三話 茶袋の妖怪(美知子の妖怪捕物帳・什玖)
研究開発部の田村さんが俺にあいさつしたことで、すぐに宮永さんと広田さんが追求してきた。
「あなた、田村さんの知り合いなの?」
「さ、さあ・・・。どうなんでしょう?」いまだに俺は田村さんが誰か思い出せなかった。
「まさか田村さんの恋人、もしくは婚約者なんかじゃないでしょうね?」
「そんなことはありませ・・・」と言いかけて俺はようやく田村さんを思い出した。
「じ、実はですね・・・」と小声で囁くと、宮永さんと広田さんが顔を近づけてきた。
「私の幼馴染が四年前にお見合いしたのが田村さんでした(『五十年前のJKに転生?しちゃった・・・』十一話、十二話参照)。幼馴染のお父さんが直前にぎっくり腰になったので、私が代わりに付き添いで行ったんです」
「四年前?あなたが何歳のときよ?」とツッコむ宮永さん。
「私も幼馴染も、十五、六のときでした」
「そんな子とお見合い?結婚できなくはないけど」(註、昭和四十五年当時の話)
「幼馴染が緊張してほとんど喋れず、破談になってしまいましたけど、そのときに同席していた私を覚えていたとは驚きでした」私にまでお見合いの話を持って来たことまではさすがに言わない。
「交友関係がないのならそれでいいわ。入社してすぐに結婚して退職されたらこっちも困るからね」と宮永さん。
「田村さんはまだ独身なのですか?」と気になったことを聞く。
「そのようね。それに今つき合っている女性がいるという噂も聞かないわね」
社長秘書にまで男性社員の結婚情報は筒抜けなのかな?
「結婚した後も仕事を続けるって女性社員はいないのですか?」
「この会社では聞いたことがないわね」と宮永さんが答えた。つまり、宮永さんもまだ独身ってことなのだろう。
「とにかく、もしここに就職したら、すぐには結婚しないでね」と宮永さんが念を押すように言った。
「すみません」と広田さんが頭を下げる。
「え?広田さんは近々結婚されるのですか?」と俺は追求した。
「はい、年度末で退職する予定です」と広田さん。
「ようやく秘書として動けるようになったと思ったらこれだものね」と愚痴が止まらない宮永さん。
「申し訳ありません。・・・私もこの仕事を続けたかったのですが、先方の意向で」
それで秘書の求人があったのか、と俺は納得した。
「藤野さんが秘書になったら、少なくとも十年は頑張ってもらわないとね」
「そのつもりです」と俺は答えた。男と結婚する気はないから。
「あなたは見込みがありそうだから、期待しているわよ」と宮永さんが俺に言った。
見込みがある?俺のどこが気に入られたんだろう?とそのときはわからなかったが、帰宅してから男受けするような美貌がないからかな?と思いついた。宮永さんにしてみれば、自分よりきれいで愛嬌のある女性が隣に並ぶのは避けたいのだろう。
「今日は本当にありがとうございました。いずれ入社試験を受けると思いますが、もし入職できたらよろしくお願いします」お昼近くになったので俺はあいさつして社長室を後にした。
エレベーターでまず三階に寄る。再び人事部のドアを開けて、奥に座っている高田さんに、「本日はありがとうございました」と声をかけた。
「じゃあ、またね」と座ったまま答えて手を降る高田さん。俺が頭を下げて部屋を出ようとしたそのとき、
「何だ、これは!?」と怒鳴るような声が室内に響いた。
「どうしたんだ、住田?」と向かいに座っている男性社員が怒鳴った男性社員に聞いた。
「見てくれよ、これ!」と言って住田と呼ばれた社員が手に持っていた湯のみ茶碗を向かいの男性社員に向かって突き出した。
「お茶の中に紅茶のティーバッグが沈んでたんだ!」
「おいおい・・・。お茶を淹れたのは木村さんか?」と向かいの男性社員。
「は、はい!」部屋の隅にいた女性社員が立ち上がり、あわてて近づいて来た。
「お茶を淹れたのは私ですけど、ティーバッグなんて入れていません」と弁明する木村さん。
「誰かが俺の湯のみに使用済みのティーバッグを捨てて、その上からお茶を注いだんだろう!?」と、その誰かが木村さんであるかのように睨みつける住田氏。
「わ、私がお茶を淹れた時には住田さんの湯のみには何も入っていませんでした」
