四十六話 推理小説作家の卵(美知子の妖怪捕物帳・肆拾弐)
短大で昼休みに学食に行ったら、佳奈さんが俺に話しかけてきた。
「ねえ、美知子さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?私にできることなら引き受けるけど?」と俺は即答した。
「春休みに大阪の私の実家に行ったときに、中学時代の親友の結城寛子の転居先を考えてもらったわよね?」(「気がついたら女子短大生(JT?)になっていた」七十三話参照)
「確か青森県の弘前市に引っ越したってことがわかったわね」と芽以さんが言った。
「あれから寛子と連絡を取って、最近は文通をしているんだけど、二人と一緒に住所を突き止めたことを手紙に書いたら、相談したいことがあるって言われたの」
「相談?」
「実は、寛子の弘前の友だちのお姉さんなんだけど、今は上京していて、しかも推理小説作家を目指しているそうなの」
「へー」
「そのお姉さんが今書いている小説は、実際の事件を参考にしているそうだけど、その事件の謎が解明されていないの。そこで誰かに解いてほしいという話になったんだけど・・・」
「それなら美知子さんが適任ね。警視庁にも協力しているんだから」と芽以さんが言った。
「実際にあった事件で、迷宮入りになったの?」と俺は聞き返した。
「詳しいことは知らないけど、一応解決した事件らしいわ。ただ、実際の手口でわからないところがあるので、誰かの知恵を借りたいそうよ」
「推理小説作家なら、自分で謎が解けるんじゃないの?」
「それがいくら考えてもわからないらしいの。第一、そのお姉さんが書く小説は、主人公が体力にものを言わせて活躍するような話が多く、細かいトリックを考えるのは苦手なんだって」
「そんなんで、よく推理小説作家になろうと思ったわね」とツッコむ芽以さん。
「まあ、推理小説と言っても、いろいろな作風があるらしいからね。・・・それで私にそのお姉さんに会ってほしいということなの?」と俺は聞いた。
「詰まる話はそう言うこと。もし会ってもらえるのなら、先方に連絡しておくけど?」
俺は少しだけ考えた。就職がなかなか本決まりにならないが、たいてい助言と謎解きを頼まれて終わる。今回は就職活動ではないが、友人の友人の友人のお姉さんのためなら少しぐらい時間を割くことに異存はない。
「お話を聞くのはかまわないわ。ただ、謎が解けるかどうかは保証できないとだけ断ってもらえるかしら?」と俺は佳奈さんに言った。
「ありがとう、美知子さん。じゃあ、先方に連絡して、適当なところで会う段取りをつけてもらうわ。平日の放課後なら問題ないわね」
そう言って佳奈さんは短大の事務室の前にある公衆電話に向かった。
その数日後、俺はそのお姉さんに会いに短大近くの喫茶店に行った。その店の奥のテーブルで相談したいということだった。
そこはいわゆる純喫茶で、小さなテーブルがいくつも並んでいた。テーブル席とテーブル席の間には背の低い仕切りが立てられ、小声で話せば他人に聞き取られることはなさそうだった。
そして一番奥のテーブルに二十代半ばくらいのメガネをかけた野暮ったい服装の女性が座っているのに気づいた。俺は近づいて、
「あの、金村さんですか?」と小声で尋ねた。
「あなたが藤野さん?」と俺を見上げて聞く女性。
「そうです」
「今日は来てくれてありがとう。さあ、座って。飲み物は何を頼む?」と聞いてきた。
「それではホットを」と答えると女性はウエイトレスを呼び、俺の注文を伝えた。
「改めてありがとう。私があなたの面会をお願いした金村沙苗です」と女性が自己紹介した。
「秋花女子短大の藤野美知子です。お役に立てるかわかりませんが、お話を聞きに伺いました」と俺は答えた。
「話に聞いていると思うけど、私は作家志望で、今、実際に起こった事件を題材にした小説を書いているの。ただし事件の実録物ではなく、あくまで創作を大幅に加えた小説だけどね」
「題材にした事件の中にまだ解明されていない謎があるのですか?」
「そうなの。と言っても私は警察官じゃないから、詳細まで知っているわけじゃないけど、警察が隠しきれないほど噂になっている謎があるの。それを解いてくれる?」と言ってにやりと笑った。
「謎を解けるかわかりませんが、とりあえずお話を聞かせてもらえませんか?」
