十三話 麗しきバーのママ(美知子の妖怪捕物帳・弐拾参)
俺の話を聞き終えた社長、営業部長、財務部長はしばし考え込んでいたが、すぐに社長が話しかけてきた。
「なかなか興味深い話だった。わしらにも君の意見を聞きたい話がある」
俺は不可思議な事件のことだな、と思いながら、「何でしょうか?」と聞き返した。
「実はあるバーのママをしていた女性のことだ」と社長が話し始めた。
「そのママは二十代後半か三十代前半ぐらいの若い女で、わしら三人がたまたま入ったバー『リリーズ』で出会ったんだ」
「あれほどいい女は今まで見たことがなかった」と営業部長が言った。
「われらは全員がママに一目惚れしてしまったというわけさ」と財務部長も言った。
「三人ともママにぞっこんで、誰も身を退こうとしなかったから、抜け駆けはしないようにとの紳士協定を結んだほどだ」と社長。
何が紳士協定だ。浮気したいだけじゃないのか、と思ったが顔には出さず、微笑んだまま続きを促した。
「さすがに僕らが見込んだだけの女性でな、ママは簡単には落ちなかった。そこで気を引くためにしょっちゅう三人で飲みに行ったわけさ」と営業部長。
「そう。わしらは足しげく『リリーズ』に通ったんだが、店外へ一緒に外出することはなかった」
「はあ、そうですか・・・」と気乗りのしない相づちを打つ。
「それでもママの笑顔はとろけるようで、他の女の追随を許さなかった」と営業部長。
「われらのほかにもママに気がある客がいたが、そんな客に振り向かせないようボトルを入れまくったものさ」と財務部長が言った。
「・・・それは、それは。そのママさんはみなさんに感謝していたことでしょう」
「ほかの客よりはわしらに対する愛想が良かったな」と二人に同意を求める社長。
「そうそう、あの雰囲気だと近いうちにいい仲になれたんじゃないかと思っていたよ。この二人がいなけりゃな」と財務部長が口をすべらせた。
「何を言っとるんだ!ママが一番気に入っていたのは社長であるわしだったぞ!」
「いやいや、ママは役職なんかに気を取られる女じゃなかった。一番懇意にしていたのは、一番若かった僕だよ!」と営業部長が張り合った。
そのままわいわいと口論になりそうだったので、さすがに人事部長が間に入った。
「まあまあ、みなさん、仮定の話はそれぐらいで。それよりも藤野さんに聞きたいことがあったんじゃありませんか?」
「そうだった!藤野くん、聞いてくれるか?」と俺を見る社長。
「さっきから聞いてますよ」
「今話したようにバー『リリーズ』のママはわしらのマドンナ的存在で、しかも身持ちが堅いんでますます気に入っていたんだが・・・」突然言い淀む社長。
「それで?」と俺は先を促した。
「つい先日の夜、取引先との会食の予定が入っていたんだが、先方の都合でキャンセルになってしまってな、わしら三人はこれからどうするって相談したんだ」
「どこかへお食事に行かれれば良かったのでは?」
「そう思ったんだが、松木くんが『早いけどリリーズに行きましょうか?』と提案してきたんだ。断ればひとりで行くんじゃないかと思い、わしら二人も賛成し、まだ早い時間からリリーズに向かった」
「そうですか。・・・それで?」
「繁華街の中の『リリーズ』がある狭い路地には車では入れなかったんで、大通りで車を降りて三人で路地を歩いた。そのとき桐田くんが若い男と肩でぶつかったんだ」
「ぼんやりしていたわけじゃないぞ。普通に歩いていたら向こうからぶつかってきたんだ」と財務部長が弁明した。
「そいつらはたちの悪いチンピラで、桐田くんに絡んできた。桐田くんが悪いわけではないんだが、金持ち喧嘩せずと言うだろ?丸く納めた方がいいと思ったので、わしらは一応謝ったんだ」
「ところがあいつらは謝っただけでは気がすまず、金品をせびろうと絡んできた。平和主義者であるわれらが困っていると、そこへひとりの青年が助けに入ってくれた」
「青年、ですか?」
「ああ、二十代くらいの若い男性で、細身な上に男でもはっとするようなハンサムだった。まるで歌手のピーター・・・だったかな?・・・みたいな」
ピーターこと池畑慎之介は女性にとても人気のある歌手で、昨年発表した『夜と朝のあいだに』は日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞している。
「そのピーターみたいな青年がみなさんを助けてくれたんですね?」
