四十九話 天火(美知子の妖怪捕物帳・肆拾肆)
「我が社が設立した去年の八月から、大黒堂スーパーさんの古い倉庫にしまってあった品物を隣の倉庫に移し替えしたんだが・・・」と森社長が話し始めた。
「今年の五月にその古い倉庫で火災が発生したんだ。倉庫はほぼ全焼した。その倉庫はほとんど空で、火の気がまったくなかったにもかかわらずだ。だから私は最初、天火が落ちたのではないかと思った」
「天火とは何ですか?」
「空から降ってくる火の玉のことだよ。火毬とか天火と呼ぶこともある。家屋に落ちれば火事になると、江戸時代の随筆集の『甲子夜話』に書かれているんだ」
「じゃあ、火の玉が落ちて火事になったのですか?」
「いや、警察と消防が調べたら焼け跡から焼死体が見つかった」
「え?・・・どなたか社員の方が亡くなられたんですか?」
「いいや。その倉庫には我が社の社員も大黒堂スーパーさんの社員もいなかった。それどころか、鍵をかけて閉め切ってあったんだ」
「浮浪者が入り込んでいて、火事を起こしたのでしょうか?」
「遺体の回りには浮浪者が使っていたようなダンボールや古着が焼け焦げたものが残っていたようだから、浮浪者が住み着いていたことは間違いない」と冨山さんが言った。
「ただ、警察が念のため司法解剖を行ったところ、その浮浪者は火災発生前に死亡していたことがわかったそうだ。死体に灯油をまいて火を着け、倉庫ごと燃やされたらしい」
「殺人の隠蔽のための放火でしょうか?」
「その点は警察が精力的に捜査したから、ここでは問題にはしない。私が不審に思っているのは、その犯人や浮浪者がどうやって倉庫に侵入したのかなんだ」
「簡単に人が入り込める倉庫ではなかったのですね?」
「そう。古い倉庫だが壁はしっかりした木材でできていて、人が入り込める隙間や穴など簡単には作れない。扉は頑丈な倉庫錠がかけられていた。屋根は瓦葺きだ。荷物を出したときに、『この倉庫はまだ使えるな』と思ったことを覚えている」と森社長が言った。
「窓はあったのですか?」
「左右の壁の二階の高さに明かり取り用のガラス窓があり、梯子をかければ開けて換気することができる。しかし梯子は撤去した後だし、外からその窓によじ登るのは容易ではないんだ。倉庫の中にも足場になるものは残っていなかったから、窓を通って外に出るのも難しいと思う」
「倉庫が全焼したので、扉が開いていたのか閉まっていたのか、わからなかったのではありませんか?」
「扉は焦げた状態で倒れていたが、鍵がしっかりとかかったままだったし、蝶番にも問題はなかった。壁の下の方も、焼け残っていたところを見る限り穴が開けられた痕跡はなかった。警察も侵入口がわからなくて、我々の会社の鍵の管理について聞きに来たが、鍵の一本は私が持っていて誰かに持ち出された形跡はなかったし・・・」
「我が社に置いてあったもう一本の鍵も、しっかりしまってあった」と大黒堂スーパーの冨山さんが言った。
「鍵はその二本しかないと聞いている」と森社長。
「我が社はその倉庫には関与していない」と恵比寿屋マーケットの都築さんが言った。
「つまり、倉庫の扉の鍵は二社で保管してあり、持ち出された形跡はなかったのに、犯人は倉庫に浮浪者の死体を運び入れて放火した・・・あるいは侵入してから浮浪者を殺害し、放火したということですね?」
「その通り」と森社長が答えた。
「燃え尽きたところに侵入口があったのだろうと警察は考えたんだが、倉庫をこの目で見た我々としてはどうにも納得できなくてね」
「それを私に聞きたいのですか?しかし、現場の倉庫がほとんど燃えたとあっては、今さら侵入口を調べられませんよ」と俺は言い返した。
「それはそうだろうが、とにかくこの写真を見てほしい」と冨田さんが言って何枚かの白黒写真を出して来た。
写真には木造のがっしりした倉庫がいろいろな方向から撮られていた。扉にかけられている倉庫錠・・・大きな南京錠の写真もあった。下に凸の五角形(ホームベース形)を横に伸ばしたような形の錠前で、上縁の両端に上に突き出た長方形の腕があり、その間に芯棒が伸びている。この芯棒を、扉に取りつけた金具の穴に通して施錠するようだ。