「いいわよ。これから小説のあらすじ風に話すけど、一応登場人物は私が考えた架空の人物よ。それに事件の概要も、その謎の部分を除いてかなり改変しているからそのつもりでね」
「わかりました」
「犯人は若い男、名前をAとするわ。Aは小競り合いから知人を殺してしまって逃亡するの。刑事たちはAが犯人だと突き止めて跡を追うんだけど、その途中でさらに二人の刑事が犯人Aに殺されるの」
「連続殺人犯になってしまったというわけですね」
「このお話の主人公はちょっと渋めの中年刑事なの。この人の名前をBとするわ。刑事Bは若手の刑事Cと組んで、地道な捜査の末、犯人Aを追い詰めるの」
警察小説みたいだけど、おもしろそうだな、と俺は思った。
「犯人Aは八階建てのある廃ビルに逃げ込むの。そのビルはエレベーターは使えなくて、建物内の階段と建物の外にある非常階段があるので、刑事Bは建物内の階段、刑事Cは非常階段を駆け上り、犯人Aを挟み撃ちにしようとしたの。ところが刑事Bが最上階まで駆け上がったとき、その階にある広い部屋に入るドアがばたんと閉まるのを見たの。同時に刑事Cも非常階段からその階に入って来たところだったわ。二人は犯人が逃げ込んだ部屋に突入したけど、その部屋には犯人の姿はなかった。机や椅子はほとんど撤去された部屋で、隠れるところがなかった上に、窓は内側から施錠されたままなのによ」
「犯人はそのまま逃走したのですか?」
「いえ、その部屋の窓の下の地面に転落して死亡しているのが後から発見されたわ。地面と言ってもコンクリートで覆われたそのビルの敷地ね」
「その窓は内側から施錠されたままだったのですね?」
「そう。しかも窓にはほこりが貯まっていたけど、誰かが触ったような痕跡は皆無だったの」
「その窓は部屋のどちら側にあったのですか?」
「非常階段がある側の壁の窓よ」
「なら、犯人Aは八階まで上がってその部屋に逃げ込もうとした。しかしその部屋に入ったら逃げ場がないとすぐに悟って、ドアを押して非常階段の方に逃げたのですよ。非常階段に通じるドアを開けたときに風が入って、ドアが自然に閉まったのでしょう」
「でも、非常階段は刑事Cが昇って来てたのよ」
「ええ、犯人Aは刑事Cが来ることに気づいて非常階段の手すりから外に飛び出したのです。窓のそばにある雨樋の配水管にでも飛び移るつもりだったのでしょうが、失敗して地面に転落したのです」
「警察もそのように推理したわ。でも、非常階段から落ちたのなら刑事Cが目撃するはずよ。刑事Cは転落する犯人Aを見なかったと証言しているわ。結局刑事Cが気づかなかっただけだろうということでその推理通りで納得することにしたけど、その非常階段は壁で覆われているわけではなかったから、おそらく悲鳴を上げながら落ちて行った犯人Aに刑事Cがまったく気づかなかったというのはおかしいわ」
「そうですね。でも、警察は刑事Cが犯人Aの落下に気づかなかっただけだと結論づけたのですね?」
「そうなの。ただそれだと小説のトリックとしては説得力がないから、もっとましな答を出してほしいの」
「・・・その非常階段はビルの屋上まで上がれますか?」
「刑事Cが八階に入った直後に犯人Aが屋上から逃げようとして転落したってこと?残念ながら非常階段は屋上まで通じていないわ。屋上には刑事Bが昇った建物内の階段から上がる必要があるけど、八階から屋上に上がる階段の入口は施錠されていて、犯人Aが屋上に逃げることはできなかったわ」
「じゃあ、犯人Aは実は八階まで行ってなくて、途中の階で刑事Cをやり過ごして、それから非常階段に出て配水管に飛び移ろうとしたんですよ」
「刑事Cをやり過ごしたのなら雨樋の配水管に飛び移る必要はなく、そのまま階段を駆け下りればいいじゃない?」
「そうですね」
「それに誰が八階の部屋のドアを閉めたの?」
「もともとドアが開いていて、刑事Cが非常階段から入って来たときに風が入って自然に閉まったとか・・・」
「そんなことが実際に起こるのかは、現場のビルに行って確かめないとわからないけど、そのビルにはもう入れないわ」
「そうですか・・・」
「仮に風でドアが閉まったとして、ほかにどのような状況が考えられるかしら?」
「犯人Aは八階のドアを開けてから非常階段に逃げた。そして非常階段の途中で駆け上がってきた刑事Cと出くわした。刑事Cを攻撃する犯人A。しかし刑事Cがそれを躱した際に誤って犯人Aを非常階段から転落させた、というのはどうでしょうか?」
