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二話 鈴山電機を訪問する

訪問した鈴山電機の人事部の部屋に入ると、俺は近くに座っていた男性社員に声をかけた。


「あの、お忙しいところをすみません」


俺の声を聞いてその社員が俺の方を向いた。頭の先から足先まで一瞥される。


「何か用ですか?」無愛想な声が返ってくる。これが祥子さんだったら、もっと好意的な反応をされるだろうな、と一瞬思った。


「こちらに係長の高田さんはおられますか?私は本日面会をお願いした藤野と申します」


「ああ。・・・高田係長!お客さんです!」その社員は振り向いて奥の方に声をかけた。


すると奥の机から四十前後の男性が立ち上がった。痩せぎすで、温厚そうな顔をしていた。


高田係長は俺の方に近づきながら、「ようこそ、藤野さん」と声をかけてくれた。


「今日はお忙しいところ、面会していただきありがとうございます」と俺は言って頭を下げた。


「もっと気楽にしていいよ」と言いながら俺の肩を軽く叩く高田係長。


「あっちの面会室で話を聞こう」


そう言って俺の横を通り過ぎ、廊下に出る高田係長。俺はすぐに後を追った。


ドアを静かに閉めて廊下を歩くと、すぐに「面会室」の札がかかっているドアの前についた。


ドアを開けて中に入り、電気を点ける高田係長。中にはテーブルと椅子数脚が置いてあるだけだった。


「どうぞ」と俺に声をかける高田係長。


「お邪魔します」と言って面会室の中に入り、促されるまま椅子に座った。


俺の向かいに腰を下ろす高田係長。


「履歴書は持って来たかな?」


「はい、これです」俺は手提げ鞄の中から書いてきた履歴書を取り出し、高田係長に手渡した。


履歴書を読む係長。その間に女性事務員が入って来て、俺と高田係長の前に煎茶椀を置いた。


「お茶をどうぞ」と高田係長が言ったので、俺は茶碗を手に取った。しかし口に着ける前に高田係長が質問してきた。


秋花しゅうか女子短大の英語学科に在籍中なんだね?君は英語が達者なの?」


「一般的な文章なら読み書きは多少できますが、流暢な会話はできません」


「当社もアメリカに進出しているからね、英語ができて困ることはない。先方と直接商談をするのは主に営業部の社員だが、もし同席することがあれば内容を把握できるほど英語を聞き取れる方が良い。特に秘書になりたいならね」


「頑張ります」


「ところで当社のことをどのくらい知ってるの?」


「はい、御社は終戦直後に起業され、テープレコーダー、ラジオ、電子卓上計算機、テレビ、ビデオレコーダーなど、音声と映像の分野に強い電子機器メーカーと聞いています」


「テレビ、ラジオ、電卓など、他の会社も力を入れているけど、当社にはどのくらい将来性があると思うのかな?」


「御社はトランジスタ電卓でも発売時点で世界最小、世界最軽量の製品を世に出しています。競合他社は多いかもしれませんが、新製品へのチャレンジ精神や開発技術は他社に優ると思います」


「けっこう予習しているね。・・・技術職を目指していない君に聞くのは酷かもしれないけど、今後当社はどういう方面に伸びてくと思うかな?」


「はい。・・・御社は現在トランジスタを使った製品を作られていますが、今後はさらに集積回路を開発され、より小型で高性能な電子機器、おそらくはコンピューターの開発に進まれるのではないでしょうか?それも音声や映像を再現できるポータブルコンピューターです」


「慧眼だね。そこまで当社が邁進できるといいね」


そう言って高田係長は俺の履歴書に再度目を落とした。


「クラブ活動は英語研究会と・・・落語研究会?君は落語が好きなのかね?」


「じ、実は先輩に落語や漫才が好きな方がいて、その方に誘われてやむなくというところです」


「実際に落語をしたことはあるの?」


「はい、先代の部長の卒業記念公演というのを昨年末に行いまして、私は拙いながらも『寿限無』を披露しました。それ以外の落語は話したことがありません」


「『寿限無』か。入門的な噺だけど、おもしろいよね、あれ。・・・ちなみに寿限無と名づけられた子どもの名前を最初から最後まで言えるのかい?」


「え・・・と、一部抜けるかもしれませんが、確か・・・『寿限無 寿限無 五劫ごこうのすりきれ 海砂利水魚かいじゃりすいぎょ水行末すいぎょうまつ 雲来末うんらいまつ 風来末ふうらいまつ 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命ちょうきゅうめいの長助』・・・でしたでしょうか?」