「そうなんだ。チンピラとわれらの間に入って来て、『この街の大事なお客さん方に難癖つけるんじゃない!』と低いすごみのある声で言い返してくれたんだ」
「当然チンピラもすごみ返してきて、口論になったあげくチンピラたちが殴りかかってきたんだが、柔道か合気道の技かな?軽くいなして押し返すと、さすがに相手にならないと思ったらしく、チンピラたちは捨てゼリフを吐いて去って行った」
「良かったですね」
「まったくだ。当然わしらはそのピーターみたいな青年に礼を言った」
「酒をおごらせてくれとも言ったんじゃなかったかな、そのピーターみたいな青年に?」
「しかしそのピーターみたいな青年は・・・面倒だからピーターと言い切ってしまうが、ピーターはわしらに『あいつらとまた遭って絡まれたら面倒ですから、今夜は早々に引き上げられた方がいいですよ』と言ってにかっと微笑んだんだ。相手が男だとわかっちゃいるが、その笑みにわしは心臓をつかまれたような思いだったよ」
「社長はそっちの趣味も?」と財務部長は親指を立てながら聞いた。
「気が多い人だからな、社長は」と営業部長も言って笑い出した。
俺は意味がわからず愛想笑いをしていたが、社長がごほんと咳払いをした。
「冗談はその辺で。・・・わしはママひとすじだから」
「失礼しました!」と財務部長と営業部長が同時に言って頭を下げたが、口元は笑ったままだった。
「で、ピーターはわしらに会釈をすると、その路地を早足で奥に進んで行った。わしらは感謝してその後ろ姿を見守っていたが、人混みに紛れかけたときにその姿がふいに消えたんだ」
「え?消えたんですか?」それで妖怪か何かだと思ったのかな?
「もちろん神隠しに遭ったように姿が消えたのではなく、どこかの店に入ったような消え方だった。え?と思いながらわれらが急いでその後を追ったら、ちょうどバー『リリーズ』の入口あたりだった」
「『リリーズ』に入って行ったんですか、ピーターさんが?」
「そこまではっきりとは見えなかった」と営業部長。「そこですぐに『リリーズ』のドアを開けて中に入ったら、オーナーの婆さんが開店準備をしているところだったんだ」
「ママは雇われママなんだ。オーナーはいつも店にいるわけじゃないんだが、その日はたまたま来ていたようだ。年は六十前後かな?」と財務部長が説明した。
「オーナーは『今夜は早いね、社長さん方。まだ開店してないよ』とわしらに言った。そこで『今ここに若いハンサムな男が入って来なかったか?』とオーナーに聞いたんだが、『誰も来やしなかったよ』と言い返された」と社長。
「『開店前だろうがせっかく来たんだ。飲ませてもらえるか?』と頼んだらボックス席に案内され、グラスと氷と水と社長のボトルを無造作に出し、『悪いけど勝手に飲んどいて?まだ準備があるから』と言われたんで、三人でわびしく水割りを作りながらママが来るのを待ったんだ」
「小一時間くらい経っただろうか、ようやく店の奥からママが出てきて、『あら、いらっしゃい。今夜は早いわね』と声をかけてくれた。そこで僕らはさっきピーターに助けてもらったことを話し、『そんな男を知ってるかい、ママ?』と尋ねた」
「そしたらどう答えられましたか?」
「『ピーターみたいな男性ねえ。知らないわね』とママはあっさり答えた」
「そこで財務部長がさっきと同じように、『社長はピーターが気に入ったそうだ』と冷やかし始め、社長は『そんな趣味はない!』と言い返した。僕ら二人は、わざとママに聞こえるように『隠さなくてもいいですよ、社長』と囃し立て、社長は浮気がばれた夫のように反論するということを繰り返したかな」と営業部長。
「さんざんからかいやがって。ママがわしに愛想を尽かすところだったじゃないか」と社長が言った。
「冗談だったけど、しばらくその話題で盛り上がったな」と財務部長も言った。「ママも困ったような表情で聞いていたよ」
「ふん!・・・だが、その後はいつもと同じように楽しく飲んだ。そしてこれからが本題なんだが、その三日後にまた三人でバー『リリーズ』に行ったら、オーナーの婆さんがいて、『ママは二日前に店を辞めた』と怒った口調で言ってきたんだ」
「そうですか?水商売の女性が店を替えることはよくあることでは?」と俺は聞いた。
「そうかも知れないが、いくらなんでも急すぎるし、オーナーはわしらのせいだって怒るんだ」
「社長さんたち三人のせいという意味ですか?」
俺の問いに社長はうなずいたが、財務部長と営業部長は首を横に振った。
「いや、社長のせいだと思う」と財務部長。
