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四話 社長と面談

南方みなかたさんから聞いた仕事の内容は、木村さんから聞いたものとほとんど同じだった。誰でもできる雑用が主で、二年目になると経理業務の実務を担当することになるという。


「それはそれで大変なの」と南方みなかたさん。


「計算ミスが許されないからですか?」


「それもあるけど、一番大変なのは社員が提出した領収書を突き返すことね」


「突き返す?」


「仕事に関連して生じた支出、主に交通費や接待費ね。それが妥当なものかまず私たちが判断して、領収書に不備があったり、用途が判然としないものがあれば出した社員を呼んで突き返すわけよ。『これでは経理を通りません』って言ってね。そうしたらどう言い返されると思う?」


「何とかしてくれ、とか頼まれるんじゃないですか?」


「そうなの。書類をこっちで直すよう命令されるのはまだいい方で、ひどいときは怒鳴られたりするけどね」


「怒鳴られるんですか?そんなときはどうするのですか?」


「私たちの手に負えないとなると、係長や課長、つまり上司に報告するんだけど、上司からもいい顔されなくて。『そのくらい自分で何とかしろ』って態度が見え見えでね。でもどうしようもないから、平身低頭でお願いするわけなの」


「気苦労が絶えませんね」


「そうなの。あなたは秘書志望なの?秘書の苦労は知らないけど、楽な仕事じゃないんでしょうね」


こういう話を聞くと就職する気がなくなってしまう。しかしずっと家にいるわけにもいかない。


一気にまくし立てた南方みなかたさんは気が晴れたのか、おいしそうにスパゲッティをほおばっていた。


「まあ、最初はそんな矢面に立つような仕事は任されないから、気楽にすればいいわ」


「はい。今日は貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました」


俺は南方みなかたさんに頭を下げ、コーヒーを飲み干すと別れを告げて喫茶店を出た。


下宿に戻ると祥子さんと杏子さんがいたので、俺は今日の会社訪問の内容を話した。ティーバッグ騒動以外のことを。


「そうなの。経理は経理で大変そうね。秘書の方はここが大変というような話はされなかったの?」と聞く祥子さん。


「年配の秘書の方が一緒だったので、明らかな不平不満は言われませんでした。でも、旅行やお店の手配は大変そうでしたね」


「とても参考になったわ」とお礼を言う祥子さん。


「私はやっぱり会社勤めは向いてないわ」と杏子さんは気だるげに言った。




翌週、短大に行って講義を受け、放課後になると、就職指導部の相良さんに報告を兼ねたお礼に行った。


「おかげさまで会社訪問を無事終えました。いろいろと貴重な話を聞かせてもらいました」


「先方の感触は良かったようね。今朝、人事部の高田さんから電話があったわ」と相良さんが言った。


「高田さんからわざわざ?」


「そうなの。しかも藤野さんに折り返し電話してもらえないかと頼まれたわよ」


「電話ですか?」入社試験はまだ先のはずだ。何か用があるのだろうか?


