三十四話 八畳島殺人事件〜蛇帯〜(美知子の妖怪捕物帳・参拾肆)
今回のお話は昭和二十一年に八丈島で起こった事件に想を得ていますが、事件とは無関係のフィクションであることを明記しておきます。
八畳島警察署長からの手紙は古めかしく読みづらい文章だったので、現代風に訳したものを以下に記す。
「藤野美知子様
謹啓 時下益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
私は八畳島警察署長の鹿島長五郎と申します。先日峰延町長よりあなたの手紙を拝借し、読ませていただいたところ大変感激いたしました。
まだ若いお嬢さんだというのに適格な状況判断と推理、我が署の捜査に大いに参考になります。つきましては別の未解決事件についてもご意見を伺いたく、よろしくお願いいたします。
未解決事件とは実に二十年も前に島内で起こった殺人事件です。犯人がわからないまま時効を迎えたので(作者註:昭和四十五年当時の話)、今さら犯人が判明しても逮捕できませんが、せめて書類上の解決を目指したいので相談する次第です。
その年の四月十日の朝方、島内に住む佐野いねという名の六十歳の女性が自宅で死亡しているのが近所の人に発見されました。首に真田紐が巻かれており、絞殺されていました。
警察が現場を捜査するとともに島内の開業医に検屍を頼んだところ、死体の状況から死亡推定時刻は二日前の八日の夜十時頃と判断されました。後日、東京の大学の若い法医学者に診てもらったところ、夜十時頃とは断定できず、日中の可能性もあるとの見解でしたが、捜査官が開業医に室内のランプの油がなくなり、自然消灯した状態だったと伝えたことから、ランプに火を灯す夜に起こった事件であることと、被害者が普段は夜十時に寝ていたことから夜十時頃と判断したようです。
ところが、佐野の友人が『七日の夜に我が家に来る約束をしていたのに佐野は来なかった』と証言し、近所の人も『八日はずっと雨戸が閉まっていた』と証言したことから、当時の捜査官は八日ではなく七日の夜十時頃の犯行と考え、開業医に死亡推定日時を修正させました。
佐野の家には金品を盗まれた痕跡がなく、屋内もわずかしか乱れておらず、犯人のものとおぼしき指紋も足跡も見つからなかったので、捜査は難航しました。絞殺に使った真田紐もありふれたもので、手がかりになりませんでした。島民の中には蛇帯という蛇のような紐の妖怪に殺されたのではと言い出す者まで出て来る始末です。
まもなく佐野の親戚から、年より若く見える佐野にしつこく交際を迫っていた四十歳の独身男がいて、佐野がとても迷惑がっていたとの情報を得、その男、立浪治朗の取調べを始めました。
立浪は最初は容疑を否認していましたが、当時の捜査官がかなり強硬な取り調べを行ったため、留置一週間目に自分の犯行だと自白しました。
そして『七日夜十時前に佐野の家に押しかけ、関係を迫ろうとしたが拒絶されたので、怒ってたまたま持っていた真田紐で絞殺した』と捜査官が作成した調書に自ら署名をし、拇印を押しました。
ところが、八日の朝に炊事をしている佐野の姿を確かに見たと、自転車に乗って通りがかった町外れの男が証言をしに現れて、捜査本部は混乱しました。この男は早朝、西の港から荷物を運ぶために出発し、佐野の家の前を通って昼前に東の港に着き、荷物を渡しています。
その男が証言を翻さず、裁判所へ証人として出頭するとまで言い張ったので、捜査官は死亡推定日時を元の八日夜十時頃に戻し、立浪の証言の調書も書き直して、再度署名させ、拇印も押させました。
ちなみに立浪は、七日と八日は昼間に仕事をしていましたが、七日の夜は島を離れる友人と夜中まで酒盛りしていたと主張しておりました。しかし、事件発覚時にはその友人は去った後で確認が取れず、捜査官は虚偽だと考えていました。八日は二日酔いのため早めに家に帰って休みたいと職場の同僚に言っており、本人も夜は一人暮らしの自宅で寝ていたと供述し、アリバイは成立しませんでした。
事件の一月後にようやくその友人の所在がわかり、立浪の七日夜のアリバイが確認されました。しかしその時は既に死亡推定時刻を八日夜十時頃に戻していたので、立浪の容疑は晴れなかったのです。
結果、立浪は、八日夜に佐野に関係を迫って拒絶され、怒りのあまり殺害したとの容疑で逮捕されました。
