三十九話 総合商社の面接を受けたと思ったら
久しぶりに就職情報誌を見て、秘書募集を掲げている会社の訪問を考えた。
その会社は大手の総合商社で、さっそく就職指導部の相良さんに連絡を取ってもらったら、面接を行うので会社に来るようにとの指示があった。
指定された日にその会社を訪れ、受付に訪問目的を伝えると、五階の会議室の前で待つよう言われた。
会議室の前の廊下には折りたたみ椅子が並び、既に四人の女性が腰をかけている。そこそこの美人ばかりだった。
美人と言っても祥子さんほどではない。しかしみんな化粧をばっちり決めていて、それなりの美人に見えた。平成時代ならアイドルグループの一員として通用する程度だ。
俺は居心地が悪かったが、五番目の椅子に腰を下ろした。四人の美人が俺をちらりと見たが、何も言わなかった。おそらく全員が秘書志望なのだろう。ライバルどうしということで会話はなく、黙って座っている。
しばらく待っていたら会議室のドアが開き、中年男性が出てきて俺たちに、「面接を受ける方は全員この中にお入りください」と声をかけてきた。
四人の美人が一斉に立ち上がる。俺も遅れて立ち上がると、ドアに近い方の美人から会議室の中に入って行ったので、俺もついて行った。
部屋の中には奥の方に長机が並び、五人の面接担当の社員が並んで椅子にかけていた。みんな中年以上で、真ん中は初老の男性だ。多分偉い人なのだろう。
面接担当の社員と向かい合うように五つの折りたたみ椅子が並び、その上に俺と四人の美人が座らされた。
「みなさんようこそ。これより秘書採用の面接を始めます」と、俺たちを室内に呼んだ社員が発声した。この人は五人の面接員とは別で、長机の端に立っている。
「我が社に興味を示してくれて感謝する」と中央の初老の男性が口を開いた。
「私は華角商事総務部長の山瀬です。秘書課を含む総務部の責任者です」
「よろしくおねがいします!」と四人の美人が座ったまま頭を下げた。俺も遅れず頭を下げる。
「では、さっそくだが、端から順に自己紹介と、我が社に入社する抱負を聞かせてもらおう」と、俺の反対側の端に座っている美人に話が振られた。
「わ、私は沖田陽子と申します。晟立大学文学部を卒業予定です」とその美人が話し出した。
「・・・私は御社を訪問した他社の方に懇切丁寧に応対して、業務契約を結ぶよう努力いたします」
契約を取るのは営業の社員で、秘書がどれだけ貢献できるかな?と俺は疑問に思ったが、総務部長を始めとする面接員の受けは良さそうだった。
残りの三人の美人も、秘書の業務内容を越えるような意気込みを話し、好意的に受け入れられていた。
最後に俺の順番になったので、自己紹介をしてから電話対応、接客対応、スケジュール管理、出張の手配など、一般的な秘書業務と思われるものについて最善を尽くし、会社の発展に陰ながら貢献するという、必要以上にアピールしない抱負を語った。・・・何となく、評価は今ひとつのように思われた。
「これで面接を終わります」と最初に俺たちを室内に招いた社員が宣言した。
「採用の可否は後日文書にて通知いたしますので、本日は気をつけてお帰りください。お疲れさまでした」
その言葉を合図に美人四人と俺は立ち上がり、会釈をしてから退室しようとした。そのとき、退室を促した社員が座っている総務部長に近寄って耳打ちした。
「あ、藤野くん!」総務部長に呼ばれて俺は立ち止まり、振り返った。他の四人の美人も振り返って総務部長と俺を交互に見た。
「君はちょっと残ってくれ。ほかの方たちは帰られてけっこうです」
総務部長の言葉を聞いて不審そうな目を俺に向けてから、四人は部屋を出て行った。
俺はその場に立ったままだったが、すぐに最初の社員が俺に着席を促した。とりあえず近くにある折りたたみ椅子に座る。すると総務部長は俺に不快気な目を向けた。
「藤野くん、君は藍原探偵事務所を知っているか?」
「あいはら探偵事務所、ですか?・・・いいえ、知りません。聞いたこともありません」と俺はすぐに答えた。
「そうか?・・・まあ、いい。君に頼みがある。これからその探偵事務所に寄ってくれないか?」
「今からですか?」
「ああ。急ぎの用事がなければ頼む」
