフスンの遺書(『ドイル傑作集IIー海洋奇談編』に所収、新潮文庫、1958年8月22日初版)

執筆者不明/The Mystery of the Marie Celeste(Los Angeles Herald Sunday Magazine、1910年10月30日号)


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