三十二話 二畳島の死体(美知子の妖怪捕物帳・参拾弐)
民宿「八畳」で出されたお刺身はどれもおいしく、天ぷらもおいしかった。特に明日葉の天ぷらがほろ苦くて乙な味だった。
島寿司はタレに漬け込んだ刺身を使ったにぎり寿司で、よく漬かっていておいしかった。
「海の幸は見ての通りだけど、名物料理を加えるならどんなのがいいか、意見を聞かせてほしい」と奈良井さんが聞いてきた。
「そうですね。このお造りだけでも八畳島に来た甲斐があります。また、炉端焼きで炙った魚を出すのもいいでしょう」
「そうだな。炉端焼きもいいな」と町長も言った。
「新しい料理を名物にしたいのなら、外国の料理を出すのはいかがでしょうか?」
「外国の料理?地元の料理ではなく?」と聞き返す奈良井さん。
「はい。旅行は日常からの脱出、つまり非日常を味わうところに醍醐味があります。ですからいっそ魚を使った外国料理を出すと、非日常間をよりいっそう演出することができます」
「どんな料理がいいんだい?」
「ふと思いついたところですと、南フランスのブイヤベースとか。いろいろな魚介類を香味野菜で煮込む料理です。使う魚は何でもかまいません」
「ブイヤベースか。確かにヨーロッパを思わせる料理だな」と町長。「食べたことはないが」
「また、イタリア料理として、白身魚を使ったカルパッチョ。これはお刺身にオリーブオイルや香辛料をかけたお料理です。酢漬けにするマリネもいいですね。同じく白身魚を使ったアクアパッツァ。これは魚介類とトマトをオリーブオイルで煮込んだお料理です。フライパンで炒めるソテーもいいでしょう」
「ふむふむ。外国に来たみたいで楽しいな。島で獲れる新鮮な魚を使えばまた格別だろう。さすがは食通としても名高い藤野さんだ」・・・食通の自覚はないが。
「飲み物としてはパッションフルーツジュースに甲類焼酎を混ぜたカクテルはいかがでしょうか?パッションフルーツのアイスクリームも人気になるかもしれません」
「どれもいい案だ。本気で検討してみよう。・・・ところで観光振興策以外に相談事があるんだが、藤野さんは飲んでないから、明朝までに考えてもらえないかな?」
「な、何でしょう?」このように相談事が別についてくるから気が抜けない。
「実は一か月前のことなんだが、ある男がトランクを持って八畳島にやって来た。そして漁船をチャーターして、近くにある『ふたたみじま』に行ったんだ」と町長が説明した。
「町長、『ふたたみじま』ではなく『ふたたたみじま』です」と奈良井さんが訂正した。漢字では二畳島と書くらしい。
「舌を噛みそうだな。とにかく、その二畳島は昔は人が住んでいたんだが、電気や水道はないし、貧しい生活しかできず、若者は島外に出て人口が減ったんで、去年、全員が離島して八畳島に移り住んだんだ。一部は本土に渡った者もいる。無人島になった二畳島はたまに釣り客が行くだけのところになった。で、八畳島に来たその男は朝、二畳島に行き、漁船の船長に夕方迎えに来るようにと頼んだ。ところが船長が夕方行ってもその男は姿を見せなかった。翌日、役場の職員と警察官がその男を捜しに行ったら、その男は廃屋の庭で、掘った穴の中に横たわって死んでいた」
「事故ですか?」
「いや、自殺のようだ。その男はトランクの中に入れていたショベルで自分が横たえることができる大きさの穴を掘り、その中で横たわると、睡眠薬をたくさん飲んでから、自分の体の上の、顔以外のところにざっと土をかけて亡くなっていた。まるで自分自身を埋葬するかのように」
土を掘る道具のうち、東日本では大きいものをスコップ、小さいものをシャベルと言い、西日本では呼び方が逆になるのだそうだ。しかしJIS規格では、先端のさじ部の上端が平らで足をかけられるものをショベル、上端が丸みを帯びていて足をかけられないものをスコップと定義し、大きさでは分けられていない。
「その島にはほかに人はいなかったのですね?」
「確認できる限りでは誰も島に行ってなかった。八畳島と二畳島の間には強い海流が流れていて、小さなボートでは渡るのが難しいから、漁船をチャーターする必要がある。そしてほかの誰かが船をチャーターした事実はなかった」
「もちろん泳いで渡ることもまず不可能なんですね?」と聞いたら、町長がうなずいた。
「それで遺体を八畳島に運んで、検屍をしてから身元を調べたら、東京に住んでいた医者だとわかった」
「お医者さんですか?」