「わかりました」意味がわからないながらも俺が答えると、最初の社員が俺に封筒を差し出した。
「この中に探偵事務所の住所と電話番号、それに交通費と若干の謝礼が入っています。どうかよろしくお願いします」とその社員は丁寧な言葉遣いで言った。
「はい、事情がよくわかりませんが、これからその事務所に行ってきます」
「よろしくお願いします」とその社員が言い、面接をしていた四人の社員(総務部長を除く)も軽く頭を下げた。
俺は立ち上がり、再度会釈をして部屋を出て行った。
エレベーターで一階に降りながら、封筒に同封されていたメモを出して見る。探偵事務所の住所と電話番号、そしてその事務所の探偵らしい藍原清佐の名前が書いてあった。もちろん知らない人だ。
さらに交通費+謝礼金なのか、中央に聖徳太子の肖像がある五千円札が一枚入っている。今の俺にとってはけっこうな大金だったが、それよりもなぜ総合商社の総務部がこれだけのお金を渡して藍原探偵事務所とかに向かわせるのか、本当に謎だった。
最寄りの駅から電車に乗って、探偵事務所に近い駅に着く。そのまま住所を頼りに探偵事務所を探したら、戦前から残っているようなぼろぼろの三階建てのビルの三階の窓に、「藍原探偵事務所」と手書きした紙が内側から貼ってあった。
ビルの入口をのぞき込む。狭く暗い通路が奥に続き、暗がりの中に階段があるようだが、無気味で中に入る気になれなかった。
そこで近くにある喫茶店に入り、着席して水が出されると、「連れが来ますので、注文はそれからします」と断ってから、入口に置いてあった公衆電話の受話器を取った。
メモに書かれている電話番号を見ながら電話をかける。何度かの呼び出し音が鳴った後にがちゃりという音が聞こえた。
「はい、藍原探偵事務所」と無愛想な男の声が聞こえた。
「え・・・と、私は藤野と申します。華角商事の人からそちらを訪問するようにと頼まれましたが、ご存知ですか?」と俺は聞いた。
「あ?ああ、藤野・・・美知子さん?藍原探偵事務所の藍原です。そうです。俺が藤野さんに来てもらうよう依頼しました」
「どういったご用件でしょうか?」
「俺が抱えている仕事の協力を頼みたい。事務所に来てもらえないか?」
「今、お近くの喫茶店にいます。さしつかえなければこちらでお会いしたいのですが」
「わかった。すぐに伺うよ」と言って電話が切れた。
席に座って待っていると、三十代くらいの男性が喫茶店に入って来た。寝癖のついた頭で、しわが寄ったスーツとワイシャツを着ていたがノーネクタイだった。この人かな?と思って俺は立ち上がった。
俺の姿に気がついて近寄って来た男性。「藤野さんですか?」と聞かれたので、「はい」と答えた。
俺の向かいの席に座る男性。俺も一緒に座る。二人ともホットコーヒーを頼む。
「探偵の藍原です」と言って名刺を差し出す藍原さん。俺はそれを受け取って、
「秋花女子短大の藤野美知子です」と自己紹介した。
「来てくれて感謝するよ。華角の総務部長は約束を守ってくれたようだね?きつ目に頼んでおいて良かった」
「あの、総務部長さんとはどういったご関係ですか?」
「特に関係があるわけではない」と藍原さんが答えたのでびっくりした。
「関係ないのに私をこちらに来させるよう頼めたのですか?・・・どうして?」
「藤野さんが疑問に思うのは当然だ。・・・実は、ある産業関係の調査中におもしろい情報をつかんでね」
「おもしろい情報?それは何ですか?」
「ここだけの話として、ほかに漏らさないと約束してくれるなら話すが、実はアメリカのある航空機製造会社で新たな航空機の開発が進んでいるんだ」と、藍原さんは俺が漏らさないと約束する前に話し始めた。
「その会社初のジェット旅客機で、最先端の設備を詰め込んだ画期的な飛行機なんだ。もうほとんど完成しているらしい。当然その会社はこの航空機を世界中に売り込もうとする」
「最先端の旅客機なら、引く手数多でしょうね?」
「それがそううまくはいかなくてね。何せその会社はこれまでジェット旅客機を販売した実績がなく、いくらいい飛行機だからと言って、普通に売り込んでも実績がある他社の航空機をさしおいて受注してもらえそうにないんだ。そういうとき、この会社はどうすればいいと思う?」
