二十五話 警視庁を訪問
日本の警察組織は、まず国の行政機関として警察庁がある。警察庁は実際の犯罪捜査をするわけではなく、各都道府県の警察を管理し、警察組織全体の運営をしている。
各都道府県警察は地方自治体が設置する組織で、実際に犯罪捜査等を行う機関である。神奈川県警とか大阪府警と呼ばれるが、東京都の警察だけはなぜか警視庁と呼ばれている。
各道府県警のトップは本部長と呼ばれるが、警視庁のトップは警視総監である。警察官の階級は上から警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長、巡査と分かれるが、警視総監はひとりだけで、警視庁のトップを兼ねている。大阪府警などの大きな警察組織の本部長の階級は警視監である。警視総監や警視監はエリート中のエリートで、たいてい警察庁から出向してくるキャリア組である(警察庁の長官は警視総監よりも偉い)。県警や府警の下の階級は地方公務員なので、他地方の警察に異動することはない。
警察組織についてざっと調べたことは以上だった。警視総監や副総監の秘書がいるようだが、警察官でなくてもなれるのか、よくわからない。
俺は皇居の桜田門のそばにある警視庁庁舎の前に立った。
昭和六年に竣工した六階建て茶褐色の建物で、中央にそびえる巨大な円形の塔が象徴的だ。TVドラマ『七人の刑事』でお馴染みの庁舎だ。
俺は正面玄関から入ると受付の婦人警察官に、
「広報課の御手洗さんに呼ばれてきました秋花女子短大の藤野です。連絡していただけますでしょうか?」と頼んだ。
その婦人警察官は電話をかけ、一言二言話してから、「今参りますので、そこでお待ちください」と俺に言った。
近くにあるベンチに腰を下ろして待っていると、ビヤ樽のようなお腹をした中年男性が降りて来た。
「あなたが藤野さんですか?」と俺に話しかけてくる。
「はい、そうです」と俺はあわてて立ち上がりながら答えた。
「ようこそ、警視庁へ。私が総務部広報課の御手洗です。さっそくですが一緒に来てもらえますか?」
「はい」と俺は答えて御手洗さんの後に続いて近くの階段に向かった。
案内されたところは広報課の会議室だった。中に入ると中年女性の事務員らしき人がいて、俺が御手洗さんの向かい側に着席するとお茶を出してくれた。その人は御手洗さんの隣に座った。
「広報課員の嶋田です。よろしくお願いします」とその女性があいさつした。
「秋花女子短大の藤野美知子です。よろしくお願いします」
「さて、藤野さん、昨日の誘拐事件ではお世話になったようだね」と御手洗さん。
「え?私が近くにいたことまでご存知ですか?」俺は驚いて聞き返した。
「ああ。毛武百貨店の大食堂の部門長の金成さんとウエイトレスの高橋さんに誘拐に気づいたときの状況を聞いていたらね、近日中に会いたいと思っていた藤野さんの名前が出て驚いたよ」
「事件の発覚は、お客の言葉に疑問を持っていた高橋さんのお手柄ですよ。私は何もしていません」
「そうかな?高橋さんの話では、疑問を解き明かしてくれそうな藤野さんがいたから思い切って話してみたと言っていたよ。藤野さんがあの場にいなければ、おそらくまだ誘拐された子どもは保護できていなかっただろう」
「お手柄ですよ」と嶋田さんも言った。
「それに去年の秋には福島県で起こった盗難事件の犯人逮捕にも貢献したそうだね(『気がついたら女子短大生(JT?)になっていた』四十二話〜四十四話参照)。警視庁から表彰状を差し上げないといけないな」
「あれも私ひとりで解決できたことではなく、島本刑事さんたちに助けてもらったからですよ」と俺は謙遜した。
「しかしやはり藤野さんがいなければ解決できなかったことだろう」
俺なんかより一色の方が遥かに警視庁に貢献していると思うが、一色は表彰されたことがあるかな?と俺は思った。
「本日わざわざ来てもらったのは、藤野さんがいろいろな会社の改革に関して先見の明があるといろんなところから聞いたからなんだ」
「いろいろなアイデアを提供しただけで、それがお役に立ったのか知りませんけど」
「それでも一般市民の立場から意見してくれたら助かります」
「は、はあ・・・。何かお役に立てそうなことがありますでしょうか?」
「警察は犯罪を犯した犯人を捕まえるという任務があって、犯罪者たちには怖い存在でなければならない。捕まったらすぐに観念してしまうようにね」
「そうですね」
「ただ、犯罪に手を染めない一般市民に対しては親しみやすい組織でありたいと思っている。そのため広報課には婦人警官を多く配属して物柔らかな広報活動を行っているし、子どもたちには交通安全講習などを行っている」
