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十七話 霊安室の呪いの人魂(美知子の妖怪捕物帳・弐拾肆)

「霊安室に人魂ですか?今までもよく出ていたのですか?」と俺は驚いて院長に聞き返した。


「いや、今まではそんな目撃はありませんでした」と事務長が代わりに答えた。


「その日だけの現象なのですね?・・・その日亡くなられた方はどのような方だったのでしょうか?差し支えない範囲で教えてください」


「亡くなったのは二十五歳の女性でした。夫と一緒に車で移動中に別の車が衝突してきて、夫は即死でした。妻、つまり女性の方は、重傷だが死ぬほどではないと主治医は考えていましたが、夫が亡くなったせいか生きる意欲が感じられない状態で、徐々に衰弱してとうとう亡くなってしまったのです」と事務長が説明した。


「そうですか。・・・その人はそれで霊安室に安置されたんですね?」


「そうです。遺族はその女性の姉だけでしたが、遠くに住んでいたのですぐには迎えに来れず、一晩霊安室で預かることになったのです」


「それで、人魂を目撃した人はどなたですか?」


「警備員のひとりだ。今日は院内に残ってもらっているので、呼んで直接話を聞いた方が早いだろう」


院長がそう言うと事務長がさっそく院長室の電話の受話器を取った。


「事務長の伊藤だけど、中西くんはそっちにいるかい?・・・中西くんかい?五階の院長室に来てくれないか」と事務長は受話器に喋った。


「すぐに来るそうです」と俺たちに言う事務長。


そこでそのまま待っていたら、まもなく院長室のドアをノックする音が聞こえた。


「入りたまえ」と院長。するとドアが開いて、警備員の制服を着た若い男性が入って来た。


「警備員の中西です。お邪魔します」頭を下げる中西さん。


「こっちに来なさい」と事務長が言うと、中西さんは事務長が座っているソファの横に立った。


「例の人魂のことは誰にも言ってないだろうね?」と確認する院長。


「はい。病院職員はもちろん、親にも友人にも話しておりません」と中西さん。


「それではここにいる藤野さんに、人魂を見たときの様子について詳しく説明してください」と事務長が中西さんに言った。


中西さんは俺を見て驚いていたが、すぐに事務長の指示に従って話し出した。


「あれは一昨日の夜です。私は夜番の日でしたので、夜中の零時頃に懐中電灯を持って病院内を見て回りました。特に異常はなく、霊安室の前に着いたらドアを開けて中を見たのです」と中西さんは説明した。


「遺体が安置されているのに霊安室に入ったのですか?」と俺は疑問に思ったことを聞いた。


「はい。亡くなられた方の私物が置いてあったので、盗難などがされていないか確認するためにドアの鍵を開けて中をのぞき込みました」


「鍵はかかっていたのですね?」


「はい。間違いなく」


「ドアを開けて何をされましたか?」


「まず、懐中電灯で中を照らして、異常がないか確認しました。そのとき何か妙な気配を感じたので、振り返ってドアの横にある電灯のスイッチを入れようとしたら、そこに光の玉が浮いていたのです」


「光の玉ですか?・・・それが人魂なのですね?で、どうしました?」


「人魂はすぐに消えました。私はしばらく硬直していましたが、思い切って電灯のスイッチを入れました。そして室内を確認しましたが、遺体はベッドの上で顔に白い布をかけられたままで、枕元の台の上に遺品も残っているようで、何も異常はないようでした」


「遺体の顔は見られましたか?」と俺が聞くと、


「いいえ、そんな、とんでもない!」と中西さんは否定した。


「それでどうしました?」


「電気を消しましたが、人魂はもう現れませんでした。そして急いでドアを閉め、鍵をかけて、警備員室に戻ってしばらく震えていました」


「中西さんが見たのは光の玉だけだったのですか?どんな光の玉でしたか?そして、なぜそれを人魂だと思ったのですか?」


「ぼんやりした丸い光の塊のようなものでした。それほど明るい光ではなく、ぼんやりした感じの。・・・人魂だと思ったのは、その日亡くなられた方の遺体が部屋にあったことと、人魂の中に『呪い』という文字が浮かんでいたからです。・・・亡くなられた方は交通事故で夫を亡くされた方だと聞いていました。だから、事故を起こした相手を恨み、その思いが人魂になって現れたと思ったのです」


