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二十六話 警視庁の悪戯妖精(美知子の妖怪捕物帳・参拾)

「警察内部で起こった不可解な出来事だとしても、犯罪の疑いがなければ本格的な捜査はしないんだ。そう暇じゃないからね」と御手洗みたらいさんが言った。


「と言うと、事件とは呼べないような出来事なんですね?」


「そうなんだよ。だけど不可解なことは事実だから、藤野さんの意見を聞きたいんだ」


「わかりました。説明できるかわかりませんが、お話を聞かせていただけますか?」


「わかった。話は約一か月前に遡る。当課には今年二年目となる若い女性課員がいてね、三田さんと言うんだが、毎日魔法瓶式の水筒に紅茶を入れて持って来ている」


「飲み物持参ですか?広報課には給湯室はないのですか?」


「いや、ある。そこにはやかんと魔法瓶と急須に茶缶があって、急須で煎茶を淹れられるようになっている。ただ、男は大雑把だからね、魔法瓶のお湯がなくなってもお湯を足そうとしないし、急須の中には常にお茶っ葉の出し殻が入っていてね、気がついた女性課員が入れ替えるようにしているんだ」


「本来は私たちの仕事ではないのですけどね」と嶋田さんが迷惑そうに言った。


「そういうわけで給湯室に行くのを嫌がったのか、三田さんはいつも自分の水筒の紅茶を飲んでいるんだ」


「男どもはどんな味か知りたくて、よく三田さんに味見させてくれ、そのかわり喫茶店で奢るからと言い寄っているのよ。実際は紅茶の味なんてどうでも良くて、三田さんと喫茶店に行きたいだけなのよ。でも三田さんは、『人に飲ませられるものではありませんから』と言って断っているの」


「三田さんは人気者のようですね」


「男性課員はほとんどみんなが興味を示しているよ」と御手洗みたらいは嶋田さんに気を遣うように当たり障りのない表現をした。


「で、三田さんはその水筒をいつも机の下、足元の右側に置いているらしいが、ある日その水筒が左側に移動しているのに気づいた。そこで隣の席の弓原ゆんばらくんに、『誰かが私の水筒に触らなかった?』と聞いたそうだ」


弓原ゆんばら・・・さん?」


「三田さんと同期の男性課員よ。丸顔であばたが少しあって、髪はいつもぼさぼさ。田舎のイモにいちゃんって感じの人よ」と嶋田さんが聞いていないことまで話した。


弓原ゆんばらくんが『誰も見ていない』と答えたら、三田さんが『誰かが勝手に飲んだとしたら気持ち悪いわ』と言ったそうだ。その会話を周りの男性課員が聞きつけて『どうしたんだ?』と聞きながら集まってきた」


「みんな、しょっちゅう三田さんの方をちらちら見ているからね」と嶋田さん。「三田さんも迷惑がっているのよ」


「それでどうなりました?」


「三田さんが集まってきた男性課員たちに同じ説明をしたんだ。そしたら誰かが『紅茶は減っているのかい?』と聞いたので、三田さんが水筒の蓋に中の紅茶をそそいだ。まだ湯気が立っているけど、量が減ったのかどうかはわからなかったそうだ。そして三田さんは、『変な味がしないか、誰か飲んでみて』と言ったんだ」


「三田さんの紅茶に興味がある男性課員が多いので、奪い合いになったのですか?」


「いや、誰か男が口を着けたんじゃないかという疑念がわいたので、誰も手を出そうとしなかった。三田さんは弓原ゆんばらくんに『確かめて?』と頼み、水筒の蓋を渡した。弓原ゆんばらくんは紅茶をすすり、『変な味はしない』と答えた。それを見ていたほかの男性課員は、『犯人は弓原ゆんばらじゃないか?自分の唾液なら飲んでも平気だからな』と疑ったようだ」


「三田さん自身はどう思ったのでしょうか?」


「心中まではわからないが、三田さんは弓原ゆんばらくんに『ありがとう』と言って蓋を受け取った。三田さんはその後平然として仕事に戻ったので、ほかの課員たちも仕事に戻った。最初の出来事はそんなところだ」と御手洗みたらいさん。


「藤野さんは、弓原ゆんばらくんが怪しいと思いますか?」


「今の話だけでは何とも。弓原ゆんばらさんは隣の席ですから、三田さんの水筒に誰も近づいていないと確信していて紅茶を飲んだのかもしれないですし、三田さんの『水筒が動いた』という訴えも本人の勘違いかもしれません」


「しかしその後も頻繁に三田さんの持ち物が動かされていて、そのたびに三田さんは弓原ゆんばらくんに尋ねているようだ」


「犯人がいるとしたら、一番犯行が容易なのは隣の席にいる弓原ゆんばらさんですよね。その人に三田さんはどういう風に尋ねているのでしょうか?『見張っておいてね』と頼んでいるのか、『あなたが犯人じゃないの?』と当てこすっているのか?」


