二十一話 迷い家(美知子の妖怪捕物帳・弐拾漆)
彼女さんにもう一度話してみると言った寛一さんだったが、
「しかし、あのときの話をしようとしたら、彼女は聞く前から嫌がって、俺の話を聞こうとしないかもしれない」と迷い出した。
「話を聞いてもらえないと誤解を解けないわよ」と口を出す園長夫人。
「何か別の、気を引くような話をしてみたらどうだ?」と園長も言った。
「そうだな・・・」と考え込む寛一さん。
「そうだ!あの話なら。・・・藤野さんに教えてもらいたい!」と寛一さんが突然俺に向かって言った。
「な、何でしょうか?」
「彼女から聞いた不思議な話なのですが、彼女も真相を知りたがっていたのに説明がつかなかったことがあります!」
「不思議な話ですか?」
「そうです。聞いてもらえますか?」
時刻も遅くなってきたのでそろそろ帰りたいなと思っていたが、この様子では帰らせてもらえそうにないだろう。
「どのようなお話ですか?私に説明できるかわかりませんが・・・」
「藤野さんなら大丈夫ですよ」と根拠なく保証してくれる寛一さん。
「実は彼女が親戚から聞いた話なのですが、昭和四十一年の九月頃にその親戚は埼玉県から山梨県に向かう山道を車で走っていたそうです。その日は大雨が降っていて、舗装されていない細い山道を注意深く進んでいましたが、その山道がある家の前で終わっていました」
「行き止まりの道だったのですか?」
「そのようです。どこかで道を間違えたのです」
「それでどうされましたか?」
「その人は引き返そうとして車の向きを変えましたが、そのとき、開いている戸の中から誰かがこちらを見ていたような気がしたのです。その人は一言断ってから行こうと思って、車を降りて戸の中に入って声をかけました。その家の中は、囲炉裏にやかんがかけてあってお湯が沸いていたそうです。食器入れには高価そうな食器が並んでいるのが一目でわかりました。しかし、声をかけてもその家の人は誰も出て来なかったのです」
「それはちょっと不気味ですね。それからどうされたのですか?」
「その家に用があるわけではないので『失礼した』と断って家を出て、車に乗り込んで来た道を戻り始めました。すると少し進んだ先で対向車と出くわしました。狭い山道なので停車したところ、向こうの車から男がひとり出てきたそうです。そして親戚の人に、『お前は蓮見の者か?』と尋ねたそうです」
「蓮見とは、さっきの家の持ち主の名前でしょうか?」
「そうだと思います。その男はとても柄の悪い男で、人夫のような服を着て、すごみのある声で話しかけてきたそうです。親戚は『道に迷ってこの先の家の前まで行ったが、今戻って来たところだ。蓮見さんが誰か知らないし、誰にも会っていない』と答えました。するとその男は、『こんな日に呼び出しやがって』と悪態をつきながら車に戻りましたが、対向車の中には柄の悪そうな男女が数人乗っていたそうです。親戚の人はすぐに車を発進させ、その車の横をすり抜けてその場から去ったということです」
「妙なところに迷い込んだのですね。その親戚の方は無事に帰られたのですか?」
「はい。少し進んだところで三叉路があって、そこで道を間違えたことに気づき、正しい道を辿ってどうにか暗くなる前に目的地に着きました。雨風はますますひどくなり、さっきの家や対向車の乗員のことを思い出す余裕はなかったそうです」
「変な家と人に出くわしたけど、その日は何も異変は起こらなかったのですね?」
「そうです。ただ、数日後の天気のいい日にその道を通って埼玉県に戻って来たのですが、山中は雨風で荒れていて、あの家に行く別れ道を見つけることができなかったそうです。その話を聞いた彼女は、あの家は迷い家ではないかと思ったそうです」
「まよいが?それは何ですか?」と俺が聞くと、
「彼女が教えてくれたところによると、遠野物語という東北地方の伝承をまとめた本に載っている話で、山中に立派な家があって、その家の食器か何かを持って帰るとその人は裕福になるということです。ただし、欲深な人間が行こうとすると、迷い家にたどり着くことはできないと教えてもらいました」と寛一さんが説明してくれた。
「その親戚の方は何も持って帰らなかったのですね?」
「そのようです。その後裕福になったわけではなく、『何かもらって帰れば良かったのに』と彼女が笑いながら言っていました」