「うむ。名前は確か坂東 悟だったかな?四十前の男だ。死亡前は東京の病院をいくつか、短い期間で転職を繰り返していた。それらの病院の薬剤部ではちょくちょく睡眠薬が盗まれており、ひょっとしたら坂東医師が自殺に十分な量の睡眠薬を集めていたのかもしれない」
なんか聞いたような話だな、と思いながら、「その医者は二畳島の出身者か何かだったのですか?」と聞いた。
「坂東医師自身は本土生まれの本土育ちだが、奥さんが二畳島の出身だった。だが二年前に亡くなっている」
「じゃあ、奥さんの墓参りに来て、奥さんを想うあまりその近くで自殺したのでしょうか?」
「奥さんは本土にある坂東家の墓に埋葬されている。・・・奥さんの血縁者は六年前にみな亡くなり、五年前に本土へ働きに出て、そこで坂東医師に見初められたそうだ」
「身寄りのなくなった女性が貧しい島から出て、都会でお医者さんの妻になる。・・・シンデレラストーリーのようですが、その奥さんは二年前に亡くなってしまったのですね。幸せな時期は短かったのですか・・・」と俺は言った。
「墓参りじゃないとすると、なぜそのお医者さんは無人島までわざわざ来て自殺したのでしょう?」
「まさにそれを聞きたくて藤野さんに話したんだ」と町長は行って焼酎をぐびりと飲んだ。
「奥さんは病気で亡くなって、きちんと埋葬されたようだ。もし奥さんの後を追ったのなら、奥さんも入っている自分ちの墓の前で死ねばいいものを・・・」町長が迷惑そうに言った。
「そうですね。奥さんの実家があった島とはいえ、結婚時には身寄りがなかったわけですから、そのお医者さんも島に行ったことはなかったはず。・・・亡くなっていた場所は奥さんの元実家だったのですか?」
「そのようだ。しかし住人だった奥さんが島を出てから五年も経っていて、ほとんど朽ちかけた状態だった。なんでそんな場所にわざわざ・・・」
「そのお医者さんはトランクを持って島に行ったそうですが、そのトランクには何が入っていたのでしょう?」
「長辺が約八十センチのトランクで、長さ約八十センチの小型のショベルを斜めに入れて持って来ていたようだね。そのほかには空になった薬瓶と、中が空っぽの紙袋だけだった」と奈良井さんが教えてくれた。
「遺書みたいなのはなかったのですね?」
「遺書も、身元がわかるものもいっさいなかった。持っていたのは現金が入った財布だけだ」と町長。
「亡くなっていたのは奥さんの元実家の敷地内で、墓地ではなかったのですね?」
「墓地は草ぼうぼうで、墓石も崩れていたから、場所の説明を聞いても初めて行った人にはどの墓石の痕跡が目的の墓か、わからないだろうな」
「去年、かつての島民全員が離島したそうですが、島民全員がすんなり離島に応じたのでしょうか?」
「全員離島の案が出たのは何年も前だ。私が町長になる前だな。不便な土地とはいえ、先祖代々住んできたところだから、けっこうもめたようだ」
「そうでしょうね。だとしたら、元の島民で、ときどき島に戻りたいと思う人がけっこういらっしゃるのでしょうね」
「・・・奥さんも島に帰りたいと思っていたのかな?」
「永住はともかく、余命幾ばくもないと悟ったときには、一度島に帰りたいと思っても不思議ではありません。しかし病気でそれがままならなかったとしたら、旦那さんはどう考えるのでしょうか?」
「せめて奥さんのお骨を島に埋葬したいと考えるかもしれない。しかし島の墓地は荒れているから不可能だ。だから奥さんのお骨は自分の菩提寺の墓に埋葬したのだろう」
「お墓に埋葬するといいますが、お骨をお墓の下に入れるのですか?私は経験がないのでわかりませんが」
「墓石の下に骨壺を入れる空間があって、そこにお骨を骨壺ごと納めるようになっている」と町長が答えた。
「で、奥さんが亡くなった後は普通にお葬式をして、火葬して、骨壺を坂東家のお墓に入れたのですね?」
「そこは警察の方で確認してもらっている。だから旦那である坂東医師が、わざわざ二畳島まで来て・・・。奥さんが生まれ育った土地を見たいというのなら話がわかるが、なぜそこで死ななくてはならないのか、それがわからないんだ」
「お医者さんは自分の体のサイズの穴をショベルで掘って、そこに横たわり、自分の体に掘った土をかけたのですね?・・・どのようにしてお医者さんの遺体を運び出したのですか?」
「体の上にかかっている土を取り除いて、穴の中から遺体を出し、船着き場まで運んだのだ。警察官と役場の職員がふたりがかりで担いで足元の悪い道を磯まで運んだから、大変だったようだぞ」
「穴の深さは?」