「私も一度その言葉を耳にしたことがあるが、『見張っておいてほしい』というニュアンスだったように思う」と御手洗みたらいさん。


弓原ゆんばらさんはどんなお方ですか?見た目は先ほど聞きましたが」


「まじめにコツコツ仕事をこなすタイプかな。遅刻はしないが、定時になればさっさと帰るんだ。人付き合いは悪いが、同居している母親の具合が良くないらしい」


「いたってまじめで、面白みのなさそうな人です」と嶋田さんも言った。さっきから嶋田さんの評価が厳しい。


「三田さんと弓原ゆんばらさんが同時に席を離れることはよくありますか?」


「ああ。いつも事務仕事をしているわけではない。警視庁の広報活動や、報道陣への事件の説明などに広報課は関与しているから、しょっちゅう警視庁内の他の部署に出向いているよ。だから三田さんも弓原ゆんばらくんもいないときは少なからずあるし、その間、誰かが三田さんの机を常に見張っていることもできない」


「三田さんの持ち物をそっと動かす隙はいくらでもあるのですね?」と言ったら、御手洗みたらいさんも嶋田さんもうなずいた。


「三田さんに話を聞くことはできますか?」と俺は聞いた。


「呼んできます」と嶋田さんが言って、会議室を出て行った。


「三田さんに聞くのはいいが、機嫌を損ねないようにしてほしい」と御手洗みたらいさんが言った。


「気を遣う相手なのですか?」


「実は、君だけに言うが、三田さんは波多野警視総監の実の娘なんだ」


「ええっ!?」警視総監の娘なのに名字が違う?三田さんは独身だと思っていたけど。


「波多野警視総監の最初の結婚で三田さんが生まれたのだが、同時に奥さんを亡くされてね。そこで親戚筋の三田家に養女に出したんだ。警視総監の両親も奥さんの両親も亡くなっておられて、育ててくれる人がほかにいなかったからね。警視総監はその後再婚されたが、三田さんは三田家で育てられたんだ」


「そうなんですか」


「警視庁内でも知っている人はほとんどいない。僕は三田さんの上司になるから、去年突然警視総監に呼び出されて『よろしく頼む』と直々に聞かされたんだ」


「内緒にしておられるのはなぜですか?本人も知らないとか?」


「三田さんは知っているかもしれないが、確かめたことはない。『自分の娘だと知られると色眼鏡で見られるから、秘密にしてくれ』と警視総監に言われたんだ。・・・このことは嶋田くんも知らないことだから、他言無用で頼む」


複雑な事情があるのかもしれない。「私も誰にもしゃべりません」と誓っておく。


そのとき、「呼んできました」と言って嶋田さんが三田さんを連れて入って来た。二十代前半のきれいな人だった。周囲の男が注目するのもうなずける。


「何かご用でしょうか、課長?」と三田さんが聞いた。


「ああ、君の持ち物がよく移動している件について、ここにいる藤野さんに相談していたんだ。こう見えて藤野さんには透視能力があるんだ」と御手洗みたらいさんが俺を超能力者か何かのように紹介した。


「はあ・・・」半信半疑の三田さんに着席を促す嶋田さん。


「私など信用できないかもしれませんが、よろしければ今回の騒動についてお話ししていただけませんか?」と俺は頼んだ。


「わかりました」と三田さんはうなずき、話し始めた。


話の内容は御手洗みたらいさんに聞いたこととほぼ同じだった。最初は足元に置いておいた水筒が移動していたこと、水筒の中身に異物が入ってないことを隣の弓原ゆんばらさんに確認してもらったこと、それからも机上の小物、例えば鉛筆や消しゴムやノート類が、何となく違う場所に移動しているように感じたことなどだ。


「その都度、弓原ゆんばらさんに尋ねていたのですか?」


「はい。でも弓原ゆんばらさんは誰も近づかなかったと言われるだけでした。・・・もし誰かが私の私物に触っていたのだとしたら、当然私と弓原ゆんばらさんの両方がいないときを狙っているのでしょうから、弓原ゆんばらさんが知らなくても無理はないと思っています」


