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三十七話 コロッケの怪〜天王狐〜(美知子の妖怪捕物帳・参拾陸)

湯浅部長と中園さんと荻原さんと一緒に会社を出ると、既に呼んであったタクシーに四人で乗り込んだ。


「少し狭いけど我慢してね、藤野さん」と湯浅部長。「僕が社長になったらハイヤーが使えるけどね」


「大丈夫です」と俺は後の席で湯浅部長と中園さんに挟まれながら言った。


タクシーをしばらく走らせて案内されたところは龍玉楼赤坂支店という中華料理屋だった。本店は横浜中華街にあるとのことだった。


店員に案内されて三階の個室に入る。四人でちょうどいいくらいの大きさの個室で、中央に回転テーブルがあった。


俺たちが席に着くと、すぐに給仕頭がやって来た。


「湯浅様、いつもごひいきありがとうございます。今日は食療食養コースと承っておりますので、さっそく準備させていただきます。


給仕が数人入って来て、まず俺たちの前に小さなグラスが置かれた。同時に回転テーブルの上に紹興酒の瓶とザラメが入った小皿が置かれた。


「さあ、まずは藤野さん」と湯浅部長が紹興酒の瓶を持って俺に注ごうとした。


「いえ、私は飲めませんので」


「これも食療食養料理の一環で、身体にいいから一口だけでも飲みたまえ」と言われて仕方なくグラスを差し出し、茶色い色の紹興酒を注いでもらった。


グラスから温かさを感じる。日本酒以外に暖めて飲むお酒があることに驚いた。


「グラスにザラメを好きなだけ入れたまえ」とさらに部長に言われて、回転テーブルの上に置かれているザラメを小さじを使って紹興酒の中に注ぎ入れた。ゆっくりとグラスの中を沈んでいくザラメ砂糖。コーヒーや紅茶みたいにスプーンでかき混ぜるわけではないので、底に貯まったザラメがゆっくり溶けていくのを見つめた。


全員に紹興酒が注がれると、「では、貴重な意見をいただいた藤野さんに乾杯!」と湯浅部長がいい、全員がグラスに口を付けた。


俺も口を付けて少しだけすする。醤油っぽい匂いがした。アルコールはあまりきつくなく、溶けた砂糖の甘味が感じられた。・・・飲み込むと体がほてってくるようだった。


「紹興酒は生薬として使われるわけではないが、体を温め血の巡りを良くする効果があるんだ。このような薬理作用を考えて提供されるのが食療食養料理なんだ」と説明する湯浅部長。


「食療食養とはどういう意味ですか?」


「食療は身体にいい食事を摂ることで病を治すこと、食養は病気になる前に食事を摂ることで体調を改善することなんだ。中国ではありとあらゆる食材の薬効を分類し、その効果を考えながら料理が作られているんだ。これを薬食同源と言うんだ」


平成時代の薬膳料理や医食同源のことかな?この時代では用語の使い方が違うのかもしれない。


そんなことを考えているうちに回転テーブルの上に大皿に載った料理と小皿が置かれた。


「前菜の白菜と空豆と筍の和え物です」と説明する給仕頭。


「空豆は胡豆コトウという生薬として使われますよ」と中園さんが言った。白菜と筍は生薬としての別名はないみたいだった。


各々が小皿に取り分ける(俺が「全員の分を取り分けましょうか」と言ったが、「各自で取るから気にしないように」と言われた)。そして前菜を口にするが、なかなかいいお味だった。


「おいしいですね」


「紹興酒で流し込むと効き目が上がるぞ」と湯浅部長。飲ませる気満々のようだ。


雑談をしながら味わっていると、次の料理が運ばれてきた。大きな魚が一匹まるまる大皿に載り、その上に刻んだネギが盛りつけられている。


清蒸鯉魚チンジョンリギョです。鯉の姿蒸しになります」


鯉の身には切れ目が入っていて、一切れずつ小皿に取った。身は軟らかくて甘く、泥臭さは一切なかった。


「鯉を食べたのは初めてですが、とてもおいしいです」


「さあ、紹興酒で流し込みたまえ」湯浅部長がしつこく勧めるので、もういっぱい注いでもらってザラメを入れた。甘いから飲みやすい。


茘枝肉レイシにくです」と次の大皿が置かれた。赤っぽい色の肉の炒め物のようだ。


茘枝レイシとは果物のライチのことです。あの楊貴妃が好んで食べたというライチですが、この料理にはライチは使われていません。ケチャップで赤い色になった豚肉の塊をライチに見立てたのです」と給仕頭。