「これはいつの写真ですか?」
「去年の年末頃の写真だよ。倉庫の中が空になったのを確認したときに、この倉庫を今後どうするか・・・取り壊すのか、何かに利用するのか、考えるために写真を撮っておいたんだ」
「確かに非常にがっしりとした造りで、簡単には侵入できなさそうですね」
「そうなんだ。犯人が捕まれば侵入方法がわかると思っていたんだが、先日容疑者が死亡して、謎が解ける見込みがなくなったことを知ったんだ」
「容疑者は亡くなったのですか。・・・それは置いといて、倉庫自体が古そうですから、この倉庫錠も錆びて簡単に取り外せる状態になっていたのではないですか?」と俺は聞いた。
「いや、その錠前は新品に交換したばかりだから、簡単に壊せる代物じゃないんだ」と大黒堂スーパーの冨山さんが言った。
「新品?もう使わなそうな倉庫に新品の倉庫錠を取り付けたのですか?」
「新品と言っても、十年以上も前に買っておいた予備の、未使用の錠前という意味なんだ。今まで取り付けていた錠前が、藤野さんが言ったようにかなり錆びついていたんで、予備の錠前に替えたんだ。この手の錠前を使えるところはほかにはないのでね」
「倉庫錠を取り替えたのがこの写真を撮った年末頃のお話ですか?」
「そうだ」
「古い錠前はどうされたのですか?」
「・・・そう言えば持って帰らなかったな。新しい錠前と交換する際に、地面に落とした記憶がある。・・・そのままほったらかしたのかな?」
「錠前を取り替えたのは、倉庫の扉を施錠するときでしたか?」
「いや、手に持っていても邪魔なんで、倉庫に入るときに古い錠前を取り外して地面に落とし、新しい錠前の芯棒を片方の扉の金具にかけて倉庫の中に入ったんじゃなかったかな?」
「この倉庫錠は鍵を差し込んで回して開けるのですね?」
「そう。鍵を差し込んで回すと、芯棒の受け口側の腕が外側に傾いて芯棒の端が露出するんだ。そして芯棒を扉の金具から抜くと、扉を開けることができる」
★倉庫錠の施錠と開錠
「施錠するときにも、その鍵を使うのですか?」
「いや。芯棒を扉の金具に通し、芯棒の受け口側の腕を内側に押し込めば施錠できる」
「つまり、施錠するときには鍵を使わないのですね?」
「そうだが・・・」
「新しい倉庫錠が施錠でき、新しい鍵で開くことは確認されましたか?」
「未使用品の錠前を出した時は芯棒が受け口に入った状態、つまり鍵がかかった状態だから、その錠前用の鍵で芯棒を露出させ、扉の片方の金具に通しておいたな」
「つまり、扉の金具にかけた状態で倉庫に入られたのですね?新しい倉庫錠用の鍵を錠前の鍵穴に差し込んだままにしておきませんでしたか?」
「・・・差し込んだままだった記憶がある」
「倉庫内の用事をすませた後、倉庫の扉を閉め、倉庫錠の鍵穴から鍵を抜いて、手で両側から倉庫錠を押して施錠した、ということですか?」
「そうだ」と富山さん。
「なるほど。・・・何となくからくりが読めてきました」
「ほんとうかい!?」異口同音で驚く森社長と冨山さん。
「はい。お二人の会社の社員が倉庫内で作業をされている間に、おそらくですが浮浪者が倉庫の前を通りかかったんです」
「焼け死んだ被害者か!?」
「はい、おそらく。その浮浪者が新しいねぐらを探していたとします。古いががっしりした倉庫の扉が開いていて、鍵穴に鍵を差したままの倉庫錠が扉にかかっていました。浮浪者はこの倉庫に後で入り込むために、倉庫錠の鍵を抜いたのです」
「しかし、鍵がなくなっていたら、さすがに我々も気づくが?」と疑問を呈する冨山さん。
「浮浪者もそう思ったのでしょうね。どうしようかとあたりを見回したら、古い倉庫錠とその鍵が地面に落ちていた。そこで浮浪者は古い鍵を拾い、新しい倉庫錠の鍵穴に差しておいたのです。その鍵で開錠することはできませんが、鍵穴に差すだけならできたんじゃないでしょうか」
「そうか!閉めるときには鍵を使わないから、その鍵が古い錠前のものだと気づかなかったんだな?」と都築さんが納得して言った。
「しかし、新しい鍵と古い鍵は、指に触った感触で見分けられるんじゃないか?」と疑う森社長。