「刑事Cは犯人Aを故意ではないといえ転落死させたのに、知らないふりをして八階に上がったってこと?」
「そうです。刑事Cは犯人Aを死なせてしまった。このままでは責任を問われると思った刑事Cは、犯人Aに会わなかったふりをして八階に入ったのです。犯人Aが転落したときに刑事Cはあわてふためいてしばし硬直したのかもしれませんが、刑事Cの方が若いから、刑事Bにほとんど遅れずに八階にたどり着けたのです」
「誤って突き落としたのなら、怒られたとしても、不可抗力ということで責任は問われないんじゃないの?知らないふりをする必要はないんじゃないかしら?」
「・・・実は犯人Aに殺された刑事は刑事Cが尊敬して慕っていた人で、わざと犯人Aを突き落としたのかもしれません。後でその点を追求されたら、不可抗力では済まなくなると思ったのでしょう」
「なるほど。実は刑事Cが犯人Aを半ば故意に殺したということですか。・・・その考えはおもしろいけど、残念ながら採用はできないわ」
「どうしてですか?」
「刑事Cは刑事Bの相棒として、この後の作品にも登場させるつもりなの。つまりシリーズ化したいの。ここで刑事Cを退場させるわけにはいかないわ。ほかにはどんなことが考えられる?」
「刑事Cが突き落としたのではないとしたら・・・。刑事Bと刑事Cが八階に上がってから、犯人Aの死に気づくまでに少し時間があったのですか?」
「ええ。八階の部屋をくまなく調べてから非常階段に出て、転落死している犯人Aを発見したのよ」
「だとしたら、犯人Aは刑事Cが非常階段を上がってくるのに気づいて、非常階段の手すりを乗り越え、刑事Cの死角となる非常階段の外側にしがみついて刑事Cをやり過ごしたんです。そして配水管に飛び移ろうとして転落した・・・てのはだめですね。刑事Cをやり過ごしてから犯人Aは非常階段の上に必死で戻って、そのまま階段を気づかれないように駆け下りたのです」
「そうだとすると犯人Aは死なないわよ」
「ここで別の人物が登場するのです。犯人Aに恨みを持っていた別の人物、例えば殺された刑事と仲が良かった同僚の刑事Dが非常階段の下にいた。刑事BとCの応援に来ていたのです。刑事Dは駆け下りて来た犯人Aと出くわすと、恨みのあまり犯人Aを殴り殺し、知らないふりをして刑事BとCに合流したのです」
「でも、普通に殴っただけなら、八階から転落して生じた傷と見分けがつくんじゃないかしら?傷の程度がまったく違うはずよ?」
「・・・そうですね。実は刑事Dは怪力で、近くに置いてあった鉄板を振り上げて犯人Aを殴ったとか。・・・さすがに無理がありますね」
「あなたがさっき言った、犯人Aが非常階段の手すりの外に身を乗り出して隠れて刑事Cをやり過ごしたけど、誤って下に落ちてしまったという解釈が一番いいかも。その場所に犯人Aがしがみつき滑り落ちた痕跡があったとするわ」と金村が言った。
「しかし実際は刑事Cが突き落としていて、その後も犯人を秘かに殺すことを続けていて、シリーズの最後の作品で刑事Bがそれを暴くってのが良さそうね。ありがとう。これで何とか作品がまとまりそうだわ!」
「それでいいなら良かったです」
「お礼に何か食べるものをおごるわ。何がいい?私はスパゲッティナポリタンにしようかしら?」そう言って金村はウエイトレスを呼んだ。
「私はこれで失礼します」と俺は言って立ち上がろうとしたが、
「いいから、何か食べたいものを頼みなさい。そしてこの後も、まだまだ相談に乗ってもらうから」
まだ謎解きを求められるのか?と俺はちょっとげんなりしたが、仕方なくサンドイッチを頼んでもらった。
料理が届くと金村はすぐにスパゲッティをほおばった。俺もサンドイッチに手を伸ばす。
「次の謎はね、崖崩れで陸の孤島となった別荘で住人が順番に殺されていくの。そして最後に男性がひとり生き残るのよ。犯人は誰だと思う?」
「生き残った最後のひとりなんじゃないですか?」
「警察もそう思ってその男性を逮捕するんだけどね、実は真犯人は別にいるの」
「誰ですか?」
「それをあなたが考えるのよ」
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
丹下佳奈 秋花女子短大英文学科二年生。
結城寛子 佳奈の中学時代の親友。青森県弘前市在住。
嶋田芽以 秋花女子短大英文学科二年生。
金村沙苗 推理小説作家の卵。