ライチを食べられないのは残念だが、この肉料理もとてもおいしかった。


その次に大鍋に入った料理が出された。中に鳥がまるまる一羽入っている。・・・一羽と言ってももちろん羽毛は抜かれ、首と足先も切り取ってある。鶏かと思ったら、


「本日のメインディッシュの鴨鍋です。大棗タイソウ枸杞子クコシ、高麗人参、蓮肉レンニクなどの生薬が入っています」と給仕頭が説明した。


大棗タイソウ枸杞子クコシは昼間聞いた生薬だ。確か大棗タイソウなつめの実、枸杞子クコシはクコの実を干したものだ。


「高麗人参はわかりますが、蓮肉レンニクとは何ですか?」


蓮肉レンニクは蓮の実のことです」と説明された。


給仕頭が鴨肉を切り分け、一緒に煮込んだ生薬とともに小鉢によそってくれた。肉は軟らかく、スープは塩味と甘味が感じられる。果物が入っているから当然だ。高麗人参特有の臭いがするが、薬臭いというほどではなかった。鴨肉は軟らかく、滋味のあるいい味だ。


「鴨肉を食べたのも初めてですが、これもとてもおいしいです」


「さあ、紹興酒で流し込みなさい」と、湯浅部長にまた言われた。酔わせたいのか?


次に出されたのは山薬仙人粥という中華粥だった。中に長いも(山薬サンヤクと呼ばれる生薬でもある)、松の実、クコの実が入っており、魚料理や肉料理で疲れた胃を癒すようなお粥だった。


最後に出されたのがデザートの杏仁豆腐と甜茶てんちゃだった。杏仁豆腐は生薬の甜杏仁テンキョウニンから作られており、甜茶てんちゃも甘味が感じられるお茶だった。


甜茶てんちゃはお茶の葉ではなく、甜葉懸鉤子テンヨウケンコウシという植物の葉を煎じたものです」との説明があった。


俺は甜茶てんちゃをすすりながら、「とてもおいしいお料理でした。体にいいものでしょうが、何より味が最高でした。ごちそうさまでした」とお礼を言った。


「満足されたようで何よりだ」と湯浅部長。「ところでもうひとつ意見を聞きたいことがあるんだが・・・」


「不可思議な謎でも経験されたのですか?」と聞く荻原さん。


「まあ、そういうことだ。この際、会社とは関係ないが藤野さんの説明を聞きたい」と湯浅部長。


「何でしょうか?・・・少し酔っていますが、お話を聞くだけなら」


「うむ、料理をいただいた後で別の料理の話をするのは興覚めかもしれんが、私の家内は料理上手でな。もちろん家庭料理の範囲内での話だが」


「それはよろしいですね。どんな料理がお得意ですか?」


「和洋中、何でも作れるんだが、今回問題となったのはコロッケなんだ」


「コロッケですか?」


「と言っても茹でて潰したジャガイモだけじゃなく、その中に肉を混ぜて揚げた大ぶりのコロッケなんだ。定番はジャガイモにコンビーフを混ぜたものと、ハムの角切りを混ぜたものの二種類ある」


「コンビーフにハムですか。ぜいたくで、おいしそうですね」と中園さん。


「今食事を終えたばかりですが、ちょっと味わいたくなりました」と荻原さんも言った。


「実際どっちもうまいんだ」と満面の笑顔になる湯浅部長。


「コンビーフコロッケは口の中にコンビーフのうまみが広がるし、ハムコロッケはハムのうまみだけでなく、角切りのハムの歯ごたえがいいんだ」


「とてもおいしそうですけど、そのコロッケがどう問題になったのですか?」


「一週間前の夕食なんだが、家内がその二種類のコロッケを三個ずつ作ってくれたんだ。私と家内と息子の三人分だな。私が先に食卓に着いて、コンビーフコロッケとハムコロッケを一個ずつ取った。家内と息子には用事があるので先に食べてくれと言われて、ビールを飲みながら食べ始めたんだ。そしてコロッケ二個を食べ終えたときに家内と息子が戻って来て食事を始めたんだが、コンビーフコロッケが一個しか残っておらず、ハムコロッケが三個あったので、家内に私がコンビーフコロッケを二個食べたと怒られた・・・」


「確かにハムコロッケが三個残っていたのですか?」と俺は確認した。


「家内が残っていたコロッケを全部半分に割って中身を確認したから間違いない」


「奥様が作ったのは、コンビーフコロッケ二個とハムコロッケ四個だったのじゃないのですか?」と荻原さんが聞いた。


「家内は、ジャガイモを茹で潰したものを半分に分け、それぞれにコンビーフとハムを混ぜたと言ってるんだ。だから数は三個ずつになるはずだ」


「じゃあ、部長がハムコロッケと間違えてコンビーフコロッケを二個食べたんじゃないですか?」と中園さん。


「いや、ビールは飲んでいたが、べろべろに酔っぱらっていたわけじゃない。コンビーフの味を味わったし、ハムの角切りの歯ごたえも楽しんだ。だから私が間違えたとは思えないんだが」


