二十二話 毛武百貨店を訪問
会社訪問の依頼が二件あると聞いて最初に訪問したのは毛武百貨店だ。これは以前に訪問した毛武電鉄が戦前に作った百貨店で、戦後になって毛武電鉄と別会社になって独立している。毛武電鉄が親会社であることに変わりはないが。
百貨店の正面玄関ではなく、裏手の職員専用口から中に入ると、そこにいた警備員に訪問目的を告げた。
警備員に案内されて職員専用エレベーターに乗ると、最上階ではなく五階のボタンを押された。最上階は大食堂の厨房があるので、それより下の階に社長室があるようだ。
エレベーターを出ると絨毯が敷かれた廊下を歩いて役員室入口のドアの前に行く。ノックをしてドアを開けると秘書が二人いて、俺は訪問目的を告げた。
「秋花女子短大の藤野と申します。社長さんに呼ばれて参りました」
「話は伺っております。こちらへどうぞ」と秘書のひとりが立ち上がって、俺を誘導してくれた。
秘書がいる前室の奥には役員室が並び、その一番奥に社長室があるようだ。百貨店内は客がおおぜいいて喧騒で満ちているのだろうが、この役員室エリアは静寂に包まれていた。
社長室のドアをノックし、秘書が「藤野様をお連れしました」と中に伝えた。
「入ってもらいなさい」という返事が聞こえ、中に入れてもらうと、立派な応接セットや調度品が並び、一番奥に木製の立派な机があった。
その机の向こう側の黒革で覆われた大きな椅子から初老の男性が立ち上がった。
「ようこそ、藤野さん。あなたのことは毛武電鉄の桜田社長から聞いているよ。・・・自己紹介がまだだったな。僕はこの百貨店の社長をしている柳本だ」
「秋花女子短大の藤野と申します。よろしくお願いします」と俺は頭を下げた。
「まあ、そのソファに座りたまえ」と柳本社長に促され、指さされたソファに座る。
そのときドアの外からさっきの秘書の声が聞こえた。「営業部長と食堂部門長が参りました」
「入ってもらいなさい」と柳本社長が答え、二人の初老の男性が社長室に入って来た。
「営業部長の平です」「食堂部門長の金成です」と二人の男性が自己紹介してきたので、俺はあわてて立ち上がって自己紹介を繰り返した。
「まあまあ、みんな座りたまえ」と社長が言い、俺の横に食堂部門長、前に社長、斜め前に営業部長が腰を下ろした。
「この娘さんが、桜田社長が感心したというお嬢さんですか」と俺をまじまじと見つめる金成食堂部門長。
「忌憚のない意見を期待しているよ」と平営業部長。何を期待されているのかわからないが。
「君は我が百貨店をどう思う?」と社長がアバウトな感想を求めてきた。
「ここ、毛武百貨店は大正時代に作られた老舗百貨店の名店で、売り場面積が広く、扱っている商品も庶民向けから高級品まで幅広く数を揃えており、都内でもとても人気がある百貨店です」
「うむ。我らは老舗百貨店という立場に甘んじず、常に売り場の拡張と商品の充実を図っている。呉服店発祥の百貨店にも、他の鉄道会社の百貨店にも引けを取らないと自負しておる」と社長が上機嫌で答えた。
「だが、数年前にすぐ近くに竹屋百貨店が開業した」と平営業部長が言った。
「内装が新しいのでそちらに流れる客も多いが、物珍しさに目を奪われているだけで、客はいずれこの百貨店に戻って来ると信じている」
「そうですね。この百貨店の格調ある外観と内装はいつまでも色褪せないと思いますよ」と俺は適当な返事をした。
「その通りだ」と社長。「ただ、ひとつだけ懸念していることがある」
「なんでしょうか?」
「それは竹屋百貨店の最上階にある大食堂だ」
百貨店の大食堂は、この時代には百貨店の目玉の一つで、ショーウインドウに和洋中華のいろいろなメニューの見本が並び、客が好きな料理を注文できるというシステムだ。家族連れで訪れて、父親が握り寿司、母親が盛りそば、子どもたちがお子様ランチと、好みや年齢に合わせた料理が提供される人気の食堂だ。
「竹屋百貨店の大食堂は毛武百貨店と同じ形態なんだが、ライスカレーハヤシやオムライスカレーなど、複数のメニューを組み合わせたメニューや、ビフテキ、ローストビーフ、タンシチューなど、本格的な洋食屋でしか見ないような高級料理を取り入れたメニューを出しているし、中華料理でもなんとか麺という、日本のラーメンとは少し違う中華そばを揃えて目新しさを出している。そしてこれらのメニューをどう考えてもそんなに安くては利益が出ないだろうという値段で提供しているんだ。それが好評で、それ目当てに竹屋百貨店の客が増えている。その分毛武百貨店の客が減っているような気がするんだ」と平営業部長が説明した。