「本当に物が動かされているとしたら不気味ですね」


「はい。・・・最近は開き直って、パックの仕業と思うようにしていますが」


「パック?」


「悪戯好きの妖精の名前です。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』にも出てきます」


「なるほど。・・・ところであなたは美人さんなので、課内の男性によく見つめられておられるのではないですか?」


「はい。御手洗みたらい課長を始め、ほとんどの男性課員の視線に気づくことがしょっちゅうあります」


その言葉を聞いて御手洗みたらいさんが咳払いをした。「わ、私は君に変なちょっかいを出す男がいないか、それとなく気にしていただけだ」


「ほとんどの男性課員と言われましたが、あなたの方を見ない男性もいるのですか?」


「はい。隣の席の弓原ゆんばらさんは、仕事上の用がない限りは私の方を向くことはせず、まじめに仕事をされています」


「物が動いたときに弓原ゆんばらさんに尋ねているとおっしゃられましたが、あなたは弓原ゆんばらさんを信頼しているのですか?」


「はい、そうです。まじめで信頼できる方だと思っています」


「そうですか。・・・最近も気になることが起きましたか?」


「はい。今日も水筒が動いていたので、弓原ゆんばらさんに中身を確認してと頼みましたが、ちょうどそのときに御手洗みたらい課長に呼ばれたのです」


「そうですか、わかりました。・・・もう帰ってもらってもいいですよ」と俺は御手洗みたらいさんに言った。


「わかった。三田さん、わざわざ来てもらって悪かったね。もう戻っていいよ」


「はい。失礼します」と言って三田さんは部屋を出て行った。


「次に、弓原ゆんばらさんを呼んでもらってもいいですか?」


「わかった。嶋田くん、頼むよ」


嶋田さんが部屋を出て行くと、さっそく御手洗みたらいさんが聞いてきた。


「何かわかったのかい?」


「今のところは何も」そう答えると、嶋田さんが若い男性をつれて戻ってきた。話に聞いた通り、イモにいちゃんっぽい見た目の人だった。


弓原ゆんばらくん、悪いね。今、三田さんの物がよく動かされていることをこのお嬢さんに相談していたんだが、君からもその騒動について答えてくれると助かる」


弓原ゆんばらさんは俺に怪訝そうな目を向けたが、課長からの頼みとあって「わかりました」と答えた。


「どうかよろしくお願いします、弓原ゆんばらさん。さっそくですが、三田さんの持ち物がよく動かされているそうですが、あなたは何か異変に気づかれましたか?」


「いいえ。三田さんの持ち物が最初どこにあったか知らないので、動かされたかどうかはさっぱりわかりません。不審者が三田さんの机に近づいたことはなかったと思います。それなのに物が動かされたと三田さんに毎回聞かれて、とまどっています」


「何も心当たりはないと。・・・あなたから見て三田さんはどういう女性ですか?」


「三田さんですか?同期で、机が隣にあるということ以外、特に気にしていません」


「三田さんは美人だろ?ちらちら横顔を見たり、積極的に話しかけようとしたり、しなかったのかい?」と聞く御手洗みたらいさん。


「去年、ここに入職したときに同期なので三田さんにあいさつしたら睨まれたのです」


「睨まれた?」


「はい。最初は目が悪くて物を見つめるときにしかめっ面になるのかと思いましたが、眼鏡をかけているところを見たことはないので、初対面で嫌われたと思いました。それ以降、何かされたわけではありませんが、私も三田さんが苦手になり、用がなければ避けるようにしてきました」


「なるほど。・・・今日も三田さんの水筒が動かされ、紅茶を確かめるよう頼まれたそうですが、変な悪戯かもしれないので口にしない方がいいですよ」


「わかりました」とうなずく弓原ゆんばらさん。


「ところでお母さんの具合が悪いとお聞きしましたが?」


「はい。最近息苦しいと言ってよくうずくまるようになりましたので、家事はなるべく私が担当しています」


「ほかに家族はおられないのですか、お父さんとか?」


「幼いときから父はいませんので、どんな人なのかも、名前すらも知りません。病気で亡くなったと母は言っていますが、離婚したのかも。・・・母と二人暮らしなのに、母は昔から働いていません。暮らしには困ってなかったので、別れた父から金銭的な援助を受けていると疑っています」


「そうですか。立ち入ったことまで聞いてしまい、申し訳ありません。・・・もう帰ってもらっていいですよ」と御手洗みたらいさんに言った。


弓原ゆんばらさんが退室すると、「何かわかったのかい?」と御手洗みたらいさんが聞いてきた。


「そうですね。まず、物が動かされたというのは三田さんの勘違いの可能性。実際に誰かが三田さんにちょっかいを出している可能性。あるいは、自分を意識しない弓原ゆんばらさんの気を引くための三田さんの狂言の可能性。そうでなければ・・・」


「そうでなければ?」


そのとき、廊下から人々が騒ぐ声が聞こえてきた。何事かといぶかしんでいると、いきなりドアが激しくノックされ、返事を待たずに弓原ゆんばらさんが入って来た。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

御手洗達夫みたらいたつお 警視庁広報課長の中年男性。

三田美都子みたみつこ 警視庁広報課員の若い女性。

嶋田浜江しまだはまえ 警視庁広報課員の中年女性。

弓原暁都ゆんばらあきと 警視庁広報課員の若い男性。

波多野隼人はたのはやと 警視総監(名前だけ登場)。


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