「わかりました。お電話番号を教えていただけましたら、公衆電話からかけてみます」


「今時間があるならここからかけてあげるわよ」


ありがたい申し出だった。電話代が必要ないということだから、話が長くなった場合に小銭の心配をしなくてすむ。


「それでは、申し訳ありませんがよろしくお願いします」


「じゃあ、こっちに来て」と相良さんが言い、俺は相良さんの机のそばに寄った。


メモを見ながら電話をかける相良さん。


「もしもし、秋花しゅうか女子大学就職指導部の相良ですが、今朝のお電話の件で、人事部の高田係長さんにつないでいただけますか?」


そのまま待っていると、


「あ、秋花しゅうか女子大の相良です。今隣に藤野さんがおりますけど、お電話を代わりましょうか?・・・はい、わかりました」


と言って、相良さんは受話器の送話口を手で押さえながら俺のほうを向いた。


「高田さんよ」と言って俺に受話器を渡す相良さん。


すぐに受話器を受け取る。


「もしもし、藤野です。先日はありがとうございました」と話しかけると、


「土曜日はご苦労様。それで相談があるんだが、また会社に来てくれないかな?いつでもいいけど、できれば早めにね」


「はい、わかりました。・・・今からそちらに伺ってよろしいですか?四時過ぎになると思いますが」


「ああ、助かるよ。交通費は渡すからね。よろしく」そう言って高田さんは電話を切った。


「高田さんから会社に来てくれって言われました。これから行ってきます」と俺は相良さんに言った。


「いやに気に入られたわね。・・・就職を盾に妙なお願いをされても断るのよ」


妙なお願い?「雇ってやるから俺の愛人になれ」とかいうことかな?俺の場合はそんな風に迫られることはないと思うが。


「わかりました。別にこの会社でなければならないってことはありませんから、ご心配なく」と俺は相良さんに断って大学を出た。




土曜日に訪問したばかりの会社に着き、中に入って受付嬢に声をかける。


「すみません。秋花しゅうか女子短大の藤野と申しますが、人事部の高田さんに呼ばれて参りました」


「すぐに連絡しますので、そちらにかけてお待ちください」と前と同じように言われる。


ソファにかけて待っていると、エレベーターから高田さんが出てきて、俺に駆け寄ってきた。


「やあ、藤野さん、わざわざ来てもらって悪かったね。とりあえず上に行こうか」


「わかりました」と答えて高田さんに着いて行く。


二人でエレベーターに乗り込み、なんと五階に直行した。絨毯が敷かれた廊下を歩き、社長室のドアをノックする高田さん。


「どうぞ」と秘書の宮永さんの声が聞こえ、高田さんはドアを開けて社長室の前室に入った。


「高田さんと・・・え、藤野さん?」驚いて俺を見る秘書の宮永さんと広田さん。


「社長に呼ばれてきたんだ」と高田さんが言うと、宮永さんがうなずいて社長がいる奥の部屋に通じるドアをノックした。


ドアを少しだけ開けて顔を入れる宮永さん。


「高田係長と藤野さんがお見えです」


「あ、入ってくれ」と中から男性の声が聞こえた。


「どうぞ」とドアを大きく開ける宮永さん。


「失礼します」と言ってドアの中に進む高田さん。俺もわけがわからないままその後に続いた。


「社長、こちらがお話しした藤野さんです。我が社の入社を希望されています」


まさか、いきなり社長面接?と俺は面食らったが、さすがにそんなことはないだろうと思いなおした。


室内には初老の男性がいて、立ち上がると俺に近づいて来た。そのまま俺の両手を握る。


「よく来てくれたね。君のことは高田君から聞いているよ」と社長が言った。


「それでは私はこれで」と言って高田さんは俺を置き去りにして社長室から出て行った。


「さあ、ソファに腰かけてくれ」と俺を応接セットに誘う社長。


「あ、ありがとうございます」と俺は答えてソファのひとつに腰を下ろした。


向かいのソファに腰を下ろす社長。


「君は我が社に入社希望だって?」と聞く社長。


「はい。一流企業である御社に入社できたらと思い、先週会社訪問をさせていただきました。秘書を志望しておりまして、宮永さんと広田さんに秘書の仕事の一端を教えてもらい、大変参考になりました」


「君は我が社の将来展望についてよく考えていると高田君に聞いたよ」


「はい。御社はステレオ、テレビ、電子卓上計算機などの電子機器の開発・販売に優れた企業であり、この分野は今後ますます発展し、御社が先陣を切って開拓していくと思います。もちろん私自身が技術者として開発に携わることはできませんが」


「そこまで言い切れる人は男子学生にもなかなかいない。高田君が言う通り、君はなかなか頭がいいね」と妙に俺を褒める社長。


「それほどではありませんが」と謙遜したところでドアがノックされ、ホットコーヒーを淹れたカップを広田さんが持って入って来た。


「コーヒーでいいのかな?紅茶でもココアでも好みがあれば淹れてもらうよ」


「コーヒーでけっこうです」


「じゃあ、どうぞ」と言って社長は自分のカップに砂糖とミルクを入れた。


俺は何もいれずにコーヒー皿を左手で持ち上げ、カップを右手に持って少しだけコーヒーをすすった。もちろん頭の中はパニック状態だ。なぜ突然社長に呼ばれたのか?