「『呪い』という文字が浮かんでいたのですか?・・・その字は口編に兄と書く漢字と、ひらがなの『い』という文字だったのですか?」


「いいえ、『じゅ』の漢字一文字だけです」


「それからどうされましたか?」


「朝になって、交代の警備員が来ると、急いで事務長に報告に行ったのです」


「私はその報告を聞いてすぐに霊安室に行ったのですが、何も異常はありませんでした。そして昼過ぎに遺体搬送車で来られた遺族のお姉さんにご遺体と遺品をお渡ししました。私は中西さんの見間違いだと思いましたが、あまりにも怯えているので、誰にも言わないようにと念を押した上で、院長にどうするか相談したのです。そしたら院長が藤野さんの噂を聞いていたので、藤野さんに相談してみようと考えたわけです」と事務長が説明した。


「なるほど。・・・一度その霊安室を見せてもらえますか?」と俺が頼むと、中西さんは震え出したが、


「私たちも一緒に行くから」と事務長が説得して一緒に一階に下りることになった。


既に病院は閉まっており、見舞客もいなかった。患者が救急搬送されてくれば一気に活気づくのだろうが、今はひっそりとしている。


中西さんは警備員室から霊安室の鍵を持って来ると、俺たちと一緒に病院の裏口の方に歩き出した。


薄暗い廊下を進んだ先に霊安室があった。関係ない人が迷い込まないよう、奥まったところだ。


中西さんが震えながら霊安室のドアの鍵を開ける。すると事務長がドアを開け、ドアの横にある電灯のスイッチを入れた。蛍光灯に照らし出される室内。


殺風景な灰色の壁がある細長い部屋だった。部屋の中央に病室のものと同じベッドが置かれ、手前(廊下側)がベッドの足側で、奥の方に枕が置かれていた。そしてベッドの枕側と奥の壁の間に細長い机があった。


中西さん以外の俺たち三人が霊安室内に入る。廊下側の壁も何の装飾もない灰色の壁で、ドアはその左端にあった。


「光の玉はどこに浮いていたのですか?」と俺は中西さんに頼んだ。


中西さんはおそるおそる室内に入って来て、後を振り返ってドアの横の灰色の壁を指さした。


「確か、このあたりです」


「その光の玉はすぐに消えたのですね?」


「はい。『呪い』の文字は一瞬で読み取れましたが、すぐに人魂は消えてしまいました」


「亡くなられた方の遺品は枕元の机の上に置かれていたのですね?」


「はい。旅行鞄と山の形の皿立ての上に置かれた銅鏡です」


「銅鏡?・・・銅鏡って、古墳などから出土する青銅製の鏡のことですか?」


「はい、そうです」


「なぜそんなものが?」


「それは私から説明します」と事務長が口をはさんだ。


「まだ入院中にお姉さんが一度病院を訪れまして、着替えなどが入っている旅行鞄を残して行きました。その際に銅鏡も持っておられて、『これは妹が大切にしている結婚祝いの品だから、飾っておいてほしい』と看護婦に頼まれました」


「どのような鏡でしたか?」


「直径十五センチくらいの円形の鏡で、裏面に『祝』という文字が浮き出ていました。看護婦の話では、亡くなるまで皿立ての上に立てた状態で病室にずっと飾ってあったそうです」


「それをこの霊安室にも飾られたのですか?」


「担当の看護婦が気を利かせてこの机の上に飾りました。ただ、『祝』という字はふさわしくないので、裏を向けて飾っておいたそうです」


「裏を向けて?・・・つまり鏡面を遺体側に向けて立てておいたのですね?」


「はい、そうでした」と中西さんが肯定した。


「ならば話は簡単です。その夜、中西さんは懐中電灯で机の上の遺品を照らしました。そのときに懐中電灯の光が鏡で反射して、反対側の壁、つまりドアの横の壁を丸く照らし出したのです。それが人魂と思われた光の玉の正体でしょう。・・・実際は玉ではなく、壁に映った円形の光だったわけです」


「し、しかし、人魂の中に『呪い』という字が見えたんですよ!鏡に反射しただけなら、文字は浮かび上がらないはずです!」と叫ぶ中西さん。


「いいえ、反射させた光の中に文字や絵を映し出す鏡があります。魔鏡と呼ばれるものです」と俺は三人に言った。


「魔鏡?」


「はい。銅鏡の鏡面の反対側に文字や図柄を鋳込んで作ります。表面に盛り上がっているように作るのです。そして銅鏡はすぐに曇りますから、鏡面をしっかりと繰り返し磨きます。すると裏面の文字や図柄の影響で、目には見えないかすかな凹みが鏡面に生じるのですが、光を反射させるとその凹みで光が屈折し、適当に離れた位置の平面に同じ文字や図柄を浮かび上がらせるのです」