「メニューを真似することは簡単なのですが、竹屋百貨店と同じ値段では提供できません。そこで先見の明があるという藤野さんに、どのようなメニューを出せばいいのか意見を聞きたいのです」と金成食堂部門長が言った。
「なるほど。・・・竹屋百貨店は、集客のために赤字覚悟で安く料理を提供しているのですね」
「そうなんだ。商道徳に反している気もするが、客が喜んでいるのなら文句はつけづらい」と社長。
「百貨店に大食堂ができた当時はライスカレーが一番人気だったと聞いたことがありますが、景気が上向いている現代ではいろいろな料理を提供するべきでしょうね。ただし、庶民でも気楽に注文できる値段で」
「そういうことです」と食堂部門長。
「私のアイデアが通用するかわかりませんが、まずひとつは家族で来られたお客さま向けのメニューを充実させます。ここでいう家族とは、小学生以下の子どもを連れた大人・・・両親とか祖父母の一組を指します」
「うむ」と社長。
「こういう家族の大人向けには洋風と和風の両方のメニューを取り揃えます。洋風は既に今でも提供されている、おかずを載せた大皿とライスの皿のセットメニューです。おかずはこれまで通り、ミックスフライ、ハンバーグ、ローストチキンなどを揃えます。和風はお盆の上に載せる定食メニューで、ご飯とみそ汁を基本とし、それにおかずとしてカツ綴じ、から揚げ、てんぷら、刺身、とんかつなどを加えます。中華風として、餃子定食、肉野菜炒め定食、麻婆豆腐定食などのラインナップを揃えるのもいいでしょう。どれも珍しい料理ではありませんが、洋風でも和風でも中華でも、好きなものを選べるのが大食堂の醍醐味ですから」
「それらはすぐにメニューに載せることができますね」と金成食堂部門長。
「お子様向けとしては、定番のお子様ランチを男児向けと女児向けに分け、おまけをつけます」
「男児向けと女児向けはどう違うのですか?」と食堂本部長が聞いた。
「男児向けと女児向けの違いは、お皿の色などの違いでいいと思います。新幹線や飛行機、花や人形の形を模した形状の皿を作るのもいいかもしれません。料理自体は同じものでも、男女用で見た目の違いを出すと、男の子と女の子のお子さんがいる家族では比べて喜ばれると思いますよ」
「おまけとは?」と平営業部長が聞いた。
「駄菓子屋で売っているような五円、十円程度のおもちゃを籠に盛り、お子さんに好きなのをひとつ取ってもらうのです。他愛のないおもちゃでも子どもは喜ぶでしょう。・・・もちろん、男児向けと女児向けでおもちゃの種類を変えます」
「その程度なら大した損失にはならないな。それで家族連れの客が増えるのならもうけものだ」
「さらにデザートの種類を豊富にすると、サンプル棚が華やかになりますし、食事のついでに買ってもらえる可能性が上がります」
「どんなデザートを揃えると華やかになるんだ?」と聞く社長。
「例えば、クリームソーダという飲み物があります。一般に緑色のソーダ水の上にアイスクリームが載せてありますが、ソーダ水の色を赤色に変えたイチゴクリームソーダ、オレンジ色のオレンジクリームソーダ、青色のブルーハワイクリームソーダとか、色違いを揃えると華やかになります。夏場はかき氷でイチゴ、レモン、メロン、ブルーハワイ、練乳、抹茶金時と色違いを揃えられます」
「ブルーハワイはおもしろい。確か、プレスリーの歌にそういう曲があったな」と社長。
「クリームソーダは緑色だと思い込んでいましたが、ほかの色のもあるのですか?」と聞く金成食堂部門長。
「かき氷のイチゴとレモンは食用色素が違うだけで味は一緒だと聞いたことがあります。クリームソーダの原液の色違いのが市販されていなかったとしても、作るのはそう難しくないでしょう」
「なるほど。食品サンプル棚が華やかになればそれだけでも集客効果があるかもな。・・・他の百貨店もすぐに真似してくるのだろうが」と平営業部長。
「それから皿に盛ったライスの単品がありますよね?それに漬物をつけて、ライスだけのお客様も歓迎しますというテロップ・・・宣伝文句を付けておくのです」
「ライスだけ頼んで備え付けの塩やソースをかけまわして食べる貧乏くさい客もけっこういます。追い出しはしませんが、食堂側としてはもうけが少なく、いい客だとは思っていませんが」
「町中の定食屋でもご飯だけ別に売っている店があるでしょうが、ご飯単品は頼みにくいですね。そこを逆手にとって、毛武百貨店では単品売りを推奨するのです」