「どうしてですか?ピーターに助けてもらった日に、社長さんが何か粗相をしたのですか?」
「わしはそんなことはしとらん!」と社長はすぐに否定したが、
「社長はピーターの話を僕らとさんざんした後で、突然ママの手を握ったんだ」と営業部長が言った。
「抜け駆けしないという紳士協定を破ったんだ」と財務部長も言った。
「いやいや、バーのママさんが客に手を握られたくらいで店を辞めたりするもんですか。よっぽど嫌いな客にしつこく迫られていたのならともかく」と俺は言って社長の顔に気づいた。
「いえ、社長が嫌いな客だったと言っているわけではありません。あくまで一般論です。・・・でも、オーナーはみなさんのせいだと文句を言ってきたのですね?理由は聞きましたか?」
「いや、具体的な理由は教えてくれなかった。だからわしは、ピーターが実はママの情夫で、その夜たまたま示し合わせて駆け落ちしたんじゃないかと疑っているわけだ。この考えをどう思う?」
「駆け落ち?駆け落ちって、親などから結婚を反対されている恋人と逃げて一緒になることですよね。バーのママがなんで駆け落ちする必要があるのですか?黙って一緒に暮らしても気づかれないでしょうに」
「多分、オーナーから反対されていたんだろう。ピーターなんかと一緒になるなってね」
「仮にそうだとしても、社長さんたちのせいじゃありませんよね?」
「まあ、そうだが、わしらが帰った後でオーナーがママに『まだあの男とつき合っているのかい?わたしゃ反対だよ!』と責められて駆け落ちしたんじゃないのか?」
「ピーターがヤクザ者ならいざ知らず、みなさんが会ったピーターは好青年だったんでしょ?そんなに反対しますかねえ?」
「きっとオーナーはママかピーターのどちらかを愛人にしていたんだ」と営業部長が言った。
女のママが女のオーナーの愛人?バーの名前は『リリーズ』、つまり百合だから、オーナーが女性同性愛者だったってこと?
「そうだとしても悪いのは駆け落ちした二人で、社長さんたちのせいとは言えないでしょう」
「だとしたら、ママが辞めた理由は何だと思う?やっぱり社長が手を握ったからか?」と財務部長が聞いた。
社長はまた異を唱えようとしたが、「そうかもしれません」と俺が言うと、驚いて目を見開いた。
「いえ、みなさんが悪いというつもりはありません。その夜の『リリーズ』では、みなさんがさんざんピーターに似た青年のことをママの前で話し、そして最後に社長さんがママの手を握ったのですね?」
「そうだが」
「これは仮説のひとつに過ぎませんが、実はママとピーターが同一人物だったという可能性は考えられませんか?」
「はあ!?」と社長、財務部長、営業部長の三人が同時に叫んだ。
「女と男だぞ!顔の印象も違うし!・・・確かに二人とも体はほっそりして、ピーターは女顔だった・・・」
「化粧をすれば顔の印象はかなり変わります。髪型も同様。ママは普段は着物を着ていましたか?着物をきっちりと着付けすれば、胸の膨らみはわかりにくくなったはずです。そしてママになったときと男のときとで声の高さを変えていたのでしょう」
「なぜ女装をしてバーのママをしていたんだ?」と冷静な人事部長が聞いた。
「バー『リリーズ』がゲイバーでなかったのなら、何かの事情があって女に成りすまして働いていたのでしょう。そんなママの目の前で、みなさんがママの正体であるピーターについてさんざん説明しました。ママにぞっこんの社長さんがピーターに興味があるようなことまで言いました。そんなことをしていたら、ママは『ひょっとしてこの三人は自分の正体に気づいているんじゃないか?』と疑心暗鬼に陥るでしょう。そして極めつけは社長さんがママの手を握ったことです。男の手と女の手は触った感じが違います。だから社長さんが自分が男だと知っていると、ママは確信したのではないでしょうか?」
「そ、そうだとしたらとてもショックだが、だからと言ってすぐに逃げなくてもよさそうなものだが」
「だから、何か事情があって女装していた、と最初に申し上げました。自分が男であることがばれると、トラブルに巻き込まれるとママは心配していたのかもしれません」
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
桜田敏郎 毛武電鉄の取締役社長。
松木 仁 毛武電鉄の営業部長。
桐田昭夫 毛武電鉄の財務部長。
梅田三郎 毛武電鉄の人事部長。
レコード情報
ピーター/夜と朝のあいだに(1969年10月1日発売)