「じゃあ、どうしてこんなものが入っているんだよ!」と責め続ける住田氏。木村さんは住田氏の剣幕に恐れ戦いて縮こまっていた。
「ほんとうに何も知りません!湯のみは洗って乾かしたままのきれいな状態で、上から見ながらお茶を注ぎました」泣きそうな顔で弁明する木村さん。
「まあまあ・・・」と高田さんが二人の間に入った。
「木村さんは、こんなあからさまな嫌がらせなんてしないよ」
確かにすぐにばれてしまうから、住田氏が嫌なやつだとしても、木村さんがこんな嫌がらせをすることはないだろう。
「ティーバッグがどこからか飛んで来て、住田の湯のみに入ったのか?・・・そうだとしたらまるで妖怪茶袋だな」と、俺の近くにいた別の男性社員が言った。
「妖怪茶袋って何ですか?」と俺は思わず聞いてしまった。
「ん?・・・昔は麻袋に日本茶の茶葉を入れてお茶を淹れていたんだ。紅茶のティーバッグとまんま同じだね。で、俺の故郷では、その茶袋が空を飛んでいたって妖怪話があるんだ」とその男性社員が答えてくれた。
「ばかばかしい!ティーバッグが飛んで来て、俺の湯のみに飛び込んだっていうのか!?」
そのとき俺は室内に漂っているお茶の香りに注意を寄せていた。
「みなさんの湯のみに入っているのはほうじ茶ですね?」と木村さんに聞く。
「はい。朝は煎茶、お昼前はほうじ茶と、この課では決まっているんです」
「住田さんの湯のみに入っているお茶もほうじ茶ですか?」と俺はまだ顔を赤くしている住田氏に聞いた。
「ん?・・・いや、紅茶だ。砂糖は入っていない」とティーバッグが沈んでいる湯のみのお茶をすすって住田氏が答えた。
「みなさんの湯のみはそれぞれ違う型と模様ですね?」とさらに木村さんに聞く。
「はい。この課では自分用の湯のみを持ち寄って給湯室に置いているんです。だからどれが誰の湯のみか把握していますが、だからと言って私は住田さんの湯のみに紅茶のティーバッグを入れたりはしていません」
「給湯室でお茶を淹れているときに、誰か別の人がいませんでしたか?」
「・・・そう言えば、お茶を淹れている最中に研究開発部の田村さんが入って来て、自分のお茶を淹れていました」
おそらく社長室から出て行った後だな、と俺は思った。
「全員の湯のみをテーブルか流し台の上に置いてお茶を淹れていたのですね?」
「はい、流し台の天板の上でです」
「そこで田村さんもお茶を淹れたのですね?・・・田村さんの湯のみは住田さんの湯のみに似ていませんでしたか?」
「そう言えば・・・じっくりとは見ていませんが、似たような色と形でした」
「だとしたら、犯人は田村さんですよ」と俺は言った。目を剥く住田氏。
「も、もちろん、わざとではないと思います。木村さんがお茶を淹れている横で、自分も湯のみに紅茶のティーバッグを入れ、魔法瓶からお湯を注いだんです。その時にティーバッグの持ち手が湯のみの中に落ちたのですが、田村さんは意に介さなかったのでしょう。そして砂糖を取りに行った際に目を離し、誤って住田さんの湯のみを取って、中に砂糖を混ぜたのですよ。あるはずのティーバッグがなかったことに気づかずに。一方木村さんは、住田さんのと同じような田村さんの湯のみが残っていたので、それをお盆に載せてこの部屋に戻ったのでしょう。・・・紅茶もほうじ茶も色は濃い茶色ですから、沈んでいたティーバッグは見えなかったと思います」
「私、研究開発部に確認しに行ってきます!」と叫んで木村さんは部屋を出て行った。
「なんだ、それだけのことか」と気を落ち着かせる住田氏。
「木村さんが帰ってきたら謝っとけよ。木村さんが犯人みたいに言っていただろう?」と高田さんが忠告した。
憮然とした表情になる住田氏。
「お前も女子社員に優しい態度で接しろよ」と向かいの男性社員が住田氏に言った。
「相手にされなくってもさ」と言われて周りの社員が失笑した。
そこへ木村さんが小走りで帰ってきた。手には住田氏の手元にある湯のみとそっくりな茶碗が握られている。
「やっぱり田村さんでした!・・・砂糖入りのほうじ茶を平然と飲んでいました」
「田村らしいなあ」と別の男性社員が言い、住田氏以外の全員が笑った。