「なぜですか?」と聞く金成食堂部門長。
「ライスだけ頼む人はお金のない若い人がほとんどでしょう。そういう人はいずれ出世する可能性があります。将来上客になって、若い頃にお世話になった百貨店をひいきしてくれると思いますよ」
「なるほど。将来への投資のようなものなんだな」と感心する社長。
「ライスしか頼まない年寄り客もいるが?」と平営業部長。
「・・・敬老の精神で臨みましょう」と俺は言って三人を見回した。
「今までの提案は小手先の改革です。先ほど平さんが言われたように効果があれば他の百貨店もすぐに真似するでしょう。そこで準備に時間と設備投資が必要な食堂階の改革案を述べます」
「なにっ?」と言って身を乗り出す三人。
「食堂階の充実を図るのです。食堂を置くフロアをもう一階増やすことができるなら、そこに食の専門店街を作ります」
「専門店街!?」と三人が異口同音に叫んだ。
「フロアをいくつかに区分けして、そこに市中の名店に入ってもらうのです。例えば、寿司の銀座八兵衛、そばの神田叢蕎麦、中華街の萬金桜などと交渉して出店してもらうのです。メニューの価格は大食堂より上がりますが、高級志向のお客様向けにするのです」
「家族連れ、貧しい若者の次は金持ち向けか。なるほど。・・・だが、名だたる名店が簡単に暖簾を出してくれるかな?」と平営業部長が顔をしかめた。
「それは営業部のお仕事なので・・・」と俺は言葉を濁した。
「だが、食堂階を増やすのは大改革だぞ」と懸念する社長。
「増やせないのなら、苦渋の決断ですが、大食堂を一部削って専門店のスペースを確保するしかありません」
「大食堂を縮小するのですか・・・」茫然とする金成食堂部門長。
「大食堂でたくさんのお客様に料理を提供するとなると厨房は大忙しでしょうね?」と俺は聞いた。
「その通りです。米だけでも数台ある十升釜で一日何度も炊かなくてはなりません」
「そういう作業を専門店で分担すると思ってもらえれば、食堂経営の効率化につながるのではないでしょうか。もちろん専門店からは出店料を徴収しますし、すべて食堂部門の管理下に入ります」
「長い目で見れば経営の改善につながるか」と平営業部長。
「庶民から金持ちまで喜んでもらえるのが百貨店だ。藤野さんの提案は検討する価値があるだろう」と社長も言った。
「藤野さん。今の提案は他の百貨店には内緒にしてもらえるかな?」
「もちろんです」と俺は即答した。
「今日のお礼に食事を出させてもらおう。藤野さんに好き嫌いはあるのかい?」
「いえ。貧乏舌なので何でもおいしく食べられます」と答えると社長が笑った。
三人に案内されて隣の会議室に移動する。二十人近くが座れる大テーブルに俺たち四人が着いた。
「今日は大食堂のメニューの試食をする日でね、藤野さんにも味の感想を言ってもらおう」と社長。
「大食堂の味を確認するために役員の方に月一で試食してもらっているのです」と金成食堂本部長が補足した。
大食堂のウエイトレスが数人入室し、俺たちの前にグラスとナイフやフォーク、スプーンなどのカトラリーが置かれた。それらの数を見るに、一皿の料理ではなさそうだ。
「フルコースですか?」
「大食堂には料理を次々と出すフルコースのメニューはありませんが、試食の際にはスープ、肉料理、魚料理などを順番に味見してもらいます。量は少なめなので、食べきれないことはないと思いますよ」と金成食堂部門長が説明した。
ワイングラスに水が注がれ、まず俺の前にスープが置かれた。コンソメスープのようだ。食器の端にあるスプーンを取ると、スープをすくって口に運んだ。
「滋味が感じられる、おいしいスープです」と俺は感想を述べた。
「スープはコンソメだけですか?」
「日本人になじみ深いのは『当たり前田のクラッカー』についているコンソメスープなので、それをメニューに入れていますが、ほかにどんなスープがお薦めでしょうか?」と食堂部門長が聞いた。
「そうですね。コーンポタージュ、コーンクリームスープ、グラムチャウダー、ビシソワーズ、ミネストローネ・・・」と俺がスープの種類を挙げていくと、三人が目を丸くし出した。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
桜田敏郎 毛武電鉄の取締役社長。
柳本三十吉 毛武百貨店の取締役社長。
平 太郎 毛武百貨店の営業部長。
金成信一郎 毛武百貨店の食堂部門長。