「そうですね。悪い人はすぐに捕まえるけど、善良な市民や子どもたちには優しくて頼れる大人たちという印象を与えたいですね」
「そうなんだよ。そこでそうなる方策を広報課で考えろと上からお達しが来てね、いろいろ考えてはいるんだが、この際頼れる藤野さんの意見を聞きたいと思ったんだ」
「なるほど。・・・私たち一般市民は困ったときに警察に頼りますが、それ以外にも警察と市民が接する機会を増やすのがいいでしょうね」
「と言うと?」
「一日警察署長というのを警察署ですることがありますよね?」
「ああ。市長とかを招いてしているところがあるな」
「それを頻回に、それも国民の誰もが知るような有名でさわやかな印象のある芸能人やスポーツ選手にお願いして行うのです」
「例えば誰に頼むと良さそうかな?」
「そうですね。・・・映画俳優なら、若大将シリーズなどで主演をしている加山雄三さんや、たくさんの映画の主演をしている吉永小百合さんとか。歌手ならいしだあゆみさん、由紀さおりさん、森進一さんなどが人気がありますし、子どもですが、去年『黒ネコのタンゴ』を歌った皆川おさむさんもいいかもしれません」
「なるほど、そういう人たちに一日署長をしてもらうのは新しい考えだな」
「スポーツ選手なら、横綱大鵬や、巨人軍の王選手と長嶋選手に頼めたらいいですね」子どもが好きなものが『巨人、大鵬、卵焼き』と言われていた時代だからだ。
「このような人たちに一日署長を務めてもらい、防犯や交通安全を呼びかけてもらえればたくさんの報道陣が取材に来ると思いますから、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどで報道され、警察署の印象も良くなるでしょう」
「いいお考えで、警察全体の印象は良くなると思いますが、警視庁本部ではできないのでは?署長がいませんから」と嶋田さんが言った。
「そうだな。警視庁本部だと、一日警視総監なんて上が許してくれるか、難しいところだな」と御手洗さん。
「一日広報課長でもいいかもしれません」と俺が言うと、
「それはいい。吉永小百合が来たら嬉しいな」と御手洗さんが目尻を下げた。御手洗さんはサユリスト(吉永小百合のファンのこと)なのか?
「二つ目のアイデアとしては、警視庁本部庁舎の見学ツアーを設けることです。一度に招くのは少人数で、葉書などでの事前予約制とします」
「警視庁のどこを見学させるのかね?」
「それはそちらにお任せします。業務に差し支えないけど、警視庁に来たなと実感できるところがいいですね。・・・庁舎の入り口の上の方に塔がありましたが、あそこには入れないのですか?」
「あの塔の下には吹き抜けの中央ホールがあって、天井にはステンドグラスが張られているんだ。そこを案内するのはいいかもしれないが、塔には登れないよ」
「展望台でもあるのかと思いました」
「昭和初期に庁舎が建てられたときにはそういう話があったけど、ここは皇居に近いだろう?皇居を見下ろすのは不敬だと言われて、その案はなくなったんだ」
「それは残念ですが、中央ホールを見学の終点にして、そこで簡単な講演を聞かせるのもいいかもしれませんね。それにお土産の販売もいたしましょう」
「お土産?何を売るんだい?」
「文房具として鉛筆やノート、絵葉書、衣類としてハンカチやTシャツ、ネクタイピンのようなアクセサリー、お菓子やお酒、子供向けのおもちゃなどです。製造はそれぞれのメーカーに依頼しますが、警視庁の名称やイラストをつけてもらい、警視庁限定で販売するのです。庁舎の模型もいいでしょうね。ここでしか買えないとなると、見学者の皆さんは喜んで買われるでしょう」
「なるほど。見学者のいい思い出の品になるし、警視庁も儲かるし、いいことづくめじゃないか」
「ただし、警察が金儲けしていると思われないよう、値段は赤字が出ない程度にした方がいいと思います」
「お菓子はどのようなものがいいでしょうか?」と嶋田さんが聞いてきた。
「東京土産の人形焼き、草加せんべい、粟おこしなどでもいいですが、アンパンもいいかも」
「アンパン?」
「はい、木村屋のアンパンの真ん中に桜の花の塩漬けがついていますが、警視庁で売るアンパンには上の面に桜の代紋の焼き印をつけるのです」
「なるほど。・・・それから庁舎内でお酒を売るのですか?」
「そうですね。一升瓶ではなく、陶器製の小ぶりの酒瓶で売ります。日本酒や焼酎がいいでしょう。ただしあくまでお土産としてで、庁舎内では禁酒とします」
「子ども向けのおもちゃは?」
「プラスチック製の拳銃や手錠などはだめでしょうか?」
「ははは、シャレがきいてるな。許可が取れそうなら販売してもいい」
