二十三話 ウエイトレスを執拗に狙う男(美知子の妖怪捕物帳・弐拾捌)
俺がスープの種類をあげていると、柳本社長と平営業部長と金成食堂部門長の三人が俺をまじまじと見つめた。
「あなたは洋食に詳しいのですね」と感心する食堂部門長。おそらくこの時代には、一般市民でスープの種類に詳しい人があまりいないのだろう。
「そうとういいところのお嬢さんなんだな」と社長も感嘆していた。
「それほどでもありませんが」と謙遜しておく。
スープを飲み終わると皿が下げられ、かわりに平皿の上にオレンジ色の魚肉のスライスが載った皿が目の前に置かれた。
「これは・・・スモークサーモンですか?珍しいですね!」と俺はこの時代では初めて見る料理に驚いた。
「君はスモークサーモンも知ってるのか!」と感嘆する平営業部長。
「大食堂では年配のお客さまからは刺身定食の注文が多いので、洋食でも刺身っぽいものを出そうと思ってメニューに加えたのです」と金成食堂部門長が説明した。
「これは王子サーモンの薫製鮭で、地下の食品売り場でも売ってるんだ。宣伝を兼ねて大食堂で出すことにしたんだ」と平営業部長。
並べられているカトラリーの一番外側にあるナイフとフォークを手に取る。皿の上にはスモークサーモンの切り身が五枚並べられ、周りにケッパーが散りばめてあった。一枚の切り身をナイフで半分に切り、フォークでケッパー一個と一緒に刺して口に入れた。
「とてもおいしいです。それに身が軟らかいですね」
「鮭は寄生虫がいるから刺身は出せないが、塩ジャケを焼いたのはしょっぱ過ぎる。それに比べて薫製は刺身のように食えていいな」と社長が言った。
とてもおいしいが、量が少ないのが気になった。試食フルコース用に量を減らしているのかな?
スモークサーモンの皿が下げられると、次はビフテキ(ビーフステーキ)だった。ヒレステーキのようで、小ぶりだが厚めの肉だった。新しいナイフとフォークに持ち替え、軟らかい肉にナイフを入れると、赤っぽい肉汁があふれ出た。
フォークでステーキの切り身を刺し、口に入れる。とてもおいしかった。
「このビフテキはうまいな。今まで食べたビフテキは薄くて硬いことが多かったが、これなら歯の悪い年寄りにも食えそうだ」と社長が言った。
「本当にステーキ専門店で出るような一品ですね。これから日本がもっと景気よくなれば庶民でもこのようなビフテキを食べられるようになるでしょうが、その先駆けとして気楽に入ることができる百貨店の大食堂で出されるのは先見の明がありますね」と俺もほめた。値段がいくらするのか気になったが、この場では聞けなかった。
「藤野さんは食通ですね。これからもときどき試食に来てもらいましょうか」と笑いながら金成食堂部門長が言った。冗談だろうが、また試食に呼ばれたら嬉しい。
ステーキを食べている間に小ぶりのパンとバターの切り身が出されていた。俺はパンを手に取って少し引き千切り、バターナイフを使ってバターをパンに塗った。
欧米では、パンでステーキのソースをぬぐって食べるのがマナーらしいが、この場では誰もしなかったのでやめておいた。
最後に背の低いグラスにウエハースを添えたアイスクリームが盛られたデザートが出された。甘く冷たくて、とてもおいしかった。
「ご馳走をお相伴させていただきありがとうございました。どのお料理もおいしくて堪能いたしました」
「いやいや、藤野さんの食べっぷりも見事だったよ」とほめる社長。ほめられたんだよね?