そう言ってから湯浅部長は、「私は岡山県出身で、岡山の言い伝えに天王狐というのがいて、村人が好みの食べ物を持っていると化かして取っていったそうだ。私は天王狐に化かされて、ハムコロッケを食べていると思いながら実は何も食べておらず、その隙に天王狐にコンビーフコロッケを取られてしまったんじゃないかとさえ考えたが・・・藤野さんはどう思う?」と聞いてきた。


「コンビーフコロッケとハムコロッケはどのように食卓に出されていたのですか?」と俺は尋ねた。


「大皿に合計六個のコロッケが載せられた状態で置かれていた」


「コンビーフコロッケとハムコロッケは見た目で区別ができますか?」


「ハムコロッケは角切りハムの凹凸が衣の上からでも何となくわかる。だからいつも分けずに同じ大皿に載せて出しているんだ」


「その日、部長さんは見た目で判断してコロッケを二個自分の皿に取った。そして食べたらコンビーフコロッケはコンビーフの味がし、ハムコロッケには確かにハムの角切りが入っていた、というわけですね?」


「その通り。二種類のコロッケをしっかり判別して味わったと、今でも確信している。・・・狐に化かされていなかったとしたらの話だが」


「・・・なるほど。部長さんも奥様も勘違いしてなかったとすると、真実かどうか確認できませんが、考えられることはひとつです。もちろん狐の仕業ではありません」


「なに?もうわかったのかい?」驚く湯浅部長。


「あくまで可能性ですが、まず奥様はジャガイモを茹でて潰したものを半分ずつに分けました。そしてそれを半々に分け、一方にはほぐしたコンビーフを、もう一方には角切りにしたハムを混ぜました」


「うんうん」うなずく湯浅部長。


「このときおそらくですが、コンビーフよりもハムの角切りの方が量が多かったのです。そのためコンビーフコロッケの種よりハムコロッケの種の方が多めになったのです」


「ふむふむ」


「それぞれの種から約三分の一の量を取って同じ大きさの小判型にまとめていったら、コンビーフコロッケの三個目は若干小さくなり、一方、ハムコロッケの種は少し余ってしまいます。そこでどうしたかと言うと、余ったハムコロッケの種を三個目のコンビーフコロッケに混ぜ、大きさを調整したのです」


「そういうことは起こりそうだけど、それでどうなったのですか?」と荻原さんが聞いた。


「それぞれのコロッケに衣をつけ、油で揚げて大皿に盛ります。コンビーフコロッケとハムコロッケは見た目で区別できるのですが、コンビーフコロッケの三個目にはハムの角切りが入っていたので、衣に凹凸が生じていました。そのため部長さんはコンビーフコロッケの三個目をハムコロッケと勘違いして自分の皿に取ったのでしょう」


「ええっ!?・・・そうだとすると?」


「部長さんは食べたときにハムの角切りが入っていたのでハムコロッケと思いましたが、実際はコンビーフコロッケだったのです」


「・・・そ、そうだったのか」肩を落とす湯浅部長。


「部長、一週間前のこととはいえ、奥様に謝った方がいいですよ。ハムが入っていたのでハムコロッケと間違えたと」と中園さんが言った。


「いや、家内にはそのときに謝ったからもういいんだ。釈然としていなかったがな」と湯浅部長は言い、俺の方を向いた。


「藤野さん、今の説明はそうだったかもしれないと私に思わせるだけの説得力があった。さすがだ。・・・だが、私が食べたのが正真正銘のハムコロッケで、ハムの角切り入りコンビーフコロッケが大皿の上に残っていた可能性はないかな?」


「奥様が全部のコロッケを半分に割って中身を確認したのなら、その可能性は低いと思われます。ハムの量が違いますから」と俺が答えると、湯浅部長はさらに肩を落とした。


「家事をする女性の目線で見事に謎を解きましたね」と中園さんが俺を褒めた。


「ついでと言っては何だけど、私の話も聞いてもらえないかな?」


「おや、中園さんも謎を抱えているのですか?なら、お茶のお代わりを頼みましょう」


そう言って荻原さんは給仕長に甜茶てんちゃのお代わりを頼んだ。


甜茶てんちゃのお代わりが来ると、「私の話もたあいない相談事ですか・・・」と中園さんが話し始めた。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

湯浅 享(ゆあさとおる) 瀧村薬萬堂の開発部長。

中園 猛(なかぞのたける) 瀧村薬萬堂の漢方薬(和漢薬)開発担当係長。

荻原 謙(おぎわらけん) 瀧村薬萬堂の入浴剤開発担当係長。


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