「しかし、銅鏡には『祝』という字が書いてあって、『呪』ではなかったはずだが?」


「『祝』を『呪』と読み間違えたのか、あるいは・・・」と俺は考え込んだ。「いずれにしろ、実物の鏡がないと検証できませんが」


「鏡ならありますよ」と事務長が言ったのでびっくりした。


「え?お姉さんが持って帰ったんじゃないのですか?」


「それが、旅行鞄は持って帰られたのですが、銅鏡だけは霊安室の片隅に落ちていました。取り忘れたのかと思ってお姉さんに連絡しようとしましたが、今のところ連絡がつかなくて、しかたなく病院で預かっています」


「その鏡を見せてもらうことはできますか!?」と俺は事務長に言った。


「すぐに持って来ましょう」事務長はそう言って霊安室を出ると、どこかへ早足で向かって行った。


「つまり、私が持っていた懐中電灯の光が鏡に反射して、ドアの横の壁に光の円と文字を浮かび上がらせたのですか。・・・驚いて懐中電灯を持った手が動いたので、一瞬で人魂は消えたんですね」と中西さんが言った。どことなくほっとしているようだった。


「ええ。人魂ではないただの物理現象だったと思いますよ」


そこへ事務長が銅鏡を持って帰ってきた。銅鏡を立てていた皿立てもある。俺はそれらを受け取ると、まず銅鏡の裏側を見た。確かに『祝』という大きな文字が浮き出ていた。


「これをこの辺に置いて」と俺は言って、ベッドの枕元の机の上に銅鏡を立てかけた。


「ドアを閉め、電気を消して懐中電灯の光を鏡に当ててください」と俺は中西さんに頼んだ。


薄暗くなった霊安室内に懐中電灯の光が灯る。そして向きを調節して鏡に光を当てると、反射した光が壁に文字を浮かび上がらせた。


「『呪』だ!」と叫ぶ院長。


「電気をつけてください」俺が頼むとすぐに室内が明るくなった。


「確かに『呪う』という字でしたね。でも、銅鏡には『祝』しか刻印されていません」


「どう見ても光の文字は『祝』とは読めなかったぞ」と院長。


「おそらく、この銅鏡は二重構造になっていると思います」と俺は言った。


「昔、隠れ切支丹の人たちは銅鏡に聖母マリア様の象を付けて、反射光でマリア様の姿を映し出して拝んでいたと聞きます。しかしそのままでは役人にすぐに見つかってしまうので、まったく違う文字が描かれた銅板を象の上から嵌め込んで隠したそうです。ですから、この鏡も、『祝』の字の中に『呪』の字が彫られているのかも。・・・銅鏡を壊さないと確認できませんが」


「この銅鏡はお姉さんからもらった大事な品だそうだが、なぜそのような陰湿なカラクリを施していたんだ?」と院長が俺に聞いた。


「これ想像ですが、実はお姉さんは妹を深く恨んでいた。そこで『呪』という文字を刻んだ銅鏡を妹に結婚祝いとして贈りましたが、その真意を隠すために『祝』の字をかぶせたのでしょう」


「亡くなられた女性はかわいらしい美人でした。お姉さんは顔だちは似ていましたが、どこか陰気そうな人でした。愛する妹を亡くした悲しみのせいだと思いましたが、普段からそんな感じだったとしたら、姉の彼氏を妹が奪ってしまったのかもしれませんね」と事務長が言った。


「夫が結婚前に姉から妹に鞍替えしたのか!?それで恨んで妹にあんな贈り物をしたんだな。・・・くわばら、くわばら」と院長が言った。


「あくまで私の想像で、根拠はありませんけどね」と事務長が言い、


「藤野さん、あなたのおかげで人魂でないことが証明できました。ありがとうございました」と俺に礼を言った。


院長も中西さんも俺にお礼を言ってくれた。


「この鏡は、姉が引き取らなかったら業者に壊してもらい、藤野さんの推理を確認することにします」と事務長が締めくくった。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

伊藤幸男いとうさちお 八木総合病院の事務長。

八木大二郎やぎだいじろう 八木総合病院の院長兼理事長。

中西芳郎なかにしよしろう 八木総合病院の警備員。


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