「深さ三十センチくらいの浅い穴だったと聞いています」と奈良井さん。
「穴の底は掘り返しませんでしたか?」
「いや。・・・まさか、死体の下に別人の死体を埋めていたとでもいうのか?」
「奥さんの遺体が火葬されていなかったのなら、トランクに遺体を詰めて来て、かつての自宅に埋葬し、その上に自分も横たわって一緒に天国に行こうとしたのかもしれません。しかし奥さんは二年前に亡くなっていて、火葬されていますから、遺体を持って来ることはできません。まったく別人の遺体を、例えばそのお医者さんが殺した相手を、わざわざ島まで持って来て埋めたとしたら、その上で自分が死ぬ必要はないでしょう。穴を完全に埋めてしまえば、誰にも気づかれなかったはずですから」
「となると、穴の底に何を埋めたんだ」
「多分奥さんのお骨ですよ。奥さんが死ぬ前にもう一度島に戻りたいと言っていたのなら、せめて埋葬してあげようと思った。自分ちのお墓には空の骨壺を入れ、お骨は秘かに保存し、今回紙袋に入れて持って来た。しかしお骨を許可なくよその土地に埋めることは法律違反です。奥さんの実家のお墓はないので、正式に改装することもできません。そこで妻思いのお医者さんは、妻の元実家の場所を聞いておき、その敷地内に穴を掘って埋め、さらにそのことを隠すために、ついでに妻の元へ行くために、穴の中で自殺したのでしょう」
「なるほど。そう考えれば辻褄が合うな。さっそく明日の朝、警察官と役場の職員にその穴の中を調べさせよう。・・・藤野さんも来るかい?」
「いえ、私は遠慮します」
「なら、お昼に私が空港までお送りしましょう」と奈良井さんが言った。私の相手をするので、自分は二畳島まで行けないと町長に言いたいのだろう。
「これでお骨が出て来れば万事解決だな」笑顔の町長が焼酎をぐびりと飲んだ。
翌朝、俺はものすごい臭気で目が覚めた。腐った銀杏の実の匂いとでも言おうか、強烈な腐敗臭とトイレの排泄物が混ざったような匂いだった。
着替えた後で俺が食堂の和室に顔を出すと、奈良井さんの母親が笑顔であいさつしてきた。
「今、名物のくさやを焼いていたところだから、すぐに朝食にしますね」
これがあの有名なくさやの匂いか。味はおいしいらしいが、初見殺しのきつい臭気だ。
俺が食卓に着くと、炙って細かく裂いたくさやの身を盛った皿が出てきた。魚はムロアジとトビウオだそうだ。
皿の上でもものすごい臭気を放っている。俺はお茶でのどをうるおすと、息を止めてくさやを口に入れた。・・・息を止めているが、それでも涙が出てきた。味は普通の干物を焼いたものよりやや濃いようだが、息を止めているのでよくわからなかった。今日一日、息がくさや臭くならないことを祈ろう。
食後お茶を飲んで一息ついていると、奈良井さんが迎えに来た。奈良井さんは結婚して、奥さんと子どもたちと近所の家に住んでいるそうだ。
「今朝、町長の命令で職員と警察官がさっそく二畳島まで調べに行きました」
「もしお骨が出て来なかったら、また別の可能性を考えますので、東京まで連絡してください」と言っておく。
その後、町役場の町長室にお邪魔して町長さんとしばらく歓談した。お昼前になって「穴の中から土に混ざったお骨が出てきた」との連絡が入ったので、町長は俺に熱烈に感謝した。
俺としては、亡くなった奥さんと、命をかけたお医者さんの気持ちを踏みにじったのではないかと自責の念に駆られていたが、お医者さんの遺体は火葬されて坂東家のお墓に入っているので、奥さんのお骨が戻って来たら、また会えたと喜ぶかもしれない。・・・そう考えて自分を慰めた。
町長からちょっとかさばる包みのおみやげをいただき、お昼前に奈良井さんに空港まで送ってもらい、空港のレストランで明日葉そばをおごってもらった。
そしてお昼過ぎの飛行機に乗って下宿に戻った。今回はひとりで飛行機に乗り、奈良井さんとは搭乗前に別れた。カップルが多い機内で俺だけ浮いている気がした。まさか新婚で来たのに、けんかして先に帰るところだと思われないだろうな?
ちなみに町長からもらったお土産は名産の反物だった。けっこう高いんじゃないかと思う。
俺自身は反物を着物に仕立てることはできないので、今度母に渡そうと思う。
妙な相談をされたものの、なかなか楽しい飛行機旅行だった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
奈良井 孝 八畳町役場観光振興課係長。
峰延喜代志 八畳町町長。
坂東 悟 二畳島で死亡していた男性。