東京地裁での裁判が始まると、立浪は自白内容を撤回し、自分は無実だと主張し始めました。しかしその主張は裁判官に受け入れられず、二年後に懲役八年の有罪判決が降りました。弁護側は直ちに控訴しましたが、その三年後の控訴審でも判決は変わりませんでした。
さらに弁護側は上告し、最高裁で審議した結果、死亡推定日時や自白内容に不自然な変遷があること、また、当時問題になっていた拷問めいた取り調べがあったことが認定され、事件から実に十一年後に立浪は無罪になりました。
捜査は振り出しに戻ったわけですが、そのときには既に当時の住人たちは亡くなったり離島していたりして、真犯人を見つけることができないまま十五年の時効を迎えました。
既に終わってしまった事件ですが、藤野嬢のご見解を是非ともお聞かせ願いたい。
敬具
八畳島警察署署長 鹿島長五郎」
とんだ難題を押し付けられたと俺は思った。これだけの情報で事件の真相がわかるわけはない。しかし俺はあることに気づいて、大学の図書館に調べに行った。
そして下宿に戻るとさっそく便箋を開いて次の内容の手紙を書き始めた。
「鹿島署長殿
拝復 時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
事件の概要、拝読いたしました。そしてあることに気づきましたので、それに基づいて意見を申し上げます。
まず、事件の時系列を整理します。
四月七日日中、容疑者の立浪は仕事をしていた。
四月七日夜、①被害者の佐野は約束していたのに友人宅を訪れなかった(佐野の友人の証言)。
四月七日夜、②立浪は友人と夜中まで酒を飲んでいた(立浪の友人の証言)。
四月七日夜十時頃、①と下記の④、⑤に基づき修正した死亡推定日時。
四月八日朝、③炊事をしている佐野の姿が目撃される(町外れの男の証言)。
四月八日日中、④ずっと雨戸が閉まっていた(近所の人の証言)
四月八日日中、立浪は仕事をしていた。
四月八日夜十時頃、死体の状態と下記の⑤に基づいた最初の死亡推定時刻、並びに②、③に基づき再度修正した死亡推定日時。
四月八日夜、立浪は自宅で寝ていてアリバイはなかった。
四月十日朝、佐野の絞殺死体が自宅で発見される(発見したのは近所の人)。⑤ランプは油切れで自然に消灯していた。
以上で間違いありませんでしょうか?
ここで問題になるのが。死亡推定時刻を七日か八日の夜十時頃に固執していた点です。東京の大学の若い法医学者が八日日中の可能性があると言っていたようなので、夜十時頃とは断定できないことをまず前提とします。
そこで気になるのが上記④の八日日中はずっと雨戸が閉まっていたとの証言です。別の日の勘違いかもしれませんが、これが正しいとすると、佐野が生きていたのならなぜ雨戸を開けなかったのか納得できません。
大雨や台風で雨戸を昼間から閉めていたという状況でもなさそうです(文面からの推測です)。
となると、佐野が七日の夜から八日の朝方までの間に殺害されていたと考えるのが自然です。
もし、八日の早朝までは生きていたとしたら、まだ薄暗いので雨戸は閉めたままで、室内のランプに火を灯しても不思議ではありません。そして朝食の準備を始めたのかもしれません。
町外れの男が、佐野が炊事している姿を見たというのはこの時のことなのでしょうか?
しかし、この町外れの男の話にもおかしな点があります。早朝、西の港から荷物を運ぶため自転車で出発し、昼前に東の港で荷物を渡したということですが、八畳島の東西の港の距離は約五・五キロしかありません(大学の図書館の本で確認しました)。
五・五キロは徒歩で一時間半もかからない距離です。自転車なら三十分もかからないでしょう。もちろん当時の道路の状態はわかりませんし、途中で寄り道をしたのかもしれません。荷物が重くて、自転車に乗らずに引いて歩いていたのかもしれません。そう考えても時間がかかり過ぎています。荷物を運ぶのが主たる目的で西の港を出発したのに、到着したのが何時間も後というのは明らかに不自然です。
この町外れの男の行動は怪しいのですが、そうなると別の疑問が生じます。
町外れの男が証言する前に既に立浪は容疑者として拘束されていました。町外れの男が証言しなければ、そのまま立浪は逮捕され、裁判にかけられたでしょう。
しかし、町外れの男が証言すれば、立浪は無罪放免となる可能性があり、逆に佐野の家の前を通りがかった町外れの男に容疑をかけられかねません。
町外れの男は、そんな危険を冒してまでなぜ証言したのでしょうか?冤罪は晴らすべきだとの信念があったのでしょうか?