「いえいえ、とても良い料理人を揃えられているようで、大食堂の繁盛は間違いないと思います」
「藤野さんが言うようにメニューを早急に充実させるとしよう」
「こういうフルコースを出す専門店も人気になるかもしれないな」と平営業部長も言った。
「今日は藤野さんの意見を聞かせてもらえて参考になりました」と金成食堂部門長。
「ところで藤野さんには不可思議な謎も解いてもらえるとか・・・」
「そうだ。桜田社長も君をほめていたぞ」と柳本社長も言った。
「は、はあ・・・。何かわからないことがあるのでしょうか?」
「少し気味悪いことがありまして・・・」
「この際だ。藤野さんに相談してみなさい」と社長が言った。
「はい。実は半月ほど前の月曜日のことでした。大食堂の客が減ってきた二時過ぎ頃に若い男性のお客さまがいらっしゃいました。席に着かれた際にウエイトレスの高橋さんが水入りのコップを出して食券の半券を切り取ろうとしたときに、その男性客が高橋さんをじっと見つめているのに気づいたそうです」
「高橋さんは可愛い子なのかね?」と社長が聞いた。
「はい。二十歳そこそこのかわいらしい女性です」
「じゃあ、若い男が見惚れても仕方がないな」
「高橋さんは男性客の視線に気づかないふりをして厨房に戻り、ラーメンの注文を告げました」
「ラーメン一杯でもいいじゃないか。さっき話に出たライス単品よりはましだ」と平営業部長が口をはさんだ。
「それはいいのですが、実は翌日の火曜日にも同じ時間に来て、またラーメンを頼んだのです。水曜日は百貨店の定休日ですが、木曜、金曜、土曜と同じ時間にやってきてラーメンを頼みました。そしてその客は毎回高橋さんの姿を探し、見つけたらずっと見つめていたそうです」
「その男は高橋さんに一目惚れして毎日通ったのだろう。日曜日は来なかったのか?」
「はい。土曜日が最後でした」
「なら、相手をしてくれなかったので、脈がないとあきらめたのだろう」
「そうかもしれませんが・・・」
「その客はラーメン好きだっただけじゃないのか?五日も通って飽きたんだろう。高橋さんを見つめていたというのは、本人の思い過ごしじゃないのか?」と平営業部長が言った。
「ラーメンが好きなら百貨店に来なくても街中のラーメン屋で食べられます。うちのラーメンはごく普通の醤油ラーメンで、まずくはありませんがそれを目当てに来るほどではないのかと」と金成食堂部門長が言った。
「高橋さん目当てかラーメン目当てかわかりませんが、五日連続で来られていたとはいえ、それ以後音沙汰がないのなら、気にされることではないのでは?」と俺は率直に思ったことを聞いた。
「確かにそうなのですが、最後の土曜日の出来事が気になりまして」と金成食堂部門長が言った。
「何か起きたのでしょうか?」
「はい。その日は高橋さんは法事か何かで休まれていて、その男性客が別のウエイトレスに『今日は高橋さんはいないのですか?』と聞いてきたのです。そのウエイトレスが『どの高橋さんですか?』と聞き返したら、着ていた背広の内ポケットに手を入れながら、『ウエイトレスの・・・あきらこさんです』と答えたそうです。『あきらこさんなら今日はお休みですよ』とウエイトレスが答えたら突然狼狽して、『あ、あきらこさんですか?・・・そ、そうですか』と言ってあわてて立ち上がったのですが、そのとき内ポケットから床に落ちたのが鞘付きの短刀、いわゆるドスと呼ばれるものでした。ウエイトレスは驚いて絶句しましたが、男性客は『失礼』と言ってドスを拾い、そそくさと大食堂を後にしたそうです」
「凶器を持っていたのか!?警察には通報したか!?」と社長が叫んだ。
「いえ、刃物を持っていたとはいえ、鞘から抜いて誰かに向けたわけではないので、ただの持ち物と考えて警察には届け出ませんでした。ただ、高橋さんを刺そうとしていたのではないかと心配になって、高橋さんには二時前後は大食堂に出ないようにしてもらっています」
「ウエイトレスの高橋さんは、下の名前があきらこなのですか?ちょっと珍しい名前ですね?」
「明るい子と書いて、あきこではなくあきらこと読みます。同じ高橋という名字のウエイトレスがほかにいるので、厨房では高橋さんを『あきらこさん』と呼んでいます」
「高橋明子さんは今日来ておられますか?いたらお話を聞きたいのですが」
「はい。さっき料理を運んできたウエイトレスのひとりが高橋さんです」金成食堂部門長はそう答えると、近くにいたウエイトレスに「あきらこさんに来てもらってくれ」と告げました。
すぐに奥から高橋さんが現れた。確かに見た目はかわいらしい人だ。左胸に「高橋」と書かれた名札を付けている。下の名前は書かれていなかった。
「ここにいる藤野さんの質問に答えてくれ」と金成食堂部門長。
「はい」と高橋さんは答えた。
「あなたの名前はあきらこという、ちょっと珍しい名前なのですね?」と俺は聞いた。
「はい。父は男の子を望んでいたので、私が生まれたときに明と名づけようとしたのです。母たちが『それでは男に間違えられる』と反対して、最終的に明子に落ち着いたそうです」