「寛一さんは、その迷い家が何かわかったと言って、彼女さんともう一度会話するチャンスが欲しいのですね?」
「そうです。何か気づいたことはありませんか?」
「蓮見という家と、対向車に乗っていた男女については何もわからないのですか?」
「そういえば聞いたことがある」と中林園長が言い出した。
「蓮見家はあのあたりで徳川埋蔵金を長年探している家族のことじゃないかな?けっこう有名だぞ」
「徳川埋蔵金!?」また眉唾な話が出てきたぞ、と俺は思った。
「そうなのかい?」と聞き返す寛一さん。初耳だったようだ。
「そのあたりに埋蔵金が埋まっていると書かれた地図か古文書を持っていて、それを頼りに宝探しをしているようだが、これまでにお宝が見つかったというニュースは聞いたことがない。それに蓮見家と競って埋蔵金を探している別の家族もいると聞いたことがある」
「別の家族?」埋蔵金を探している家族が別にもいることに驚いてしまった。
「さ、さ、澤口一家だったかな?両家でよくもめ事を起こしているとも聞いたな」
「澤口家の人が、対向車に乗っていた柄の悪い連中かな?」と聞く寛一さん。
「対向車の乗員が澤口家の人たちだとして、その人たちが蓮見家に何をしに行ったのでしょうか?」と俺も聞いた。
「それはわからないが、最近は蓮見家と澤口家の噂を聞かなくなったな。もしかしたらその親戚が見た家は幸運をもたらす迷い家ではなく、旅人を泊めて夜中に殺して食べる鬼婆の家かもしれないな」と中林園長。
「鬼婆の家かどうかは置いといて、埋蔵金探しとは、具体的にどのようなことをしていたのでしょうか?」
「山中に分け入って洞窟や横穴らしい痕跡が見つかればそこに入ったり、さらに深く掘り進めたりするんだ。その土地の所有者がいる場合は当然発掘の許可を得なければならないが、許可なく勝手に掘り、ときには発破を使ったりして、もめ事になったことも少なくなかったようだ」
「発破というと、火薬を使って坑道を掘ったということですか?」
「そうだと思う。それに一度は採掘場所で両家が出くわして、けが人が出るような大げんかになったこともあったそうだ」
「なるほど。・・・もしあの山中の家が蓮見家のものだとして、対向車に澤口家の人々が乗っていたとしたら、『呼び出された』と言っていたので、あの家で決着をつけようとしていたのでしょうか?」
「・・・だが、蓮見家はその少し前に跡取り息子が病死して、祖父ひとりになったと聞いたことがある。もともと二人で宝探しをしていたんだ。澤口家とまともに喧嘩をして勝てる見込みはない」
「じゃあ、平和的な話し合いでしょうか?」
「そうかも。引退宣言でもするつもりだったのかも」
「寛一さんに確かめたいことがあります」と俺は寛一さんに言った。
「なんでしょうか?」
「親戚の人が数日後に通ったときには分かれ道が見つからなかったと言っていたそうですが、全く何の痕跡もなかったのでしょうか?」
「俺自身が見たことではないので正確なことはわかりませんが、数日前の大雨で崖崩れや樹木の倒壊が所々で起こっていたようです。徐行をして車を進めていたそうですが、倒木のせいで分かれ道が分からなかったのかもと言っていたそうです」
「昭和四十一年の九月なら、台風二十六号が来たときじゃないかしら?」と園長夫人が言った。
「台風二十六号?」
「そうよ。あの年、台風二十四号と二十六号が同じ日に日本に上陸して、二十四号が西日本を、二十六号が東日本を縦断して、全国に被害をもたらしたのよ。特に山梨県の被害がひどかったと聞いたわ」
「その台風で分かれ道の上に崖崩れか木の倒壊が起こって、道がふさがれてしまったのでしょうか?」と寛一さん。
「そうかもしれません。・・・ただ、気になるのが対向車に乗っていた人が、『こんな日に呼び出しやがって』と言っていたことです。私の記憶では、昭和三十九年に富士山頂に気象レーダーが設置され、翌年から台風接近の早期予報が可能になったはずです。つまり、天気予報を聞いていれば、台風がいつ頃来るかわかるはず。そんな日にわざわざ敵対していた家族を呼んだことが引っかかります」
「ということは、台風で崖崩れなどが起こることを予想していて、危険なところに澤口家を誘い込んだということでしょうか?でも、澤口家の人がいるときに都合よく崖崩れが起きるかなんて、わからないでしょう?」