「そう聞かれましても、率直に性能をアピールして、興味を持ってもらうことしか思いつきませんが」
「旅客機って一機数十億円以上するんだ」
「数十億円ですか!?」俺は驚いて言葉が続かなかった。
「そう。何機も受注できれば会社の利益は莫大になる。しかしそれは同業他社も同じだ。航空会社にとってみればどの飛行機もそんなに大差はないから、使い慣れている会社の飛行機を買うことだろう」
「そうですね。初めて販売する飛行機だと、カタログ上はどんなにいい飛行機でも、躊躇してしまうかもしれませんね」
「そこでその会社としては奥の手を使わざるを得なくなる」
「奥の手とは?」
すると藍原が声をひそめて囁いた。「・・・賄賂だよ」
俺は驚いて声が出なかった。
「旅客機を購入する航空会社と、旅客機選定に影響力を持つ政治家に賄賂を渡して、自社の飛行機を買うように働きかけるんだ。例え何億円も賄賂に使ったとしても、それで実際に航空機が売れ、販売実績ができれば、いくらでも元が取り返せる」
「そ、そうなんですか。・・・でも、華角商事は政治家でも航空会社でもないですよね?何の関係があるんですか?」
「華角商事はその航空機製造会社の日本における販売代理店なんだ。政財界の大物たちを巻き込んで、旅客機を販売する先鋒になるんだ。もちろん華角商事にも多大な利益が見込まれる」
「・・・そんな話を私にしても大丈夫ですか?それどころか、藍原さんも政財界の大物に目をつけられるんじゃないですか?」
下手すれば殺し屋に狙われるとか?・・・いやいや、スパイ映画じゃないんだから、そこまでのことは起こらないのかな?
「なあに、俺が言ったことはまだ計画段階で、実際に賄賂のやり取りがあったわけじゃあない。俺が何を言っても裏づけとなる証拠はないんだ」
「じゃあ、ただの噂レベルの話ですか?」
「そういうことだ。現時点では何も動いていない。ただ、これから動こうとしているのは確かだ。証拠が何もなくても事前にそんな噂が流れるのは華角商事も望まないだろう。そこで俺は華角商事のお偉いさんに接触して、こうこうこういう噂がありますが、俺のお願いを聞いてくれたら、これ以上追求しませんし、噂の出所を封じることもやぶさかではありませんよと伝えたんだ」
「お願い?・・・口止め料でも請求されたのですか?」だとしたらとんでもない話を聞かされたことになる。
「いやいや、さすがに大会社を相手に恐喝するような真似はしないよ」
「じゃあ、何を要求されたのですか?」
「今度、秘書採用の面接に藤野さんが来るから、俺のところに顔を出すよう伝えてほしいと頼んだんだ」
「え?私ですか!?」
そう言えば面接をしていた人たちが俺のことを怪訝そうな目で見ていた気がする。この探偵の仲間か何かだと思われたんじゃないだろうか?だとしたら、華角商事への就職は絶望的だろう。
「なんで私ですか?用があるなら直接私に言えばいいじゃないですか」
「君が就職活動として会社訪問をしていることは聞いて知っていた。ちょっとした有名人のようだね。でも、『探偵事務所に会社訪問しませんか?探偵助手として採用しますよ』と言っても君は来ないだろう」
「それは確かに。私は探偵助手を務める能力はありませんし、まして就職する気なんてかけらもないですよ。・・・お気に触ったのなら謝りますが」
「そうだろうと思ったから、華角商事をだしにして君に来てもらったんだ。女子大の就職指導部のさ、さ、何とかさんに君が華角商事の面接を受けると聞いたもんでね」
相良さんのことかな?口が軽いのは困ったもんだ。
「とにかく、有名な藤野さんに今回だけ俺の仕事を手伝ってもらいたい。もちろん謝礼は出すよ」
「私は張り込みも尾行もできませんよ」
「君には頭を使ってもらいたいだけなんだ。具体的には、解いてもらいたい謎がある」
「謎を解くのは探偵の仕事なんじゃないですか?」
「俺はそう言うのは苦手なんだ。ハードボイルドなんでね」と藍原さんはけろっとした顔で言った。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。
山瀬市郎 華角商事の総務部長。
沖田陽子 晟立大学文学部学生。秘書志望者。
藍原清佐 藍原探偵事務所を経営する探偵。