ひょっとしたら町外れの男は、立浪が七日の夜に友人と飲んでいて、八日は二日酔いで早々に帰宅していたことを、立浪の職場で偶然聞いていたのかもしれません。また、警察が死亡推定時刻を頑なに夜十時頃に固執していたことも知っていたのかもしれません。
つまり、七日夜に立浪が殺人を犯したという容疑は、遅かれ早かれ立浪の友人の証言で覆されるだろうと町外れの男は予想していたのです。そこで、立浪が犯人で犯行は夜十時頃だという自説に警察が固執している今なら、自分の証言で死亡推定日時を八日に変えさせても立浪の容疑は晴れず、自分に疑いの目が向けられることはないと、一か八かの賭けに出たのでしょう。
自分が八日の朝に佐野の家の前を通りがかったことを誰かに目撃されていた場合を考え、先手を打ったのかもしれません。そして、お手紙には書かれていませんが、町外れの男には七日の夜も八日の夜も確固たるアリバイがあったのでしょう。
以上のことから私は町外れの男が真犯人ではないかと考えます。町外れの男が早朝に佐野の家の前を通りがかり、佐野の姿を見て襲おうと考えた。しかし抵抗され、思わず殺害してしまった。そんなことをしていたので、東の港に荷物を運ぶのが遅れてしまった。
・・・町外れの男は当初、いつか警察が自分を捕まえに来るのではないかと怯えていたでしょう。しかしなぜか警察は立浪が犯人と考えた。
繰り返しになりますが、警察の考えた七日夜の犯行となると、立浪にアリバイがあることを町外れの男は知っていた。そこで立浪の容疑が覆ることがないよう、思い切って証言をしに行ったのです。
なお、佐野の友人が七日の夜に佐野が来なかったと証言しておりますが、ただ単に約束を忘れていた可能性があるので、七日の夜に佐野が死亡していたとは断定できないと思います。
以上がお手紙の内容から私が考えた事件の全貌です。細かい状況がわかりませんので、事実と矛盾しているかもしれません。
取るに足らない考えだと思われましたら、お手数ですがこの手紙を破棄してください。
かしこ 藤野美知子」
この手紙を投函してから約一週間後に鹿島署長から荷物が届いた。その荷物に添えられていた封書の文面を現代風に直して以下に記す。
「再啓 先日はお手紙をありがとうございました。
貴女のお手紙に基づいて当時の捜査資料を見直しました。
町外れの男の行動についてですが、当時の捜査官も荷物を運ぶのに時間がかかり過ぎていることに疑問を持ったようです。
そこで捜査官が町外れの男に詰問すると、『途中で忘れ物に気づいて一度西の港まで取りに戻った。そのとき別の知人に言づてを頼まれ、それを伝えるのを先にしたために東の港に到着するのが遅れた』と供述しました。捜査官はその言葉を鵜呑みにしたようで、事実確認をした記録はありません。立浪が犯人だと信じ込んでいたからでしょう。
藤野嬢のお手紙を読んで私も町外れの男が怪しいと思いましたので、その男の家に昨日寄って来ました。
その男は既に六十歳を超え、未だにひとり暮らしで貧しい生活をしているようでした。
警察署長直々の訪問にその男は驚いていましたが、私が二十年前の事件の話をし出すと明らかに挙動不審になりました。
暑くもないのに汗をかき、目は泳いでいました。拳を握りしめたり開いたりを繰り返していました。
最後に、『お前が犯人じゃないのか?』とかまをかけたところ、顔を赤くし、しばらくしてようやく『お、おらじゃねえ』と言葉を絞り出しましたが、後は床の一点を見つめたまま何も話しませんでした。
私も証拠があるわけではないので、『何か思い出したら気軽に警察に来てくれ。二十年前のように』と言い残して帰りました。
私の心証では、藤野嬢が書かれたようにあの男が犯人です。昔の捜査資料に藤野嬢の手紙と私の訪問記録を加え、警察署の書庫に戻しました。
捜査は既に終わっており、これ以上どうすることもできませんが、一応の区切りは付けられたと思います。藤野嬢には大変お世話になりました。この手紙を添えた荷物は、私からのせめてものお礼です。本当にありがとうございました。
敬具
八畳島警察署署長 鹿島長五郎」
この手紙とともに届いたのがあの名産の反物二反だった。しかし今では自分で反物から着物を作る人はほとんどいない。
母に一反、祥子さんと杏子さんに一反ずつ託したが、もう一反さしあげますと言って喜ばれるだろうか?
佳奈さんと芽以さんにあげると言っても、断られるかもしれない。
かと言って、せっかくのお礼を売り払うのも気が引ける。
家政学科の坂田さんに、反物を欲しがる人がいないか聞いてもらうことにしよう。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
鹿島長五郎 八畳島警察署長。
峰延喜代志 八畳町町長。
佐野いね 二十年前に八畳島で起こった殺人事件の被害者。六十歳。
立浪治朗 二十年前に八畳島で起こった殺人事件の容疑者。四十歳。後に無罪となる。
黒田祥子 美知子の同居人。秋花女子大学三年生。
水上杏子 美知子の同居人。秋花女子大学三年生。
丹下佳奈 秋花女子短大英文学科二年生。
嶋田芽以 秋花女子短大英文学科二年生。
坂田美奈子 秋花女子短大家政学科二年生。藤野美知子の女子高時代の同級生。