広田さんが部屋を出ると、社長はミルクと砂糖を入れたコーヒーをスプーンでかき混ぜるのを止め、俺を見つめた。


「今日君にわざわざ来てもらったのは、相談事があるからなんだ」と話し始める社長。


「ちょっとした問題が起こってね、それを解決できそうな頭がいい社員を知っているかと高田君に聞いたら、君を推薦してくれたんだ」


「頭がいい?・・・わざわざ私を呼ばれなくても、そのような社員さんは何人もこの会社におられると思いますが」


「そうかもしれないが、外聞をはばかる問題なんでね、確実に答えられるかわからない社員を何人も呼んで相談するわけにはいかないんだ」


「そうでしたか。・・・でも、私も確実に答えられると断言できませんが」


「人事部でのお茶の一件は聞いたよ。瞬時に解答を出し、その場を丸く治めたそうじゃないか。なかなかできることじゃない」


「は、はあ。・・・どうも」


「それでこの問題も解決してもらいたいんだが、他人には相談内容を漏らさないと誓ってもらえるかい?」


「解決できるかわかりませんが、ほかの人には絶対に話さないと誓います」と俺は答えた。こう答えるしか許されない雰囲気だったし、俺は元々他人の秘密を軽々しく言い触らすことはしない。


「今回の相談は、君の入職に有利に働くが、かと言って私の一存で君の入職を保証できるわけではない。勝手なことを言うが、我が社に入職できなくても秘密は守ってもらいたい」


「その点は約束します」と俺は社長の目を見てきっぱりと答えた。


「そうか、感謝する。それではさっそく行こうか」と社長が言った。


「行く?どこへですか?」


「私の家だよ」


「え?え?え?・・・」


俺はわけがわからなかったが、社長はコートを着て帽子をかぶっていた。そして鞄を持つと、社長室のドアを開けて出て行った。


俺はすぐに後を追ってドアの外に出た。


「私は帰宅するので、後はよろしく」と秘書の宮永さんに告げる社長。


「わかりました、社長。下に車を呼んでおきます」


そう言いながら宮永さんと広田さんは俺をじっと見つめていた。社長がなぜ俺を呼んで、そしてなぜ一緒に帰宅しようとしているのか、不思議だったからだろう。もちろん俺自身も何が起こっているのか皆目わからない。


社長と一緒に廊下に出てエレベーターの前に行く。エレベーターのボタンを押しながら社長は俺に、


「せっかくだから夕飯を食べて行ってくれ」と言って優しく微笑んだ。


「は、はい。ありがとうございます・・・」


そのまま何も話すことはなく、エレベーターで一階に下りると正面玄関の外に車が停まっていた。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

南方久里子みなかたくりこ 鈴山電機の事務員。秋花しゅうか女子短大の卒業生。

木村寿子きむらとしこ 鈴山電機の人事部員。

黒田祥子くろだしょうこ 美知子の同居人。秋花しゅうか女子大学三年生。

水上杏子みなかみきょうこ 美知子の同居人。秋花しゅうか女子大学三年生。

相良須美子さがらすみこ 秋花しゅうか女子大学就職指導部の事務員。

高田聡太たかだそうた 鈴山電機の人事部員。

宮永礼子みやながれいこ 鈴山電機の年配の秘書。

広田彰子ひろたあきこ 鈴山電機の若い方の秘書。

鈴山壮介すずやまそうすけ 鈴山電機の社長。


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