「毎日通っていた男性客は知り合いではないのですね?」
「はい、そうです。お名前も存じ上げません」
「その男性客と初めて会ったときの様子を聞かせてもらえますか?」
「はい。月曜日の二時過ぎで、私はテーブルに残された食器を片づけていました。そのとき、例の男性客が着席したのに気づいた先輩ウエイトレスが、『あきらこさん、そのお客さまに水を運んであげて』と私に注意しました。私はそこで初めて男性客に気づきましたが、そのお客さまは驚いたような顔をして私を見つめていました」
「それでどうしました?」
「私が水をお運びしたときにもそのお客さまは私を見つめたままでした。私は気味が悪くなりましたが、顔には出さないようにして食券の半券を取って厨房に戻りました」
「水を運んだときも驚いたような顔をしていましたか?」
「いえ、そのときは睨みつけるような目つきでした。もっとも普段から目つきが悪いだけの人かも知れません」
「火曜日から金曜日も、その男性客は高橋さんを睨みつけていましたか?」
「私はなるべく目をそらしていましたが、そのお客さまは私を睨んでいるような感じでした。その人が短刀を持っていたと後で聞いて、やっぱりあの人は私を睨んでいたんだ、そして短刀で刺そうとしていたんだと思って怖くなりました」
「でも、あれからその男性客は大食堂に来られてないのですね?」
「はい。最近ようやく安眠できるようになりました」
「ありがとうございました」と俺は高橋さんに礼を言い、社長に「最近の新聞はありませんか?」と聞いた。
「社長室で新聞を取っている。ここひと月分は保管してあるはずだが」
「じゃあ、男性客が来なくなった日曜日から今日までの新聞を見せてもらえませんか?」と俺は頼んだ。
食器を片づけたテーブルの上に約十日分の新聞を置いてもらい、俺は片っ端から記事を探し始めた。社長たちと高橋さんは何も言わず、俺の行動を見守っている。
「あ、これです!」と俺は三日前の新聞に載っている小さな三面記事を指さした。
「何だね?」とのぞき込む社長たち。みんなが頭を寄せあっても記事を読みづらいので、俺が代わりに読み上げた。
「昨夜十時頃、台東区の路上で高橋綺羅子さん(二四)が男に刃物で刺されて死亡した。男は綺羅子さんの元恋人の親友で、元恋人が失恋で自殺したことを逆恨みし、綺羅子さんを襲ったとみられる」
「たかはし・・・きらこさん?」と高橋さんがつぶやいた。
「そうです。綺羅子という名前も珍しいですね。そこであきらこさんをきらこさんと勘違いして、復讐の機会を伺うために大食堂に日参したのです」
「あきらこときらこは確かに似ていますが、先輩ウエイトレスははっきりと『あきらこ』と私の名前を呼んだので、勘違いするはずは・・・」
「『あきらこさん』と声をかけたとき、男性客には『あ、きらこさん』と聞こえたのでしょう。最初の『あ』を呼びかけの言葉だと勘違いしたのです。あきらこという名前も珍しいですから」
「土曜日のウエイトレスは、男が『あきらこ』と答えたと言っていましたが?」
「今度はウエイトレスが『きらこ』と言ったのを『あきらこ』と聞き間違えたのでは?」
「ということは、どういうことだね?」と社長が聞いた。
「その男性客は新聞記事に書いてあるように、親友が高橋綺羅子さんにふられて自殺したことを逆恨みしていたのです。しかし男性客は当の綺羅子さんがどこの誰か、顔も知らなかった。ところがたまたま立ち寄った大食堂で、下の名前がきらこらしい高橋さんに気づいたのです。最初から刺そうと考えていたのかはわかりませんが、毎日様子を見に来ているうちに復讐心が大きくなっていったのでしょう」
「私は綺羅子さんの代わりに殺されようとしていたの?」がくがく震え出す高橋さん。
「そうだったと思います。でも男性客は土曜日に高橋さんがきらこではなくあきらこであり、赤の他人だということに気づいたのです。その後男性客は綺羅子さん本人を捜し出し、凶行に及んだということでしょう」
「我が百貨店で事件が起こらなくて本当によかったよ」と胸をなで下ろす社長。
「高橋さんを執拗に狙っていたとしても、毎日ラーメンを食べなくてもよさそうなものだが。・・・やっぱりラーメン好きだったのかな?」と平営業部長がつぶやいた。
「あまり裕福ではなかったので、安いラーメンを頼まざるを得なかったのでしょう」
「でも大食堂にはもっと安いかけそば八十円や、ライス単品五十円もありますが?・・・ラーメンは百円、ライスカレーは百五十円です」と金成食堂部門長。
「ラーメンは脂分があってお腹が満たされるので、その男はそばよりもラーメンを頼んだのでしょう。ライス単品は周囲の目もあって頼みにくいですし」と俺は締めくくった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
柳本三十吉 毛武百貨店の取締役社長。
平 太郎 毛武百貨店の営業部長。
金成信一郎 毛武百貨店の食堂部門長。
桜田敏郎 毛武電鉄の取締役社長。
高橋明子 毛武百貨店大食堂のウエイトレス。