「完璧だよ。忘年会での隠し芸として披露できるよ」


「い、いえ、そんな・・・」


「最後に、どうして秘書を目指すのかな?会計事務や受付など、他にも女子社員に向いている仕事があるけれど」


「はい。秘書になりたいと思ったのは秘書志望の別の先輩に話を聞いて考えたことですが、私は高校生のときに生徒会長をしておりまして、先生方、同級生、後輩たちと話をすることが多く、上司や来客への応対を習熟しやすいのではと自負しております。同時に上司の意向をいち早く察知し、気配りすることもできます。こういう資質が秘書に向いているのではと考えています。もちろん実際の現場ではいろいろ学ぶ必要があると思いますが、なるべく早期にお役に立ちたいと思います」


自分で自分をほめるのは日本人の礼節に反しているが、就職活動で自分を卑下した発言をしていると、ほんとうにそのように思われかねない。思い上がりと思われない程度に自分の利点を主張することが必要だ。・・・これは祥子さんに教えてもらったことだけど。


「秘書になれなかったとしたら、君は当社への就職希望を取り下げるのかい?」


「将来性のある御社に迎え入れていただけるのであれば、秘書以外の仕事でも頑張りたいと思います」


「よくわかりました。答えてくれてありがとう。今日は正式な面接ではないので、七月になったら面接試験の案内を送るよ。それに合格して就職が内定することになれば、九月か十月に採用通知を出せるよ」


「わかりました。ありがとうございます」


「人事部の僕との話だけじゃあ来たかいがないだろうから、社長秘書に会わせてあげるよ。一応連絡はしておいたからね。さあ、五階に行こうか」


「は、はい!」立ち上がる高田係長につられて俺もすぐに立ち上がった。


面会室を出てそのままエレベーターに向かう。エレベーターに乗って五階に下りると、廊下に絨毯が敷かれていた。


土足で踏んでいいものかと一瞬迷ったが、高田係長と同じようにそのまま社長室に向かって歩き出した。


社長室のドアをノックする高田係長。中から「どうぞ」と返事がして、高田係長はドアをそっと開けた。


「人事部の高田です。連絡しておいた会社訪問の子だけど、今大丈夫かな?」


「かまいません」と女性の声が聞こえた。


高田係長に続いて中に入ると、そこは社長室の前室になっていて、傍らの机に二人の女性が座っていた。机の前には別に椅子が一脚置かれている。


「そこにお座りになって」と三十代くらいの女性が言った。見た目はそこそこの美人で、はっきりした化粧をしていた。その化粧のせいか、意思が強いように感じられた。


俺が促されるままその椅子に腰を下ろすと、「じゃあ、後はよろしくね」と言って高田係長は出て行った。二人の女性秘書にじっと見つめられる。高田係長と向かい合った時よりも緊張する。


「お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします」俺は頭を下げた。


「あなたは秘書志望で、秘書の仕事を知りたいということでいいかしら?」


「はい。お願いします」


「じゃあ、広田さん、あなたの仕事を教えてあげて」と三十代くらいの女性秘書が二十代半ばの若い秘書に言った。


「はい。社長秘書の仕事はまず社長室に来られた来客の応対をすることです。来訪の予約を取られる方もいるし、突然来られた場合は一階の受付から連絡が来るので、社長の意向を聞いて受入れるか居留守を使うかを決めるの」と広田さんが説明を始めた。


「い、居留守ですか?」


「そうよ。面会お断り、と門前払いすると禍根を残す危険があるから、『今は会議中です』とか、『他社を訪問中です』とか、やむをえない理由を述べるの」


「それは大変ですね」


「どういう断り方をするかはこちらの宮永さんが指示してくれるわ」と広田さんは言って三十代くらいの女性秘書の方を向いた。


「面会が許可されてここまで来られた場合は、お名前を確認してからそこの社長室のドアをノックして社長に来訪を告げるの。社長室の中に入られたらすぐに奥の給湯室でお茶の用意をして、中に持って行くの」