「人為的に崖崩れを起こしたとすればどうでしょうか?」と俺が言うとみんながはっとした。
「わ、わざとってことですか?どうやって!?」と寛一さん。
「宝探しをするときに発破、つまり火薬を使っていたと言われましたよね?澤口家が家に入ってくつろいだときに爆破させ、家ごと吹き飛ばしたとか・・・」
「そんなことをすれば大きな音がするので、山中とはいえ近くの村まで聞こえるんじゃないか?・・・あ、そうか!台風か!」と中林園長が叫んだ。
「そうです。当日は台風の暴風雨で、多少の爆発音などかき消されたでしょう。火災が起こっても、雨ですぐに消えたはずです。台風を利用して、誰にも気づかれずに澤口家を全滅させたという考えは突飛でしょうか?」
「そ、それは突飛ですよ!埋蔵金探しで競い合い、いさかいが起こっていたとしても相手を皆殺しなんて、そうそう考えませんよ!」と寛一さんが叫んだ。
「もし、そこまでするほどの恨みがあったとしたら?」と俺が言うとみんなが目を丸くした。
「その少し前に跡取り息子が病死したと園長さんに聞きました。その死因がただの病死ではなく、澤口家との喧嘩や嫌がらせで起こったケガなどが悪化したものだとしたら、蓮見家の祖父が強い恨みを持ってもおかしくはありません」
息を呑む園長一家。
「さらに犯罪の痕跡を隠すため、あるいは発見を遅らせるために山道からの分岐点近くにも爆薬を仕掛けておき、道があった痕跡を消したのでしょう。それほど交通量の多くない山道のようですから、分かれ道があったことに気付く人はまずいなかったと思います」
「そ、それは・・・全部藤野さんの想像なんじゃないのか?」と中林園長が聞き返した。
「そうです。まったくの想像です。この仮説を裏付けるためには蓮見家のお孫さんの死因の調査、分かれ道の捜索と、その奥の家屋があった場所の掘り起こしが必要になります。警察に動いてもらう必要がありますが、今のところ警察を動かせるだけの説得力のある根拠はありません」
しばらくの沈黙の後、中林園長が口を開いた。
「犯罪小説を読んだ後のような気分だ。藤野さんは想像力がたくましいんだな」
「今まで聞いた情報から想像しただけなのですが、事の真偽はともかく、寛一さんが彼女さんに話しかけるきっかけにはなると思います」
「そうですね。迷い家の真相がわかったと言えば、俺の話を聞いてくれるかもしれません。その後で彼女が動物から嫌がられた理由を説明すれば、納得してよりを戻してくれるかも」
「親戚の人にこの話が伝われば、そんな事件があったのか捜査してもらうきっかけになるかもしれないな」と中林園長も言った。
「ありがとう、藤野さん」とお礼を言う寛一さん。
「仲直り、がんばってくださいね」と激励しておいた。
薄暗くなってきたので、夕食の誘いを断って中林園長に送ってもらうことになった。
家の前で俺を見送ってくれる園長夫人と寛一さん。
中林園長の軽トラに乗りこみ、大学に向かって走り出す車中で、
「いろいろな話を聞けて楽しかった。それに動物園の来園者を増やす方法も聞けて参考になった。副園長として迎える話は残しておくから、忘れないでくれ」と中林園長が言ってくれた。
それからしばらくして大学の就職指導部に顔を出したら相良さんに呼び止められた。
「藤野さん、さきたま動物園の園長さんから電話があったわよ」
「そうですか?何と言われたのですか?」
「息子さんが結婚することになったんだって」
彼女さんと仲直りできたのかな、と思っていると、
「人の少ない動物園で若い女性が二人もいるともめごとが起こりかねないから、もっといい就職先を探してくれ。藤野さんなら楽勝だろう、と言われたわ」
「そうですか・・・」
「気落ちしないでね。実は二件ほど会社訪問の話があるの。順番に伺ってみる?」
「はい。お願いします」と俺は答えた。
まだ時間がある。内定とまではいかなくても、内々定を出してくれる就職先をいくつかキープしておきたいな、と俺は思った。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
中林寛一 さきたま動物園の園長の息子、飼育員。
中林大作 さきたま動物園の園長。
中林つね子 さきたま動物園の園長の妻、事務員。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。