「木村は田村がいたのに気づかなかったのか?」と、まだ憮然としている住田氏が聞いた。
「給湯室では全員の湯のみにお茶を注ぐのに気を取られていたので、すぐには思い出せませんでした。住田さんの湯のみがなくなっていることに気づかなくて申し訳ありません。すぐに淹れ直しますね」と頭を下げる木村さん。
「い、いや・・俺も言い方が悪かったよ」と一応謝罪する住田氏。
事件が片づいたので、「それではこれで失礼します」と俺は頭を下げた。
「ありがとう、藤野さん。気をつけて」と俺に声をかける高田さん。俺が人事部の部屋を出ると、すぐ後から木村さんも出てきた。両手に似たような湯のみ茶碗を持って。
「あなた、ありがとう。すぐに誤解が解けて助かったわ」と木村さんが俺に礼を述べた。
「いえ、私がいなくてもすぐに田村さんのことを思い出しましたよ」と俺は答えた。
「それにしてもその茶碗は本当によく似ていますね」
「そうね。多分同じ店で買った同じ湯のみ茶碗だわ。私も田村さんも住田さんも、間違えたことに気づかなかったから。・・・どっちが誰のだったかしら?」
「どっちでもいいですよ。きれいに洗っておけば、お二人も気づかないでしょう」
「二度と間違えないように、湯のみの底にマジックで名前を書いておくわ」と木村さんが言ったので俺は笑った。
「毎日お茶汲みをしているのですか?」
「そうよ。新人の女子社員の主な仕事ね。・・・ほかには書類をホッチキスで閉じて、それを会議室に運ぶとか、郵便物を一階に取りに行って仕分けるとか、郵便物をポストに投函するとか、そんな雑用ばっかりね」
「けっこう仕事が多そうですね」
「だけど雑用ばっかりだから、私も早くいい相手を見つけて寿退社したいわ」と木村さんが愚痴るように言った。
重要な仕事を任されないから女性社員は結婚を機に退職してしまうのか、それとも結婚して退職してしまうから女性社員は重要な仕事を任さないのか、どっちが先なんだろう?と考えてしまった。
俺は木村さんと別れるとエレベーターに乗って、再び一階の受付に寄った。
「すみません。先ほどの藤野ですが、経理課の南方さんとも面会の約束をしているので、連絡していただけないでしょうか?」
「南方さん?聞いてみますので、そちらでお待ちください」と再びソファに座るよう指示される。
受付の女性はしばらく電話で会話していたが、すぐに「藤野さん」と声がかかった。
「はい」と答えて受付に近づくと、
「南方さんはすぐに降りて来られるので、ソファに座ってお待ちください」と言われた。
再びソファに座って待つこと約三十分。忘れられたかな?と思っていたら私服に着替えた女性がエレベーターから出てきて、俺の方にまっすぐ向かってきた(女性社員には専用の制服がある。受付も秘書の人たちも、女性はみな仕事中は制服を着ている。男性社員はスーツだ)。
「あなたが藤野さん?」と俺に声をかける女性。
「はい、そうです」すぐに立ち上がる。
「私が秋花女子短大出身の南方です。ここじゃなんだから、近くの喫茶店に行きましょうか。・・・あ、割り勘でお願いね」
「は、はい」と俺は答え、南方さんの後について会社を出た。今日は土曜日だから、ほとんどの社員が会社を出て行くところだった。
近くの喫茶店に入ると、南方さんはミルクとナポリタン・スパゲッティーを注文した。俺はホットコーヒーにする。
「それで、何が聞きたいのかしら?」と、注文が終わると南方さんが俺に聞いた。
「会社の雰囲気と、入社後、どういうお仕事をしてこられたかということを教えていただけますでしょうか?
「仕事?・・・主な仕事はお茶汲みよ」と南方さんが答えた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
宮永礼子 鈴山電機の年配の秘書。広田彰子の上司。
広田彰子 鈴山電機の若い方の秘書。
田村太郎 鈴山電機の研究開発部の係長。
高田聡太 鈴山電機の人事部の係長。
住田博司 鈴山電機の人事部員。
木村寿子 鈴山電機の人事部員。
南方久里子 鈴山電機の事務員。秋花女子短大の卒業生。
紅茶情報
日東紅茶/日東ティーバッグ(缶入り)(1961年発売)