「錠前自体は風雨にさらされていたので錆びていましたが、鍵は会社に保管してあったので、触ってわかるほど錆びてはなかったでしょう。だから気づかなくても無理ありません」
「なるほど」
「そして倉庫を空にした社員さんたちが帰った後で、抜き取っておいた鍵を使ってその浮浪者が倉庫内に侵入したのです」
「そしてそこに住み着いたのか」
「はい。放火の事件のことはよくわかりませんが、その浮浪者を殺害した犯人は開けられた入口から倉庫に入って、中に死体を置いて火を着けたのでしょう。倉庫から出るときに施錠することを忘れずにです。鍵は、浮浪者が倉庫内に入るときに倉庫錠の鍵穴に差してあったので、放火犯が持ち去ったのかもしれませんね」
「・・・その説明は一理あるが、証明できるのかね?」と冨山さんが聞いてきた。
「倉庫錠の鍵は冨山さんと森社長がひとつずつ保管しているのですね?その鍵を持ち寄って、同じ鍵か比べてみればわかると思いますよ」
「なるほど。今度持って行って確認してみよう」と冨山さんが言った。
「不可能と思われた倉庫内への侵入の謎も、簡単なことだったね」と都築さん。
「使わなくなった古い鍵でも、その辺に捨てるもんじゃないな」
「そうだな。肝に命じておこう」と冨山さん。
「それはともかく、人を殺して放火するなんて凶悪事件があったのですね?」と俺は三人に聞いた。
「まったくいい迷惑だよ」と冨山さん。
「事件の詳しいことを警察は教えてくれなかったが、その事件を扱った記事が新聞に載っていた」
「どんな事件だったのかい?」と聞く都築さん。
「難しくてあまり良く理解できなかったんだが、頭を殴ってできる頭の中の血の塊と、火災の熱で焼死体に自然にできる血の塊を識別できるかという実験を犯人が行ったらしいんだ」(「五十年前のJKアフターストーリーズ」九十二話参照)
「実験をするために人を殺したのですか?」と俺は驚いて聞き返した。
「どうもそうらしい。ほかにも二人、同じ実験の被害者が見つかったそうだ。・・・その二人は空き地で燃やされていたのに、こっちの事件では我が社の倉庫ごと燃やされて散々だったよ」
「ひどい話ですね」
「結局犯人は、仙台の橋の上から身を投げて死んだらしい。死ぬ前に倉庫を弁償してほしかったよ」と冨山さんがぶつぶつ言って、俺は何も言えずに肩をすくめた。
「冨山さんはかっかしているようだから、先に僕の話を聞いてもらえるかな?」と都築さんが言った。
「それはいいが、その前にお茶のおかわりをもらえるかな?」と森社長が俺に向かって言った。
「はい、かしこまりました」と俺は言って立ち上がった。
「サイドテーブルの下の引き出しにお菓子が入っているから、それも持って来てくれ。お菓子は箱ごとでかまわないよ」
「わかりました」
俺はサイドテーブルに行ってお盆を取ってくると、四人分の古いお茶をお盆に載せた。そしてサイドテーブルの上に煎茶椀を置くと、新しい煎茶椀を用意し、急須の中のお茶っ葉を横の流しの三角コーナーに捨て、新しい茶葉を入れてお湯を入れた。
一回しか使ってない茶葉を捨てるのは、家庭ではもったいないと思ってしまうが、会社の来客相手だと仕方がないことだろう。
サイドテーブルの引き出しには温泉饅頭が箱ごと入っていた。箱の蓋を外し、煎茶椀を森社長らの前に置いた後でテーブルの真ん中に置いた。
「これでよろしいですか?・・・先ほど使ったお茶碗は、後で洗っておきます」
「ありがとう。申し分ないよ」
「今まで森社長が淹れてくれたお茶は、苦かったり薄かったりで、やはりお茶を淹れてくれる秘書が必要ですね」と、頭を冷やした冨山さんが言った。
「来客があまりない会社だから、事務のおばちゃんを呼べば問題ないと思ったけど、やっぱり秘書が必要かな?」と森社長。
来客はあまりないのか?この会社に秘書の仕事はあるのだろうか?と俺は思ってしまった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
森 泰三 仕入れ会社ユノンの社長。
冨山 晃 大黒堂スーパーの営業部長。
都築市三 恵比寿屋マーケットの営業部長。
書誌情報
坂田 勝/未刊甲子夜話第一(有光書房、1964年初版)