「お茶の出し方にも作法がありますから、それを勉強してもらうことになるわ。もっとも、非常に大事なお客さまには私が出しますけど」と宮永さんが言った。


「はい、わかりました」


「社員が社長室を訪れることもよくあるわ。事前に面会依頼が来るから。社長が会うと答えられた場合は同じように迎え入れてお茶を出すの。ただ・・・」と言って広田さんは照れくさそうに微笑んだ。


「役付の社員が来ることがほとんどだから、若い男性社員と会う機会はほとんどないわよ」


広田さんのあけすけな発現を咎めるように宮永さんが咳払いをした。


「そういえばもうそろそろ研究開発部の田村さんが来る頃ね。あなた、椅子の向きを変えて広田さんの隣に座って」


「わかりました」と俺は答えて立ち上がった。社員が来るみたいだ。俺は秘書見習いに見えるように広田さんの横に並んだ。


ほぼ同時にドアをノックする音が聞こえた。「どうぞ」と広田さんが答える。


ドアがかちゃっと開いてひとりの男性が入って来た。中肉中背の若そうな男性だが、顔はホームベースのような五角形をしている。頭のてっぺんに小さな焼き海苔を貼付けたみたいな髪の毛があり、七三分けにされていた。


見たような顔だな、と思っていると、すぐに広田さんが立ち上がって社長室のドアをノックした。「どうぞ」と中から男性の声が聞こえる。


広田さんはドアを開けると、「研究開発部の田村さんがお越しです」と中にいる、おそらく社長に声をかけた。


「入ってもらいなさい」と社長の声がして、田村さんは室内に入って行った。その際に俺の方を一瞥したが、俺はにっこり微笑んだまま身動きしなかった。


広田さんはドアを閉めるとすぐにお茶の用意をしに給湯室に入った。


「今の方は研究開発部で一目置かれている我が社のホープで、ひとりで社長室を訪問する社員としては例外的に若いわね」と宮永さんが俺に囁いた。


「そうなんですね」


お茶を出しに行った広田さんが戻って来た。社長室の中からは笑い声がかすかに聞こえてくる。田村さんという方は社長に受けがいいようだ。


「来客時にはこんな感じね。私たちが同席することはないから、応対だけ相手に不快に思わせないよう配慮すれば、たいしたことはないわ」


「はい、わかりました」


「外部から社長宛にかかってきた電話もまず私たちが受けて、問題なければ社長に繋ぐの。来客予定も含めて社長のスケジュール管理をするのも私たちの仕事よ。出張する場合は飛行機や新幹線の切符を買いに行ったり、宿泊先の予約もするの」


「はい、わかりました。・・・切符は駅や空港に買いに行くのですか?」


「主に近くにある旅行会社に行って手配をしてもらうことが多いわね。東京駅や羽田空港まで買いに行っていたら、それこそ丸一日潰れるわ」


「そうですね」


「会食のために料亭を予約する場合は電話でするわね。予約し忘れたらあなたの首が飛ぶかもしれないから、確実に仕事をこなすのよ」と宮永さんが私を脅してきた。


「肝に命じておきます」


そのとき、さっき社長室に入って行った田村さんが出て来た。


「これで失礼するよ」と言って宮永さんたちに頭を下げる田村さん。宮永さんと広田さんも頭を下げ、俺もつられて頭を下げた。


顔を上げると田村さんが俺の顔を凝視していた。


「やあ、久しぶりだね。・・・藤野さん、だったかな?」


「は、はいっ!」俺は急いで記憶を巡らせた。誰だったかな?確かにその顔を見たことがある気がするが、思い出さない。


田村さんは廊下に出て行った。そして俺は宮永さんと広田さんから見つめられていた。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

高田聡太たかだそうた 鈴山電機の人事部員。

南方久里子みなかたくりこ 鈴山電機の事務員。秋花しゅうか女子短大の卒業生。

黒田祥子くろだしょうこ 美知子の同居人。秋花しゅうか女子大学三年生。

広田彰子ひろたあきこ 鈴山電機の若い方の秘書。

宮永礼子みやながれいこ 鈴山電機の年配の秘書。広田彰子の上司。

田村太郎たむらたろう 鈴山電機の研究開発部の係長。


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