「女の子向けのおもちゃはどうしますか?」
「そうですね・・・。危険が迫ったときに吹く警笛とか、ヨーヨーとか」
「ヨーヨー?」
「そうです。ヨーヨーの側面に桜の紋を付けて、『これが目に入らないの?逮捕するわよ!』とか言うんです」
「・・・水戸黄門の印籠ですか?それに女の子になぜヨーヨーを持たせるのか、意味がわかりません」と嶋田さんに言われてしまった。
「そ、それから、警視庁のマスコットキャラクターを作るのはどうでしょうか?」と俺はあわててごまかした。
「マ、マコット、トラクター?・・・それは何だね?」
「マスコットキャラクターです。お二人はNHK総合テレビの『おかあさんといっしょ』で放送されていた着ぐるみによる人形劇、『ブーフーウー』をご存知ですか?」
「ええ。三匹の子豚を主役にした劇ですね?」と嶋田さん。
「今は『ダットくん』だったか、『とんちんこぼうず』だったかに替わっていると思いますが、マスコットキャラクターとはあのような人間が中に入って動かす大きな人形のことです。警視庁独自の新しいデザインの人形を作って、イベントがあるたびに現場に臨場するのです。周知されるようになれば、そのぬいぐるみもお土産として売れるでしょう」
「よ、よくわからないが、ひとつのアイデアとして参考にしよう」と御手洗さんが言った。
「最後に警視庁に新しい愛称をつけます」
「愛称?」
「はい。イギリスのロンドン警視庁はスコットランド・ヤードという通りにあったため、その名で呼ばれるようになりました。今の庁舎はそこから移転していますが、入り口前に『ニュー・スコットランド・ヤード』と書いた大きな看板を掲げています」
「それで?」
「警視庁は皇居の桜田門に近いことから『桜田門』と呼ばれることがありますね?それを正式な愛称にして、入り口前に『KEISHICHOU (SAKURADAMON)』と英語表記した看板を設置するのです。どちらかと言えば外国人向けですかね?でも、かっこいいと思いませんか?」
「ど、どうなんだろう?」と御手洗さんは言って、嶋田さんと顔を見合わせた。あまり響かなかったようだ。
俺は咳払いをした。「ま、そういう感じで市民に親しみを持ってもらうのはいかがでしょうか?」
「あ?・・・ああ、とても参考になった」と御手洗さん。
「あ、ありがとうございました」と嶋田さんもお礼を言った。
「ところで私は秘書志望なのですが、警視庁にも秘書と呼ばれる方はいますか?」
「うん。警視庁総務部企画課には警視総監秘書室があって、総監秘書係が置かれている。東京都公安委員会室にも秘書係があるし、副総監秘書係もいる。そのくらいかな?」
「その秘書の方たちはみな警察官なのですか?」
「いや、警察で働いている人全員が警察官ではなく、一般事務員も多数いるよ。秘書係も警察官である必要はない。藤野さんが警視庁の秘書志望なら、企画課の方に話を通しておくよ」と御手洗さんが言ってくれた。
「ありがとうございます」と一応お礼を言ったが、警視総監の秘書なんて、そうそうなれない気がする。
「ところで藤野さんは謎を解明するのが得意だそうだね?」
「え?捜査をして事件を解明するのは警察の本業なのではありませんか?」と思わず聞き返してしまった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
御手洗達夫 警視庁広報課長の中年男性。
嶋田浜江 警視庁広報課員の中年女性。
金成信一郎 毛武百貨店の食堂部門長。
高橋明子 毛武百貨店大食堂のウエイトレス。
島本長治 警視庁下の警察署の刑事課強行犯係の中年刑事。
一色千代子 明応大学文学部二年生。美知子の女子高時代の同級生。
映画俳優俳優情報
加山雄三/若大将シリーズ(1961年~)など主演映画多数
吉永小百合/1960年代に主演映画多数
レコード情報
いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ(1968年12月25日発売)
いしだあゆみ/あなたならどうする(1970年3月25日発売)
由紀さおり/夜明けのスキャット(1969年3月10日発売)
森進一/港町ブルース(1969年4月15日発売)
皆川おさむ/黒ネコのタンゴ(1969年10月5日発売)
TV番組情報
TBS系列/水戸黄門(1969年8月4日~2019年8月11日放映)
NHK総合テレビ/ブーフーウー(1960年9月5日~1967年3月28日放映)
NHK総合テレビ/ダットくん(1967年4月3日~1969年9月30日放映)
NHK総合テレビ/とんちんこぼうず(1969年10月6日~1971年3月29日放映)




